9.アンナ
午後10時、夜の喧騒が汐が引くように繁華街の中心部に向かって遠くなっていく裏通りで、スレイドはポツンとネオンの光る暁亭のドアを開けた。カラン、とドアの上からぶら下げられた鈴の音にマスターが顔を上げ、スレイドをみると何も言わずに右に顎をしゃくった。個室のテーブルでこちらに背を向けている女性がいる。
「遅くなってすみません、首相」
スレイドがコートを脱ぎつつ脇をすり抜けながら謝ると、アンナ・ハーコート首相はじろりとスレイドを睨んだ。
「その言い方はやめて。今はアンナでいいわ」ロックグラスがカラン、と鳴った。
スレイドのウィスキーが来るまで、ハーコートは一人俯いて黙ってグラスを傾けていたが、グラスを持ってきたマスターが去ると、二人はカチリ、と軽くグラスを合わせた。
「今日あなたの書いた報告書を読んだわよ。ネオ・ネプチューン事件の。帝国艦の目的は脱帝者の送還だけじゃなく、新型艦のテストだったって。まったく、ふざけた話だわ。で、」ハーコートはスレイドを睨む。
「そもそも今回の脱帝事件の原因となったその新型艦とやらをオクシタンが作った理由は不明、ということだったけど。あなたはどう思ってるの?」
スレイドは苦い顔をしながら首を振った。
「悪いけど、分からないんだ。というか、判断の材料がまだ揃ってない」
2人はテラフォード大学政治学部の同級生である。大学卒業後、ハーコートは政治の道を進み、スレイドは大学院に進んだ後、NIAに就職した。アンナがまだ駆け出しの地方議員だった頃はたまに同窓会で顔を合わせることもあったが、お互いの立場上、次第に顔を合わせることも難しくなり、今ではスレイドが提出する報告書を通じた関係に過ぎない。そのハーコートから今日の夕方突然、「内密に会いたい」という連絡がスレイドの個人モバイルにあり、暁亭で会うことになったのである。
ハーコートは恰幅の良い体を苛立たしげにゆすった。
「分析屋の流儀を確かめるためにわざわざ来たわけじゃないわ。仮説でいいから、あなたの今の考えを聞かせて頂戴って言ってるの」
スレイドは腕を組んで胸に顎を埋めた。
「うーん。まず考えられるのは、オーベルニュ卿が帝国内での自分の地位を向上させるために武力の誇示を必要としている、という可能性」
「具体的には?」
「帝国内のどこかの星系で何らかの武力行使の必要性が生じた場合、例えば叛乱とか。あるいは年に一回の皇帝臨席での観閲式や軍事演習とか。そこで圧倒的な武力をもって目立つことができれば、彼に対する評価が高まり、出世の階段が開ける・・・」
ふーん、と言ってハーコートはスレイドの顔を覗き込んだ。昔、美貌で評判だった頃の面影を残すその瞳は、知性を示すように緑がかった明るい茶色をしている。
「あなたはそうは思っていないわけね」
降参だ、というようにスレイドは手を広げた。
「オーベルニュ卿がそんなことに興味がある人物のようにはみえないんだ。何故、といわれても困るけど。何かこう、他の帝国貴族とは判断基準が全然違う気がするんだ」
「じゃあ、他の仮説は?」
うーん、とスレイドはひときわ大きく唸って、しばらく躊躇した後、笑わないでくれよ、と言って話し始めた。
「あれだけ、新型の戦艦を秘密裡に開発してるんだ。単なる遊びとは考えられない。とすると・・・」少し間をおいた後、ポツリと言った。
「余程重大な相手との軍事対決を考えているに違いない。例えば・・・皇帝とか?」
ハーコートは目を瞠った。
「まさか・・・あなた、本気で言ってるの?」
しばらく他愛のない話を続けていた二人だったが、ハーコートは急に黙り込んだ。
「アンナ、どうした?」
深いため息が個室に響いた。
「・・・・・・・・・毎晩ね、寝るときになると、あの脱帝者の親子達の泣き声が耳から離れなくなるの」
スレイドは言葉に詰まった。
「もちろん、あの時点の共和国首相として、あれ以外にとるべき手段はなかった、判断は間違ってなかった、って信じてるわ。でもね・・・」ハーコートはまたため息をつく。
「私、何のために政治家になったんだっけ、て時々分からなくなるのよ。仕方ない、仕方ない、仕方ない・・・首相になってから私の判断基準はそればっかり」
ハーコートは顔を上げてスレイドをまっすぐ見た。少し目が潤んでいるようだ。
「昔、あんた、私に告白したわよね」
突然変わった話題に、スレイドは慌てた。「え!え、まあ、うん・・・」
スレイドの慌てようにくすっ、と笑ってハーコートは呟いた。
「あんたの告白を受けていたら、私の人生、どんなふうだったかな・・・」
ハーコートは今でも独身を続けている。なんと言ったものか、迷いながらスレイドはかろうじて絞り出した。
「人は客観に基づいて自らの不幸を語り、主観に基づいて幸福を語る、って誰かが言ってたな」
はあっ?と言ったハーコートはスレイドの顔をしばらく見つめていたが、突然噴き出した。
「なに、それ?どこの気障野郎の言葉?」
スレイドは苦笑した。「聖人スレイドのオリジナルさ」
「そうでしょうね」ハーコートはくすくす笑う。
「ダスティン、あんたそういうところよ。理屈っぽいところ。女はね、そんなの求めてないの。あんたをふったのは正解だったわ・・・ところで、エマは元気?」
おかげさんで、というスレイドに「よくこんなのと付き合ってるわ」と笑いながら頷いた。
「まあ、でも分かるわ。つまり、あんたが言いたいのは、幸せかどうかは自分自身が決めればいい、っていうことでしょ。他人の評価を気にするから不幸になる、ってね。もちろん、私は幸せよ」
夜も更けてきて、そろそろ上がろうか、というスレイドの言葉に頷いた後、ハーコートは急に俯いてまた黙り込んだ。何か、言おうか言うまいか、躊躇しているようである。
「?」
少し間があって、スレイドが言葉をかけようとした時、意を決したようにハーコートが顔を上げてスレイドをまっすぐ見つめた。
「私、明日辞任するわ」
えっ、不意をつかれて思わずスレイドの声が大きくなった。
「いや、でもまだ支持率は10%を切ってないだろ?」
ハーコートは首を振る。
「自由党と、それにうちの共和党の一部が野党に乗るの。まず不信任案の可決は確実ね。あんたも言ったでしょ、私は自分の運命を他人の手に委ねるつもりはない。不信任案を出される前に自分の手で決着をつけるわ」
「しかし、それで君を裏切った連中はどうするんだ?選挙で勝てるのか?」
「あんた、帝国のことは詳しいのに、自分の国のことはさっぱりね」
ハーコートは薄く笑った。
「やつらは、次の選挙であのいけすかないファーレン・ラムズフェルトが立ち上げる新党に合流するつもりなのよ。再軍備を掲げる政党にね」
「ラムズフェルトが!?・・・・・・で、君はどうするんだ?」と尋ねるスレイドに少し休むわ、といったハーコートだったがその後、自分自身に言い聞かせるように頷いた。
「でも、あんな薄っぺらい連中はいずれ行き詰る。その時、また必要とされる私になるわ」




