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銀燭の献血師  作者: 灰原康弘
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第伍章 〝月を刈る者たちへ告ぐ〟①

「でもわたし、陽人に守ってもらうほど弱くないもん」


 深陰が言った。でも、いまの深陰じゃない。いまよりも幼い姿をしている。小学校高学年ほど。これは夢だ。あのときの夢を見ているのだ。

「わたしは大丈夫。大丈夫だから……」


 それが強がりということはすぐに分かった。だが、あのときの自分にはどうすることもできなかった。

 あのとき? じゃあ、いまの自分にはいったいなにができるだろう? なにかできるだろうか? あの少女に……。




 陽人はゆっくりと目を開いた。見慣れた天井が目に入る。ここは自分の部屋だ。

 まだ朦朧とした頭のなかで、昨日の出来事が反芻される。深陰と政臣のこと。政臣の言っていたこと。『始祖』との邂逅……。

 昨日はあまりにいろいろなことがありすぎた。正直、まだ頭が混乱している。時計で時間を確認すると、もう七時を回っている。いつもなら、とっくに起きてランニングを終わらせ、素振りをしているころだ。


 体を起こして目を伏せる。あのとき、自分はなにもすることができなかった。もう二度と、あんな思いはしたくないし、深陰にも、あんな思いはさせたくない。

 いまの自分にできること……いや、いま自分がすべきと思うこと。

 陽人は目を開いてベッドから降りる。やることなんて、決まっている。彼は覚悟を決めた。

 机の上には、一通の封書が置かれている。昨日、帰ってきたとき、母から手渡されたものだ。それにはこう書かれていた。

〝招待状〟。




 登校時間となり、『献血師』たちは続々と學校へ集まってくる。一人の少年を除いて。

 彼らに招待状が届いたのは、つい昨日のことだ。それは、高校生の身の上では受け取ることはないだろうと思っていたもの……結婚式の招待状である。それも、クラスメイトである蘆屋深陰と、転校生にして変人のレッテルを張られはやくも孤立している五条政臣。

『献血師』では知らぬ者はいない『純血十家』の当主同士の婚姻である。


 まさに青天の霹靂だったわけだが、さらにその式を翌日に行うというのだから、なにか大きな力が働いているような、何者かの意思が潜んでいるような、そんな言い知れぬ不安を弥生は感じていた。

『純血十家』の一角、林道家当主である弥生は、幼いころから『献血師』の世界で生きてきた。

 そんな彼女だからこそ気づいたのかもしれない。一週間ほどまえから、半月から不気味な気配がする。彼女だけでなく、おなじく『純血十家』当主であるクラスメイトたちも気づいたようだった。


 見るものを不安にさせる、血のように紅い巨大な半月。そこから、霊力が漏れているように感じる。それは一昨日よりずっと、昨日よりもっと、大きくなっている。

 気づいてすぐ、陽人、深陰、司の三名とともに、担任である比屋定に報告したが、「気のせいでしょう」の一言で片づけられてしまった(もっとも、あれは『始祖』だったわけだが)。しかし、いまやほかの生徒でも気づくほどに大きくなった。


 この時期に、五条家当主である政臣の転校。これもまた、自分の考えを裏付ける事象の一つに思えてならない。考えすぎ、気のせいであるならいいが……すくなくとも、半月から漏れ出る霊力は、否定しようのない事実である。いったい、なにが起ころうとしているのか……。


「まったく、分からないことだらけだな」

 口の中でつぶやくように弥生が言った。

「? なにか言った?」

 隣にいた司が不思議そうに訊いてくる。

「いや、なんでもないよ」

 弥生はちょっと笑って見せ、

「それにしても、なかなか豪勢だな」

 あたりを見回して、弥生はすこし呆れたようだった。


 彼女たちはいま、結婚式の会場にいた。といっても、場所は献血師學校の体育館である。だが、内部の様子はいつもとはまったく違う。

 床にはレットカーペットが敷き詰められ、円卓の上には料理が所狭しと並び、どこから持ってきたのか、天井にはシャンデリアが取り付けられている。

「本当だね。急ごしらえだろうによくここまで……」

 司も呆れているようだ。


 現在、全校生徒が体育館に集合しているわけだが、彼らはいま、礼服という名の制服を着ており、その手にはグラスが握られている。もっとも、中の液体は酒ではなくジュースである。

 生徒たちは五人まとめにされて席に着かされているが、『純血十家』の当主である弥生と司にはべつに席が用意されていた。生徒のほかにも、『総本山』幹部、『純血十家』当主、現職の『献血師』にマスコミの姿まであった。もちろん、深陰の父の姿もある。


(強い人だな……)

 弥生は思った。

 しかし、マスコミの数はどうも多いように思える。市民に近い存在として受け入れてもらうために、呼んだのだろうか。しかし、あの『総本山』がそんな殊勝なことを考えるか?


「それにしても、山背はまだ来ないのか」

 弥生たちのテーブルには陽人の席も用意されていたが、肝心の彼の姿はない。彼は授業のときにも姿を見せていなかった。

「蘆屋の幼馴染だというのに、欠席するつもりか?」

「まさか」

 司はすこし声を潜めて続ける。

「それより、ぼくは深陰ちゃんが心配だよ。彼女の様子は、どうもおかしい」

「確かにな。思えば様子が変になったのは、政臣が来てからだ。山背も彼と話してからおかしくなったし、まったくとんだ疫病神だ」


 弥生が吐き捨てるように言った。彼女はいま怒っているのだ。ただし、彼女が怒っているのは政臣でも、自分に相談してくれない陽人と深陰に怒っているわけでもない。彼女は、相談されない未熟な自分自身に怒っているのだ。

「薄情なやつらだよ、本当に」

「そうだね」

 司はちょっと笑って言った。弥生のこういうところが彼女は好きだった。


「どうも皆さん! 大変お待たせいたしました!」

 壇上から突然、非常に大きな声が降ってきたが、二人が驚くことはなかった。慣れてしまったのである。

 マイク片手に発言する声の主はもちろん、彼女らのクラスメイトであり、本日の主役の一人である、

「どうも! 政臣です! 招待した覚えのない方々もいらっしゃいますが、だれかが勝手に招待状でも出したのかしら。たしかにマスコミの方々にも招待状は出したが、こんなに呼んだかな? なんにせよ、本日はお忙しい中お集まりいただき、光栄の極みであります!」

 弥生たちクラスメイトはもう慣れてしまったが、ほかの生徒はそうもいかない。突然のことに唖然としている。


「しかしなんでしょうな。仮にも祝いの席だというのに、そろいもそろって黒い服。これじゃまるで葬式だ。

 そもそも礼服というもの自体が非合理的だ。つまらない固定観念にとらわれて着るものまで選定される。まったくバカげた話です。お高いレストランではドレスコーデが求められる。結婚式もそうです。皆さん制服だからまだいいが、僕を見てください。タキシードに蝶ネクタイを締めている。これ見よがしに料理が並べられているというのにね! 食べ物を食べるのに喉を締め付けるなんて本末転倒だ。日本人はすこし真面目すぎる。もっと自由に生きていいのであります! 

 だから僕は招待状に『自由な服装でお越しください』と朱書きした。にもかかわらずこれはいったいどうしたことだろう! 全員会社の面接よろしく制服で来てしまった。しかし、正直こうなることは織りこみ済みだ。だから、せめて僕だけでも私服にしようと思ったのだが、リャナンシーに止められてしまった。こんな日くらい出鼻をくじかなくてもいいのにね! こんな格好じゃ満足に食事もできやしない。しかし諸君。諸君は幸いにもネクタイをしていない。だから、どうぞ遠慮せずに舌鼓を打ってください」


 いきなり元気な声が聞こえてきたと思ったら、今度は意味不明の演説が始まってしまったので、政臣を知らない生徒たちは全員硬直し、怯えた視線をむけている。今回に限った話ではないが、彼が演説するたび、周りの温度が五度は下がっている。地球温暖化の原因の一端は、政臣にあるのではと考えずにはいられない。ここには彼を知っている人間もいるが、知らない人間もいるのだ。下らないことを織りこんでいる暇があったら、こういうことこそ予想してほしいものである。

 弥生と司が呆れかえったときだった。政臣の後ろからマイクをひったくった人物がいた。彼のクラス担任である比屋定玲衣子だ。


「大変失礼いたしました。いまのはすべてお忘れください」

 彼女はいつもとおなじ、感情の宿っていない平坦な声で言った。恐ろしいことに、『始祖』が変装していたときと、表情も声色も変わらない。

「あいさつとしてはもう十分すぎるでしょう。時間がおしているので、プログラムを進めます」

「冷たいですね玲衣子先生。もしかして怒っています?」

 砕けた口調で訊くが、比屋定は答えない。ただ、はやく進めろ、という無言の圧力を感じる。

「ふむ。まあ、いいでしょう。分かった、進めます。諸君! ご紹介します! 僕のお嫁さんの蘆屋深陰女史であります!」


 その言葉を合図としたように、体育館の扉が開け放たれた。一同の目がそちらへむく。と思えば、体育館の照明がすべて消え、カーテンが引かれた。その直後、ボン、というちょっと間の抜けた音がステージの上から聞こえてきた。目をやると、煙がモクモクと上がっている。そしてスポットライト。いったいなんなんだ、とざわめきだす生徒たち。煙が晴れたとき、彼らの視界に入ってきたのは……。

「蘆屋っ!?」

 完全に虚を突かれたらしい弥生が驚きの声をあげた。そのすぐそばで、司も驚いたように固まっている。


 ウェディングドレスを着た少女が立っていた。スカートの部分と、胸元にフリルが幾重にもついた、純白のドレスだ。宝石がはめ込まれているらしいハイヒールを履いており、いつもよりも身長が高く見える。化粧をしているためか、かなり大人びても見えた。肝心の顔が仏頂面であることを除けば、かなりの美人と言える。彼女の印象は一変していた。


「ほう! さすがは深陰さん、とてもよくお似合いです! 首が自由だから、食事も楽そうでじつにいい。

 しかし、せっかくの式だからと深陰さんの登場を劇的なものにしたくて遊び心を働かせてみたが、あれじゃまるで忍者屋敷見たいですな! 慣れないことはするものじゃない。だが、それも肝心の役者が輝いていれば観客はたやすく騙される。いまみたいにね。さすがは僕の妻となる方です」

 などと訳の分からない褒めかたをしている少年を押しのけ、比屋定は言う。

「新郎新婦のご入場です。皆様拍手でお出迎えください」

 単なる定型文だが、この状況ではいささか以上に間が抜けている。一方はすでに入場していたようだし、どうやらもう片方もそうみたいだし、意味不明の演説はきかされるし、変な登場はされるしで、散々である。まだオープニングだというのに、これではさきが思いやられる。


 しかし、司会者に拍手を求められてはしないわけにもいかない。最初はパラパラと、弥生と司を発生源として、次第に大きくなっていく。が、肝心の新婦は顔を伏せており、表情をうかがい知ることはできなかった。

 それから、プログラムに沿って招待客の挨拶が行われる。献血師學校生徒代表、教師代表、『純血十家』当主代表、『総本山』からは大倉という名の幹部が挨拶をした。


「どうも皆さん! ありがとうございます。こんなにたくさんの人に祝福されるとは、我々は幸せ者です」

 言わずもがな、政臣のセリフだが、それはまったく心のこもっていないものだった。ここまで空虚な言葉を、弥生は聞いたことがなかった。

 拍手が体育館全体を包みこんだ、まさにそのときだった。


 ふたたび扉が開け放たれた。それは拍手の音をかき消すほどに大きな音だった。

 ――今度はいったいなんだ。

全員が音のしたほうへ目をむける。そこにいたのは、一人の少年だった。

 聞き覚えのある声に、いままで顔を伏せていた深陰がゆっくりと顔をあげる。目に映るのは、見慣れた顔。小さいころから見てきた、もはや見飽きたといってもいい顔だ。

 それは……。


「そこまでだ! 政臣君!」

 少年……陽人はありったけの声で叫んでいた。呆然としている教師と生徒たちを無視して、ずかずかと体育館に入る。

 彼らは突然の侵入者にどう対応したものか考えあぐねている様子だった。ついさっき妙な演出をされたので、これもその一環なのかと勘繰ってしまったのだ。

「これはこれは陽人君! ようやく来てくれましたか! おや、私服を着ていますね。よく似合ってますよ」

 政臣の言う通り、陽人はいま、ポロシャツにジーンズというラフな私服だ。ただし、その腰には『妖叨』状態のムラマサが刺さっていた。


「どうも。招待状に朱書きされてたからね。あれ書いたのは君だろ? せっかくだからお言葉に甘えさせてもらった」

「もちろん構いませんとも! いや、ようやく望む反応を示してくれる人が現れた! わざわざ朱書きしたかいがありました! さすがは陽人君です。どうもありがとう。しかし、遅い到着ですな。このまま来てくれなかったらどうしようかと思いましたよ」

「それは悪かったね。でも、それはいらない心配だよ。なにを差し置いても来るさ。無視できるはずがない」

「ほほう。そこまで想っていてくれたとは光栄の至りだな。君はよほど友人想いなんだね。僕は幸せ者だよ」

「勘違いしないでくれるかい政臣君」

 陽人はさきほどまでの友好的な態度から一転させ、感情を押し殺した低い声で言った。


「僕は結婚を祝いに来たわけじゃない」

「おや。じゃ、いったい、なにしに来たんだい?」

「そんなの、決まってるだろう」

 陽人はムラマサを抜刀すると、その切っ先を政臣にむける。

「僕は、深陰を取り返しに来たんだ」

「深陰さんを?」

「そうだ。政臣君、いまここで僕と決闘してくれ。僕が勝ったら、深陰を開放してもらう」

 最初キョトンとした顔で陽人を見ていた政臣だが、やがて爆発したように笑い出した。


「これは面白い! 陽人君、君は実に面白い人だ! まさかこの状況でそれを言うとはね! こういうとき、普通は雰囲気に流されるのが日本人というものだ。だか、君はそれに反抗している! 流れに逆らって泳いでいる! 諸君、これこそ生きることの本質であります!」

「演説はいい! 決闘するのかしないのか、どっちなんだ!」

「陽人君、僕はまえにも言ったはずだ」

 政臣は悲しそうに言った。

「それは受けない、受けられないってね。理由もこのまえ言った。もちろん覚えているよね?」

「それはどうかな」

 陽人はにやりと笑う。

「いまここには、献血師學校の全校生徒や、現役の『献血師』も集められている。そしてマスコミのカメラに、『総本山』幹部までいるんだ。彼らのまえで決闘を断ったら、五条家はどうなるかな」


「貴様!」

 いきなり大声を出した人物がいた。『総本山』幹部の大倉である。彼はでっぷりと肥えた体で立ち上がると、太い指で陽人を指さした。

「こんなことをしてただで済むと思うのか!? さっさとここから……」

 憤る大倉を制したのは政臣だった。

 その顔からは、笑みが消えている。陽人は続ける。


「いいかい、政臣君。僕は何一つ規則は破っていない。ルールに乗っ取って、『純血十家』の当主として、君に決闘を申し込んだ。五条家当主の君にね。それを断ったら、家名は汚されることになるだろう。君は鼻で笑うだろうが、他の人はどうかな? きっと君は……五条家は後ろ指をさされ続けることになる。そうだろ?」

「……なるほどね。陽人君、君はなかなかずる賢い人だ。確かに、この状況じゃ、僕は受けざるをえない」

 生徒や多くの『献血師』たちは、〝半月〟の真実を知らない。また、知っていても、言うことはできない。だから、政臣は申し出を受けざるをえなくなった。理由は、受け入れを拒否すれば、〝逃げた〟とみなされ、家名が落ちるからである。たとえ当主の政臣がそれを良しとしようと、それ以外の者が許さない。


「マスコミ諸兄をここに呼んだのは君だね? 何社ものテレビ局や新聞社に情報を流し、ここに来るよう仕向けた。これだけ呼ばれたんじゃ、門前払いもできない」

「君に言われたからね。引きずり出してみろって」

「だが陽人君。いいのかい? 仮にも僕らは双方納得して婚約した。それにチャチャを入れようってんだから、君だってただじゃすまないよ。もし負ければ、目も当てられない」

 その言葉の裏に隠された意味を、陽人は正しく理解した。『総本山』の決定にも背くことにもなるが、その覚悟はあるのか、という意味だ。


「だろうね。だから僕は制服を着てこなかったんだ。深陰を助けられたなら、『献血師』を辞めることになってもかまわない。

 深陰は、僕にとって大切な人だ。失うなんて考えられない。だから、力づくでも返してもらうぞ、五条政臣!」

「陽人……」

 深陰はポツリとつぶやいた。


 陽人の言葉に嘘はない。『総本山』? そんな組織、もうどうでもいい。彼らは深陰を、殺そうとしているのだ。自分たちは『求血鬼』から人々を守るために『献血師』となったのだ。都合のいい人柱になるためじゃない。あんな組織、こっちから見限ってやりたいくらいだ。

 宣言を聞いた政臣は、大声で笑いだした。バカにして笑っているのではない。いかに愚問だったのかと自虐しているのだ。


「なるほどね! 君は覚悟を決めてここに来たわけだ! そこまでされちゃ、無視するわけにもいかない。いいでしょう、受けて立ちますよ! 陽人君、僕と決闘をしようじゃありませんか!」

 嬉しそうに言ったかと思うと、比屋定に向き直る。

「構いませんね玲衣子先生? 彼の覚悟を無駄にするのはあまりに人道に反している」

比屋定は冷ややかな目で陽人と政臣を見て、やはり平坦な口調で言う。

「彼の言う通り、規則に反してはいません。倫理には反していますがね」

 皮肉を言うあたり、彼女も内心穏やかではないのかもしれない。さらにこう続ける。

「当人同士が認めているのですから、私に止める権限はありません。構いませんよ、勿論。構いませんか?」

 最後に大倉に訊いた。

「……フン、まあいいだろう」

 大倉は肥えた顎をなでながら言った。

「恐縮です! いや、話が分かる方々で助かった。さあ、陽人君、早速行くとしましょうか」


 政臣は元気よく、嬉しそうに言うのだった。

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