第4話:悪意の味
ろくに整備されていない獣道を進み、男の証言通りに足を進める。
ゼノとベルゼは互いに口を利くことなく、ただ無心で登った。
やがて少し開けた広場にたどり着いた。
小ぢんまりとした簡素なログハウスが、山の中腹にぽつんと建っている。
隅には木の作業台が置いてあり、ノコギリや斧などが壁に立てかけられている。
少し離れた置き場に、丸太の山が積み重なっていた。まるで木こりの家のようだった。
ゼノはひとしきり辺りを見回すと、扉に手をかけて、勢いよく開ける。
「……随分な挨拶じゃねえか」
ドスの効いた声が、空気を振動させた。
船乗りたちのカシラと目が合った。
小汚い木製の机と小さな椅子。
その椅子に収まりきらないほど恰幅のいい男が、どっかりと腰を据えていた。
大きなワイングラスを片手に、キラリと金歯を光らせる。
ゼノは眉をしかめ、男に視線を据えて切り出した。
「ヴェルハの貴族に物資や女を横流し。船は法外な金で、弱い者からむしり取る。
その所業、許されるはずもない。……どうしてこんなことをした」
ゼノが問うと、男はニイッと口の端を吊り上げた。
「需要があるから価値ある命が生まれるんだ。青臭い坊主にはわからんかね?」
ゼノは静かに息を整え、ぐっと拳を握った。
「なあに、あれ。偉そうに……どう悲鳴をあげさせてあげようかしら?」
わずかに怒りを滲ませて、ベルゼが言った。ゼノはそれを制止し、男の言い分を最後まで耳にする。
「貧民にはお似合いの末路だろう。むしろ感謝してほしいものだな。自らが輝ける場所へ行けるのだから」
男はなおも笑みを崩さなかった。ゼノは短い息をつく。
ヒュプノスを呼び起こし、黒い霧が形を成した。
二丁の銃を構え、標的にロックオンする。
「へっへ。さっきから礼儀がなってないぜ」
男が壁に掛けてあった、湾曲した長剣を手に取った。
小屋の中を静寂が包む。ゼノの弾丸が放たれた時、戦いの火蓋が切られた。
シミターで弾き返し、その勢いのままこちらへ突撃してくる。
ゼノが軽く脇によけると、男はそのまま突進してログハウスの壁をぶち抜いた。
音を立てて崩れゆく壁――男が背を見せたかと思うと、瞬時に振り返りシミターで薙ぎ払う。
二丁の銃を盾に、ガキンッ! と音を立てて、ゼノの足が床を滑った。
恰幅のいい巨躯から繰り出される剣技は、武器を伝って痛みすら感じる衝撃だった。
「うおらあ! さっきの威勢はどーしたああ!」
再び突撃する男の刃をいなす。身をかわすたび、壁や家具が次々と砕けていく。
背中を見せた隙に、銃弾を撃ち込んだ。しかし、男には当たらない。
巨躯から繰り出される、俊敏な動きにゼノは息を呑む。
「へ、へへ……俺の攻撃をかわすなんて、やるじゃねえかよ……」
しかし同時に、カシラの息が上がった。何度か深い呼吸を繰り返し、ふらりと体勢を立て直す。
次に男が床を蹴った時、ゼノが銃弾を放った。
「ぐッ!」
ズドンッ。男の肩から血が噴き出る。そのまま、連続的に撃ち込めば――。
瞬間、男は足をよろめかせながらシミターを縦に振り下ろした。
銃でシミターを受け止める。ガチガチと武器同士が打ち鳴り、ずしりとした衝撃がゼノの身体をじわじわと後ろへとのけ反らせていく。
筋力も、ヒュプノスを使いこなす技量も、圧倒的に不足していた。ゼノはなんとか切り返そうと、足に力を入れる。
重なり合うシミターが銃を滑り、ゼノの肩に深く刺さる。
「……ッ!」
反射的に怯んで、低い声が空気にもれる。
ゼノは咄嗟に男の腹に蹴りを入れて、引き離す。
男は壁に背中を強打し、シミターごと床を転がった。
「ぐふッ!」
壁が轟音を立て、互いの息遣いだけがその場に残った。
肩に受けた傷は深い。流れ落ちた血が床を濡らし、鉄錆のような臭いが辺りに漂う。じくじくとした痛みがゼノの動きを鈍らせた。
それでもゼノは、ふらりと一歩、男へ歩み寄った。
「……言い残したことはあるか」
二丁の銃を組み合わせ、鎌を生み出した。
男は震える声を絞り出し、瞳を揺らして後ずさりをする。
「な、なんで。確かに今、思いっきり深いところに……お、お前には痛みとかないのかよッ!」
「答えろ、言い残したことは――」
「この、化け物がああ! 死んで、たまるかあああ!」
ダッ! 男はシミターを取るわけでもなく、逃げ出した。
しかし、そこにはベルゼが立ちふさがっている。
見えない男は、全力で足を動かした。
「逃がすと思ったあ?」
ひょいっ。ベルゼが男の進路へ片脚を差し出した。
「どはぁっ!」
ズシャッ。
男は顔面から地面に突っ込み、何が起きたのかも分からないまま呆然と伏せていた。
「ざーんねん♪」
ベルゼは無邪気な子供のように笑った。
ゼノが男の元へ近づくと、男が尻を擦って勢いよく後ずさった。
「もう一度聞く。最後に、言い残したことは」
「偉そうに、しやがって」
男は淀んだ空気を吸い込んだ。
「お、俺は……手下のあいつらを護ろうとした、だけなんだ……」
言葉の端々に、悔しさが滲み出る。
しかしゼノは、ただ男を見つめて思考に耽る。
(護る……? 自らの利益を優先して、飢饉を起こそうとした張本人が?)
再び男に腹を立てた。
話を続けるように、男はぼそぼそと喋った。
「……俺はな、もともと木こりだったんだよ。ここで暮らしてた」
男は壊れた壁へ視線を向けた。
「金なんかなくても、それなりにやってた。あいつらが来てからも、しばらくはな」
「あいつら?」
「港にいた連中だよ。食うもんもなくて、たまに町まで降りてきてた。誰も相手にしなかったから……俺が拾った」
乾いた笑いがしっとりとした空気に混じった。
「最初はよかったんだよ。幸せだった。けど、町の連中が、次第に俺たちを除け者にしていった。小汚いからという理由でな」
男は顔を上げた。空を見上げるように。
「そこから畳みかけるように、戦の準備が始まって……余計に食うものが尽きて……生きるためにあいつらを連れて、決行した。
船を占拠し、獲れた魚を王都に流す代わりに大量の物資を手に入れ、ヴェルハの貴族様と手を組んで、町の女を売っ払い……やれることは何でもしたよ」
首を垂れ、男は深い呼吸を繰り返していた。
「……事情はわかった。だが、お前たちが何かを守るたび、その裏で泣いていた人がいた。全てを救えなんて綺麗ごとは言わない。……俺は、お前を救うつもりはない」
「……お厳しいね」
ゼノの言葉に言い返すように、けれどそれ以上は口を開かなかった。
「……悔い改めろ」
ザンッ――鎌の一振りで、男は絶命した。
辺りに赤黒い血がしとどとあふれ出た。
もう男は動かない。
ベルゼは死んだ男の胸に手を当てて、赤黒く染まった光の球を取り出すと――。
ぱくり。それを飲み込んだ。
「悪意の味……でも、なあにこれ。胸が締め付けられるように痛くて、すごく熱いの。消えない火種がくすぶってる」
ベルゼが自分の胸に手を当てて、何かを噛みしめるように深呼吸をした。
ヒュプノスが霧散し、全てが終わったことを告げた。
不意に、傷ついた肩から腕にかけて熱い何かがこみ上げる。じんじんと痺れに変わって、思わず膝をつく。
――しかし、それはわずかな時間だった。
痛みが引いていく。裂けた肉が黒い霧を纏い、傷口が縫い合わされるように塞がった。まるで斬られたのが嘘のようだ。
「ありゃ、呪い溜まっちゃった感じ?」
ベルゼがとぼけた顔で訊ねた。
「呪い……?」
「そそ。いまのゼノは“普通の人間”よりずっとしぶとくできてるってわけぇ」
言いながら両手を合わせ、ベルゼは妖艶な笑みを浮かべた。
「け・ど! ヒュプノスはね、あなたという器の中に“呪い”を少しずつためこんでいくの。
傷を塞ぐ時は、溜まった呪いが一気に体を巡るの。さっきの熱と痺れはそのせいってわけ!
はてさて、あなたから呪いがあふれ出た時、どうなるのかしらね♪」
肝心な部分をぼかして、ベルゼは不敵に笑う。
ゼノはよろりと立ち上がった。
「ま、そういうこと~。うふふっ!」
ゼノは息をついて、ベルゼの言葉を受け止めた。いまさら変えようのない現実を、呑み込むしかなかった。
ゼノは一度小屋に戻り、引き出しと棚を漁った。色々な資料の中に残された、男と貴族の取引履歴。
それを拾い上げると、ゼノはゆっくりと下山した。
*
「うるせえ! しつこい、しつこい! 船に乗りたきゃ金もってこいやあ!」
船乗りの怒号が響く船着き場。
ゼノたちが町に足を踏み入れると、人々が一斉に振り向いた。
頬に男の血痕を残し、悠々と歩く姿は人々の視線を集める。
靴裏を白い石畳に打ち鳴らし、港の小階段を下りた。ゼノは奇異の目にさらされている。
さっきまで声を荒げていた船乗りが、身構えた。
「お、おおい。なんでそんなに血まみれなんだよ……!
船、船は乗せねえからなっ!」
「……お前たちの言う、カシラなら死んだぞ」
「は、はあ……?」
突拍子のない言葉に、船乗りは口を開いたまま固まった。
ゼノはおもむろに、血まみれの取引書を突きつける。すると、船乗りはみるみる青ざめていく。
「嘘だろ……」
船乗りはしばらく立ち尽くしたまま、ふらりと前に出て、背中を見せながら力なく手を振った。
「……乗りたきゃ、勝手に持ってけ」
船乗りはくしゃりと紙を折り曲げ、やがて力の入っていない足取りで港を後にした。
ゼノは木製の小さな手漕ぎボートに乗り込んで、オールに手を掛ける。
これでようやく、ヴェルハに行ける――。
そう思った時だった。
「お待ちください」
しわがれた声が、ゼノの動きを止める。声の方向を見ると、老夫婦が穏やかな笑顔を向けていた。
「これでもう、あの人たちに怯えずに済みます。ありがとうございます、国もきっと、我々のことを見てくれるでしょう」
老婆が顔をほころばせて言った。それに合わせて、老爺も頷いて声をかける。
「本当に、なんと感謝していいやら……。あなたみたいな人がたくさんいてくれたら……」
ゼノは老爺の言葉に首を振る。
「俺は真っ当な人間じゃない。感謝されるいわれもない。その感謝は、国が支援に駆けつけた時にとっておいてください」
できるだけ丁寧を心がけて、ぎこちない笑顔を見せた。
老夫婦が見守る中、やがてボートを漕ぎ出した。
小さくなる人々の向こう側で、老夫婦が大きく手を振っていた。
その笑顔は、町の人に紛れてもわかるくらい、輝いていた――。




