第五話:貴族来訪
「……貴族様がな」
その一言で、部屋の空気が変わった。
石鹸。
橋。
アルコール。
すべての噂が一気に収束する先。
――権力。
商人が舌打ちする。
「来やがったか、早ぇな」
軽口のようでいて、目は笑っていない。
むしろ、わずかに“戦闘前”の色がある。
少年(少年)は静かにその様子を見ていた。
「対応は?」
その問いに、商人は肩をすくめる。
「石鹸も橋もウチじゃさばききれねぇ」
あっさりと認めた。
「貴族相手は格が違う」
そして、顎をしゃくる。
「だから兄貴を呼んだんだ 兄貴のとこはウチより大きい」
商人の兄。
シルヴェスト・ハーラン。
その名前が出た瞬間、空気が“整う”。
何かが一段、引き締まる。
扉が開く。
シルヴェストは一切の無駄なく入ってきた。
「……状況は」
低い声。
揺れがない。
商人が短く説明する。
「貴族が来る。少年指名だ」
「……そうか」
たったそれだけ。
驚きも、緊張もない。
“想定内”の顔だった。
シルヴェストは少年を見る。
「準備はできているか」
「はい」
即答。
迷いはない。
その一瞬で、シルヴェストの目がわずかに細くなる。
「なら問題ない」
それだけ。
だが、その一言に“許可”と“評価”が同時に含まれていた。
商人が笑う。
「兄貴はな、こういうのだけは外さねぇ」
「騒がない」
「でも全部持っていく」
「それが商会だ」
その言葉に、妙な説得力があった。
外の空気が変わる。
――来た。
誰かが叫ぶ。
「来たぞ……!」
「貴族だ……!!」
一気に場の温度が落ちる。
門が開く音。
馬車の重い車輪。
そして――沈黙。
入ってきた男は、明らかに“別の世界”だった。
整った衣服。
揺れない姿勢。
視線は常に“下”にある。
だがそれは侮蔑ではない。
「比較する必要がない」
ただそれだけの目。
「……これが例の商会か」
貴族の声。
商人が前に出る。
「ようこそ、ハーラン商会へ」
だが――
視線は一瞬で切られる。
「お前ではない」
その一言で空気が凍る。
商人の眉がぴくりと動く。
だがその瞬間。
シルヴェストが“滑るように”前に出た。
「こちらへ」
ただそれだけ。
なのに空気が変わる。
場の主導権が、静かに移る。
貴族の視線がシルヴェストに“固定”される。
「……なるほど」
小さく呟く。
「話が通じる側か」
シルヴェストは否定しない。
「ご用件は」
「噂だ」
即答。
「石鹸、橋、そして――傷が治るという話」
空気が一段、張る。
そして視線が――少年へ落ちる。
「それを作ったのは、あれか」
少年は一歩出る。
「はい」
「名前は」
一拍。
「ライルです」
「……奴隷か」
その一言で、空気がわずかに揺れる。
商人が口を開きかける。
だが――シルヴェストが制する。
手の動き一つで止まる。
「今は関係ありません」
静かな声。
だが、その一言が“場のルール”を上書きする。
「価値がすべてです」
貴族は、そこで初めて笑った。
「いいな」
「実に分かりやすい」
その視線が少年に刺さる。
「では問おう」
空気が締まる。
「お前の“見えない敵を殺すもの”とは何だ」
その瞬間――
少年の中で何かが確定する。
(ここが分岐点だ)
そして、迷いなく答える。
「死の確率を下げる技術です」
一瞬。
世界が止まる。
貴族の目が、ほんのわずかに変わる。
“興味”が点火する瞬間。
「……面白い」
低い声。
「ならば試す価値がある」
その言葉で決まる。
これは商談ではない。
評価。
選別。
そして――支配の入口。
シルヴェストが静かに言う。
「結果はすでに出ています」
「それでも見たい」
即答。
「本物かどうかは、自分で決める」
商人が小さく笑う。
「上の人間ってのは、ほんと面倒だな」
だがその声には、拒否がない。
むしろ――興奮に近い。
場が“動いている”からだ。
少年は理解する。
(ここから先は、売る相手が違う)
商人でもない。
シルヴェストでもない。
この世界そのものだ。
貴族が立ち上がる。
「見せろ」
短い命令。
それだけで全員が動く。
シルヴェストが一歩下がる。
「準備します」
商人が肩をすくめる。
「厄介なの連れてきたな」
だが――笑っている。
少年は息を吐く。
(ここからだ)
「行きましょう」




