2.民主主義
「帝国軍の圧力に屈して難民送還に応じた」という言説は、ハーコート政権に強い逆風となった。ハーコート首相率いる中道の「共和党」は定数200議席の議会で95議席を占めているが、連立を組む右派「自由党」(23議席)が首相に対する批判を強め、左派の野党「民主党」(70議席)が提出を匂わせている内閣不信任案に同調する動きをみせている。これにAIからの完全開放を主張する「人間主権党」(5議席)と独立派議員(7議席)の幾人かが同調すれば不信任案は過半数を獲得し、内閣及び国会は解散されることになる。
地球暦4069年のサン・リミノの和約によって銀河大戦が終了した後、唯一の民主主義体制として残ったグロスター星系(後のテラフォード星系)では、政治、あるいは政治的意思決定そのものに対する深刻な懐疑論が巻き起こった。様々な議論の中でも特に重要だったのは、地球の壊滅、ひいては人間同士による銀河規模での破滅的な戦争を引き起こしたのは「未熟な」人間の判断だったのではないか、という問題提起だった。地球暦3000年代には既に人間の脳と同レベルのAIが誕生する「シンギュラリティ」地点を超えたとする推定もあり、人間による政治意思決定を否定する「新政治運動」が社会を動かす潮流として次第に力を増していった。その結果、早くも戦争終結2年後の地球暦4071年、テラフォード憲法改正案が可決され内閣は解散、各省庁は中央マザーAI「テラフォード」が決定する政策を実施するのみの組織として改編された。
「AIテラフォード」体制は実際、テラフォードの戦後復興、産業構造改編による効率化、新たなエネルギー資源の開発、能力に応じた労働力の再配分に絶大な効果を発揮した。と同時に、人類誕生以来の「宿痾」ともいわれてきた政治的腐敗、汚職、縁故主義も一掃された。全てが「人類を超える叡知」がもたらす、「史上最高・最善の政治体制」のはずだった。
しかし当初は「合理性の極致」と絶賛されたそのシステムも、導入から10年を超える頃には様々な「軋み」を社会に生むようになった。その発端はテラフォード星系第二の惑星であるクリシュナの地方都市サガーラに対し、マザーAIが伝統工芸である絨毯産業の廃業と鉱業への転換を指示したことである。AIはサガーラの地下に希土類の巨大な鉱床を発見する一方、首都フリートランド郊外ベルファストで大量生産される廉価な絨毯との競争に押されて売り上げが減少しつつあったサガーラの絨毯産業を「将来的な見込みなし」と判断したのであった。
当然、サガーラの絨毯生産者らは激しい抗議運動を展開し、一部の高級絨毯愛好家(彼らは同時にAIに政治的影響力を奪われた富裕層でもあった)がその運動に莫大な資金援助をすることによって、反対運動は終息するどころか他の分野にまで急速に拡大していった。
特にAIによって「能力なし」と判定され希望する学部への進学の道を断たれた学生達とその親達、意欲を持って仕事に取り組んでいたにもかかわらず同じく「能力なし」と判定されて転職、あるいは降格を強要されたサラリーマン達が抗議活動に加わるようになると、もはや運動は一つの決定に対する異議申し立てを超えて「人間性vs効率性」という枠で語られるようになった。しかしこの議論に最終的な結論をもたらしたのは、ある学生がAIに対して行ったただ一つの問いであった。その問いとは、
「我々は帝国に服属すべきか」
というものであった。テラフォードの人間であれば答えが明らかなこの問いに対して、AIの回答は「Yes」であった。そしてその回答はAI擁護派の人々すら黙らせた。
マザーAIからみれば、銀河大戦とその後の皇位継承問題を解決し、迅速な意思決定の下で旧銀河共和国連合系星系を含めた全銀河で経済発展を加速させつつあった帝国の傘下に加わることは「人類の幸福にとって合理的」な判断であっただろう。しかしそれはテラフォードの人々が命を懸けて守った「民主主義」という政体の存在意義にかかわる根本的な問いであり、AIの回答は「価値観」というものに対する人間とAIの齟齬を決定的に露呈した。大戦が終わってからまだ10数年、身近な愛する人を失った記憶が生々しいテラフォードの人々にとって、AIの判断は許し難いものでしかなかった。そもそも、「帝国の専制」に抵抗しながら「AIの専制」に服することの矛盾に、テラフォードの人々がようやく気付いたということでもあった。
そのことはまた、テラフォードの人々に「政治」というものを再認識させることにもなった。政治とは結局、「妥協と説得の技術」であり、そのために人間は時に「効率」を犠牲にするものなのだ。なぜなら人間は「人間による」「人間らしい」妥協と説得しか受け入れないからだ。こうしてテラフォードに再び、人間を最高意思決定権者とする政府・議会が復活することとなったのである。
このような経緯から、テラフォードにおいて「帝国に対する抵抗」による「民主主義の堅持」は新生テラフォード憲法の第一条に明記される国家としての義務である。選挙で当選した議員は全員、選挙後最初の議会招集日においてこの条文を守るという宣誓を義務付けられている。ハーコート政権は今回、その義務に違反したというのが批判派の主な主張であった。
連立与党である「自由党」は帝国人民に対する民主主義の拡散を党の綱領としているだけに、帝国の要求に簡単に屈したことは受け入れ難いと声高に叫ぶ一方、野党第一党である「民主党」は人権保護という観点から難民送還という政府の決定を強く批判している。しかし政権に対する真の脅威は議会の「外」で勢いを増しつつあった。
そもそも政治家達の政権批判は全て机上の空論である。辺境にいとも簡単に戦列艦1,000隻を派遣してくる帝国軍に対して現在の軍備でどう抵抗できるのか。まずは軍備を増強し、少なくとも帝国軍の侵入に対抗できるだけの防衛力を整備することが先決であり、ハーコート政権のみならず歴代政権の真の問題は、経済ばかりを優先し防衛力強化をおろそかにしてきたことにある。
こうした声がまずは軍のOBや突如現れた「安全保障の専門家」と称する学者らを中心に各種討論番組や新聞で語られ始め、SNSでも急速に拡散し始めた。中でもとりわけ派手な言動で目立ち始めたのはファーレン・ラムズフェルトという男だった。
ラムズフェルトは52歳。若い頃は売れない俳優だったが、金儲けの才覚はあったのか30代でレストラン経営に成功、一躍有名人となってテレビ界に復帰。さらにいくつものエンタメ企業やコンサルタント会社を買収した後、今ではテラフォード有数のテレビ局「サンライズ・ブロードキャスティング」の大株主となり、自らの冠番組「ラムズフェルト・ショー」でMCを務めている。数々のファッション雑誌で身長190cmの鍛え上げられた肉体を見せびらかし、グレイヘアーと甘いマスクで数多くの女優と浮名を流しては結婚と離婚を繰り返している男である。
彼がMCを務める「ラムズフェルト・ショー」といえば、多くの芸能人やスポーツ選手を雛壇に座らせて私生活を語らせたり、彼自身が視聴者からの恋愛相談に答えるコーナーがあったりで、ニュースといえばスポーツと芸能しか扱わない、いわば純粋なエンタメ番組だったのだが、「ネオ・ネプチューン事件」以後、番組内容が大きく変わった。スタジオのセットが大きく変更され、コメンテーター席には軍OBや政治・安全保障の専門家がずらりと並び、雛壇に座った芸能人達の質問に答えて政治や軍事を盛んに語るようになった。しかし最後は必ず、彼らを背景にカメラの前に立ったラムズフェルトが政治批判を滔々と視聴者に訴えかけるのがお決まりである。純粋なエンタメを期待していた視聴者には不評だったが、何せゴールデンタイムの2時間番組である。世論に与える影響は大きかった。
テラフォードの議会選挙法では、毎週実施される世論調査で政権の支持率が10%を切った場合、議会の決議如何にかかわらず自動的に内閣・議会が解散されることとなっている。大きなうねりとなり始めた既存の政治家達に対する批判を前に、政権支持率は20%を切り危険水域に入り始めていた。
政治論議に熱中するテラフォードの人間たちの中で、もはや自分たちが見捨てた難民16名の運命に思いを馳せる者など殆どいない。従って、彼らを乗せた帝国軍小型輸送船がコルレンツ星域付近でふっつりと消息を絶った、という小さなニュースが彼らの目に留まることもなかった。




