11.暁亭
スレイドが指定した店は首都フリートランドの西側にある繁華街の外れに近いところにあり、大通りを練り歩く酔客ではちょっと気付かないような小道を入ったところの突き当りにポツンと切れかかったネオンサインを出していた。さんざん迷ったウォラフソンが約束の時間より10分程遅れて店のドアを開けると、入ってすぐのカウンターは意外に常連客と思しき連中で占められていた。
目つきの鋭い初老のマスターが顔を上げるのにスレイドの名を告げると、マスターは無言で右手の方に顎をしゃくった。見ると奥まった半個室のようなテーブルでスレイドがビールグラスを掲げている。
「遅くなりました。いや、全然分からなくてこの辺りを3周ぐらいしましたよ」
ウォラフソンが言うのにスレイドはふふん、と鼻を鳴らして尋ねる。
「ビールでいいか?コロナは置いてないんだが。」
「じゃあ、ハイネケンで」
ウォラフソンがスレイドの向かいに座ろうとすると、奥のベンチに座っていたスレイドは尻をずらし右手で自分の隣に座るようぽんぽんと叩いた。テーブルに備え付けのインカムでビールを注文するとほどなくして先程のマスターがグラスのハイネケンとブラントン、そしてアイスペールにロックグラスを2つ持ってきた。
「ここはウチのOBがやってるバーでね」
マスターが去るとスレイドはブラントンのダブルロックを作りながら言う。
「さっきのマスターは俺の先輩だ。ガキの頃は随分世話になったもんだ。で、そこは、」
曖昧にテーブルの前でひらひらと掌を揺らす。
「特殊仕様の超音波カーテンになっててな。こちらの声は向こうのカウンターには聞こえない。向こうの声は、」壁を指す。
よく見ると小型のスピーカーが両側の壁に埋め込まれている。
「そのスピーカーを通じてこちらに流れてくる」
ウォラフソンは苦笑した。
「いやあ、ザ・スパイの世界ですね。こんなところに来て、俺大丈夫かな」
「この前、結構な酒をご馳走になったからな。好きなものを飲んでくれよ。つまみもな」
わざとなのか、スレイドは見当違いのことを言う。乾杯した後、スレイドは左肘をつき目を細めてウォラフソンの顔を眺めた。
「ファムのことが聞きたかったんだろ?」
「ええ、なんで今日あなたたちが彼を迎えに来たのか、それと・・・」
スレイドは手を振ってウォラフソンの言葉を遮った。
「ファムは我々NIAの下で預かる。特別証人保護プログラムが適用されることになった」
ウォラフソンは目を瞠った。特別証人保護プログラムとは、情報機関にとって重要な情報を持つ人物が暗殺など身の危険が予想される際に特別な警護下に置く措置のことだ。通常、帰還した二重スパイなど高度な秘匿対象に適用されるものであることはウォラフソンも知っている。ファムがそんなに重要な人物と判断したということか?そこでウォラフソンは2つ目の質問を思い出した。
「ダスティン、あなたが2週間前にファムに行った聴取報告書は私のもとに来ていませんが」
スレイドは肩をすくめ、こともなげに言う。
「書いてないからさ。一文字もな。あの内容を知っているのは今のところ、俺と君しかいない」
ウォラフソンはますます混乱した。では何故、ファムに証人保護プログラムが適用されるのか?スレイドのいうことは矛盾している。ウォラフソンの困惑など知らぬ気に、スレイドは話題を変える。
「ニュースは見ただろ?帝国の大使が難民の送還を要求した、という」
「ええ。でもいつものことですよね?政府は拒否するんでしょ?」
どうかな、とスレイドは呟き、ぼんやりと宙を眺めながらグラスを口に運ぶ。ややして、
「ファムのことはリベラシオンⅡ号の乗員、乗客、マスコミ、そして帝国の大使は知らない、そうだな?」
ウォラフソンは頷く。
「ウチの艦隊基地内でもファムの存在を知る者は限られています」
「では、クリニック・スタッフらにもファムのことは他言無用だとよく言い聞かせておいてくれ」
そういうと、スレイドはこれまでの顛末をウォラフソンに話し始めた。
帝国からの脱出者を乗せた船がテラフォードに到着したことがマスコミに報じられ翌日帝国大使館が彼らの送還を要求したというニュースを見たときはスレイドもよくあるニュースとして大して気にもとめなかった。その2日後にはウォラフソンからファムの意識が回復したと連絡を受け、スレイドは有休をとって艦隊司令部を訪問することにした。フィリップが同行しなかったのはそのためである。
しかし、ファムの話を聞いた後、ウォラフソンとともに難民達の話と照合した結果、彼の話は帝国の軍事機密に関わる重大な内容を含んでいるかもしれない、ということに気づいた。ここまではいいな、とのスレイドの問いにウォラフソンも頷く。
「だから俺は報告書を書くのを後回しにして、オクシタンの動静をしばらく探ることにした」
スレイドはウィスキーを一口飲むと続けた。
「すると帝国内で人事異動があり、当のオクシタン領主オーギュスト・ド・オーベルニュ伯が帝国の外務卿に就任したというニュースが入ってきた」
オクシタンは星系人口が約50億、帝国首都星系ルフトヴァルデ(人口300億)、現帝国宰相リディガー・フォン・ヴェスターブルグ公が治めるヴェスターブルグ(人口120億)、副宰相アウグスト・フォン・ボルトハーゲン公が治めるボルトハーゲン(人口95億)に比べると中規模星系に過ぎないが、近年の発展は著しい。そしてその発展を主導するオーギュスト・ド・オーベルニュ伯爵は若く、帝国社交内でも人気の美貌を持ち、才能に溢れた野心家であると評されている。
「そのオーベルニュ伯がだな、」
スレイドは言う。外務卿などという帝国内ではほとんど実権のない役職に自ら希望してなったという。実権がないのも当然だ。帝国外務省が相手にするのは、いわゆる「辺境の未開国」であるテラフォード共和国しかないのだから。若くて血筋の良い野心家の貴族なら、内務卿や司法卿あたりから始めて財務卿、内閣官房卿と歩を進めていくのが定番のコースだ。侍従長や王宮府長官を経て直接皇帝の知遇を得るという道もある。
「何が狙いだと思ってるんですか?」
ウォラフソンの問いにスレイドは頭を振った。
「まだ分からん。ただ、」
オーベルニュ伯の外務卿就任と、昨日帝国大使が首相に難民送還を直談判したことの間に何らかの関係があることは間違いない、とスレイドは言う。
「だからファムが送還されないように先手を打ったというわけですね」
ウォラフソンの問いにスレイドは頷く。
「帝国側が送還を要求する16名のリストの中にファムは入っていない。だが、彼を移民局管轄下の施設に移し難民達と合流させればいずれ帝国の知るところとなる」
そこでスレイドは昨晩のうちに上司に対しファムの聴取を行ったこと、少年が何らかの重大な機密を握っている可能性があること、しかしながらマルベキアン語に手こずり未だ簡単な意思疎通しかできていないという報告をした上で、特別証人保護プログラムによって彼を保護するよう談判したというのである。
「あなたっていう人は・・・」
ウォラフソンもロックグラスにウィスキーを注ぎながらにやついた。つまりスレイドはファムが密航者だったことを逆にうまく利用したわけだ。しかし危ない橋を渡っていることは間違いない。スレイドはこれで話は済んだとばかりに「腹が減ったな」と元気な声になり、顔をしかめてメニューをひっくり返し始めた。




