↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
忌憑きの執行人  作者: 葉玖 ルト
一章 剣と呪いのセイントベルク
7/9

第7話:光と闇の邂逅

 手漕ぎボートは、心地よい波のリズムに揺られながら進み続けた。

 あれからどれくらい経っただろうか?

 海上では日付を確かめる術もなく、太陽が昇る回数だけを頼りに日数を数えていた。


 ベルゼの「退屈~」という声を、何度聞いただろう。

 唐突に明るい声が、耳元に響いた。


「あっ! 見て見て! 港が見える~♪」


 ベルゼの指さす方向へ顔を向ける。

 そこにはどんな大きな船でも停泊できそうな、広い港が待っていた。

 近くには大きな灯台が鎮座している。

 その灯は、朝日に場所を譲るように少しずつ弱まっていた。

 昇る太陽が街並みを照らし、大きな倉庫街が目の前いっぱいに広がる。


「早く早くー!」


 ベルゼの急かす声に煽られて、ゼノはボートを港の片隅に寄せた。

 ボートを降りると、倉庫に物資を運んでいる人々が目に映った。

 大男から逞しい女性まで、いろんな人が朝日の下で働いている。


 倉庫街を抜ければ、煌びやかな家々が目に飛び込む。

 まるで城下町全体が、宝石箱のようだった。

 ゼノが物珍しそうにきょろりと辺りを見回す。聞いていた通りの多国籍な港町だと感嘆した。


 値段交渉をしている褐色の肌の女性。陽気に歌う綺麗な踊り子。

 自国では見たことのない様々な装いは、見ていて新鮮で楽しいものだった。


 そして何より――。


「ここには、俺を差別する者はいないんだよな」



 ゼノがぼそりと呟いた。少なくとも、ここには自分の顔を知る者はいない。

 それだけで不思議と安堵できた。

 周囲に目をやりながら、ふっと笑う。

 その瞬間だった。


 タッタッ――ふと、ゼノの思考を掻き消す足音がした。

 それはどんどんと膨れ上がって、よそ見をしていたゼノを、はっと前へ振り向かせた。


「きゃんっ!」


 ドンッ。小柄な女性と、額がぶつかった。

 金髪碧眼の少女はしりもちをついて、小さく涙を浮かべる。

 白いローブの裾が石畳の上に広がり、陽の光を受けてほのかにきらめく。


「いったたぁ……」


 教会関係者だろうか、と考えながらゼノが手を差し伸べる。


「大丈夫ですか?」

「あ、あぁ……どうも」


 ふらふら、と伸ばされた彼女の手。

 指先が触れかけた時、彼女は目を見開いて手を引っ込めた。

 そうして何かに気づいたように、咄嗟に立ち上がった。


「す、すみません。出会って早々に失礼なお言葉ですが……」


 彼女は何度か深呼吸を繰り返し、ゼノをまっすぐ見つめた。


「あなたに“良くないもの”を感じます。暗く、深い……ドロドロの黒に、飲み込まれてしまいそうな」


 彼女は言いかけて「いけない!」と叫んだ。


「すみません、急いでるので! 忘れてください!」


 パタパタと忙しそうに去っていく彼女。突然の言葉に、ゼノは立ち尽くしていた。


「なあに、あの失礼な子! やっちゃう⁉」

「……やらない」


 ご立腹なベルゼを適当にあしらって、ヴェルハの街を再び歩き始めた。


 *


 腰を落ち着ける場所を探して、しばらく街を歩き続けた。

 どこもかしこも喧騒でいっぱいだった。

 旅人と思われる者以外、ほぼ全ての人々が豪華な衣服に身を纏っている。

 ゼノはその光景に、多少の違和感を覚える。


「ま、待てええ――‼」


 突如、喧騒に割って入った怒号。

 周囲の人間が一斉に、声を荒げた人へと目を向けた。

 何もない場所へ手を伸ばしてうずくまる、少し恰幅のいい男。とても息が上がっており、悲嘆に暮れた瞳を宿していた。


「何かあったんですか?」


 ゼノが近づいて、男に声をかける。

 すると、男はいきなりゼノの体にしがみついて懇願した。


「た、旅の人ですかあ! お願いします、捕まえてください‼」


 唐突に感情を爆発させ、涙声で訴えていた。引きずり降ろされそうな力強さに、ゼノは落ち着くように促す。


「うう。私、そこの商店を営んでいるものです」


 男の言葉を受けて、ゼノは少しばかり間を空ける。

 “待て”という叫びと、切羽詰まった様子ですがりつく姿から、ゼノはひとつ思い当たることを口にした。


「……物を盗まれたんですか?」


 すると、男は目を輝かせて必死に頷いた。


「そ、そうなのです! あの汚らわしいドブネズミ! 捕まえたら聖騎士団に突き出して牢にぶちこんでやるうッ‼」


 男は歯を軋ませ、盗人が逃げた先をぎらついた目で睨んでいた。


「わかりました」

「おお、やってくださいますか! 見つけ次第、すぐ聖騎士団に突き出してくだせえ! ああでもしないと、やつらはわからんのです!」

「……善処します」


 なおも悪態を吐く男を背に、ゼノは目を閉じて耳を立てる。

 喧騒に紛れて、わずかに足音が聞こえる。それは堂々と歩く音ではなく、どこか恐る恐る逃げ惑うような足音。


 ある程度の方角を絞って、ゼノは人々の間を縫って走った。

 ――盗みを働いた者に追いつくまで、そんなに時間はかからなかった。




 *




 とある建物が密集した一角の裏。埃とコケにまみれた小階段が、暗闇へと誘っていた。

 時折、コケがぬめり、足が取られそうになった。

 ゼノは階段を降りる。間違っていなければ、ここに犯人がいるはずだった。


 ゼノは辺りを軽く見回す。

 つぎはぎだらけの家……ボロボロのシート。埃とカビが鼻腔を刺激した。

 周囲の人間は、破れかけた衣服を身に纏い、煤けていた。

 いるだけで息が詰まりそうなほど、湿った臭いがこもっていた。


 ――俗にいう、スラム街というやつだろうか。

 ゼノは経験したことのない悪臭を前に、ゆっくりと進んだ。

 皆が肩を寄せ合い、こちらを見つめている。

 ゼノはただひたすら、真っすぐを向いた。


「ほら、やつらから盗ったんだ! バレないうちに食べるぞ!」

「おにいちゃん、ありがとう!」


 やがて幼い子供のやり取りが聞こえてきた。

 まだ十にも満たない子どもが、おもむろに服の中から食べ物を取り出す。

 それは周囲の景色には似つかわしくない、綺麗な包み紙にくるまれた食べ物だった。


 ――あいつか。

 軽く息を吸って、ゼノは少年へと近づいた。


「ひっ」


 先に気づいた少女が、こちらを見た。瞳は激しく揺れ動き、体は石のように固まっている。


「ん……?」


 次に気づいた、少年がこちらを振り返った。

 少年がゼノの姿を捉えた次の瞬間、ゼノはその腕を取り、地面へ組み伏せた。


「ぎゃっ……!」

「お前だな、盗んだやつは」

「痛い、痛い痛い、いだいッ‼」


 痛みに悶え、ただ泣き叫んでいた。まだ取り返しのつかないことをしたわけではない。そう考え、少しだけ力を緩める。

 大人の兵士にかけるときの半分にも満たない力加減で、怪我をしない程度に腕を捻ってやる。

 絶叫がスラム街に轟いた。少年の悲鳴が耳の奥をつんざいた。


 ベルゼもその様子を見て、妖艶に笑うばかりだった。

 ゼノが待っていたのは少年からの「謝罪」だった。

 少なくともローウェンにはそう教わってきた。

 だからこそ謝罪を口にせず、泣きわめくばかりの少年が理解できなかった。


 ――ゼノが謝罪を要求しようとした瞬間だった。


「何をやっているんですかッ‼」


 甲高い声が、ゼノの気を緩めた。少女に胸を強く押され、少年から離れる。

 痛みを訴えていた少年は、彼女に縋りついた。


「ねえちゃん、ねえちゃん――っ!」

「……手が真っ赤。ひどい、こんなやり方……」


 先ほどぶつかった少女だった。彼女は少年の手首をさすりながら、キッとこちらに鋭い眼光を向ける。

 ゼノは、動揺して汗を滲ませる。


「先ほどから、どこか不穏な方だとは思ってましたけど……弱者にここまで暴力を振るうなんて。まるで、書物に描かれた悪魔みたい」


 目を細め、眉が大きく吊り上がる。ゼノは少女を前に、口を開こうとした。


「だが……」

「なんですか、言い訳無用です。この子たちが何をしたって言うんですか‼」


 ひどく興奮して、まくしたてていた。

 どうにか落ち着かせようと、ゼノは言葉を切りこんだ。


「この子たちは……ッ‼」

「俺はただ、盗人を捕まえてくれと頼まれただけだ。上で、店の人が困ってた」

「え……?」


 少女が硬直する。そうして、縋りつく少年に視線を滑らせた。

 当の少年は、サッと視線を壁に向けた。次の瞬間、少年がスラム街全域に聞こえるような大声を上げた。


「し、し、仕方ないだろ! ねえちゃんだけのお菓子やパンじゃ足りないんだ! 持ってるやつから盗んで何が悪い‼」


 怒りを露わにする少年に対し、ゼノはぼうっと見つめた。


(予定通りに聖騎士団に突き出すか)


 そう考えていると、少女は首を振った。少年の肩を抱いて優しく諭す。


「他人を犠牲にしてまで得る幸福は、いずれ自分にも返ってくるの。いい子だから、盗んじゃダメ。ね?」


 ゼノの中で「それが今じゃないのか」という思考がよぎるが、少女の穏やかな声を前に、ゼノは口を挟まず成り行きを見守った。

 彼女の言葉に、少年は静かに頷いた。


「……ねえちゃん。にいちゃん……ごめんなさい」


 少年は頭を深々と下げた。ゼノは少年から目を逸らし、明後日の方向を見て言葉だけ聞き入れた。


「……あの。ごめんなさい、勘違いして」


 少女が申し訳なさそうに、謝る。


「お詫び、と言っては安いけど。わたしはヴェルハ教団・司祭、聖女のノアと申します」

「……ゼノだ」

「ゼノ様、ですね」


 ノアと名乗る少女は綺麗な碧眼でゼノを映すと、眉を下げて静かに言った。


「やっぱり、わたしたちは会話するべきではないですね。

 聞こえるのです、ゼノ様から、死を纏う足音が。わたしの心がざわつくんです」

「……さっきから何を言って」

「怖いのです。光を呑み込んでしまいそうな、あなたを包むその空気が。わたしが祓う対象のお方じゃないことを、願います」


 ノアは言いたいことを言い残し、階段を駆け上がった。

 ゼノの胸の奥が、妙にざわついていた。


(やはりこの土地にもいるべきではない、か)


 そう考え、静かにスラム街を出る。

 じめじめとした空気から解放され、澄んだ空気が体中に駆け巡る。

 ゼノは大きく一つ、深呼吸をした。


「なあに、あの子! やっぱむかつくんですけどお!」


 人の気も知れずに頬を膨らませるベルゼ。

 ゼノはとてつもない疲労感に肩を落とし、大きなため息をついた。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。