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グルゥとリル、もりのはずれで  作者: うつチャリンカー


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29/30

木箱に残るひとつ

全30話 五月五日まで毎日朝七時投稿

昼のひかりが、広場の石をあたためていました。

市場のすみの古い木箱にも、白っぽいやわらかい明るさがのっていて、その上の布は、朝よりすこしだけ平たく見えます。布の上には、もりのわっかがみっつ。草の編み目と葉の重なりが、ひかりの中でおだやかに浮いていました。


行きかう人は、あいかわらず目をとめます。

立ちどまって、輪のゆがみを見たり、羽の先を見たりして、それから用事のあるほうへ流れていきました。

「森のにおいがしそうだね」

「やわらかい形だこと」

そんな声が、布の上を風みたいに通りすぎます。


リルは木箱のそばにしゃがんだり、立ったりしていました。

呼ぶことはしません。

羽の向きをなおし、紙の端が浮けば指でおさえ、三つの間を見やすいようにそろえるだけです。

木箱のはしの紙には、静かな字で、一ルクスと書いてあります。


グルゥは半歩うしろにいて、袋を足もとへ置いたまま、通りのながれを見ていました。

人が立てば、じゃまにならないように肩の向きを変える。

日が寄れば、木箱にかかる影を見て、立つ場所をわずかにずらす。

それだけで、あとは何も言いません。


しばらくして、小さな足音が木箱の前でとまりました。

前の日にも、遠くからわっかを見ていた子どもでした。今日は手の中に、丸くにぎった布きれを持っています。大人の手を引いているでもなく、買いもの帰りらしいかごを胸の前に抱えていました。


子どもは、いちばん右においた、右がひろめのわっかを見ていました。

右のほうがゆったりひらいていて、三つのなかでいちばん丸く見えるものです。

見て、また見て、それからリルの顔を見あげます。


「これ、もってかえっていいの」


リルは、わっかへ目をおろしました。

それから、紙を指さします。


「いちるくす」


子どもはにぎっていた布をひらきました。

中から、ひとつだけ、丸いルクスが出てきます。手のひらのくぼみにおさまるそれを、見失わないように、指をきゅっと寄せていました。


リルは木箱の上へ手をのばし、右のわっかを両手で持ちあげます。

渡す前に、羽が折れていないか、継ぎ目がゆるんでいないかを、指先でひとつなぞりました。

それから子どもの手の届く高さまで下ろします。


子どもはルクスを布の上に置き、かわりにわっかを受け取りました。

輪は子どもの腕にはすこし大きく、胸の前に抱えるとかるい枝の影みたいに見えます。

子どもは何も言わず、わっかを見ていました。

見てから、くるりと向きを変えて、小走りにならない速さで人のあいだへ帰っていきます。


布の上には、ルクスがひとつ残りました。

丸い光が、紙のとなりでちいさく光っています。


リルはそのルクスをすぐには取りませんでした。

空いた場所と、残ったふたつを見ます。

それから、ふたつの輪の間をすこし寄せ、布のまんなかへ置きなおしました。

ようやくルクスへ手をのばし、指でつまみあげます。

ひんやりした丸さをたしかめるように、親指でふちをひとまわりなぞりました。


グルゥがそちらを見ました。

そして、ひとつだけうなずきます。


リルはルクスを見て、わっかを見て、小さく言いました。

「……へったね」


声はいつもどおりで、眠たげで、平らでした。

けれどルクスをしまう手つきだけ、いつもよりきちんとしていました。布の端をめくって、その下へ丸い貨幣を置き、もう一度布をならします。


それからしばらくして、日の傾きが木箱の角にかかりはじめました。

市場の音も、昼のまんなかより少しやわらかくなっています。

野菜をしまう音、桶を引く音、遠くで戸を閉める音。

リルはふたつのわっかを見て、紙を見て、木箱のはしへ手をかけました。


しまおうとした、そのときでした。


「おや、あんたらかい」


ぶっきらぼうな声がして、パンの焼けたにおいが近づきました。

広場から少し入ったところのパン屋のおばさんです。腕まくりをしたまま、粉のついた手を腰にあて、木箱の前で足をとめます。


おばさんは布の上を見て、ふんと鼻を鳴らしました。

「朝から見てたけどね。まだあるんなら、ひとつ寄こしな」


リルは、木箱にかけていた手を下ろしました。

ふたつの輪へ目をやって、そのうちのひとつ、下の編み目がやや厚いものを持ちあげます。


「……いちるくす」


「書いてあるのが見えてるよ」


おばさんはそう言いながら、腰の袋からルクスをひとつ出しました。

木箱の上へことりと置いて、それからわっかを受け取ります。

手の大きなおばさんが持つと、輪はやさしくゆがんだ月みたいでした。


「店の戸にでもかけとくよ」

短くそう言って、おばさんはもう一度だけ輪を見ます。

褒めるでもなく、ためすでもなく、ただ、ほんとうに持って帰るものを見る目でした。

それからくるりと踵を返し、パンのにおいを連れて市場のむこうへ戻っていきます。


布の上には、もうひとつだけ。

羽の先が、夕方へ向かうひかりをうけて、ほそく明るくなっていました。


リルは立ったまま、そのひとつを見ています。

そのあとで、木箱の上のルクスをふたつ、指先でそろえました。

並んだ丸いかたちと、残ったひとつの輪を、順に見ます。


グルゥは袋の口をひらきました。

けれど急がせることはせず、そのまま持っているだけです。


市場の音はまだつづいていました。

風が通るたび、最後のわっかの羽が、かすかに揺れます。

リルはそれを見てから、木箱の上にのせた自分の手を、そっと引きました。


今日は、まだ終わりきっていないようでした。

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