【2部】第13話「出発」
居場所があるというのは、たぶん幸せなことだ。
そこにいれば、仕事があって、
帰る場所があって、
名前を呼ぶ人がいる。
それだけで、人は生きていける。
それでも人は、ときどき、
そこを出ていく。
外の世界を見たいと思ったとき。
知らないままでいることが、
できなくなったとき。
物資回収任務から数日。
整備場には、いつもの音が戻っていた。
金属を打つ音。溶接の光。工具のぶつかる音。
誰かの笑い声と、誰かの怒鳴り声。
戦闘はあった。
だが、それはヴァルダにとって特別なことじゃない。
生きるための戦闘は、ここでは日常の一部だった。
整備場の奥で、アリアはNOMADの脚部を開けていた。
関節部の摩耗を削り、姿勢制御の補正値を調整する。
「そこ、削りすぎるなよ。」
ジンが後ろから言った。
「分かってる。0.2だけ。」
「お前の着地、ちょっと強いんだよ。癖出てる。」
「機体の癖。」
「操縦の癖だ。」
アリアは少しだけ笑った。
「……ねえ、ジン。」
「なんだ。」
「私、ここにいてもいいのかな。」
ジンは一瞬だけ手を止めて、それから言った。
「今さら何言ってる。」
「だって私、一回出てったし。」
「勝手に出てって、勝手に戻ってきて、
勝手に戦って、勝手に働いてるな。」
「……うん。」
ジンは工具を置いて、NOMADの脚を軽く叩いた。
「ヴァルダはな、出ていく奴は止めないし、戻ってくる奴も止めない。」
「……うん。」
「いるなら働け。
出ていくなら、勝手に行け。
それだけだ。」
アリアは少しだけ笑った。
「……そっか。」
少しだけ沈黙。
ジンが言った。
「……また出るのか。」
アリアは少しだけ黙って、それから頷いた。
「うん。」
「どこ。」
「セラフィア。」
ジンは少しだけ眉を上げた。
「遠いな。」
「うん。」
「……止めた方がいいか?」
アリアは少しだけ考えて、それから言った。
「止める?」
「いや、止めない。
でも一回くらい聞いとこうと思ってな。」
ジンはそれだけ言って、また作業に戻った。
それが、ヴァルダの人間の距離だった。
夜。
整備場の外、少し離れた場所で、焚き火が燃えていた。
ガドが火の前に座って、金属カップを傾けていた。
アリアはその隣に座った。
「脚の調整、終わったのか。」
「うん。もう大丈夫。」
「そうか。」
火が小さくはぜた。
「……この前の戦闘、悪くなかった。」
「苦戦してたけどね。」
「四機は多い。」
「うん。」
「だが、物資は回収できた。全機帰還。
ああいうのでいい。」
それがヴァルダの戦闘だった。
勝つことより、生きて帰ること。
「それで、明日出るのか。」
「うん。」
「セラフィアか。」
「うん。」
しばらく沈黙。
ガドが言った。
「残ってもいいんだぞ。」
アリアは火を見たまま答えなかった。
「機体もある。
仕事もある。
飯も出る。
寝る場所もある。」
ガドは続けた。
「ここなら、お前は生きていける。」
それは、引き止める言葉じゃなかった。
ただの事実だった。
「それでも行くのか。」
「……うん。」
「なんでだ。」
アリアは少し考えて、それから言った。
「分かんないことが多いから。」
「何がだ。」
「母さんがなんで死んだのかも、
なんで私が外にいるのかも、
境界が何なのかも、
この世界がどうなってるのかも。」
火を見ながら、アリアは言った。
「ちゃんと知らないまま、生きてるから。」
ガドは黙って聞いていた。
「このまま何も知らないまま生きるの、
なんか嫌なんだ。」
しばらく沈黙。
それからガドは言った。
「……そうか。」
短い返事だった。
「じゃあ行け。」
アリアは顔を上げた。
「お前は外を見てこい。」
「外?」
「ヴァルダの外だ。
この世界がどうなってるのか、見てこい。」
アリアは少しだけ考えて、頷いた。
「うん。」
ガドはカップの酒を一口飲んだ。
「その代わり、生きて帰ってこい。」
「うん。」
「生きてりゃ、またどこかで会える。」
それが、ヴァルダの人間の見送り方だった。
翌朝。
風が強かった。
NOMADの翼が風を受けて、小さく軋んだ。
コックピットに乗り込み、起動手順を確認する。
計器正常。出力正常。姿勢制御正常。
操縦桿を握った、その時。
「もう行くのか。」
後ろから声がした。
振り向く。
黒いロングコートの男が立っていた。
「……師匠。」
少しだけ、言葉が出なかった。
少し沈黙。
アリアは少しだけ視線を落として、それから言った。
「……ごめん。何も言わず、いなくなった。」
「非常事態だったんだろ。」
「……うん。」
「なら、仕方ない。」
アリアは少しだけ首を振った。
「戻れたかもしれない。」
「戻らなかったんだろ。」
「……うん。」
「それがお前の選択だ。」
アリアは少しだけ笑った。
「怒ってないの。」
「怒る理由がない。」
「……そういうとこ、ずるい。」
「そうか。」
少し沈黙。
真白が言った。
「戦ったのか。」
「……うん。」
「そうか。」
それだけだった。
アリアは言った。
「私、セラフィアに行く。」
「ああ。」
「知らないまま、生きたくないから。」
真白は少しだけアリアを見て、それから言った。
「……そうか。」
アリアは言った。
「行ってくる。」
真白は言った。
「ああ。」
そして、少しだけ間を置いて言った。
「生きて帰ってこい。」
アリアは少しだけ笑った。
「うん。」
NOMADが滑走を始める。
地面を蹴り、速度が上がる。
翼を広げる。
風が強くなる。
そして、機体が浮き上がる。
ヴァルダの移動都市が小さくなっていく。
整備場。
市場。
居住区。
砂の大地。
その外れに、黒いコートの男が立っている。
アリアは少しだけ下を見て、それから前を向いた。
居場所は、あった。
それでも、行く。
知らないまま、生きたくないから。
「進路設定。目的地、セラフィア。」
「了解。」
NOMADは高度を上げる。
空は広かった。
どこまでも続いていた。
アリアは、その空の向こうを見ていた。
第13話「出発」 了
ここには、居場所があった。
それでも彼女は、そこを出ていった。
なくなったからじゃない。
嫌いになったからでもない。
ただ、知りたかったからだ。
世界がどうなっているのか。
自分がどこにいるのか。
そして、自分がどこへ行くのか。
それを、自分で選ぶために。




