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4/5

幸運×不運

 朝。校門をくぐる。


 視線の先に、二人。

 新井コウキと、大野アゲハ。


 ――カキン。

 乾いた音が、遅れて届く。


 グラウンドから、硬球が飛んでくる。

 弧を描いて、落ちてくる。


 大野アゲハの頭上。


「あ……」

 間に合わない。


 ――直撃コース。


「ストップ、アゲハ」

 声。


 彼女の足が止まる。


「ゴミ、付いてる」


 コウキが肩に手を伸ばす。


 その瞬間。


 風が、横に流れた。


 ボールの軌道が、わずかに逸れる。


 ――足元で跳ねた。

 乾いた音。

 アゲハは気づかない。


「あ、ありがと、コウキくん」

「いこっか」

 何事もなかったように、歩き出す。


 カナデは、そこで初めて止まった。

(……今の)

 一行だけ、思考が走る。

(偶然?)


 違う。

 偶然なら、成立が“たまたま”になる。


 でも今のは——

 成立する方が、前提になっている。


------------------


 教室。


「みんな、ちょっといい?」

 カナデの一言で、空気が止まる。

 珍しい。


「今朝、少し面白いものを見たの」

 視線が集まる。

「偶然でなければ、構造は説明できる」


「でも、サンプルが足りない」

 ノートを閉じる。

「観測、手伝ってもらえる?」


「へー」佐倉ルイが頬杖をつく。

「それ、新井の側にメリットなくね?」

「新井くんと大野さんか」

 三原アズサが思い出すように言う。

「最近、よく一緒にいるよね」

「でもさー」

 天堂ユウナが首を傾げる。

「“付き合ってる”感じではないよね」


「……あいつな」

 瀬川カズマが口を開く。

「この前、宝くじまとめて当ててた」

「は?」

「場所変えて買ったやつ、全部3等以内」

「は???」

「で、めんどくさいからって全部寄付」


 一瞬、沈黙。


「バカじゃん」ルイ。

「いやそれ、意味わかんないでしょ」ユウナ。

 カナデは黙って聞いている。


(……強すぎる)

 ペンが走る。


(単独で完結している)

 一行、仮説が書き換わる。


------------------


【観測:No.1】


「……もう、私、嫌われてるのかな」


 アゲハは自販機の前で立ち尽くしていた。


 ボタンを押すたびに「売切」。

 ようやく当たりを引いても返ってくるのは謎の硬貨の払い出し音。


「水もお茶も、私の存在を拒否してる……」

「やってみる?」

 新井コウキが百円玉を入れる。

 適当なボタンを押した。


 ──ピピピピピ!

 金額表示の赤い7セグLEDが、一瞬だけ騒がしく点滅し、「7777」で停止した。


「……あれ」

 次の瞬間。

 ガコン、ガコン、ガコン!!

 取り出し口から飲料が止まらない勢いで溢れ出す。

「ちょ、壊れた!絶対壊した!弁償コースだってこれぇ!」

 アゲハはしゃがみ込む。

 コーラ、お茶、缶コーヒー、しるこ缶まで床に積まれていく。


「すごいね。全部出ることあるんだ」

 コウキは悪びれずに一本ずつ拾う。

「ちょうど飲みたいの揃ってる。ラッキーだね」

「ラッキーで済ませる量じゃないでしょ!」


 彼は少し首を傾げて、笑う。

「じゃあ半分持ってくれる? 一人だと無理だからさ」


 その普通さに、アゲハのパニックだけが行き場を失った。


-----------------------------


【観測:No.2】


 コンビニのレジ前。

「あ、あの……すみません……」

 大野アゲハの指が、小銭入れの中を空回りする。

 足りない。

 あと少し。


 後ろに列。

 視線。

 舌打ち。


 焦る。

 ——パサッ。


「ひゃあっ!?」

 財布が落ちた。

 小銭とカードが床に散る。

「ご、ごめんなさい……!」

 しゃがみ込む。

「あ、いいよ」

 横から声。


「僕出すね」

 新井コウキがポケットに手を入れる。

 ジャラッ。

 カルトンに小銭を落とす。

「多分、これで足りる」

 そのまま膝をつく。

「ゆっくりでいいよ」

 カードを拾う。


 店員が小銭を数える。

 止まる。

 もう一度見る。

 ——指が、わずかに止まる。

「……ちょうど、お預かりします」


「あ、よかった」

 コウキは立ち上がる。

 カードを差し出す。

 アゲハはそれを受け取る。


「……今の」

 少し間。

「あんなに適当に出して、ちょうどになることってあるの?」

「さあ」コウキは笑う。

「でも、小銭なくなった」ポケットを叩く。

「軽くなったよ」


 アゲハは何も言えない。


 眼の前で、

 床に落ちた一円玉が、転がって止まった。


-----------------------------


【観測:No.3】


「……嘘でしょ。なんで誰も乗ってないの?」

 駅ビルのエレベーターホール。

 大野アゲハは、開いた扉の中を見て固まっていた。


 無人。


 いつもなら満員でブザーが鳴るか、駆け込めば扉に挟まれる。

 それが“通常”のはずなのに。


「さあ? でも、すぐ乗れるね」

 隣で新井コウキが、気にも留めずに言う。

 チーン、と軽い音。

 アゲハは吸い寄せられるように中へ入った。


 ――ガタッ。

 扉が閉まって、数秒後。


「ひっ……!」

 揺れ。

 表示が消える。

 停止。

 非常灯だけが、ぼんやりと箱を照らした。


「閉じ込められた……終わりだ……」

 アゲハはその場に崩れ落ちる。

 声が震える。

「これ、絶対落ちるやつ……私、今日死ぬんだ……」


 隣で、コウキは壁にもたれて座った。

「大丈夫だよ」

 のんびりした声。

「静かでいいね。誰もいないし」

「よくないよ……!」

「うん。でもさ」


 少しだけ考えてから、笑う。


「大野さんと二人きりになれたのは、ちょっとラッキーかも」


 アゲハは顔を上げた。

「……ラッキー?」


 外では誰かが騒いでいるかもしれない。

 でも、この箱の中だけは妙に静かだった。


 不運と強運が、同じ空間で止まっている。


--------


 自販機、コンビニ、エレベーター。


 三つの観測が終わったあと。


「って感じかな」

 ユウナが満足そうに言い切る。


「いやさ」ルイが眉をひそめる。

「なんで中の会話まで分かるんだよ」


「エレベーターってさ、外からモニターで中見えるじゃん?

 あと口の動きとか、雰囲気でだいたい分かるし」


「おまえ、それ普通に才能だろ……」

 呆れ半分、感心半分の声。


 カナデは三件分の記録をノートに書き終える。

 ペンが止まる。

「……単発の偶然では説明できないわね」

 トンとノートを叩く。

「むしろ、偏りすぎている」

 視線がわずかに上がる。

「確率が均等に分布していない」

 そこまでは、既知の現象。


 だが。

「個体ごとに、結果が収束している」

 それはまだ、仮説にすぎない。

 カナデは窓の外に視線を向ける。

 雨上がりの空は、まだどこか不均一だった。

「……なぜ、新井くんは大野さんの隣にいるのかしら」


 視線が集まる。


「え?そんなの……」

 言いかけて口を噤むユウナ。


 誰も何も言わない。言えない。


「楽しいからでよくない?」ルイがぶった斬る。

「いやでもさ、あの二人、ちょっと空気違うんだよね」とユウナ。

「それってさ、“楽しいから一緒にいる”んじゃなくて

 一緒にいるのを“楽しい”って認識してるだけじゃない?」と重生(しぎょう)ナオヤ。

「単に、"好き"ってことじゃねえの?」とカズマ。


 一瞬だけ、静まる。


 カナデは全員を順に見る。

(……全部、説明にはなっていない)


 ペン先がわずかに動く。

(結果の言い換えに過ぎない)

 ノートに、小さく書き足す。


(関係:定義不能)


「どれも、否定はしないわ」

 口元で手を組む。

「でも、それでは“なぜ隣にいるか”の説明にはならない」

 視線が、少しだけ鋭くなる。

「順序が逆よ」

 空が暗くなる。

 降ったり止んだり、はっきりしない五月雨が、教室の空気を重くする。


「はあ、また降ってるし。湿度でセット崩れんだよな。めんどくせえ」

 ルイが髪をいじる。

 その言葉に、カナデの思考がわずかに止まる。


(……また?)


 視線が窓へ向く。

 灰色の空。歪むガラス。


(観測と一致している)


(偏りは、継続している)

 指先が、ノートの端をなぞる。

(単発ではない)

 水滴が、ゆっくりと線を引く。


(“状態”)


 チャイムが鳴った。


------------------


 放課後。

 何かを予感しているのか。ただそうしていたいのか。

 カナデの周りに、いつものメンバーが集まっている。


 ノートの上。

 ペン先が、三つの単語の上を順に滑る。


 ――自販機(不具合と大当たり。本来なら1本おまけ)

 ――コンビニ(失敗と奇跡)

 ――エレベーター(満員回避と故障)


 トン、と軽く叩く。


「……全部、方向が違う」小さく呟く。


「でも——」

 ペン先が、三つをなぞるように線を引く。

 交わらないはずの線が、一点に寄る。


「結果は、同じところに落ちている」


 ペンが止まる。


 カナデは椅子から立ち上がる。

 ゆっくりと、机の横を一歩、歩く。


「都合よく、曲げられている」

 振り返らないまま言う。


「……でも、足りない」

 その場で足を止める。


 沈黙。


「……大野さんってさ」アズサが零す。

「前に、結構大きい事故に遭ってるのよね」

「……?」カナデは小首を傾げる。

「笑えない、レベルの」言葉を選ぶように。

「普通なら……助かってないと思うような、事故……だったの」


(彼女、なぜそれで今まで生きているのかしら)


「あり得ないくらい軽傷で済んだって、当時ちょっと話題になってた」


(元々、不運の中に、例外が混じっている)


 カナデは再び机に戻る。

 ペンを持ち直す。


 あの朝の情景がよぎる。

 大野アゲハの頭上。

 直前で不自然に逸れた、ボールの軌道。


 ペン先が、円を描く。

 途中で、わずかに歪む。

(単独では成立しない)

 円の横に、もう一つ、点を打つ。


(でも、二つ並べば——)

 その点から、線を引く。

 歪みが、収まる。


 ピタリと止まる。

(……収束点)


 カナデは顔を上げる。

 人差し指を一本、立てた。

「ならば」


「大野アゲハにとって、新井コウキそのものが」

 指先が、空中でわずかに動く。

「“例外”だとすれば——」

 ゆっくりと指を下ろす。


「これは恋愛でも、偶然でもない――」


 言葉を選ぶ。

 ほんの一瞬だけ、目を伏せる。


 選びたくない語彙に、手がかかる。


「“運命”と言えるのかもしれない――」小さく、吐き出す。


 ―――その瞬間、視線が集まる。恐ろしくカナデに似合わない、その言葉に。


 ペン先が、紙の上で止まったまま動かない。


(……だから、切れない)


「カナデ?」とユウナが覗き込む。「なんか分かっちゃった?」


「あくまでも、これは憶測よ――」


 そう前置きすると、

 カナデの描くストーリーが展開された――


------------------


 灰色の雲が低く垂れ込めていた。


 大野アゲハは、縁石の手前で足を止めた。

 この交差点で事故が起きる確率は、統計上0.3%未満。


 それでも彼女は、なぜか毎回“その0.3%側”に寄る。


「……まただ」

 一歩、引く。


 青に変わる。

 踏み出す。


 その瞬間。


 ——キィィィィィィ!


 視界の端に、車。


 本来なら、この時間帯ここを通る確率はほぼゼロに近い。


「あ……」


 動けない。


「おはよう、大野さん」


 背後から声。


 足が止まる。


 その軌道が、わずかに逸れた。


 風が頬をかすめた。前髪が舞い上げられる。


 車は数センチの差で歩道に突っ込み、そのまま横転した。


 遅れてサイレン。


「へえ」

 隣で声がする。


「初めて見た」

 新井コウキだった。


「……私、こういうの、たまにある」

 震える声で言う。


「そうなんだ」

 それだけだった。

 二人は歩き出す。


 頭上を影が横切る。


 反射的に首をすくめる。


 ベチャリ。


 足元。


「あれ?」

「どうしたの?」

「……なんでもない」


 次の信号。

 赤。


 コウキが止まる。


「あれ?」

 今度はコウキだった。


「どうしたの?」

「ここで止まるの、初めてだ」

「……え?」

「いつもは青になる」


 少しだけ間。

 コウキがアゲハを見る。


「やっぱり」小さく笑う。

「面白いね」


 アゲハは何も言えない。

 ただ、隣を歩く。


 距離は変わらない。

 なのに。


 少しだけ、世界がずれている気がした。


-------------------------


「――というわけよ」カナデがノートを閉じた。

「これは、単なる偶然ではないわ」


「へー、運命ってやつ? ロマンチックね」

 ユウナが笑う。

「ロマンではないわ」

 即答だった。

「そう見えているだけ」


「でもさ、そこまで来たらロマンでいいだろ」

 ルイが肩をすくめる。

 カナデは小さく首を振る。

「納得できないの」

「この現象には、必ず“余り”が出るはずよ」

「余り?」


「エネルギーの偏りよ。

 打ち消し合うなら、その分どこかに歪みが出る」


 数秒、沈黙。


「……もうその時点で、お前も十分バグ側だろ」

 カズマがぼそりと言った。


 カナデは無視した。


「それよりさ」

 アズサが身を乗り出す。

「さっき新井くんが言ってたの。“放課後、アイス奢る”って」


 一瞬、空気が止まった。


「……アイス?」

 カナデの声がわずかに低くなる。


「嫌な予感しかしねえな」

 ルイが笑う。


「規模が読めないわね」

 カナデは即座にノートを開いた。

「単発か、連鎖か、それとも――」


 立ち上がる。迷いはない。


「行くのかよ」

「観測は必要よ」

 カズマがため息をついた。

「ほら、行こうよ。どうせまた妙なことになってる」とユウナがルイを引っ張る。


 ぞろぞろと教室を出る。


 廊下に出たところで、カナデは一度だけ足を止めた。

 窓の外を見る。

 雨は止んでいた。


 ほんのわずかに。

 景色の輪郭が、ずれて見えた。


(……説明はできる)


(でも――)


 言葉にはしなかった。


「カズマくん、早く来なさい」

「その速度では間に合わないわ」

「うるせえよ」


 騒がしい声が、夕方の校舎に広がっていく。


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