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3/5

最強×最弱

 朝。校舎へ続く舗装路は、湿った空気を孕んでいる。

 朝倉カナデは、いつも通りの速度で校門を抜ける。


 視線の先に、中野レイカ。

 背筋を伸ばし、周囲を切り取るみたいに歩いている。


 時折くしゃみ。


 その隣。


 田辺ミチル。


 ジャージ姿。肩が落ちている。

 歩幅は半歩遅れ、視線は足元。


 すれ違いざまに、男子が小さく舌打ちする。

 ミチルの体がびくりと揺れる。


 その瞬間。


「――やめなさい」低い声。

 中野レイカが、振り向かずに言う。


 それだけで、空気が止まる。

 舌打ちした男子が、視線を逸らす。


 ミチルは何も言わない。

 ただ、少しだけレイカとの距離が縮まる。


(……組み合わせとしては、不自然)

 カナデの視線がミチルに向く。


 その瞬間。


 視線が刺さる。


 カナデは顔を上げる。


 中野レイカと、目が合う。

 逸らさない。


 数秒。


 カナデは先に視線を切った。


(威嚇)


 分類だけして、前を見る。

 そのまま歩き出した。


-----------------------


 休み時間。湿気が残っている。


 天堂ユウナが机に手をつく。

「ねえ、朝の二人、見た? 中野さんと田辺くん」

 佐倉ルイがスマホから顔を上げる。

「あー、あの組み合わせ? ありえねーだろ。風紀委員長と田辺だぞ」

「例えるなら?」ユウナが乗る。

「……松◯のカレーについてる味噌汁って感じ」

 ルイは髪を指で巻きながら笑った。

「余計わかんない」


 三原アズサがノートを閉じる。

「でも、接点はないよね。中学も違うし、部活も被ってないし」

 三人の視線が揃う。


 カナデはまだ書いている。

 ペンが止まらない。


「ね、カナデ。どう思う?」覗き込む。

 一本、線を引く。

 そこで止める。

 顔を上げる。

「……データが足りないわね」

 即答。

 間を置かない。

「観測できたのは“並んでいた”という事実だけ。それ以上は推定になる」

 ノートを閉じる。

「少なくとも、自然発生の関係ではない」


 ユウナが身を乗り出す。

「え、なにそれ。もう分かってんじゃん」

「仮説よ」カナデは視線を窓の外に向ける。


「関係が先にあったとは考えにくい」

 ペン先をわずかに浮かせる。


「なら——」空中で一度、止める。


「関係が“作られた”と考える方が、整合性が取れる」


-----------------------


 雨上がり。湿った空気が教室に残っている。

 放課後、いつものメンバーが自然と集まっていた。


 カナデのノートに、断片が並ぶ。


 ――朝の記録。

 田辺ミチルはジャージ。中野レイカは洗いたての制服。


「……昨日の雨ね」


 ペン先が走る。


「田辺くんの制服は使えない。だからジャージは妥当」

「でも——」


 視線が止まる。


「そこまで濡れる位置にいた理由がない」


 次の行。

 ――浜田タカト。雨の日の前日に中野レイカの報告によって停学一週間。


「表向きは素行不良。でも、クラス内では人気が高い」


 瀬川カズマが口を挟む。

「……今のイメージとは程遠いけど、あいつ、中学の頃クラスの田辺を見下してて、あんまり気分よくなかったんだよな」


「あとさ、被害者の名前が出てねえ。そこだけ妙に隠してる」


 さらに。

 ――上田アツシ。同時期に左頬に絆創膏。


「でも誰にやられたかは、先輩は教えてくんなかった」

 ルイが爪を磨きながら肩をすくめる。


 点が、ゆっくり繋がる。


 田辺を追い詰めていたはずの浜田が、処分されている。

 同時に、上田が誰かに殴られている。


 カナデはペンを止めた。


(……違う。何か欠けている)


 カズマはカナデを見つめている。

 だが何も言わずに教室を出ていく。


-----------------------


 夕方。住宅街。

 カズマは足を止めた。


「……ここだな」

 表札を確認する。『浜田』。

 チャイムを押そうとした、その時。


 門の内側に先客がいた。


 玄関の前。

 濡れたタイルの上で、金光(かねみつ)モトヤが立ち尽くしている。


 カズマは、呼び鈴には、まだ触れていない。


「……モトヤ?」

 カズマの声に、びくりと肩が跳ねる。

 振り返った顔は、妙に白い。

「……あ、瀬川くん」

 笑おうとして、失敗する。


 沈黙。

 モトヤの視線が、扉に落ちる。


「お前」カズマが言う。「ここで……なにやって――」

「違うんだ」

 食い気味だった。

 自分でも驚いたみたいに、モトヤが口を押さえる。

 それでも、止まらない。

「……僕、ちゃんと、言わないと、いけなくて」肩が震えている。


 ――ガチャリ。

 前触れもなく、扉が開いた。


「……? 金光か」浜田タカトが出てくる。

 一瞬だけ、カズマを見る。何も言わない。

 モトヤは一歩下がる。逃げるみたいに。

「……ごめん、浜田くん」声が細い。

「僕のせいで――」

「いいって」被せる。

 間がない。

 タカトは玄関の枠に肩を預けたまま、目線だけを落とす。

「気にすんな」


 それだけ。

 短い。軽い。

 でも、終わらせるための言い方だった。


 モトヤは何も言えなくなる。代わりに、小さく頭を下げた。

 それ以上は、踏み込めない。


 沈黙。


 カズマは、そのやり取りを見ていた。


 ――軽すぎる。

 謝罪も。

 許しも。


 言葉が、浮いている。


-----------------------


 次の日。昼休み。

 いつものように、昼食を取りながら、ユウナとルイが騒いでいる。


 その中に、カズマの声が落ちた。

「カナデ」


 カナデが顔を上げる。

「あら、カズマ……どうしたの?」


 カズマは少しだけ言葉を選ぶ。

「昨日、浜田んちに行ったらさ。金光(かねみつ)モトヤが来てて」


「浜田に謝ってた」

 カナデの視線が、わずかに止まる。

「……金光、モトヤ?」首を傾げる。


「浜田とは別の中学。……田辺みたいなタイプだな」

「……そう」短く受け取る。


「で、謝罪の内容は?」

「そこがよく分かんねえんだよ」カズマが眉を寄せる。

「“僕のせいで”って言ってた。でも、浜田の反応が軽くてさ」

 視線が少しだけ逸れる。

「……あいつ、ああいうとき、あんな風に流すやつじゃねえ」


 一瞬だけ沈黙。


 カナデはノートに視線を落とす。


 ——書く。

(謝罪:金光→浜田)

(反応:軽い)


 一行。

(不一致)


「ねえ、カズマくん。もう一つだけ確認させて」

「ん?」

「田辺くんが“今みたいな状態になった時期”、知ってる?」


 ――視界の端に、朝の光景がよぎる。

 中野レイカの隣で、視線を落としていた田辺ミチル。


「は? なんで今それが出てくんだ?」

 カナデは答えない。視線だけが残る。


「……まあ、十中八九、中学の頃の浜田のせいだろ」

「でもあいつが、決定的に何かしたっていうより、ずっと“そういう空気”作ってた感じだな。

 気づいたら、田辺はもうああなってた」


「これでいいか?」

 カナデは小さく頷く。


 ——追記。

(影響:継続)


 ペンが止まる。


「——なるほど」

 視線が集まる。


「全く分かんねえんだけど、結局、どういうことなんだ?」

 カナデは一度だけ瞬きをする。

 視線は、どこにも合っていない。

「中心点が、少し違っていたの」


「……いえ」わずかに、言い直す。

「中心が、なかった」

 それだけ。


 ノートは開かれたまま。


「ちょっと見せてよ。朝倉さん」

 声が降ってくる。


 重生ナオヤがノートを覗き込む。

 しばらく黙って、それから言う。


「……これ、たぶん“中心がない”んじゃなくてさ」

 視線を下げてノートを斜めに俯瞰する。

「見てる位置で、中心っぽく見えてるだけじゃない?」


「例えば、ここ」指先で軽く線をなぞる。

「これ、関係っていうより、“そう見える並び”なんじゃない?」

 カナデはノートを見つめる。


(……これなら、説明はできる)

 手を顎に当てる。


 すぐに、トン、とノートに置く。

(でも)

 言葉にならない違和が、残る。


「なになに、もう分かっちゃった?」ユウナが覗き込む。

 すぐに眉が寄る。

「え? これで分かるの?ナオヤくん」


「分かるっていうか、そう見えるだけだよ」とにこやかに言う。


「あのさあ、聞いててわかんねえし、ちゃんと説明してくんねえ?」

 ルイが爪を磨く手を止めて近寄ってくる。


「いいわ。ナオヤくんの案で。でも――」

 ノートの上に視線を落とす。


(“結びつかない”という結論すら、まだ仮説)


「……続けるわ」


 カナデはそう前置きすると、ストーリーを展開する――


-----------------------


 放課後の校舎裏。体育館の壁は湿っている。

 その影に、金光(かねみつ)モトヤが押し込まれていた。


「おい、金光」

 上田アツシが笑う。歯が見える。目は笑っていない。

 肩を抱くふりで、逃げ道を塞ぐ。

「昨日ゲーム機、売ったんだろ。金、あるよな」モトヤの喉が鳴る。

「……あれは、お母さんに返せって――」

「は?」声が低くなる。

 胸ぐらが掴まれる。布が引きつる音。

「聞こえねえよ。ナメてんのか」拳が上がる。


 その手首が、掴まれる。


「――離せよ、アツシ」声だけが先に来る。

 一歩遅れて、背後からから人影。


 浜田タカトだった。


 第一ボタンが外れている。

 まっすぐ、アツシだけを見ている。

「……あァ?タカト。おめーは関係ねえだろ」


「しらねーよ」間を置かない。


「お前のやってん事が、ムカつくん――」

 タカトが一歩近づく。靴底が砂を噛む。

「――だよ!!」


「…っ!!」

 拳が入る。鈍い音。

 アツシの体が横に流れて、そのまま地面に落ちる。


「……っ、てえな!」


 タカトは追わない。

 ただ見下ろす。


「見ててムカつくんだよ」

 静かな声。

 理由はそれだけじゃなかったが、説明はしなかった。

「次やったら、今日で終わりじゃ済まねえ」


 アツシが舌打ちする。

 立ち上がり、距離を取る。

「……覚えてろよ」背を向ける。

 足音が遠ざかる。


 残るのは、呼吸の音だけ。

 モトヤはその場に崩れたまま動けない。


「……浜田くん、ごめん」

「謝んな」

 短い。


 タカトが手を差し出す。

 モトヤは少し迷って、それを掴む。


「帰るぞ」立たせる。

「腹減った」ポケットを探る仕草。

「飯奢ってやるわ」


 夕日が差す。

 タカトの背中が先に歩き出す。


 モトヤは一歩遅れてついていく。


 ――そこへ。


 足音が割り込んだ。


 乾いた、一定のリズム。


「――そこまでよ、浜田タカト」

 タカトが振り向く。

 モトヤの肩に置いていた手が離れる。


 校舎の角。

 中野レイカが立っていた。


 腕章。視線はまっすぐ。瞬きが少ない。


「……中野か」舌打ちとともに、タカトの声が落ちる。


 レイカは一歩、距離を詰める。

 靴音が止まる。

「見ていたわ。一部始終」手帳を開く。ペン先が紙に触れる。

「理由は問わない。校内での暴力行為は禁止。それが規則よ」


「待ってください!」モトヤが前に出る。足がもつれる。

「浜田くんは――」


「下がって」被せる。

 ペンが走る。音が短い。


「事情は把握しているわ。それでも結論は同じ。暴力は暴力」

 ページが閉じる。


「報告する。停学処分。期間は――数週間」

 視線がタカトに固定される。

「異論は?」

 タカトの舌打ちが一つ。


 拳が握られる。

 すぐに、ほどける。


 横で震えているモトヤを見る。

 もう一度、レイカを見る。


「……ねえな」

 短い。

「破ったのは、俺だ」


「浜田くん……」モトヤが近づく。


 タカトが手で制す。

 そのままカバンを肩にかける。


「中野」とタカトが呼ぶ。

「お前がルール守るのが仕事なら――」

 一歩、すれ違う距離まで寄る。


「俺はダチ守る」視線が一瞬だけ交差する。


「後悔はしねえ」それだけ。


 背を向ける。歩き出す。

「金光、またな」


 視線を一瞬レイカに戻す。


「……仕事、ご苦労さん」すぐ逸らす。

 足音が遠ざかる。振り返らない。


 夕日が伸びる。影が長くなる。


 レイカは動かない。

 手帳を閉じたまま、タカトの背中を見ている。


 雨の匂いがした。


-----


 翌朝。雨が強い。


 校門前。

 中野レイカは動かない。


 傘はない。

 制服が重くなっていく。


「鉄仮面がよ」

「やりすぎなんだよ、お前」

 声が飛ぶ。近い。遠い。混ざる。


「警察気取りして、楽しいか?」


 レイカは返さない。

 ただ、立っている。


 その前に、人影が割り込む。


「ん? おい、田辺」

 呼ばれて、びくりと肩が跳ねる。


「同じクラスだろ。なんか言えよ」

 囲まれる。

 距離が詰まる。


 田辺ミチルの喉が鳴る。


 一歩、出る。


 ――次の瞬間。


「ひ、ひぃぃっ! すみませんんん!」


 崩れる。

 放り投げられた傘が跳ねる。


 水たまりに膝。

 両手をつく。泥が跳ねる。


「申し訳、ありませんッ!」


 額が落ちる。音がする。

 雨が叩く。背中を打つ。


「ぼ、僕も謝ります! 中野さんの分も、僕が――!」

 言葉が絡む。噛む。それでも続ける。


「だから、だから……」震えている。

 止まらない。

「許してください……この通りです!!」


 誰も動かない。


 音が、少しだけ減る。


「……は?」


 誰かが言う。


「なにやってんだこいつ」


 別の声。


「いや……」

 間。

「……あれ、庇ってんじゃねえの?」


 視線が集まる。


 泥に額を押しつけたまま、ミチルは顔を上げない。

 ただ、そこにいる。

 レイカの隣に。


 レイカの視界が、落ちる。


 そこに、いる。

 ずぶ濡れで、情けない姿。

 ――離れない。


 レイカの瞳が、わずかに揺れる。


(……どうして)

 小さく首を振る。


(馬鹿なの)


 雨音が戻る。


 さっきより、少しだけ弱い。


------------------------


「――というわけ」カナデがノートを閉じる。

「これは、誰かが原因で起きた現象ではないわ」

「関係そのものが、原因を必要としない形で成立している」


「……なにそれ」

 ユウナが顔をしかめる。

「怖。バグってんじゃん」

「まあ、そういうことだろ」

 ルイが肩をすくめる。

「噛み合っちゃった系、ってやつ?」

 マニキュアを塗る手を止めない。

「……でも」

 アズサが小さく言う。

「あの二人、ちょっとだけ分かる気もする」


 誰もすぐには返さない。


 カナデは何も言わない。


「私は、不整合なデータを整理しただけよ」


「それ以上でも、それ以下でもないわ」

 それだけ置く。

 ナオヤは曖昧に微笑むだけ。


「はいはい、出ました」

 ユウナが笑う。

「で? カズマくんはどう思うわけ?」


 視線が向く。

 カズマは一瞬ナオヤを見て、すぐに窓の外に戻す。


「……別に」


「カナデの言ってること、間違ってねえとは思う」

 少しだけ視線を落とす。

「でも、なんか気持ち悪い」


 それだけ。


(行動としては説明できる)

 チャイムが鳴る。

(自己保身の極端な形)

 カナデは立ち上がる。

(……でも)


(なぜそれで隣に立つ?)


 一瞬、思考が巻き戻る。


 朝の校門。

 中野レイカと田辺ミチル。

 雨上がりの湿気の中、並んで歩く二人。


 距離は近い。

 なのに、繋がらない。

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