夢に触れて
――その夢物語は、幸福に満ち溢れていた。
きゃっきゃ、と弾む声。
純白のワンピースを存分になびかせ、少女は陽の下、青い草原を駆ける。
柔らかい風が髪を舞い上がらせ、ふわりと花の香りを運んだ。
その光景を見守る人物を、少女は『お母さん』と呼び駆け寄る。
抱きつき甘える姿は年相応の子どもらしく、可愛らしい光景の……筈だった。
しかし、どうにもまとわりつく嫌悪感に……胸がざわつく。
果たして今見ているコレは、かつての日常を切り取った思い出なのか。
……それとも、少女が望む願望なのではないか、と。
そんな邪推を嘲笑うかのように、少女の肩は小刻みに揺れ出す。
「だって。わたしね……お母さんがほしいの」
何処からともなくこだました、虚な声。
――ころん。
そして優しい偽りの夢は、ゆっくり崩壊を始めた。
「わたしにも、ほしかったの」
声の主である少女は、落ちてきた母親の生首を大事そうに抱えながらそう呟く。
懺悔にも聞こえるそれは、僅かに後悔の色を宿して。
暗転する世界と共に消えていった。
場面は移り変わり、少女は一人で雑木林の中をとぼとぼと歩いていた。
そばに母親の姿はなく、当然生首も抱えてはいない。
しかし心なしか、先程よりもくたびれた身なりで憔悴した表情……それらから察するに迷子、なのだろうか。
……そんな中、少し開けた場所で、頼りなさげな一人の男――俺と瓜二つの姿をした人物と出会った。
二人は似た境遇にあり、ほんのひと時の交流が行われた。
男にとっては、他愛のない話。
しかし、それは少女にとって最後の希望となり、そして求めてしまった。
――欲しいなら、男より先に奪えばいい、と。
少女はいち早く気づいてしまう。
男を迎えにきた、女の存在に。
……これは天からの贈り物だと、確信した。
少女は最後に、花が咲くような笑顔を男に向け、走り出す。
『お母さんが、迎えにきたの』
場面は再び移り変わり、元の洋館に戻ってきた。
残像のように、独白のように。
脈絡のない、不穏な挿絵が垂れ流される。
音が。
色彩が。
刻まれるはずの時が。
――全て止まって、死んでいく。
「あああ…………ごめんなさい」
最後に聞いた誰かの呟きは、横たわる一人の人物に向けられていた。
その顔を正面から直視した瞬間、思わず手を伸ばした。
否、伸ばしたかったのに……それは叶わず、寧ろその場からどんどん引き剥がされいく。
最後は顔を伝う、べちゃりと湿ったなにかで視界が遮られ、意識はゆっくりと浮上を始めた――。
***
「……くん、ユメビシ君」
ばっと目を見開くと、慣れ親しんだ天井が視界に広がる。
荒い呼吸を繰り返しており、心臓は耳から出そうなくらいバクバクと脈打つ。
噴き出し滲む嫌な汗を、丁寧に拭われる感触で、傍らに立つ人物の存在を認識した。
「おはようございます。気分はいかがですか? 随分、うなされていた様ですが」
「はい……えっと、トオツグさん……が、どうしてここに?」
そこにいたのは意外な人物だった。
会合ぶりに彼の姿を見たが、相変わらず薄っすらと目の下にクマを作っている。
柔和に微笑むその姿は、窓辺から差す容赦ない日差しによって、今にも消え入りそうなほど脆そうだ。
……今置かれてる状況から察するに、看病をしてくれていたのか。
それなら尚のこと、彼がどうして俺を? という疑問は尽きない。
「えーっと、僕はシノノメの部下として、普段は鞠ノ裏で働いていますが、寝泊まりにはここ傘ザクラを利用しているんです。ちなみにユメビシ君の隣が僕の部屋です」
「そうだったんですね。ん……? でもこの一週間、部屋を出入りしてる様には」
「あはは、少々出張でバタついてまして。……ですが、今は僕のことよりも、ユメビシ君。昨日のことは、どこまで覚えていますか?」
――昨日のこと。
言われるがまま振り返ってみて……ユメビシは言葉を失う。
覚えているのだ――何もかも、鮮明に。
チナリの代わりに黒片を抜いたことはもちろん、つい先ほどまで見ていた夢の内容までも。
押し寄せる波のように、膨大な視覚情報と共に強烈な映像がフラッシュバックし、ユメビシを苦しめる。
夢なんてものは、大抵が支離滅裂な映像体験でしかない。
不可解な世界構造、理不尽な展開、自身の意思が正しく反映されているのかも怪しい。
そんな心底疲れる睡眠という牢獄から解放された時、元の私生活に戻れるのは、夢の記憶が薄れていくからだ。
夢は夢だった、あちらが仮想で、今見えている世界こそが現実だと判断出来る。
――どういうことだ? ……少女の夢に、どうして俺が出てくる?
しかし……今のユメビシには、ただの夢だと割り切ることが、難しかった。
それどころか、今自分がどこにいるのか。
夢と現実、そのどちらにいるのか、それすらも自信が持てない。
そんなユメビシの悩みを知る由もなく、黙り込んだ彼に気を使い、トオツグは労いの言葉を声をかける。
それらに対して、機械的な相槌を打つことしかユメビシには出来なかったが、かろうじて聞き取れた内容は二つ。
チナリが救出された後すぐに貝が崩壊したこと。
そして、中から出てきた俺が、謎のカケラを握りしめていたことだった。
「……ねえ、ユメビシ君。好きなことは何ですか?」
「…………はい?」
それまで昨日の報告をしてくれていたトオツグは、突然本題から外れた問いを投げる。
視線を上げると、穏やかさを体現したような男が、柔らかく微笑んでいた。
「つまりは趣味ですね。気分転換になったり、心が安らいだり、楽しいと思えること」
「……じっとしてるよりは、多少動いてた方が気は紛れる、くらいですかね。でも、趣味と呼べるものじゃ」
「では散歩に出掛けてみては、いかがです? 今日はいい天気ですし、気ままに外を見て回っては。……噂によるとユメビシ君、最近ヨミトに振り回されてばかりだったそうで。なんでも今日はあの人、来られないそうですよ」
――などと、トオツグに勧められ、あてもなく散歩に出たユメビシだったが……
「止まりなさいな、そこの坊や」
これまた奇妙な巡り合わせにあっていた。
しかし彼女――イルカジョウとの邂逅は、これから巻き起こる大騒動の収束に、多大な影響を与えるのだった。




