↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
忌憑きの執行人  作者: 葉玖 ルト
一章 剣と呪いのセイントベルク
1/9

第1話:戦場に笑う忌憑き悪魔

 ――撤退、撤退ぃィッ‼

 人々の阿鼻叫喚が交錯し、戦場は混沌に沈んでいた。

 土埃が視界を覆い、喉に焼けつく痛みを残していく。同時に、むせ返るような鉄臭さが鼻を刺す。

 折り重なった死体の中で、ゼノはただ一人、浅く息をしていた。指先に力を込めようとしても、身体はもう言うことを聞かなかった。

 次第に、目の前の景色が歪み、遠ざかっていく。

 ――ああ、死ぬんだな。

 そう悟ったところで、意識は闇に落ちた。 *


 数か月前・城下町 王国セイントベルク

 ――忌憑《いみつ》きだ、忌憑《いみつ》きがいるぞ。

 ――目を合わせるな。殺されてしまうぞ。

 人々が口々にささやき、視線だけをこちらへ投げてくる。

 ただ城へと歩を進めているだけで、ゼノは『化け物』として見られていた。

 ――忌憑き。

 その魂を契約悪魔と分かち、強大な武力で悪人を裁く者――。

 だが今や、その役割を知る者はほとんど残っていない。 

 『悪魔の力を振るう化け物』――という噂だけが独り歩きし、恐怖の対象となっている。

 けれど、ゼノには悪魔の力などない。

 正確には、その気配をまったく感じられないのだ。

 だから特別に強いわけではないし、人並みに痛みも感じる。

 “忌憑きの血を引く”という一点だけが、ゼノを『化け物』に変えている。


 城門をくぐり、石畳を踏む足を止める。


「戻りました」


 ゼノは、騎士団長ローウェンに声をかけた。

 磨き上げられた銀の甲冑が、太陽を受けてきらりと光る。ローウェンは兜を外し、額の汗をぬぐった。

 額からこめかみにかけて刻まれた皺《しわ》と厳つい顔立ちが、その男の厳格さを物語っている。頬を走るいくつもの古傷は、長年戦場に立ってきたことを物語っていた。


「ゼノ――お前に伝えねばならないことがある」


 唐突に、そう言った。

 心なしか、兜を持つ手に力が入っているように見えた。

 小さな金属音が、静寂に混じる。

 ゼノは静かに訊ねた。両者とも口では冷静さを保ったまま、奇妙な時間が流れる。


「実はな、先ほど伝令があったのだ。領土問題をめぐる交渉が決裂――ゆえに戦の準備をせよ、とな」


 ローウェンの言葉に、ゼノはただ顔を伏せた。

 ――ヴェルハ帝国。昔は各国から敗戦国と罵られていたが、皇帝が変わってからというもの、武力政権で成り上がったという。


 隣国ヴェルハ帝国との領地争いは、以前からくすぶり続けていた。

 正式な開戦こそ宣言されていないものの、国境では数日前から小競り合いが続いている。

 それが今になって、大きな衝突に変わろうとしていた。


「……お前の不安もわかる。忌憑きであるにもかかわらず、力を発揮しない……いや、できないのか?」


 ゼノは無言で頷いた。

 ローウェンは一度息をつき、憂いの瞳を宿す。


「不安も多いだろう。だが王は、戦には忌憑きが必須であるとお考えだ。納得はいかぬだろうが、お前にはクライン小隊長の指揮下で動いてほしい」


 ゼノにとって、騎士団長だけが心のよりどころだった。赤子から育ててくれた恩人の意向を無下にはできないし、何より王命とあらば仕方のないことだった。


「わかり、ました」


 感情のこもっていない瞳でローウェンを映した。

 そのまま軽く一礼を済まして、逃げるように踵を返す。


「……お前は何も悪くない」


 背中越しに低い声が、少しの間ゼノの足を止めた。

 ゼノは軽く拳を作って、再び小さく頷いた。

 そのとき、廊下の奥で靴音が鳴った。

 金色の髪を揺らし、人影は角の向こうへと消えていった。


「今のは……」


 ローウェンが眉を寄せた。

 だが、それ以上は何も言わなかった。


 ゼノは沈黙のまま、自室の方へと静かに歩き出した。


 *


 ――翌日。

 ゼノは小隊長クラインに呼び出された。

 自室に置かれた鎧を着込む。胸当てと籠手、それに脛当てだけの、どこにでもある簡素な量産品だ。関節や足首にはどうしても隙間が生まれる。

 それでも金属の重みを感じると、自分も国を護る一員なんだと、実感が湧いた。


 訓練場に足を踏み入れる。人の形を模した藁の人形が四方に置かれ、奥には弓術訓練用の的が壁に並んで掛けられていた。

 ゼノの姿を捉えると、周囲の兵士がざわめきだつ。

 訓練場中央、腕を組んでニタニタと含み笑いを浮かべる男がいた。

 小隊長クラインだ。若くしてその実力が認められ、ことあるごとに、その肩書きを口にしていた。

 短い金髪の下には、傷一つない整った顔があった。口の端を吊り上げ、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。

 クラインの腕が、ゼノの首に絡みついた。


「やあやあ、呪われた忌憑きくんじゃあないか」


 ゼノは何も返さなかった。

 その反応にクラインはわずかに眉を動かしたが、言葉を続けた。


「今日呼んだのは他でもない。ぜひ、忌憑きくんと手合わせをしたいと思ってね」


 心の中で、嘘だとつぶやいた。

 クラインの言葉の圧に、ただ肩をすくめて黙り込む。

 周囲も合わせて空気を含んだ笑いを上げた。

 ゼノは数回、深呼吸で心を落ち着かせる。


「お願いします」


 感情が乗っていない言葉で、そう返した。


 やがてクラインが距離をとって模擬刀を手に取る。対してゼノも、震える手で模擬刀を握りしめた。

 重い鎧が肩にのしかかり、足が地面に縫いとめられているように感じる。

 すでに腰が引けていた。恐怖ばかりが先に立ち、集中力を削ぎ落とす。


「いくぜ!」


 ダッ。地面を蹴り上げて、瞬くうちに目と鼻の先に迫った。

 ゼノは咄嗟に刃を受け止める。両者の模擬刀が軋む。腕を伝って、衝撃が痛みに変わった。


「うおらぁッ!」


 防戦一方だった。怒涛の剣さばきに、攻撃のチャンスが窺えない。

 カンッ、カン――模擬刀が打ち合い、ゼノの手のひらに汗がにじむ。鎧の中はすでに蒸し風呂のようで、息をするだけで苦しかった。

 クラインはわざとらしく体への攻撃を避けて、模擬刀を執拗に狙い続けているようだった。


 呼吸が荒くなる。じんじんと麻痺する感覚。

 ハッ――息が途切れた瞬間、世界との接続が切れたように腕が軽くなった。

 カラン、ゼノの模擬刀が地面を滑る。へなりと崩れ落ち、喉元に模擬刀が突きつけられる。


「……わざとか?」


 見下ろすクラインの声には、苛立ちが混じっていた。


「噂じゃ“悪魔の力を振るう化け物”だそうだが――。

 その“悪魔の力”とやらがなきゃ何ひとつできない愚図なのか?」

「……っ」


 ゼノは言い返せない自分に、嫌気が差した。

 腰を落としたまま動かないゼノを囲んで、周囲の笑い声が大きくなった。

 それに合わせて、クラインが両手を上げて応える。


「きっと、こりゃ犬死だな。その方が、悪魔ごと葬れてむしろいいんだろうけどなッ! ははは!」


 ドッと、兵士たちの笑い声がさらに大きくなった。

 目の前がくらりとして、軽く額を抑える。ゼノには黙りこくることしかできなかった。


「……ま、戦場ではうまく使ってやるよ。せいぜい、足手まといにならないようにな」


 嘲る声を身に浴びて、自らの非力さを嘆いた。

 少なくとも、自分が非力だという一点だけは否定できなかった。

 何度、訓練に励んでも。

 何度、模擬戦をしても。

 一向に強くはなれなかった。忌憑きという鎖だけがゼノを縛り上げる。

 だからこそ――全てを諦めた。諦めざるを得なかった。


 *


 ――しばらく経って、やがてヴェルハ帝国との戦が始まった。


 争いは苛烈を極めた。

 敵味方の死体が山のように積み上がり、赤黒い血が地面を染め上げる。

 阿鼻叫喚の声が飛び交い、戦場は地獄そのものだった。

 熱気が戦場を蒸し上げた。血と汗の臭いが入り交じり、不快感を煽る。


 ――撤退、撤退ぃィッ‼  

 人々の悲鳴と怒号が渦を巻き、戦場はさらに混沌と化した。

 折り重なる死体を踏み越え、敵兵が迫る。

 無数の軍靴が重なり、大地そのものが震えているようだった。

 帝国の力は衰えることなく、セイントベルクを追いつめる。

 周囲の兵士は撤退命令を聞いて、みな逃げ惑っていた。

 ゼノも慌てて指示に従う。クラインの指揮のもと、兵士たちは次々と戦場を離脱した。


 ……瞬間だった。

 脛当てと靴のわずかな隙間に、鋭い痛みが走る。突然の痛みにうずくまり、顔を歪ませる。

 気づけば弓矢が深々と突き刺さっていた。

 砂埃の向こうに、こちらへ手を伸ばすクラインの姿がうっすらと見えた。何かを叫んでいる。

 だが、その声は怒号に掻き消された。

 次の瞬間には人波に呑まれ、クラインの背が遠ざかっていく。

 気づけば敵に囲まれて――槍がゼノの腹部を貫いた。

 口元から、血が溢れた。息ができないほど苦しい。

 腹部から全身へ、煮えたぎるような痛みが駆け巡る。槍に腹部を抉られ、そのまま地面に打ち捨てられる。

 指先すらもぴくりと動かない。

 あんなに煮えたぎった体が、冷たく変わる。わずかに持ち上げた手が、力なく地面へ落ちる。指先は氷のように青白くなっていた。

 ――ああ、死ぬんだな。

 そう実感した。何も残せない人生ならば、消えた方がよかった。全てを諦観した眼差しで、ゆっくりと――闇に沈んでいった。


「ふふっ」


 突如として、笑い声が聞こえた。

 それはゼノにとって、子守歌のように心地の良い声だった。


「死んじゃった、死んじゃった♪」


 口元に手を当てて、声高らかに言った。

 開くことさえ許されない、重たい瞼を上げて薄ら目に“それ”を見る。

 ぼんやりとしていて全貌はつかめないが、とても戦場には似つかわしくない恰好をしている。


「助けてほしい?」


 その声音には、どこか人をからかうような響きが混じっていた。ゼノはふわふわとした思考の中で、頷くことさえできない。


「ふふっ……忌憑きとして覚醒するチャンスよぉ? この世の悪を全て裁きたいとは思わない?」


 その言葉に、ゼノの瞳は覚醒した。不思議と瞼が重たくなく、彼女の姿が目に映る。

 布地の少ない、露出の激しい衣装を身にまとっていた。くねくね動くハートの尻尾と、頭部に生えた角が、彼女を人間ではない何かと認識させる。

 彼女の言葉に、ゼノの胸の奥で、くすぶっていた何かが弾けた。

 蔑んだ目。背中に浴びせられた囁き。『化け物』と呼ぶ声。

 ずっと胸の奥へ押し込めてきたものが、一斉にせり上がった。


「裁き――?」

「あたしがその忌憑き悪魔♪ あなたのパパさんも喜ぶわよ? 忌憑きとして覚醒した、ってね」


 悪魔がトーンを落とした。

 ゼノにとって記憶のない両親のことを、彼女は“知っている”――。


「どうするのぉ?」


 間延びした甘い声が、ゼノの心を動かした。


「力が……欲しい――」


 ゆっくりと手を伸ばした。

 すると彼女も、赤く染まった消えかけの手を取った。


「あはっ……。あたしは悪魔ベルゼフィーネ。今ここに、忌憑きとして魂を分かつわあ~」


 ベルゼフィーネが手の甲に口づけを落とす。

 ゆらゆらと。世界が歪んでいく。

 だんだんと、体が軽くなっていく。

 血液が体を巡りはじめる。もう、痛みすら感じられなかった。


 ――そうして、ゼノの世界が晴れた気がした。 



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。