幸運×不運
朝。校門をくぐる。
視線の先に、二人。
新井コウキと、大野アゲハ。
――カキン。
乾いた音が、遅れて届く。
グラウンドから、硬球が飛んでくる。
弧を描いて、落ちてくる。
大野アゲハの頭上。
「あ……」
間に合わない。
――直撃コース。
「ストップ、アゲハ」
声。
彼女の足が止まる。
「ゴミ、付いてる」
コウキが肩に手を伸ばす。
その瞬間。
風が、横に流れた。
ボールの軌道が、わずかに逸れる。
――足元で跳ねた。
乾いた音。
アゲハは気づかない。
「あ、ありがと、コウキくん」
「いこっか」
何事もなかったように、歩き出す。
カナデは、そこで初めて止まった。
(……今の)
一行だけ、思考が走る。
(偶然?)
違う。
偶然なら、成立が“たまたま”になる。
でも今のは——
成立する方が、前提になっている。
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教室。
「みんな、ちょっといい?」
カナデの一言で、空気が止まる。
珍しい。
「今朝、少し面白いものを見たの」
視線が集まる。
「偶然でなければ、構造は説明できる」
「でも、サンプルが足りない」
ノートを閉じる。
「観測、手伝ってもらえる?」
「へー」佐倉ルイが頬杖をつく。
「それ、新井の側にメリットなくね?」
「新井くんと大野さんか」
三原アズサが思い出すように言う。
「最近、よく一緒にいるよね」
「でもさー」
天堂ユウナが首を傾げる。
「“付き合ってる”感じではないよね」
「……あいつな」
瀬川カズマが口を開く。
「この前、宝くじまとめて当ててた」
「は?」
「場所変えて買ったやつ、全部3等以内」
「は???」
「で、めんどくさいからって全部寄付」
一瞬、沈黙。
「バカじゃん」ルイ。
「いやそれ、意味わかんないでしょ」ユウナ。
カナデは黙って聞いている。
(……強すぎる)
ペンが走る。
(単独で完結している)
一行、仮説が書き換わる。
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【観測:No.1】
「……もう、私、嫌われてるのかな」
アゲハは自販機の前で立ち尽くしていた。
ボタンを押すたびに「売切」。
ようやく当たりを引いても返ってくるのは謎の硬貨の払い出し音。
「水もお茶も、私の存在を拒否してる……」
「やってみる?」
新井コウキが百円玉を入れる。
適当なボタンを押した。
──ピピピピピ!
金額表示の赤い7セグLEDが、一瞬だけ騒がしく点滅し、「7777」で停止した。
「……あれ」
次の瞬間。
ガコン、ガコン、ガコン!!
取り出し口から飲料が止まらない勢いで溢れ出す。
「ちょ、壊れた!絶対壊した!弁償コースだってこれぇ!」
アゲハはしゃがみ込む。
コーラ、お茶、缶コーヒー、しるこ缶まで床に積まれていく。
「すごいね。全部出ることあるんだ」
コウキは悪びれずに一本ずつ拾う。
「ちょうど飲みたいの揃ってる。ラッキーだね」
「ラッキーで済ませる量じゃないでしょ!」
彼は少し首を傾げて、笑う。
「じゃあ半分持ってくれる? 一人だと無理だからさ」
その普通さに、アゲハのパニックだけが行き場を失った。
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【観測:No.2】
コンビニのレジ前。
「あ、あの……すみません……」
大野アゲハの指が、小銭入れの中を空回りする。
足りない。
あと少し。
後ろに列。
視線。
舌打ち。
焦る。
——パサッ。
「ひゃあっ!?」
財布が落ちた。
小銭とカードが床に散る。
「ご、ごめんなさい……!」
しゃがみ込む。
「あ、いいよ」
横から声。
「僕出すね」
新井コウキがポケットに手を入れる。
ジャラッ。
カルトンに小銭を落とす。
「多分、これで足りる」
そのまま膝をつく。
「ゆっくりでいいよ」
カードを拾う。
店員が小銭を数える。
止まる。
もう一度見る。
——指が、わずかに止まる。
「……ちょうど、お預かりします」
「あ、よかった」
コウキは立ち上がる。
カードを差し出す。
アゲハはそれを受け取る。
「……今の」
少し間。
「あんなに適当に出して、ちょうどになることってあるの?」
「さあ」コウキは笑う。
「でも、小銭なくなった」ポケットを叩く。
「軽くなったよ」
アゲハは何も言えない。
眼の前で、
床に落ちた一円玉が、転がって止まった。
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【観測:No.3】
「……嘘でしょ。なんで誰も乗ってないの?」
駅ビルのエレベーターホール。
大野アゲハは、開いた扉の中を見て固まっていた。
無人。
いつもなら満員でブザーが鳴るか、駆け込めば扉に挟まれる。
それが“通常”のはずなのに。
「さあ? でも、すぐ乗れるね」
隣で新井コウキが、気にも留めずに言う。
チーン、と軽い音。
アゲハは吸い寄せられるように中へ入った。
――ガタッ。
扉が閉まって、数秒後。
「ひっ……!」
揺れ。
表示が消える。
停止。
非常灯だけが、ぼんやりと箱を照らした。
「閉じ込められた……終わりだ……」
アゲハはその場に崩れ落ちる。
声が震える。
「これ、絶対落ちるやつ……私、今日死ぬんだ……」
隣で、コウキは壁にもたれて座った。
「大丈夫だよ」
のんびりした声。
「静かでいいね。誰もいないし」
「よくないよ……!」
「うん。でもさ」
少しだけ考えてから、笑う。
「大野さんと二人きりになれたのは、ちょっとラッキーかも」
アゲハは顔を上げた。
「……ラッキー?」
外では誰かが騒いでいるかもしれない。
でも、この箱の中だけは妙に静かだった。
不運と強運が、同じ空間で止まっている。
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自販機、コンビニ、エレベーター。
三つの観測が終わったあと。
「って感じかな」
ユウナが満足そうに言い切る。
「いやさ」ルイが眉をひそめる。
「なんで中の会話まで分かるんだよ」
「エレベーターってさ、外からモニターで中見えるじゃん?
あと口の動きとか、雰囲気でだいたい分かるし」
「おまえ、それ普通に才能だろ……」
呆れ半分、感心半分の声。
カナデは三件分の記録をノートに書き終える。
ペンが止まる。
「……単発の偶然では説明できないわね」
トンとノートを叩く。
「むしろ、偏りすぎている」
視線がわずかに上がる。
「確率が均等に分布していない」
そこまでは、既知の現象。
だが。
「個体ごとに、結果が収束している」
それはまだ、仮説にすぎない。
カナデは窓の外に視線を向ける。
雨上がりの空は、まだどこか不均一だった。
「……なぜ、新井くんは大野さんの隣にいるのかしら」
視線が集まる。
「え?そんなの……」
言いかけて口を噤むユウナ。
誰も何も言わない。言えない。
「楽しいからでよくない?」ルイがぶった斬る。
「いやでもさ、あの二人、ちょっと空気違うんだよね」とユウナ。
「それってさ、“楽しいから一緒にいる”んじゃなくて
一緒にいるのを“楽しい”って認識してるだけじゃない?」と重生ナオヤ。
「単に、"好き"ってことじゃねえの?」とカズマ。
一瞬だけ、静まる。
カナデは全員を順に見る。
(……全部、説明にはなっていない)
ペン先がわずかに動く。
(結果の言い換えに過ぎない)
ノートに、小さく書き足す。
(関係:定義不能)
「どれも、否定はしないわ」
口元で手を組む。
「でも、それでは“なぜ隣にいるか”の説明にはならない」
視線が、少しだけ鋭くなる。
「順序が逆よ」
空が暗くなる。
降ったり止んだり、はっきりしない五月雨が、教室の空気を重くする。
「はあ、また降ってるし。湿度でセット崩れんだよな。めんどくせえ」
ルイが髪をいじる。
その言葉に、カナデの思考がわずかに止まる。
(……また?)
視線が窓へ向く。
灰色の空。歪むガラス。
(観測と一致している)
(偏りは、継続している)
指先が、ノートの端をなぞる。
(単発ではない)
水滴が、ゆっくりと線を引く。
(“状態”)
チャイムが鳴った。
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放課後。
何かを予感しているのか。ただそうしていたいのか。
カナデの周りに、いつものメンバーが集まっている。
ノートの上。
ペン先が、三つの単語の上を順に滑る。
――自販機(不具合と大当たり。本来なら1本おまけ)
――コンビニ(失敗と奇跡)
――エレベーター(満員回避と故障)
トン、と軽く叩く。
「……全部、方向が違う」小さく呟く。
「でも——」
ペン先が、三つをなぞるように線を引く。
交わらないはずの線が、一点に寄る。
「結果は、同じところに落ちている」
ペンが止まる。
カナデは椅子から立ち上がる。
ゆっくりと、机の横を一歩、歩く。
「都合よく、曲げられている」
振り返らないまま言う。
「……でも、足りない」
その場で足を止める。
沈黙。
「……大野さんってさ」アズサが零す。
「前に、結構大きい事故に遭ってるのよね」
「……?」カナデは小首を傾げる。
「笑えない、レベルの」言葉を選ぶように。
「普通なら……助かってないと思うような、事故……だったの」
(彼女、なぜそれで今まで生きているのかしら)
「あり得ないくらい軽傷で済んだって、当時ちょっと話題になってた」
(元々、不運の中に、例外が混じっている)
カナデは再び机に戻る。
ペンを持ち直す。
あの朝の情景がよぎる。
大野アゲハの頭上。
直前で不自然に逸れた、ボールの軌道。
ペン先が、円を描く。
途中で、わずかに歪む。
(単独では成立しない)
円の横に、もう一つ、点を打つ。
(でも、二つ並べば——)
その点から、線を引く。
歪みが、収まる。
ピタリと止まる。
(……収束点)
カナデは顔を上げる。
人差し指を一本、立てた。
「ならば」
「大野アゲハにとって、新井コウキそのものが」
指先が、空中でわずかに動く。
「“例外”だとすれば——」
ゆっくりと指を下ろす。
「これは恋愛でも、偶然でもない――」
言葉を選ぶ。
ほんの一瞬だけ、目を伏せる。
選びたくない語彙に、手がかかる。
「“運命”と言えるのかもしれない――」小さく、吐き出す。
―――その瞬間、視線が集まる。恐ろしくカナデに似合わない、その言葉に。
ペン先が、紙の上で止まったまま動かない。
(……だから、切れない)
「カナデ?」とユウナが覗き込む。「なんか分かっちゃった?」
「あくまでも、これは憶測よ――」
そう前置きすると、
カナデの描くストーリーが展開された――
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灰色の雲が低く垂れ込めていた。
大野アゲハは、縁石の手前で足を止めた。
この交差点で事故が起きる確率は、統計上0.3%未満。
それでも彼女は、なぜか毎回“その0.3%側”に寄る。
「……まただ」
一歩、引く。
青に変わる。
踏み出す。
その瞬間。
——キィィィィィィ!
視界の端に、車。
本来なら、この時間帯ここを通る確率はほぼゼロに近い。
「あ……」
動けない。
「おはよう、大野さん」
背後から声。
足が止まる。
その軌道が、わずかに逸れた。
風が頬をかすめた。前髪が舞い上げられる。
車は数センチの差で歩道に突っ込み、そのまま横転した。
遅れてサイレン。
「へえ」
隣で声がする。
「初めて見た」
新井コウキだった。
「……私、こういうの、たまにある」
震える声で言う。
「そうなんだ」
それだけだった。
二人は歩き出す。
頭上を影が横切る。
反射的に首をすくめる。
ベチャリ。
足元。
「あれ?」
「どうしたの?」
「……なんでもない」
次の信号。
赤。
コウキが止まる。
「あれ?」
今度はコウキだった。
「どうしたの?」
「ここで止まるの、初めてだ」
「……え?」
「いつもは青になる」
少しだけ間。
コウキがアゲハを見る。
「やっぱり」小さく笑う。
「面白いね」
アゲハは何も言えない。
ただ、隣を歩く。
距離は変わらない。
なのに。
少しだけ、世界がずれている気がした。
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「――というわけよ」カナデがノートを閉じた。
「これは、単なる偶然ではないわ」
「へー、運命ってやつ? ロマンチックね」
ユウナが笑う。
「ロマンではないわ」
即答だった。
「そう見えているだけ」
「でもさ、そこまで来たらロマンでいいだろ」
ルイが肩をすくめる。
カナデは小さく首を振る。
「納得できないの」
「この現象には、必ず“余り”が出るはずよ」
「余り?」
「エネルギーの偏りよ。
打ち消し合うなら、その分どこかに歪みが出る」
数秒、沈黙。
「……もうその時点で、お前も十分バグ側だろ」
カズマがぼそりと言った。
カナデは無視した。
「それよりさ」
アズサが身を乗り出す。
「さっき新井くんが言ってたの。“放課後、アイス奢る”って」
一瞬、空気が止まった。
「……アイス?」
カナデの声がわずかに低くなる。
「嫌な予感しかしねえな」
ルイが笑う。
「規模が読めないわね」
カナデは即座にノートを開いた。
「単発か、連鎖か、それとも――」
立ち上がる。迷いはない。
「行くのかよ」
「観測は必要よ」
カズマがため息をついた。
「ほら、行こうよ。どうせまた妙なことになってる」とユウナがルイを引っ張る。
ぞろぞろと教室を出る。
廊下に出たところで、カナデは一度だけ足を止めた。
窓の外を見る。
雨は止んでいた。
ほんのわずかに。
景色の輪郭が、ずれて見えた。
(……説明はできる)
(でも――)
言葉にはしなかった。
「カズマくん、早く来なさい」
「その速度では間に合わないわ」
「うるせえよ」
騒がしい声が、夕方の校舎に広がっていく。




