第2話:忌憑きの帰還
世界の輪郭が、にわかにくっきりと浮かび上がった。
ゼノはおもむろに立ち上がる。少しだけよろめいて、地面を踏みしめた。さきほどまでの血色の悪さはなく、人並みの肌を取り戻していた。
周囲のざわつきが、一瞬で静寂に変わる。自身を抉った槍をぐっと握りしめて、引き抜いた。膝に突き刺さった矢を、力いっぱい引っこ抜いた。
引き抜いた傷口から、鮮血が飛び散った。衝撃で顔を歪ませる。中身が全部、飛び出てしまいそうな気持ち悪さと痺れが体中を襲った。
けれど、不思議と体は言うことを聞いた。
全員が足を止めて凝視する。
静寂の中、ゼノの脳裏にひとつの名がよぎる。
――ヒュプノス。
左手を伝って、闇が一か所に集まっていく。やがて霧の塊となって不気味な鎌へと姿を変えた。さながら、現世に顕現した死神のようだった。
ズルリ、ズルリ――鎌の刃先はゼノが歩くたびに地面をこすった。
すると敵兵の表情がみるみる引きつって、一人が奇声を上げた。
「うあああぁ‼」
ヒュッ。剣が振り下ろされた瞬間、鎌で払う。剣が宙を舞い、勢いよく刃先を地面に突き刺した。
無防備になった兵士は、浅い呼吸を繰り返す。甲冑で顔は隠れていたが、尻を地面に擦りながら、少しずつ後ずさっていた。
まるで時間が止まったかのように、ゼノはゆっくりとした動きで鎌を敵兵の首にかけた。
――辺りに漂う、血の臭い。
戦場に咲く真っ赤なバラの花びらのように、とめどなく血液があふれ出す。
粘性のある赤い雫が鎌の刃先を伝って、垂れた。
次に鎌の柄の中央をひねると、それは立派な二丁銃に姿を変える。
異様な光景に、一部の兵が我を取り戻して槍を手に突撃してくる。
ズドンッ‼
火薬の臭いを纏わせて、弾丸が次々に槍兵のこめかみを撃ち抜いた。穴の開いた兜から細い煙が立ち昇る。
兵士たちはじりじりと後ずさり、誰一人としてゼノへ踏み込もうとしなかった。
――理解不能。
そんな沈黙を破るように、撤退命令が戦場へ響き渡った。
足音を鳴らして遠ざかっていく。ゼノの周りには死体と血だまりだけが残っていた。
「ふふ。よくやったわあ。ここで滅多打ちにされるようだと、お仕事なんて任せられないものねえ」
妖艶な笑みを浮かべて、ベルゼが言った。
役目を終えたように、ヒュプノスが霧散する。
ゼノは自らの手のひらをぼうっと見つめて、大穴の空いたはずの腹部を摩る。傷が塞がっているのか、その感触はいたって普通だった。
ぬらりと鈍く光った血が、手のひらを覆う。たった今、凄惨な争いが起きたことを証明していた。
「ふふっ。お話は、歩きながらしましょ?」
ベルゼフィーネの言葉に、ゼノは静かに頷いた。
ヴェルハ兵の姿が消えた戦場を後にした――。
*
「さあて。あたしに聞きたいことある?」
そう訊ねられ、ゼノは少し考えて口を開いた。
「ベルゼフィーネ。父さんのこと……」
「ベルゼでいいわあ。パパさんのことね! そうねえ、どこからお話ししましょうか?」
ベルゼは地面から足を離し、滑るように浮遊しながら隣を移動した。
「パパさんは代々、忌憑きの血筋。ママさんはヴェルハの聖女様。ゼノは赤ん坊だから覚えてないでしょうけど」
ゼノの記憶にすらなかった事実が告げられた。
「忌憑きがどうやって生まれるのか知ってる? ただの血筋ってだけじゃ忌憑きを名乗れないのよお」
ゼノは首を振った。
「忌憑きには寿命があるの。長く悪魔を宿し続ければ、いずれ魂まで食べられちゃう。だから次の器へ受け継がせるのよ。生まれたばかりの無垢な魂ほど、悪魔が定着しやすいから。自身に憑いている悪魔を、赤ん坊に“お引っ越し”させるって思えば早いわね」
ベルゼは唐突に真剣な表情を作った。
「だけど、ゼノの魂はあまりにも弱々しかった。きっとパパさんたちも苦悩したと思う。
継承は絶対、けれど契約の儀を施したらゼノの魂ごと悪魔に食べられちゃうかもって」
ベルゼはゼノと目を合わせ、少しだけ声音を落とした。
「だけどパパさんたちは決行した。するしかなかった。忌憑きの血を絶やすわけにはいかなかったから」
ひとしきり説明を終えると、ベルゼは空気を吐き出すように笑った。
「そのせいで、ゼノはいくら鍛えても力が身につかなかったの。鍛えた分が、ぜーんぶ中で眠ってたあたしの養分になってたから」
やがて、ベルゼの人差し指がゼノの眼前で止まった。
「何の因果か、この死がトリガーとなって、眠っていた契約が強制的に目を覚ましたの。こうしてあたしが見えるって、実はとっても珍しいことなのよ?
忌憑きの中でも、自身の契約悪魔が見えて、かつ会話できる人って数えるほどしかいないんだから!」
言い終えると、再び真面目なトーンを作り出す。
「あとは簡単なことよ。恐怖で暴徒化した平民と、悪魔の力を良しとしない教会の都合が重なって……『浄化』だとか言いながら、生まれた家を周辺の建物ごと焼き払ったの。
契約の儀が終わったパパさんたちは成すすべもなく死んで……鎮圧に現れた騎士団の中に、パパさんの友人でもあったローウェン騎士団長がいてね。あなたを保護する形で、どうにか収まったってわけ」
ゼノはそっと胸に拳を当てた。
本当の両親の末路を知った痛みもあった。だがそれ以上に、赤子の頃から“忌憑き”でありながら何一つ成せなかった自分に、心の底から悔しさがあふれ出た。
「ま、そんなに思いつめないで~。これから育っていけばいいのよ、うふふっ」
「……あぁ、そうだな」
くっと唇を噛みしめる。過去の弱かった自分と決別しようと、静かに心の中で誓った。
*
それから二日が過ぎた。
傷跡こそ塞がっていた。けれど鎧についた血を見るたびに、戦場の熱気と痛みが生々しく残っている。
帰還の道中ずっと、人々に言われ続けてきた言葉を反芻していた。
化け物――本当の意味で『化け物』になってしまったのだと、どこか諦めがついた。
ようやく、セイントベルクの城壁が視界に入った頃だった。
太陽が傾きかけて、世界が闇に覆われようとしていた。
城下町へ通じる大きな門がそびえ、両脇には兵士が二名ほど見張りに立っている。
どんどんと近づいていくゼノを見て、兵士たちが声を荒げた。
「何者だッ!」
夜に紛れて顔を認識できなかったのか、兵士はぐうっと目を細めると、すぐに驚嘆した。
「お、お前は……ッ!」
「セイントベルク王国騎士団所属、忌憑きのゼノと申します。
前線のクライン小隊に配属されていた者です」
形だけの敬礼を見せる。兵士はこちらの全身をくまなく見つめると、顎に手を当ててつぶやいた。
「待て。殉職したって話じゃなかったのか……?」
それに合わせて、もう一人が口を開く。
「……お前は引き続きここの見張りを頼む。
俺がこの者を、騎士団長殿のもとへ連れて行く」
「ああ、頼む。妙な騒ぎを起こすなよ」
そう釘をさして、門が開かれた。
日数にすればたった二日ほどのはずなのに、ここまで来るのがやけに長く感じた。
兵士がゼノたちの後ろに回り『行け』と合図をする。兵士の監視のもと、ゼノたちは歩き出した。
門をくぐってしばらく後のことだった。
夜の静けさを掻き消して、人々が雨粒の音のようにざわめき立った。
――忌憑き? なんで……?
――死んだって聞いたぞ。なんで戻ってきたんだ!
人々の様々な感情が飛び交った。
ある者は怒り、ある者は泣き叫び、ある者は見つからないように縮こまる。
ゼノにとってそれは慣れた背景音であったが、周囲の反応を見てベルゼがわかりやすく怒りの色を見せた。
「あら、御大層な歓迎だこと。なあんにも知らないで、いいご身分よねえ」
「……やめろ」
周りに聞こえない声量で、ベルゼを制した。彼女はつまらなそうに口を尖らせ、静かになった。
やがて城の前までやってきた。城門を護る兵士たちに事情を伝えると、そのうちの一人が慌てて城へと入っていった。
――少し城門の前で待機すると、兵士が戻ってきて監視役に耳打ちをした。
「変な動きを見せるなよ」
威圧的にそう言って、引き続き兵士の監視が続けられた。
案内されたのは、騎士団長の執務室前だった。
兵士が数回のノックをすると、よく知る声が聞こえた。兵士が顎を突き出して、入るように指示をする。
扉はゆっくりと、開かれた。
「ゼノ――ッ!」
ローウェンはゼノの背中に手を回し、押すように招き入れる。ローウェンが兵士に目配せをすると、敬礼ののちに兵士は扉を閉めた。
ゼノの顔を見るや否や……ローウェンは息を呑んだ。その眼差しは揺らいでいて、ゼノの心をきつく締めあげる。
なぜだか、心がざわついた。
「……ああ、すまない。少し雰囲気が変わったなと思ってな。こう……少し見ないうちに、大きくなった、と言えばいいのだろうか」
そう唇を震わせ、しどろもどろに答えた。
ゼノの目には、何か動揺しているように見えた。なぜだか少しだけ心が苦しくなって、ゼノはおもむろに上を向いた。
ローウェンは、感情を押し殺すゼノを胸に抱き寄せて、静かに言った。
「……ゼノ。よく帰った。私はそれだけで嬉しい」
「……っ」
引き寄せられた胸は、とても暖かかった。凍りついた心が溶かされていく。とても、安心できた。
拒絶されるかもしれない、その一つの不安がすぐに消えていった。
ゼノは、静かに涙を流した。声もなく、ローウェンという存在を受け入れるかのように。
ひとしきり涙を流すと、ゆっくりと拭った。
「そうだ、お前に渡したいものがあるんだ」
そう言うと、ローウェンはクローゼットから黒い服を取り出した。
「大きくなったら渡すんだと、よく口にしていたよ。あの火事のあと、瓦礫の中からこれだけは回収できた。……ずっと、私が預かっていたんだ」
恥ずかしそうにはにかんで、感慨深そうにゼノの前へ持ってくる。
「お前の父さんから……、プレゼントだ」
にこりとほほ笑んで『着替えてこい』と優しく言った。
間仕切りに隠れて、差し出された黒装束に身を包む。
余計な飾りのない上着と同色のズボン、その上から右肩の小さな留め具だけでとめる膝丈のマントを羽織る。
歩くたびに裾がひらりと揺れて、夜を渡り歩く処刑人のような姿になった。
姿を見せると、ローウェンは息子を見守るような瞳を宿す。
感嘆を上げて、顔を綻ばせた。
「うん、似合ってるよ……とても」
ローウェンは表情をくしゃっとさせた。目尻に皺を寄せ、寂しさと嬉しさの狭間で揺れる、何とも言えない表情を作った。
「ゼノ。王はお前が殉職したと信じて疑わない。それを今さら、生きていたと突き出せば……お前も私も、ただでは済まん」
そう言って、一呼吸を置いた。
ゼノの方をしっかりと見据え、とても柔らかい笑みを浮かべた。
「さあ。もう、この国には戻らないほうがいい。セイントベルク港にヴェルハ行きの船があるはずだ。
ヴェルハは多くの人種で構成されていると聞く。先の戦で、お前の顔まで知る者もそう多くはあるまい。安全だとは言い切れんが、少なくともこの国に残るよりは目立たずに済むはずだ」
そう告げる。ゼノはただ静かに頷いた。
「とうさ――いえ、ローウェン様。ご厚意、ありがたく頂戴いたします」
「ああ。私にしてやれることはこのくらいだ。
せめて――生きる場所を選ぶ権利くらいは、贈らせてくれ」
ローウェンの言葉を背に、ゼノは執務室の扉に手をかけた。
「今まで、ありがとうございました」
「……ああ」
キィッと扉が高い音を出した。
ゼノは数回、深呼吸を繰り返して扉を閉めた。
――その時、馴染みのある声が耳についた。
「なッ、なんで、なんで――」
言葉の端々が震えていた。
「生きて、たのかよ。あの状況で……」
動揺が混じった声が廊下に溶ける。
その声を聞き流し、ゼノは城門へと向かった。
クラインが咄嗟にゼノの肩へと手をかける。
ゼノはおもむろに振り返った。クラインが後ろに飛び退くまで、そう時間はかからなかった。
闇を内包したような黒い瞳が、小刻みに揺れるクラインの姿をまっすぐ捉える。
「俺は……もう変わったんだ。構わないでくれ」
抑揚のない冷たい声が、廊下に落ちる。クラインは呼吸すらも忘れたように、吐息ひとつ鳴らさずにいた。
ふらり、ふらり。どこかつかみどころのない足取りで、城を後にした。
――やがて城下町を背に、ゼノは自らを受け入れてくれる場所へと歩みを進めた。




