最強×最弱
朝。校舎へ続く舗装路は、湿った空気を孕んでいる。
朝倉カナデは、いつも通りの速度で校門を抜ける。
視線の先に、中野レイカ。
背筋を伸ばし、周囲を切り取るみたいに歩いている。
時折くしゃみ。
その隣。
田辺ミチル。
ジャージ姿。肩が落ちている。
歩幅は半歩遅れ、視線は足元。
すれ違いざまに、男子が小さく舌打ちする。
ミチルの体がびくりと揺れる。
その瞬間。
「――やめなさい」低い声。
中野レイカが、振り向かずに言う。
それだけで、空気が止まる。
舌打ちした男子が、視線を逸らす。
ミチルは何も言わない。
ただ、少しだけレイカとの距離が縮まる。
(……組み合わせとしては、不自然)
カナデの視線がミチルに向く。
その瞬間。
視線が刺さる。
カナデは顔を上げる。
中野レイカと、目が合う。
逸らさない。
数秒。
カナデは先に視線を切った。
(威嚇)
分類だけして、前を見る。
そのまま歩き出した。
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休み時間。湿気が残っている。
天堂ユウナが机に手をつく。
「ねえ、朝の二人、見た? 中野さんと田辺くん」
佐倉ルイがスマホから顔を上げる。
「あー、あの組み合わせ? ありえねーだろ。風紀委員長と田辺だぞ」
「例えるなら?」ユウナが乗る。
「……松◯のカレーについてる味噌汁って感じ」
ルイは髪を指で巻きながら笑った。
「余計わかんない」
三原アズサがノートを閉じる。
「でも、接点はないよね。中学も違うし、部活も被ってないし」
三人の視線が揃う。
カナデはまだ書いている。
ペンが止まらない。
「ね、カナデ。どう思う?」覗き込む。
一本、線を引く。
そこで止める。
顔を上げる。
「……データが足りないわね」
即答。
間を置かない。
「観測できたのは“並んでいた”という事実だけ。それ以上は推定になる」
ノートを閉じる。
「少なくとも、自然発生の関係ではない」
ユウナが身を乗り出す。
「え、なにそれ。もう分かってんじゃん」
「仮説よ」カナデは視線を窓の外に向ける。
「関係が先にあったとは考えにくい」
ペン先をわずかに浮かせる。
「なら——」空中で一度、止める。
「関係が“作られた”と考える方が、整合性が取れる」
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雨上がり。湿った空気が教室に残っている。
放課後、いつものメンバーが自然と集まっていた。
カナデのノートに、断片が並ぶ。
――朝の記録。
田辺ミチルはジャージ。中野レイカは洗いたての制服。
「……昨日の雨ね」
ペン先が走る。
「田辺くんの制服は使えない。だからジャージは妥当」
「でも——」
視線が止まる。
「そこまで濡れる位置にいた理由がない」
次の行。
――浜田タカト。雨の日の前日に中野レイカの報告によって停学一週間。
「表向きは素行不良。でも、クラス内では人気が高い」
瀬川カズマが口を挟む。
「……今のイメージとは程遠いけど、あいつ、中学の頃クラスの田辺を見下してて、あんまり気分よくなかったんだよな」
「あとさ、被害者の名前が出てねえ。そこだけ妙に隠してる」
さらに。
――上田アツシ。同時期に左頬に絆創膏。
「でも誰にやられたかは、先輩は教えてくんなかった」
ルイが爪を磨きながら肩をすくめる。
点が、ゆっくり繋がる。
田辺を追い詰めていたはずの浜田が、処分されている。
同時に、上田が誰かに殴られている。
カナデはペンを止めた。
(……違う。何か欠けている)
カズマはカナデを見つめている。
だが何も言わずに教室を出ていく。
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夕方。住宅街。
カズマは足を止めた。
「……ここだな」
表札を確認する。『浜田』。
チャイムを押そうとした、その時。
門の内側に先客がいた。
玄関の前。
濡れたタイルの上で、金光モトヤが立ち尽くしている。
カズマは、呼び鈴には、まだ触れていない。
「……モトヤ?」
カズマの声に、びくりと肩が跳ねる。
振り返った顔は、妙に白い。
「……あ、瀬川くん」
笑おうとして、失敗する。
沈黙。
モトヤの視線が、扉に落ちる。
「お前」カズマが言う。「ここで……なにやって――」
「違うんだ」
食い気味だった。
自分でも驚いたみたいに、モトヤが口を押さえる。
それでも、止まらない。
「……僕、ちゃんと、言わないと、いけなくて」肩が震えている。
――ガチャリ。
前触れもなく、扉が開いた。
「……? 金光か」浜田タカトが出てくる。
一瞬だけ、カズマを見る。何も言わない。
モトヤは一歩下がる。逃げるみたいに。
「……ごめん、浜田くん」声が細い。
「僕のせいで――」
「いいって」被せる。
間がない。
タカトは玄関の枠に肩を預けたまま、目線だけを落とす。
「気にすんな」
それだけ。
短い。軽い。
でも、終わらせるための言い方だった。
モトヤは何も言えなくなる。代わりに、小さく頭を下げた。
それ以上は、踏み込めない。
沈黙。
カズマは、そのやり取りを見ていた。
――軽すぎる。
謝罪も。
許しも。
言葉が、浮いている。
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次の日。昼休み。
いつものように、昼食を取りながら、ユウナとルイが騒いでいる。
その中に、カズマの声が落ちた。
「カナデ」
カナデが顔を上げる。
「あら、カズマ……どうしたの?」
カズマは少しだけ言葉を選ぶ。
「昨日、浜田んちに行ったらさ。金光モトヤが来てて」
「浜田に謝ってた」
カナデの視線が、わずかに止まる。
「……金光、モトヤ?」首を傾げる。
「浜田とは別の中学。……田辺みたいなタイプだな」
「……そう」短く受け取る。
「で、謝罪の内容は?」
「そこがよく分かんねえんだよ」カズマが眉を寄せる。
「“僕のせいで”って言ってた。でも、浜田の反応が軽くてさ」
視線が少しだけ逸れる。
「……あいつ、ああいうとき、あんな風に流すやつじゃねえ」
一瞬だけ沈黙。
カナデはノートに視線を落とす。
——書く。
(謝罪:金光→浜田)
(反応:軽い)
一行。
(不一致)
「ねえ、カズマくん。もう一つだけ確認させて」
「ん?」
「田辺くんが“今みたいな状態になった時期”、知ってる?」
――視界の端に、朝の光景がよぎる。
中野レイカの隣で、視線を落としていた田辺ミチル。
「は? なんで今それが出てくんだ?」
カナデは答えない。視線だけが残る。
「……まあ、十中八九、中学の頃の浜田のせいだろ」
「でもあいつが、決定的に何かしたっていうより、ずっと“そういう空気”作ってた感じだな。
気づいたら、田辺はもうああなってた」
「これでいいか?」
カナデは小さく頷く。
——追記。
(影響:継続)
ペンが止まる。
「——なるほど」
視線が集まる。
「全く分かんねえんだけど、結局、どういうことなんだ?」
カナデは一度だけ瞬きをする。
視線は、どこにも合っていない。
「中心点が、少し違っていたの」
「……いえ」わずかに、言い直す。
「中心が、なかった」
それだけ。
ノートは開かれたまま。
「ちょっと見せてよ。朝倉さん」
声が降ってくる。
重生ナオヤがノートを覗き込む。
しばらく黙って、それから言う。
「……これ、たぶん“中心がない”んじゃなくてさ」
視線を下げてノートを斜めに俯瞰する。
「見てる位置で、中心っぽく見えてるだけじゃない?」
「例えば、ここ」指先で軽く線をなぞる。
「これ、関係っていうより、“そう見える並び”なんじゃない?」
カナデはノートを見つめる。
(……これなら、説明はできる)
手を顎に当てる。
すぐに、トン、とノートに置く。
(でも)
言葉にならない違和が、残る。
「なになに、もう分かっちゃった?」ユウナが覗き込む。
すぐに眉が寄る。
「え? これで分かるの?ナオヤくん」
「分かるっていうか、そう見えるだけだよ」とにこやかに言う。
「あのさあ、聞いててわかんねえし、ちゃんと説明してくんねえ?」
ルイが爪を磨く手を止めて近寄ってくる。
「いいわ。ナオヤくんの案で。でも――」
ノートの上に視線を落とす。
(“結びつかない”という結論すら、まだ仮説)
「……続けるわ」
カナデはそう前置きすると、ストーリーを展開する――
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放課後の校舎裏。体育館の壁は湿っている。
その影に、金光モトヤが押し込まれていた。
「おい、金光」
上田アツシが笑う。歯が見える。目は笑っていない。
肩を抱くふりで、逃げ道を塞ぐ。
「昨日ゲーム機、売ったんだろ。金、あるよな」モトヤの喉が鳴る。
「……あれは、お母さんに返せって――」
「は?」声が低くなる。
胸ぐらが掴まれる。布が引きつる音。
「聞こえねえよ。ナメてんのか」拳が上がる。
その手首が、掴まれる。
「――離せよ、アツシ」声だけが先に来る。
一歩遅れて、背後からから人影。
浜田タカトだった。
第一ボタンが外れている。
まっすぐ、アツシだけを見ている。
「……あァ?タカト。おめーは関係ねえだろ」
「しらねーよ」間を置かない。
「お前のやってん事が、ムカつくん――」
タカトが一歩近づく。靴底が砂を噛む。
「――だよ!!」
「…っ!!」
拳が入る。鈍い音。
アツシの体が横に流れて、そのまま地面に落ちる。
「……っ、てえな!」
タカトは追わない。
ただ見下ろす。
「見ててムカつくんだよ」
静かな声。
理由はそれだけじゃなかったが、説明はしなかった。
「次やったら、今日で終わりじゃ済まねえ」
アツシが舌打ちする。
立ち上がり、距離を取る。
「……覚えてろよ」背を向ける。
足音が遠ざかる。
残るのは、呼吸の音だけ。
モトヤはその場に崩れたまま動けない。
「……浜田くん、ごめん」
「謝んな」
短い。
タカトが手を差し出す。
モトヤは少し迷って、それを掴む。
「帰るぞ」立たせる。
「腹減った」ポケットを探る仕草。
「飯奢ってやるわ」
夕日が差す。
タカトの背中が先に歩き出す。
モトヤは一歩遅れてついていく。
――そこへ。
足音が割り込んだ。
乾いた、一定のリズム。
「――そこまでよ、浜田タカト」
タカトが振り向く。
モトヤの肩に置いていた手が離れる。
校舎の角。
中野レイカが立っていた。
腕章。視線はまっすぐ。瞬きが少ない。
「……中野か」舌打ちとともに、タカトの声が落ちる。
レイカは一歩、距離を詰める。
靴音が止まる。
「見ていたわ。一部始終」手帳を開く。ペン先が紙に触れる。
「理由は問わない。校内での暴力行為は禁止。それが規則よ」
「待ってください!」モトヤが前に出る。足がもつれる。
「浜田くんは――」
「下がって」被せる。
ペンが走る。音が短い。
「事情は把握しているわ。それでも結論は同じ。暴力は暴力」
ページが閉じる。
「報告する。停学処分。期間は――数週間」
視線がタカトに固定される。
「異論は?」
タカトの舌打ちが一つ。
拳が握られる。
すぐに、ほどける。
横で震えているモトヤを見る。
もう一度、レイカを見る。
「……ねえな」
短い。
「破ったのは、俺だ」
「浜田くん……」モトヤが近づく。
タカトが手で制す。
そのままカバンを肩にかける。
「中野」とタカトが呼ぶ。
「お前がルール守るのが仕事なら――」
一歩、すれ違う距離まで寄る。
「俺はダチ守る」視線が一瞬だけ交差する。
「後悔はしねえ」それだけ。
背を向ける。歩き出す。
「金光、またな」
視線を一瞬レイカに戻す。
「……仕事、ご苦労さん」すぐ逸らす。
足音が遠ざかる。振り返らない。
夕日が伸びる。影が長くなる。
レイカは動かない。
手帳を閉じたまま、タカトの背中を見ている。
雨の匂いがした。
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翌朝。雨が強い。
校門前。
中野レイカは動かない。
傘はない。
制服が重くなっていく。
「鉄仮面がよ」
「やりすぎなんだよ、お前」
声が飛ぶ。近い。遠い。混ざる。
「警察気取りして、楽しいか?」
レイカは返さない。
ただ、立っている。
その前に、人影が割り込む。
「ん? おい、田辺」
呼ばれて、びくりと肩が跳ねる。
「同じクラスだろ。なんか言えよ」
囲まれる。
距離が詰まる。
田辺ミチルの喉が鳴る。
一歩、出る。
――次の瞬間。
「ひ、ひぃぃっ! すみませんんん!」
崩れる。
放り投げられた傘が跳ねる。
水たまりに膝。
両手をつく。泥が跳ねる。
「申し訳、ありませんッ!」
額が落ちる。音がする。
雨が叩く。背中を打つ。
「ぼ、僕も謝ります! 中野さんの分も、僕が――!」
言葉が絡む。噛む。それでも続ける。
「だから、だから……」震えている。
止まらない。
「許してください……この通りです!!」
誰も動かない。
音が、少しだけ減る。
「……は?」
誰かが言う。
「なにやってんだこいつ」
別の声。
「いや……」
間。
「……あれ、庇ってんじゃねえの?」
視線が集まる。
泥に額を押しつけたまま、ミチルは顔を上げない。
ただ、そこにいる。
レイカの隣に。
レイカの視界が、落ちる。
そこに、いる。
ずぶ濡れで、情けない姿。
――離れない。
レイカの瞳が、わずかに揺れる。
(……どうして)
小さく首を振る。
(馬鹿なの)
雨音が戻る。
さっきより、少しだけ弱い。
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「――というわけ」カナデがノートを閉じる。
「これは、誰かが原因で起きた現象ではないわ」
「関係そのものが、原因を必要としない形で成立している」
「……なにそれ」
ユウナが顔をしかめる。
「怖。バグってんじゃん」
「まあ、そういうことだろ」
ルイが肩をすくめる。
「噛み合っちゃった系、ってやつ?」
マニキュアを塗る手を止めない。
「……でも」
アズサが小さく言う。
「あの二人、ちょっとだけ分かる気もする」
誰もすぐには返さない。
カナデは何も言わない。
「私は、不整合なデータを整理しただけよ」
「それ以上でも、それ以下でもないわ」
それだけ置く。
ナオヤは曖昧に微笑むだけ。
「はいはい、出ました」
ユウナが笑う。
「で? カズマくんはどう思うわけ?」
視線が向く。
カズマは一瞬ナオヤを見て、すぐに窓の外に戻す。
「……別に」
「カナデの言ってること、間違ってねえとは思う」
少しだけ視線を落とす。
「でも、なんか気持ち悪い」
それだけ。
(行動としては説明できる)
チャイムが鳴る。
(自己保身の極端な形)
カナデは立ち上がる。
(……でも)
(なぜそれで隣に立つ?)
一瞬、思考が巻き戻る。
朝の校門。
中野レイカと田辺ミチル。
雨上がりの湿気の中、並んで歩く二人。
距離は近い。
なのに、繋がらない。




