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潔癖×ゴミ屋敷の主

 初夏の風がカーテンを揺らす朝の教室。

 扉が勢いよく開いた。


「ねえ! カナデ! あの二人見た!?」天堂ユウナが飛び込む。

「……ユウナ、声が大きいわ」

「生徒会長と九条さん! 校門で一緒にいたんだよ!」


 朝倉カナデは本を閉じる。

「別に。不思議でもないわ」


「は!? 潔癖とゴミ屋敷だよ!?」

「そう」

「興味なさすぎでしょ!」


「ぜってー面白い馴れ初めあるだろ」と佐倉ルイ。

「興味ないわ」

 即答。


 ルイが肩をすくめる。


「九条と何かあったのか?」と瀬川カズマ。

 カナデは答えない。

「前、議論してたよね?」と三原アズサ。


「……議論にならないの」


「過程がない」


 それだけ。

 教室が一瞬止まる。


「適当ってこと?」とルイ。

「それなら楽だったわね」

 小さく首を振る。


「“合ってる”のよ

 ――でも、手順がない」


 誰も言わない。


「……チートじゃね?」とルイ。

「違うわ」

 即答。


「“分かってる”んじゃない。“そうなってる”の」

 窓の外に視線を落とす。

 言葉が、そこで一度切れる。


「カナデ?」

「……なんでもない」


 カナデは本を開き直す。


---------------------


 昼休み。窓際に机を寄せた四人の空間は、いつもより少しだけざわついていた。


「ねえねえ、あの二人やっぱりおかしくない?」とユウナ。

「成立してるのが変なんだよ」とカズマ。「あの会長だぞ?」


「神宮寺先輩って、ああいうの一番嫌いそうだよね」とアズサ。

「でしょ!?」ユウナが身を乗り出す。「なのに一緒にいるってことは——」

「弱み握られてる説」とルイ。

「だってあの部屋ヤバいって聞いたし」

「いや、それなら避けるだろ」とカズマ。

「じゃあ逆に、興味?」とユウナ。「発明とか」

「……それはあるかもな」とカズマ。「効率とか好きだし」

 一瞬、空気が落ち着く。

「合理性で繋がってるってこと?」とアズサ。

「まあ、それなら説明はつく」


 ――が。

「でもさ」とルイが袋を握る。

「その部屋、無理じゃね? 会長なら五分もいられないでしょ」

「……無理だね」とアズサ。

「だよな」とカズマ。

「じゃあやっぱ弱みじゃん」

「戻るな」


 ユウナが唸る。

「じゃあさ、“ギャップ萌え”」

「は?」

「真逆な人に惹かれるやつ!」

「それであの部屋いける?」とカズマ。


 沈黙。

 風が吹く。カーテンが揺れる。


「……なんかさ」とアズサがぽつりと落とす。

「理由、前提にしすぎじゃない?」

「うん?」

「そもそも、“理由で繋がってる感じ”しないんだよね」

 窓の外を見る。

 風が吹く。

 それだけが、残る。


 重生(しぎょう)ナオヤは何も言わず、窓際で部室棟を見ていた。


------------------


 午前中は日が差し込まない、グラウンドの東に位置する大欅(おおけやき)。その木陰に並ぶ部室棟。

 その一つの扉を、ナオヤがノックした。


 遅れて、小さな返事。

「……どうぞ」


 扉を開ける。

「やあ。九条さん」


「……何の用?」

 顔も上げずに、半田ごての先だけがわずかに動いている。


「神宮寺くんや朝倉さんが興味を持つ君に、僕も少し気になってさ」

「ふーん」


 それ以上の反応はない。


 ナオヤは室内に一歩踏み込む。

 床を埋める基板、絡み合うケーブル、用途不明の金属片。

 雑然としている——はずなのに。


(……)


 視線が、わずかに引っかかる。


 理由は分からない。

 ただ、“どこかに焦点がある気がする”。


「ねえ、重生くん」

 ネネが、ようやく顔を上げる。

 ゴーグル越しの視線が、正確にナオヤを捉えていた。


「シンギュラリティに収束した解を、低次元の推論で解きほぐすなんて……」


「ヒートデスを待つのと同じくらい、退屈な停滞だと思わない?」


 ナオヤは、わずかに笑う。

「面白い比喩だね。でも——」言いかけて、止まる。


 さっきの違和感。


 視線が、もう一度部屋をなぞる。

 同じはずの光景が、少しだけ違って見える。


「……君は、“そう見えている”前提で話してる」


 ネネは首を傾げる。

「うん?」


 ナオヤはゆっくりと一歩進む。

「……いや」


 視線が、もう一度部屋をなぞる。

「同じには見えない」


 一瞬。

 ネネの口元が、ほんのわずかに緩む。


「いいね」


「そのズレ方」

 手元を指で軽く示す。


「じゃあそこ」

 床の一点。

 他と何も変わらないはずの場所。

「そこに立って」


 ナオヤは視線を落とす。

 ただの床にしか見えない。


「そこで一回、止まって」


「“同じもの”を見てみてよ」


------------------


 昼休みのざわめきが少し落ち着いた頃。


「さっきの話、少し整理していい?」

 重生ナオヤが静かに言った。


「整理?」とルイ。


 ナオヤは軽く頷く。

「矛盾が二つある」


「一つは、神宮寺先輩の性質と、九条さんの環境が噛み合ってること」


「潔癖とあの部屋だろ」とカズマ。


「そう」

 ナオヤは視線を落とさずに続ける。


「普通は排除関係になる」


「でも、実際は成立してる」


「もう一つ

 九条さんの“無秩序”が、機能してること」


「機能?」とユウナ。


「見た目は散らかってる。でも中に入ると“破綻してない”」


 ルイが眉をひそめる。

「いや、それ一番意味わかんないやつじゃん」


「うん」ナオヤは肯定する。


「だから変なんだ」

 一瞬、空気が止まる。


 ナオヤは少しだけ間を置いて、結論の“手前”まで落とす。

「つまりね」


「二人とも、“相手に合わせて動いてる”んじゃない」

 窓の外を見る。

「先に“成立してる形”があって、そこに収まってる」


「……は?」とルイ。

「待て待て、意味わかんねえ」


「うん」ナオヤは否定しない。

「だからまだ仮説」


 ユウナが身を乗り出す。

「じゃあそれって何なの?」


 ナオヤは少しだけ視線を上げる。

「現象としては一つ」


「“理由が後から見つかる関係”」


 沈黙。


 言い切っているのに、説明は終わっていない。

 ただ、“枠”だけが置かれる。

 その時点で、すでに次に繋がる余白ができている。


 かなり、それっぽい。

 空気が落ち着く。

 納得しかける。


 そのとき。


「——それ、違うわ」

 横から、淡々とした声が落ちた。


 全員が振り向く。


 朝倉カナデ。

 いつからいたのか分からない位置に立っている。


「どこがだよ」とカズマ。


 カナデはナオヤを見る。

「あなたの言い方だと、“理由が後から発生してる”みたいに聞こえる」


「でも違うわよね?」


 ナオヤの目が、わずかに動く。

「……どういう意味?」


 カナデは即答しない。

 視線だけを少し落とす。

「あなたが今やってるのは、“理由の順序”の話じゃない」

 顔を上げる。

「“理由という形式が成立しているかどうか”の話」


 空気が一段だけ静かになる。


 ナオヤは黙る。

 否定しない。


「つまり」


「あなたの仮説は、“関係に理由がある”じゃなくて」

 少し間を置く。

「“理由として見える構造が、先に固定されてる”」


 沈黙。


 ルイが小さく口を開く。

「え、なにそれ怖」

 ユウナは固まったまま。

 カズマは理解しようとして目を細める。


 ナオヤが、初めて言葉を探すように息を吐く。

「……それだと、説明じゃなくなる」


「そうね」カナデは即答する。

「でも、今のあなたの話も説明じゃない」


「“説明できる形に整えてるだけ”」


 ナオヤはそこでようやく、少しだけ笑う。

「なるほど」

 視線を落とす。

「つまり僕の仮説は、“理由がある”じゃなくて」

 顔を上げる。

「“理由に見えるものが先にある”」


 カナデは一瞬だけ間を置く。

「ええ」


 カーテンが膨らんだ。


 そこにルイが頭を掻きながら、沈黙を破る。

「あのさあ、一人で納得しないで、ちゃんと説明してくれるかな? わっかんねえんだよ」


「いいよ。僕が見たものと、朝倉さんの話。整理して、僕なりの仮説を立ててみた」


 そう前置きすると、ナオヤの描くストーリーが展開された――


------------------


 旧校舎の隅、腐朽(ふきゅう)した大気が澱む場所に、その建物は有る。部室棟と呼ぶには余りに陰惨(いんさん)な、云わば「遺構」の様な一角。その一つの扉の前で、神宮寺ツカサは足を止めた。

 指先が、真鍮(しんちゅう)のドアノブを前にして凍り付く。


 其処(そこ)は「ラボ」と呼称されているらしい。だが、彼が脳内に描く清潔で無機質な研究室という概念とは、その佇まいが余りに乖離(かいり)していた。扉の向こう側から漏れ出る気配は、知性の探求と言うよりは、(むし)ろ業の深い蒐集(しゅうしゅう)癖のそれに近い。


 意を決し、指先に僅かな力を込める。

 (きし)んだ。錆び付いた蝶番(ちょうつがい)が、断末魔の様な乾いた音を廊下に響かせる。

 ――瞬間。

 鼻腔を突いたのは、死んだ機械の油と、(ほこり)と、そして正体不明の化学薬品が混淆(こんこう)した特有の「臭気」で有った。神宮寺は反射的にハンカチで口を覆う。


 視界に飛び込んで来たのは、無秩序の極致である。

 床を埋め尽くすのは、臓物を(さら)け出した無数の部品。血管の様にのた打ち、複雑に絡み合う配線の束。()れは(あたか)も、機械の死骸を解体し、再構築を試みんとした冒涜(ぼうとく)的な祭壇の様でも有った。足の踏み場など、元より存在しない。


 其の混沌の、まさに(へそ)とも云うべき中心に、九条ネネは居た。

 床に直に座り込み、一心不乱に何かを組み上げている。闖入者(ちんにゅうしゃ)の存在など、彼女の意識の閾値(しきいち)には届いていないらしい。


「……九条。一体、何だこの有様は。学舎の一部を、この様に私物化し、汚濁(おだく)させる権利が君に有るとでも云うのか」


 言い放つ言葉とは裏腹に、神宮寺の指先は、救いを求める様にポケットの中の「消毒用スプレー」へと伸びていた。この不浄な空間から、己の境界線を守る為の唯一の武器である。


「ねえ、会長」


 冷たい噴射口に触れた指先を、彼女の声が止めた。


「エントロピーがマクロコスモスになる瞬間の味、興味有る?」


 その瞬間、神宮寺の脳内で、言葉と光景が奇妙な混線を起こした。味? 宇宙の秩序に味が有ると云うのか。

 眩暈(めまい)がした。足元の床が、まるで液状化したかの様に揺らぐ。スプレーを掴もうとしていた右手が、拠り所を失って虚空を彷徨(さまよ)う。認識が、瓦解(がかい)し始めている。


「そこ、踏まないで頂戴」


 冷淡な、しかし有無を云わせぬ確信に満ちた声。視線は手元から動かない。唯、彼女が顎で示した先――床の一角に、辛うじて視認できる程度の、小さな×印が刻まれていた。


「……其れは、何だ」

「何だと思う? 貴方の目に映っている物が、果たして真実だと断言出来るかしら」


 神宮寺は不快げに眉根を寄せる。禅問答(ぜんもんどう)の類は好まない。だが、其の声に含まれた奇妙な磁力に抗えず、僅かな逡巡(しゅんじゅん)の末、彼はその禁じられた地点へと足を運んだ。


「目を、閉じて」

「断る。これ以上の茶番に付き合うほど、僕は暇では無い―」

「一瞬でいいから。視神経の情報を一度、リセットして」


 抗弁する気力さえ削がれた神宮寺は、一つ、重い溜息を吐いた。

 そして、瞼を閉じる。

 闇の中で、先程の機械の残骸が、網膜の残像として明滅(めいめつ)する。


 ――そして。

 ――開く。


「…………っ」


 言葉が、喉の奥で氷結した。


 先程まで、唯の「散乱した瓦落多(がらくた)」として認識されていた筈の物体が。

 意味を持たない破片の集積で有った筈の光景が。

 突如として、「一つの完結した形」として、彼の意識に充塞(じゅうそく)してきたのだ。


「……これは……アナモルフォーシス(歪像(わいぞう)極致(きょくち))、か」


 線が繋がる。

 バラバラに放置されていた筈の配線が、ある一点から見る事に依って、完璧に計算された滑らかな曲線を描き出し、無秩序に積み上げられた金属の影が、緻密(ちみつ)な計算に基づいた規則的な濃淡を形作る。


 視界の中で、宇宙の断片が、カチリと音を立てて「噛み合って」いた。


 神宮寺は、惑わされたかの様に、一歩だけ横に()れる。

 ――崩落した。

 像は一瞬で瓦解し、再び救い様の無い瓦落多(がらくた)の山へと退行する。


 もう一歩、元の位置へ戻る。

 ――結像(けつぞう)する。

 其処には、再び完璧な秩序が顕現(けんげん)した。


「つまり、貴方が見えていなかった世界。――いえ、見ようとしなかった認識の裏側よ。混沌は、観測者の立ち位置一つで、容易に絶対的秩序へと置き換わる物なの」


 ネネは、依然として此方(こちら)を見ようとはしない。視線はただ、細い煙をくゆらせる半田ごての先、その接合点に向けられている。その横顔は、神を(だま)す魔術師の様でもあり、真理を解き明かす求道者(ぐどうしゃ)の様でもあった。


 静寂が、沈殿する。

 神宮寺の視界には、依然として、其処に有る筈の無い「美しい」景色が焼き付いていた。


「……どうやら、僕は君を誤解していた様だ」


 神宮寺は静かにその言葉を吐き出し、ネネへと視線を向けた。

 ネネもまた、初めて顔を上げ、神宮寺の瞳を射抜く。


「また、此処(ここ)へ来ても()いか?」

「ええ。貴方なら、何時(いつ)でも歓迎するわ」


 その瞳は、深淵の底で仄暗(ほのぐら)い悦びに濡れたように、妖しく輝いていた。


------------------------


「――というわけだよ」

 ナオヤはそう言って、黒板に書かれた構図を軽く叩いた。


「なんか、思ってたより難しい関係だな」とカズマ。

「それって、付き合ってるって言えるの?」とユウナ。

「まあ、そういうのもあるんじゃないかな。分からなくもないかも」とアズサ。


 パタン。


 本を閉じる音。

 そして、盛大なため息。

「……あなた達が、あまりにも真面目に考えていたから」

 カナデが顔を上げる。

「言い出すタイミングを失っていたのだけれど」


 全員の視線が集まる。


「あの二人、別に付き合ってなんかいないわよ」

「はあ?」とルイ。

「私がネネに直接聞いた話」


 指を一本、立てる。

「あの部室、少し前に差し押さえられそうになってね。ネネが生徒会長に直訴しに行ったら——」


『君が僕と付き合っていることにするなら、鍵は返そう。ただし——君の生活は是正すること』

 淡々と、再現する。

「それで、彼女、渋々“そういうことにしている”だけ」


 沈黙。


「……はあああああああ?」とカズマ。

「いやいやいや、何それ」とルイ。

「脅しじゃん!」ユウナが机を叩く。

「それでいいの……?」アズサが引き気味に言う。


 教室が一気に騒がしくなる。


 ナオヤだけが、黒板を見たまま動かない。


「だから」カナデが続ける。

「いずれ破綻するわよ。前提が不自然すぎるもの」


------------------------


 一週間後。


 昼休み。窓際の四人。


「なあ、カナデ」カズマが弁当の箸を止める。

「あの二人、まだ付き合ってるんだけど」


「うんうん。しかもさ」ユウナが顔を寄せる。

「なんか距離、縮まってない?」

「は?」とルイ。

「いやだって、前より普通に近いっていうか……」言いながら、言葉を探す。

「“演技っぽさ”なくなってない?」


 少しの沈黙。


「……それはあるかもな」カズマが小さく頷く。

「前はもっとこう、分かりやすく“作ってる感”あったけど」

「今、普通に馴染んでるよね」とアズサ。


 風が吹く。カーテンが揺れる。

 全員の視線が、自然とカナデに向く。

 カナデは、本から目を上げない。


「……で?」

「で?じゃなくて」ユウナが身を乗り出す。

「鍵のやつ、もう意味なくない?」


 カナデの指が、ページの端を押さえたまま止まる。

「そうね」

 あっさり。


「意味はないわ」

「じゃあなんで続いてんの?」とルイ。


 カナデはゆっくりと本を閉じる。

 視線だけが、少し遠くを見る。


「さあ」


「最初から、関係なかったんじゃない?」


 沈黙。


「……は?」とカズマ。

「鍵のことよ」

 さらっと言う。


「理由としては成立してる。でも——」

 少しだけ間を置く。

「“それで説明できる範囲”が、最初からズレてるの」


 ユウナが固まる。

「え、どういうこと……?」


 カナデは答えない。

 ただ、窓の外を見る。

 グラウンドの向こう。部室棟。

 その一角。


「……観測に、引っ張られてるのよ」

 小さく、独り言みたいに落とす。

「最初に見つけた理由に」


「でも、あの二人は——」


 言いかけて、止める。

 ページをめくる。


「……どうでもいいわ」


 それだけ。

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