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幽縁ノ季楼守  作者: 儚方ノ堂
第三章 非/日常編
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傘ザクラの朝


 遡ること数時間前。

 2月18日の土曜日、時刻は8時過ぎ。

 心なしか、いつもより賑やかな傘ザクラの、平和的な朝。

 一階のとある客室前では、忍ぶように、そっと静かに扉を閉める青年の姿があった。


 すっかり洋服姿が様になってきた、彼の名はユメビシ。

 ここへ来た当初身に付けていた着物は、度重なるハプニングの末、修繕するよりも新調した方が早いほどボロボロとなってしまった。

 そこで、ヨミトがトオツグの私室から勝手に拝借してきた服だ。

 ターコイズのカットシャツに、ゆったりとしたセーターとグレーのパンツ。

 そこに従来の手袋と、懐へ入れっぱなしだった耳飾りを、普段使いしやすい様に手心を加えてもらい身に付けている。

 これが現在のスタイルだった。


 廊下を進み、玄関に差し掛かる直前、微かに聞こえた足音に思わず硬直してしまう。

 しかし、それは玄関からではなく、その対面に位置する階段から聞こえてくるものだった。 

 顔を上げれば、黒いコートに身を包んだチナリが降りてきた。


「おはよ、ユメビシ。……なんだか顔色悪い、というよりやつれてない? 大丈夫?」 

「おはよう……いや、実は」


 ユメビシが当主代理を引き受け、早数日。

 瞑之島(みんのとう)全体を見ても、比較的平和と呼べる日々だったはずだ。

 ただし、彼の心労は計り知れない。

 その理由は一重に、寝る以外は四六時中、ヨミトと行動を共にしていた事が挙げられる。

 

『一先ず、瞑之島での暮らしに慣れてほしい。まあ当主代理として必要な場面では遠慮なく、こき使わせて貰うけどね』

 

 先日の会合で、ヨミトから告げられた方針。

 これを遂行すべく、奴は連日、それも朝から晩まで……俺をあらゆる場所へ連れまわした。

 そう……わざわざ部屋まで起こしにくるのだ。

 初日こそ玄関を経由し部屋まで訪ねてきたヨミトも、流石に毎日通うとなれば面倒になったらしい。

 以降から、窓を経由し、直接室内へ侵入する様になったのだ。

 これが非常に精神的苦痛で、気がまるで休まらない。

 当然、抗議はしてみたが、そんな事に耳を貸してくれるほどヨミトの耳は親切じゃない。

 

 つまりは全くの無意味だったからこそ、今日という今日は早めに部屋を抜け出してきたのだ。

 ……まあ、今日も訪ねてくるとは限らないのだが。

  

「それは壮絶ね、ご愁傷。ノイローゼを発症してないことを祈るわ」

「はは……チナリは、これから出かけるのか?」 

「うん、ちょっとね。借りてた本を返しに行くの。それじゃあ」

「あぁ、気をつけて」  


 玄関先で別れると、俺はそのまま左へ曲がり階段の横を通りすぎる。

 すると、続く廊下の先から良い匂いが漂ってきた。

 奥から二番目の扉が、僅かに開いているらしく、そこから漏れた香りのようだ。

 

 中へ入ると広がる一室は、傘ザクラにおける共有スペース。

 台所と居間が地続きになっており、建物内で一番の広さらしい。

 この大部屋は憩いの場となっており、団欒したり食事を摂ったりなど、交流の場にもなっているのだとか。

 全員が頻繁に利用するため、思い思いの私物で彩られている空間は温かみがあり、部外者の俺ですら、居心地良く感じるほどだ。

 

 故に、自室があるにも関わらず、ここで寝泊まりをしている者もいる。

 ソファーに丸くなって寝ている大きな男――確か、ユキタケと言ったか。

 彼の起きてる姿をこれまで見たことがない。

 ……というより、素顔も見たことない。

 常に謎の『アイマスク』なる目隠しを装着してるからだ。

 

「お! 来たねユメビシ。偉いぞ〜ちょうど出来てるよ」 


 左奥にある台所から、ニカっと笑顔を覗かせるのはアリマ。

 何かと世話を焼き良くしてくれる彼だが、決して必要以上にこちらの事情へ踏み込んでこない。

 会った当初から変わらないその態度に、どれだけ救われていることか。

  

「アリマ、おは……」

 

 そんな傘ザクラで最も信頼してる相手への挨拶は、最後まで紡がれることなく、口の中で消滅していった。

 

 台所の手前には五人がけの食卓が設置してあり、端には初めて見る女の子が座っている。

 顎の下ほどで切り揃えられた短い髪に、物静かそうな雰囲気を纏う、コエビと歳が近そうな外見。

 そんな彼女は、丼に白い山を築いた米と大皿に盛られた野菜炒めを、なんとも幸せそうに頬張っている。

 あの細身の一体どこに収納されていくのだろうかと、つい釘付けになってしまう。


「あれ? 初めましてだっけか。その子はホマロ。ちょっと待ったげてね、集中してるから。あ、こっちのカウンター席においで」


 アリマに手招かれるがまま、台所と隣接した長机まで移動する。

 そこには、おにぎりと味噌汁、さらには卵焼きが用意されていた。

 まだほのかに湯気の立つそれは、アリマの手料理だ。

 彼の作るものがどれも美味しいのは、ここ数日間ですでに体感済みだ。

 自然と綻ぶ口元を隠すように、前で手を合わせる。


「いただきます」

「どうぞ〜」


 ほろほろと口の中で崩れるおにぎりに、出汁の風味が優しく広がる卵焼きを堪能し、味噌汁をすすっている時。

 背後から椅子を引く音がした。


「……アリマ、ご馳走様。美味しかっ……た」

「はーい、お粗末さま。ホマちゃん、会うの初めてでしょ? 彼がユメビシだよ」 

 

 振り返ると初めて、ホマロと視線が交わる。

 その吸い込まれそうなほど深い色の瞳から、彼女側の感情を読み取るのは難しかった。

 

「私はホマロ。よろしく……気づかなくて、ごめんなさい」

「いや、こちらこそ」

「それより……食べられちゃうよ、卵焼き」

「へ?」


 その突飛な様に思えた忠告は、背中から伝わる一種の寒気により、最悪の可能性を連想させた。

 向き直れば、アリマの隣にはいつの間に入ってきたのか、ヨミトの姿が。

 台に肘をつきながら、こちらに手を伸ばし卵焼きを素手で摘んでいる。

 

「うん、ふわふわで美味しいね」

「おま……どうやって入ってきたんだよ!」 

「えー? どうもこうも、裏口からだよね。それより、待ちくたびれちゃったよ」

   

 結局、ヨミトから逃れる事に失敗したユメビシは、本日も外へ連れ出される羽目になる数分後を思い、深いため息を漏らすのだった。

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