【三】停滞:歪んだ捜査
深夜の署内は、薄暗い蛍光灯のハミングと、安物のコーヒーの酸っぱい臭いで満ちていた。
城島は、目の前のデスクに散乱した書類の山を、忌々しげに睨みつけていた。鑑識からの報告書、科警研(科学警察研究所)からの鑑定結果、現場周辺のすべての防犯カメラのタイムライン表。
そのどれもが、一人のベテラン警察官が三十年かけて築き上げてきた「常識」を、冷酷に全否定していた。
「――警部。科警研から、ドライブレコーダーの再々鑑定の結果が出ました」
部下の若い刑事が、ひどく疲れ切った顔で報告書を差し出してくる。城島はそれを引ったくるようにして目を通した。一縷の望みをかけた”映像の偽装”という線は、今回も完全に断たれていた。
『映像内にコマ抜き、フレームの合成、および最新の生成AIによる改ざんの痕跡は認められない。衝突の瞬間における輝度補正、およびピクセル解析の結果、被写体(佐藤蓮)は”光学的・物理的にその場から消失した”と判断せざるを得ない』
「消失、だと。ふざけやがって」
城島は報告書を机に叩きつけた。
科学捜査の最先端が弾き出した答えが、「オカルト」だというのだ。笑えない冗談だった。
現場の交差点からは、確実に何かが起こった痕跡が見つかっている。トラックの鉄製バンパーの凹み。そこに付着していた微物のDNAは、行方不明の少年、佐藤蓮のものと完全に一致している。計算上、少年は骨盤と内臓を粉砕され、その場に即死して転がっていなければならない。
なのに、現場には血痕の一滴すら落ちていなかった。ルミノール反応も完全にゼロ。
四トンのトラックが、時速五十キロで生身の人間を撥ねた。
人間は、その瞬間に煙のように消えた。
これが、城島が直面している”現実”だった。
「警部、明日の捜索人員はどうしますか? 周辺の河川と山林、もう三周はさらってますが……」
「……続けろ。人員を倍に増やせ」
「しかし、これ以上は署内からも『無駄だ』と声が上がっています。死体遺棄の線だって、あのドラレコがある以上、運転手が隠す時間は一秒もなかった。これ以上、どこを探せばいいんですか」
部下の言葉は正論だった。正論だからこそ、城島の腹の底を黒く濁った苛立ちが駆け抜ける。
「じゃあ何だ、報告書に『被害者は神隠しに遭いました』とでも書くか? 上にそう報告して、捜査を打ち切るか!?」
先日会った被害者の母親のひどく取り乱した姿が脳裏によぎる。
「それは……」
「俺たちは警察官だ。法を執行し、事件を立証するのが仕事だ。死体がないなら、見つかるまでドブをさらい、地面を掘り返す。それしかねえんだよ」
城島は煙草に火をつけ、深く煙を吸い込んだ。肺が痛い。
本当は、城島自身が誰よりも気づいていた。いくら地面を掘り返そうが、川底をさらおうが、あの少年は見つからない。彼はあの夜、あの交差点で、この世界から完全に、物理的に”切り離されてしまった”のだと。
だが、それを認めるわけにはいかなかった。
超常現象を認めた瞬間、自分が拠って立つ法治国家の警察というシステムそのものが崩壊する。だから城島は、見つかるはずのない遺体を探すために、部下たちを怒鳴りつけ、無意味な泥泥の捜索へ向かわせ続ける。
これは捜査ではない。ただの、組織としての精神保全の儀式だ。
城島は、灰皿に煙草の吸殻を強く押し付けながら、自分の職務が、そして自分自身の輪郭が、内側からグズグズに歪んでいくような、強烈な目眩を覚えていた。
「お、お願いします。連を、お願いします。見つけてください……」
泣きながら縋り付かれた腕の感触をふり払うように、かぶりを振って捜査に戻るのだった。
※この作品はaiちゃんとの共同作品です。




