小休止
暗く塗りたくられた空に、凛然とした星々がばら撒かれた頃。
謎を多く残した騒動も一旦ではあるが収束し、平常を取り戻しつつある傘ザクラ。
各々が自室で憩いの時間を過ごしているためか、消灯された一階では、設置された家具たちのシルエットだけがぼんやりと浮き出ていた。
ひどく静かで、安堵感という些細な幸福に満ちた空気が心地よい。
そんな数日ぶりの帰宅の余韻に浸る間もなく、自身が使用している部屋を通り過ぎ……三室見送った先。
105号と書かれた客室の前で、トオツグは立ち止まった。
控えめにノックをすれば「開いてる」とすぐに返事は返ってきたが、普段より弱々しいその声量に疲労具合が伺える。
中に入れば案の定、暖色の照明に照らされても尚、血色とは無縁の顔色をしたシノノメがベッドから起き上がるところだった。
「気分はどうですか。痛み止め用意しましたけど、飲みます?」
「ん……飲む」
よろよろと立ち上がろうとするシノノメを制し、ベッドまで近づいた時、ようやく違和感に気づく。
持ってきたお盆に手を伸ばす彼女の腕――その不自然な膨らみに。
「うわ……腕パンパンじゃないですか。随分腫れましたね」
「馬鹿、違うわ。調子に乗ったヨミトがグルグル巻いてったんだよ」
錠剤を流し込むと乱暴に口元を拭い、シノノメは一息に愚痴をこぼす。
どうやらその時の事を思い出してしまったようで、今は居ないヨミトに対する不平不満が次から次へと溢れ出し、止まらない。
それまでのしおらしさは幻だったのか、すっかり平常運転の彼女に戻っていた。
あまりに早過ぎる痛み止めの効果に呆れながら、トオツグは「大変でしたね」など適宜相槌を打ち、包帯を巻き直し始める。
幾重にも、無意味に巻かれていたそれを取り除けば、今日負ったであろう被害の痕跡がくっきり姿を現す。
「随分無茶をしたようで。良かったですね、食いちぎられなくて」
「欠損しようが、とりあえず生きてりゃいいんだよ」
「……シノノメ」
「そのためにリンシュウと取引したんだから。渋る必要なんてないでしょ」
鈍い光を瞳に宿し、不敵な笑みを浮かべながら、彼女はなんとも冷めた声音で呟く。
素っ気ないこの発言が、決して自暴自棄から来るものではない事を、トオツグは理解している。
――シノノメという人物は元々、限りなく一般人だった。
特異な体質や能力もなく、本来こちら側とは無縁の人生を歩むべき存在。
しかし、数年前。
ある明確な目的を持ち、この業界に己の身体一つで乗り込んできたのだ。
誰の目にも無謀に映った当時のシノノメは、あっさりその事実を認め、一筋縄ではいかない猛者達と渡り合うために、一計を案じた。
それこそがリンシュウと契約を結ぶという離れ技。
前例のないアレを成立させただけでも、とてつもないことなのだが、シノノメによる躍進劇は止まらず。
勢いそのままに、滞っていた傘ザクラの創設や鞠ノ裏の立て直しなどを進め、早々に周囲からの信用と信頼を勝ち取り、自身の立場を確立させていった。
その勇姿が、芯の強さが。
自分にはあまりにも眩しくて、純粋に羨ましく思う。
……それと同時に、肝が座り過ぎて躊躇うことをしない為、危なっかしい面も多々ある。
まさに今回の件が良い例だ。
「リンシュウもそこまで万能じゃないんですよ。貴方の寿命を前借りして、極力死なない様に繋ぎ止めてるだけ。それにも限度があるのだから」
「わーってるよ。小言がうるさい、小姑か」
「僕以外で言ってくれる人がいれば良いんですけどね。それでチナリ君とは話せましたか?」
ある人物の名を出せば、シノノメはバツの悪そうな表情を浮かべる。
泳ぐ視線は明後日の方向に向けられ、「あー」と歯切れの悪い唸り声を上げる始末だ。
言葉を選んでいるのか、それとも触れられたくないのか。
まあ恐らく後者だろうな……と見当は容易につくが、笑顔で返答を待ってみる。
束の間の根気比べ。
この気まずい沈黙に耐えかねたシノノメは渋々と口を開いた。
「……なんか、しばらく付き纏われた。私をひん剥こうとする体力はあったから、相当元気だ」
「シノノメを心配しての行動ですよ。良かったじゃないですか」
「あぁーーもういいだろう、この話は。それより、頼んだブツは?」
ここからが本題だ、と言わんばかりの威圧に、トオツグは眉を八の字に下げ気持ちを切り替える。
なにも彼が出張先から前倒しで呼び戻されたのは、負傷した上司の世話を焼く為だけではない。
「はい、こちらに。良さげな物を見繕ってきましたが……」
トオツグが入室した際、近くのサイドテーブルに置いたままとなっていた紙袋が、ここにきて重要な意味を持ってくる。
デパ地下で入手したであろう、某有名洋菓子店のロゴが入ったそれは、当然島民にとっては中々手に入らない代物だ。
ご機嫌伺いのお茶請けとしては十分だろう。
「シノノメ。本当に、行くんですか?」
「餅は餅屋、少しでも可能性があるなら賭けてみるだけ。キハラにも借りがあるし」
――正直言ってお手上げなの、誰か鑑定を頼めるような宛ない?
――そりゃあ……そういったのは、商店ドグラの店主が詳しいだろうけど。
昼前、キハラ個人から受けた依頼。
箱の正体はヨミトの助言により判明したが、新たな謎も出てきてしまった。
その最たるが、貝の崩落と共に吐き出された例の紙切れ。
『まいったなぁ、ボクには子供の落書きにしか見えないね。こちらだけでは、皆目見当もつかないと思うよ。やり方はキミに一任するから、好きにするといい』
……などと、ヨミトはあっけらかんと言い放った。
あれの物言いから読み取れるのは『止めも、勧めもしないけど、何かあった際は自己責任で』だろう。
商店ドグラを一言で表せば『怪しげな店』だ。
曰く付きの骨董品や美術品をメインに、無名の作品から名の通った呪物まで幅広く取り扱っており、まともな感性の人間が足を踏み入れれば、多少なりとも精神に悪影響が生じる魔の店。
以上のラインナップからも分かる通り、店主は少し変わり者だが、『曰く付きの物』に関する知識は大変豊富で、その点に限ってはあのヨミトを凌ぐほどらしい。
かつてはその知識を、依頼協力という形で季楼庵に提供してくれていたが……近年における組織間での交流は無いに等しい。
噂に聞いた話では、どうも失踪中の当主が無礼を働いたのが原因で、店主の怒りを買ったんだとか。
つまりは現状、季楼庵側から依頼を持ちかけるのは非常に気まずい、という関係性の相手。
その上、今は非常に時期が悪く、まともに会話が出来る状態なのかも怪しい。
それでも、人喰い箱の件はチナリ達が実際に被害に遭っているのだ。
例えキハラの頼みじゃなくても、この事件はしっかり解決しないと目覚めが悪い。
「僕も同行出来たら良かったんですけど……どうにも」
「あぁー、ラモンとそりが合わないんだっけ。似た者同士なのに、同族嫌悪ってやつか。一人で行けるし、それはいいけど……」
もそもそと寝支度を始めるシノノメだったが、今まさに部屋を出て行こうとするトオツグに向かって、ふと思いついた提案を投げかけた。
「その代わり、お前はユメビシの面倒を見てやれ。身体に外傷は無いんだが、ちっとも目を覚まさないらしい」




