第3話:港町に巣食う悪意
あの戦いのあと、ヴェルハ帝国は“停戦”を申し出てきたらしい。
『殺戮兵器がいる。停戦交渉を持ち込みたい』――そんな話を、風の噂で耳にした。
それが自分のことだというのは、明白だった。気にしていない風を装い、港町に足を踏み入れた。
「ひゅ~! ここが港町ねえ! 潮風がおいしいわあ」
ベルゼが楽しそうな声色で言った。
清潔そうな白い建物が立ち並ぶ、王都セイントベルクの外れの小さな港町だ。
近海の漁で生計を立て、獲れた魚を王都へ送り出している。
人々の喧騒に耳を傾ければ、その向こうから波の音も聞こえてくる。
その中に一つ、怒号が紛れ込んでいた。
――港のほうがやけに、騒がしかった。
気になって、ゼノたちは船着き場へ続く小さな階段までやってきた。
「おい、こんな法外な金ふっかけやがって!」
「もうこの国では暮らせません。あれは本当に、必要な領地争いでしたの……?」
「乗せてください! 停戦してからもうロクに物を食べられてないんですよ⁉ なのにお上はおいしい思いばかり。もう耐えられません!」
人々が口々に、船乗り風の男に文句を言っていた。
「はん。貧乏なのが悪いんだろうが! 国に尻尾を振って恵んでもらえ! それともなにか? ヴェルハの貴族に売り飛ばされたいのか?」
男は人々を舐めるように見回し、指先でゆっくりと宙をなぞった。
暴言をまくしたてるたび、唾が周りに飛び散った。
すると、老夫婦が人々の中に割って入って、白髪の老爺が船乗りに縋りはじめた。
「お願いします……息子が国の外にいるんです。私たちを迎え入れようとしてくれているんです……」
「うるせえやい、ジジイ!」
ドンッ。男に蹴飛ばされ、老爺は尻もちをついた。
「やあねえ、治安が悪いったらありゃしないわ。殺しちゃう? うふふ」
ベルゼの残虐思考を半ば無視し、様子を見守る。
少し経った頃、老婆がゼノの脇を通る。
薄汚れて、擦り切れたケープを身に着けていた。手を前に重ね、小さな歩幅で進む姿には、どこか品があった。
老婆は老爺の身体を支えながら、ゆっくりと小階段まで歩いていく。
――そうして、老夫婦と目が合った。
*
「いやあ……お見苦しいところをお見せしました」
広場の長椅子に腰掛け、老爺がばつが悪そうにうなだれる。老婆もひどく怯えた様子だった。
「あいつらは、いつからここを仕切ってるんですか?」
ゼノが質問をすると、老婆は眉を下げて口を開く。
「停戦が言い渡された翌日ですよ……。港の船を占拠し、法外な乗船料をふっかけて……。国の支援物資まで独占して、ヴェルハ行きの船に若い娘を縛り上げて運んでいるのも何度か見かけました」
「……そうですか」
話を聞いて、極力怒りの感情を内側に閉じ込める。
老婆は軽く頭を抱えて、言葉を続けた。
「あなたもご覧になったでしょう。上は自分たちがおいしい思いをしたらそれでいいのです。本来ならば騎士団が対応する予定だったのに、一向に来やしない」
老婆に続いて、お爺さんは悲嘆と諦念が混ざり合う複雑な感情を語る。
「この港に水揚げされた魚は、停戦してから全て王都に流していると聞きます。王都は船乗りたちと手を組んで……我々を切り捨てるつもりなんです」
突如、老婆の感情が爆発した。
「もういやになりますよっ! 畑で採れるわずかな食糧! いつ尽きるかもわからない恐怖……」
「やんっ。悪魔~!」
ベルゼは他人に見えないのをいいことに、茶々を入れた。
「……もし、船乗りが心を入れ替えたなら――あなたたちはこの町に留まりますか?」
ゼノの質問に、老夫婦は互いに顔を見合わせる。
しばしの沈黙のあと、老婆が不安げにぽつりと言った。
「どういう、ことでしょう」
「いや、気にしないでください。俺も、あいつらを止める方法を考えてみます」
「……優しいのですね」
老婆は間髪を入れずに言った。
しかし、ゼノは目を合わせられなかった。
自分が“優しい”とはほど遠い人間だと、誰より自覚していたからだ。
老婆はゼノに向けて口を開いた。
「よろしければ、今晩はうちに泊まってください。宿屋をやっておりまして……大したお食事は出せませんけど」
その提案に、ゼノは小さく首を振った。
「……お気持ちだけで結構です。代わりに、屋上を貸していただけますか?」
「屋上、ですか?」
老夫婦はきょとんとした顔でゼノを見つめていたが、少ししてから頷いた。
*
潮風に煽られ、マントが音を立てて翻る。
ゼノは屋上に立って、物資が届く明け方を待った。
木製のスツールには、老夫婦の好意でもらったサンドウィッチが置いてある。しかし、ゼノは口をつけなかった。
今はただ、物資の行方を見届けることだけを考えていた。
「それ、いらないの?」
ベルゼがウズウズとした様子で、物欲しそうに見つめる。
「ほしいなら、食べていい」
「ほんとお⁉ いっただーきまーす!」
サンドウィッチを半分ちぎって、嬉しそうに頬張った。
「ん~! おいひー! 絶対に食べたほうがいいって!」
「遊びに来たんじゃないんだぞ」
「でもお、食事はヒトの活力でしょ? ほらほらあ、あ~んっ!」
――むぐっ。
半ば無理やり、口にねじこまれる。
ベルゼの謎の力強さに、口を開けざるを得なかった。
しゃきしゃきとした野菜は、パンの間で活き活きとしていた。香辛料が鼻腔をくすぐって、その一体感を高めている。少し硬めのパンが、いいアクセントになっていた。
ゆっくりと咀嚼し、飲み込んだ。
とても、優しい味がした。携帯食糧や騎士団の量産的な食事では味わえない、胸の奥がじんわり温かくなる味だった。
「……おいしい」
「でしょでしょ?」
「――もし母さんが生きていたら、こんなにおいしい食事が出てきたのかな」
ぽつりと、こぼした。
自分という箱に、食事を詰め込むだけの作業。
そのはずなのに、幸福感に満たされていた。
「あっ! 見て見て!」
太陽が昇りかけた頃。突如、ベルゼが指をさす。
カラカラと車輪が音を立てながら、山道を登っていく二つの荷馬車。
大量の物資が積まれていた。ゼノは顎に手を当てて考える。
「あれだけの物資、こんな小さな港町じゃ捌けるはずもない。裏で抱えている場所があるはずだ」
「考えるのはあと、あと~! 早く行かないと見逃しちゃうわ!」
ベルゼの言葉に煽られて、屋上から飛び降りた。
両足のバランスをとって衝撃を抑え、気配を殺しながら荷馬車を追いかけた。
しばらく追跡をした頃だった。近くの大木に身を隠して、様子をうかがう。
屈強な男が青ざめた顔で物資を小屋へ運んでいく。その背後では、船乗りが短剣をちらつかせていた。
「ビンゴ~♪」
ベルゼは相変わらず楽しそうだった。
ゼノは音もなくため息をもらし、機をうかがう。
しばらく様子を見て、男が次の荷物を抱えて小屋へ入った瞬間、物陰から飛び出した。
「な、なんだテメェ!」
船乗りが声を荒げる。
「その物資をどうするつもりだ。お前たちだけで占拠していい代物ではないはずだ」
「うるせえ‼」
ゼノの言葉に逆上し、地面を蹴った。両手で短剣の柄を握りしめ、真正面から突っ込んでくる。
それを軽くいなして、背中を取った。腕を取って組み伏せると、船乗りはあっさりと悲鳴を上げた。
「ぎゃあああ! タイムタイム! ギブッ!」
カランッ。地面に乾いた音が鳴り響いた。短剣を落として、もはや無防備になってしまった船乗りは必死に懇願する。
「わ、悪かったってえ! 物資はヴェルハの貴族に流すんだよ! 一生食い物に困らないのを約束してくれるって、やつらが!」
頬を地面に押しつけられながら、首だけをひねってゼノを見上げた。
ゼノは表情一つ変えなかった。
「……質問に答えろ。お前たちに命令していたやつはいるのか?」
船乗りは慌てて答えた。
「か、カシラのことか! 誰がお前みたいな暴力でしか解決できない坊主に……あだだだッ‼」
少し力を込めると、船乗りの絶叫が周囲にこだました。
「どの口が言うのかしら……」
ベルゼは呆れたようにつぶやいた。
船乗りは変わらず、空をつんざく声量で騒ぎ立てる。
「カシラに命令されて仕方なくやったんだよお! だから命はお助けえ!」
「言え。そのカシラとやらはどこだ」
船乗りの身体がびくりと強張った。
唇を震わせ、何度か言葉を詰まらせたあと、ようやく声を絞り出す。
「もう少し、山を登った先だよ! 小高い丘のところに、小屋があんだ!」
「……そうか」
言い終わると、ゼノは手を離して立ち上がる。
船乗りは力から解放され、軟体生物のようにふにゃりと突っ伏した。
それと同時に、転がる短剣に忍び寄る手が見えた。
指先が短剣の柄に触れかけた瞬間、ひょいっと短剣がつままれる。
ひとりでに浮く短剣を見て、船乗りは目を丸くした。
「これは危ないから、没収ねえ」
ベルゼは短剣をつまんだまま顔を上げ、大きく口を開いた。ぷらんと垂れた刃先が、その喉奥へするりと消えていく。
目の前で消えた武器に、顔面蒼白で力なく地面に倒れ込んだ。
ベルゼは飲み込んだ短剣を味わって、恍惚とした表情を浮かべた。
「んふふっ。悪意の味……けど、なんだか心の奥が燃えてるみたい」
「行くぞ」
「あ! 待ってよ~ん!」
地面にへたり込んだ船乗りを置いて、山を登った。
案外、あっさりと終わる仕事かもしれない――ゼノは軽く考えていた。




