5.償い
ビルの谷間で加速された冷たい2月の風が吹き抜ける中、サガーラ新聞のリン・シュファ記者は手をこすり合わせながら足踏みをしている。もう1時間以上も立ち尽くしている彼女の足は感覚がなくなりそうだ。
(いったい、いつまで中にいるんだろう・・・)そう思いながらリンがまたすっかり冷たくなった手に息を吹きかけたその時、ビルの玄関ドアが開いて目当ての人物が出てきた。このビルには民主脱帝者評議会の本部事務所が入っている。
駆け寄ってきたリンに気付いて、グレーの地味なコートをまとったその女性は足を止めた。
「あら、あなたは確か・・・」
「サガーラ新聞のリン・シュファです。ハーコート首相、あ、いや、すみません、前首相。事務所の方からこちらにいらっしゃると伺って」
事務所といっても、ハーコートが政界を引退した後、秘書達は既に他の政治家達の事務所に移籍したので電話番の老人が1人いるだけだが。
へぇ、というふうに片眉を上げただけでハーコートはすたすたと歩きだす。リンも慌てて後を追う。
「で、何?取材ならお断りよ」
「あ、いや、今日はプライベートというか、あの首相、いや前首相がどうなさってるか気になって・・・。すみません」
ハーコートは立ち止まり、両腰に手をあててリンを見据える。
「あんたねぇ、記者会見の時もそうだったけど、すみません、すみませんってうるさいわ。それに私はもう一般人なんだから、ハーコートかアンナでいいわ。一々首相、いえ前首相って言い直されるのも鬱陶しいし。で、何?私あんたが興味を持つようなことは何もしてないわ」
そう言い放つとまたすたすたと歩きだす。
「すみま、あ。・・・あの、ハーコート・・・さん。毎週のように民主脱帝者評議会に行かれているとお聞きしたんですけど・・・」
ハーコートは足を止めることもなく、じろりと横目でリンを睨む。
「民主脱帝者評議会になんか行ってないわ。民主脱帝者評議会の事務所の“ドアの前”に行ってるだけよ」
「・・・でも2時間以上、ビルの中にいらっしゃったかと思いましたけど・・・」
ハーコートはそれがどうした、というふうに答える。
「だから2時間、ドアの前にいたのよ」
「え・・・?中に入れていただけないっていうことですか」
「それ以外にどんな解釈があるっていうのよ?」
「では、何故・・・何故、毎週あのビルに通われているのですか?」
はぁ、ハーコートは立ち止まり、腕を組んだ。
「あのねぇ、悪いことをしたと思ったら面と向かって謝るのは当たり前でしょ?それともあんたはメールか電話で済ませるタイプ?そんな人とはしゃべりたくないわ」
「あ、いや、すみま・・・でもあの、会っていただけてないんですよね・・・?」
「そりゃそうでしょ、私は死刑になると分かっている脱帝者の人たちを帝国に送り返した張本人なのよ。彼らが私の顔を見たくないと思うのは当たり前のことだわ。で、悪いけど私急いでるんだけど」
「今度はどちらへ・・・?」
「何?まだついてくる気?」
「差し支えなければ・・・」
「差し支えるわ。その前に、政界を引退した前首相のことになんでそんなに興味があるの?」
リンは俯いた。
「あの・・・私、昔から自分に自信がなくて・・・見た目も地味だし・・・それでハーコート首相、いえ、あのすみません、ハーコートさんをテレビで初めて見た時から、こんな強い人になれたらなぁ、って勝手に憧れて・・・あの、すみません」涙ぐんでいる。
「こら!」突然の大声にリンはびくっと体を震わせた。
「私、簡単に泣く女、本当に嫌いだわ」
リンはますます縮こまり、「・・・すみません」。消え入りそうな声だ。
「また!謝ってる!」
ハーコートは腕組みを解くとまたすたすたと歩き始めた。
しばらく行って、呆然と見送るリンを振り返ると、
「何してるの?行くの、行かないの?急いでるって言ったでしょ!」
涙を袖で拭いて慌てて走り出すリンに指を突き出し、
「いい?絶対に記事にするんじゃないわよ?」
30分後、二人は「脱帝者社会統合支援センター」という小さな表札がかかった施設に入っていった。




