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骨折男子

 朝。校舎へ続く舗装路は、まだ少しだけ空気が軽い。朝倉カナデは、いつも通りの速度で校門を抜け、そのまま玄関へ向かう。

 その途中で、一瞬だけ足が緩んだ。視界の端に、ありえない並びが入ったからだ。


 二年の篠原ミズキ。そして、一年の水瀬タクヤ。

 学年も接点も薄いはずの二人が、同じ歩幅で並んでいる。


 タクヤの右足にはギプス。松葉杖をつきながら、不慣れなリズムで歩いている。

 それでも表情はどこか柔らかく、少しだけ照れが混じっている。


(そこは自然)


 問題は、隣。篠原ミズキ。隙のない立ち振る舞いで知られる先輩が、半歩外側を歩き、さりげなく速度を合わせている。


 ――ただ、その“さりげなさ”が、少しだけ整いすぎている。


 口元に浮かぶ笑みは崩れない。歩幅も、距離も、常に一定。

 けれど。ほんのわずかに、視線の置き場が定まっていない。


(……)


 カナデはそこで思考を止める。

 数秒。

 観測だけを残して、通り過ぎた。


-------------------------


 教室。

 朝のざわめきの中に、いつもの声が混ざる。


「ねえカナデ、見た? あの二人!」

 天堂ユウナが机に身を乗り出してくる。

「篠原先輩と水瀬くん! ここ数日ずっと一緒に来てるんだけど!」


 カナデは鞄を机に置きながら、短く答える。

「……まだデータ不足」

「えー絶対なんかあるって!」


 横から、佐倉ルイが椅子にだらけながら口を挟む。

「でもさー、ミズキ先輩ってさ、ああいうの一番やらなそうじゃね? 隙ないし。恋愛とか興味なさそうっていうか」


「うん……」

 三原アズサが小さく頷く。

「私も見たけど……なんか、違うのよね」


 その言葉に、カナデの中で朝の映像が再生される。

 笑み。歩幅。視線。

(……違和感の種類が一致しない)


 だが、言語化には至らない。

(まだ足りない)


 カナデは何も言わなかった。


-------------------------


 昼前。廊下。カナデは人の流れを横切って、瀬川カズマを捕まえる。


「カズマくん。水瀬タクヤって、どんな男子かしら」

「水瀬?」

 カズマは少し考えるように視線を上げる。


「いや、俺まだ話したことねえな。中学も違うし、クラスも別だし」

「そう」

 一度処理して、切る。


「あ、でも――」カズマが思い出したように言う。

「確か、うちのクラスのナオヤが同中だったはずだぞ」


 カナデはすぐに頷いた。


「さすがね。訊いてみましょう」


 その言葉に、カズマの口元がわずかに緩む。


 ――一瞬だけ。


 けれど次の瞬間。


 カナデはもう、カズマを見ていなかった。

 視線は教室の後方。ナオヤの席。


「ナオヤくん」

 呼びかける声。


 カズマの表情が、止まる。

 さっきまで指にかけていた鞄のベルトを、少しだけ強く握った。


(……は?)


 声には出ない。

 ただ、足だけが半歩、動きかけて――止まる。


 教室の後方。呼ばれた重生(しぎょう)ナオヤが顔を上げる。


「ああ、タクヤ? うん、同じ中学だよ。彼がどうかしたの?」

 柔和な顔立ち。力の抜けた肩。


「彼、最近、二年の篠原ミズキ先輩と付き合ってるでしょう?」


「……?」


 ナオヤは一瞬、目を瞬く。


「そうだったんだ」


(認識なし)


 カナデはそのまま続ける。

「そう。だから水瀬くんに、彼女との馴れ初めを上手く訊いてくれるとありがたいんだけれど。頼めるかしら?」


 カズマは机に頬杖をついたまま、視線だけをそちらに向けている。


 ナオヤが頷く。


「……うん、いいよ。朝倉さんの頼みなら」

 その一言。


 カズマの指が、机をとん、と叩いた。


 一度だけ。

 無意識みたいに。すぐに止まる。


(……朝倉さん、ね)


 舌打ちまではいかない。

 けれど、口の中で何かが引っかかる。


 カナデは気づかない。

 ナオヤにだけ視線を向けている。


「ありがと。期待しているわ」


 その「期待」が、自分に向けられていたときのことを、思い出す。

 カズマは視線を外した。


 ペンを手に取る。だが、書くものは決まっていない。


 少しだけ強く、カツ、カツ。ノックするみたいに机を叩く。


(……なんで、あいつなんだよ)


 理由は分かっている。


 自分より話せる。

 断らない。

 距離の詰め方も上手い。


 合理的だ。


(……分かってるっつーの)


 だから余計に、面白くない。


-------------------------


 昼休み。教室の一角に視線が集まる。


「朝倉さん。タクヤに訊いてきたよ」

 ナオヤが戻ってくる。


「で、どうだったの?」

 カナデは即座に促す。


 ナオヤは特に気負う様子もなく答えた。

「事故にあったときに、ちょうど篠原先輩が目撃しててさ。助けてくれて、そのまま病院まで付き添ったらしい。それで知り合ったって」


(因果は成立)


 辻褄は合う。

 自然な接触。距離が縮まる理由としても妥当。


 ――だが。


(……足りない)


「そう。さすがね。助かったわ、ナオヤくん」

 処理だけ返す。


 ナオヤはそこで初めて、少しだけ照れたように笑った。

 カナデはすでに別の思考に移っている。


「……違うわね」

 小さく零れる。


「事故がきっかけで距離が縮まること自体は自然よ。でも――」

 言葉を切る。教室の空気が少しだけ静まる。


「感情のベクトルが一致していない」


「え?」ユウナが顔を上げる。


「水瀬くんは“好意側”。篠原先輩は“対処側”。この非対称性は、自然発生の関係では説明がつかない」


「なにそれこわ」ルイが笑いながら引く。


 カナデは構わず続ける。

 指を一本立てる。


「さらに、関係が“継続”している点」


 黒板の方へ視線を流す。

 誰もいない教室の前方。


「事故の付き添いなら、その場限りで終わるはず。にもかかわらず、登校を共にしている」


 アズサがぽつりと呟く。「……見せてる、みたいな」

 カナデは小さく頷いた。


「そう。あれは関係ではなく――“状態”」

 一歩前に出る。指を閉じ顎に当てる。


「対外的に提示するための、仮の関係」


 ユウナの肩がわずかに跳ねる。

「……それって」


 カナデは振り返る。視線をまっすぐに。


「仮交際。期間限定の、疑似的な恋人関係ね」


 カナデの描くストーリーが展開される――


-------------------------


 ある夕暮れ時の帰り道。

 水瀬タクヤの視界は、何の前触れもなく傾いた。


 ガシャーン、という乾いた金属音。

 視界には、カラカラと空転するホイール、転がった自分の自転車。


「……っつ、あぶねぇ……」


 遅れて、膝に鋭い痛みが走る。

 尻餅をついたまま顔を上げると、アスファルトに横倒しになった原付と、その傍らに立つ一人の少女が見えた。

 ヘルメットを脱ぎ捨てた髪が、夕焼けの光を弾く。


 篠原ミズキ。


 学校に居る時とは違う地味な服装と髪型。

 校内で名の通ったその顔が、今は明らかに焦りの色を帯びていた。


「ちょっと、大丈夫!? 立てる?」


 早口。間合いも近い。普段の彼女からは想像しにくい、余裕のない声音。

 タクヤは膝を押さえながら、思わず見入ってしまう。


 (……こんな顔、するんだ)


「悪い、俺もボーッとしてて……」

「いいから! 病院、すぐそこだから行きましょう。ほら、肩貸すから」


 半ば強引に腕を引かれる。距離が一気に縮まる。

 その近さに、タクヤの意識は少しだけ上滑りする。


――ただし。


 ミズキの焦りは、別の方向を向いていた。

(やばい……よりによって同じ学校のやつ……)


 視線が一瞬、倒れた原付に走る。

(バイト禁止なのに原付乗ってるのバレたら……即停学)

 結論は早い。


(口、封じるしかない)


 総合病院のロビー。消毒液の匂いと、白い光。

 タクヤは足を引きずりながらも、どこか浮ついたままソファに腰を下ろす。


(篠原さん、意外と優しいんだな……)

 わざわざ付き添い。距離の近さ。声の調子。

(もしかして……)


 一方。

 受付を終えたミズキは、壁の時計を睨んでいた。

(あー、最悪)

 秒針の動きがやけに速く見える。


(早く終わらせて戻らないと。シフト……まだ途中だし)

 ちらりとタクヤを見る。

(てか、なんであんなニヤニヤしてんの。キモいんだけど)


 そのとき。


「あら……ミズキじゃない?」


 背後から、柔らかな声。二人同時に振り返る。

 車椅子。老婦人。看護師。


「…………っ!」

 ミズキの手から、カバンが落ちる。音がやけに大きく響いた。

 顔色が、一瞬で変わる。事故の時よりも、明確に。


「お、おばあちゃん……どうしてここに……」

「リハビリの時間なのよ。それより――」


 ゆっくりと視線が動く。タクヤに向く。


(詰んだ)

 ミズキの思考が、一気に加速する。


 選択肢が並び、同時に切り捨てられていく。


 ・正直に話す → 破滅

 ・友達と言う → 深掘りで破綻


 残るのは一つ。


(波風が立たない形)


 拳を握る。覚悟を決める。


「……おばあちゃん」

 声だけが、やけに落ち着いていた。


「紹介するね。この人――水瀬タクヤくん。私の、彼氏なの」

「えっ……?」


 タクヤの思考が止まる。

 空白。

 次の瞬間、背中に鋭い衝撃。

「(いいから合わせて。バラしたら終わり。空気読んで)」


 低く、速い囁き。理解は追いつかないが、危機だけは伝わる。

「そ、そうなんです! 水瀬タクヤって言います! ミズキさんと、その、お付き合いさせてもらってます!」ぎこちない敬語。しかし十分。


 老婦人の顔がぱっと明るくなる。

「まあ……! ミズキが彼氏を連れてくるなんて……」

 細い手がタクヤの手を包む。

「嬉しいわぁ。なんだか、元気が出てきちゃった」目尻に滲む涙。


(……戻れない)

 ミズキはそう判断する。



 診察を終え、外に出ると、街はすでに夜に沈んでいた。街灯の光が、二人の影を細く伸ばす。


「……悪いわね」ミズキが先に口を開く。

「他に逃げ道がなかったの」


 さっきまでの“彼女”の気配は、もうない。


「いや、いいけどさ……」タクヤは少しだけ笑う。

「俺、本気にするよ? あんなこと言われたら」

 間。

 ミズキは即答する。

「本気にしないで。一ヶ月」

「え?」

「一ヶ月だけ、付き合ってるフリをして」


 指が一本、突きつけられる。

「お婆ちゃん、最近元気なかったから。あんな顔見せられて“嘘でした”なんて言えない」


 条件提示。


「その代わり」と指先がさらに近づく。

「原付の件は、墓場まで持ってって。一ヶ月後、適当に別れたことにする。いい?」


 タクヤは目を伏せた。ほんの一瞬だけ考える。


「わかった」と顔を上げる。

「一ヶ月間の“仮交際”、引き受けるよ。よろしくね、ミズキ」

「……呼び捨てにすんな、バカ」


 即座に返る拒絶。でも、完全ではない。街灯の灯りが照らし出す、二人の影。その距離は遠くはなかった。


-----------------------------------


「――というわけよ。憶測ではあるけれど、これが一番可能性の高いストーリーね」


 カナデは言い切った。

 教室のざわめきが、少しだけ遠のく。


「ってことは、期限きたら別れちゃうのか。なんか残念」

 ユウナが頬杖をついたまま呟く。


「いや、そうとも限んなくね? 一ヶ月も一緒にいればさ、普通にくっつくこともあるっしょ」

 ルイが肩をすくめる。


「一ヶ月は便宜上よ」

 カナデはすぐに返す。

 視線は窓の外のまま。


「少なくとも“付き合っている”と認識させるには、そのくらいの期間が必要になる」


 反論は出ない。


 カナデは視線を戻す。

 教室の空気をなぞるみたいに、一人ひとりを見る。


「でも――」言葉を継ぐ前に、ノートの端を指で押さえた。


「私の推測だと、この二人、破綻するわね」


「なんでだよ?」とカズマが顔を上げる。


 カナデは迷わない。


「合理的じゃないもの」黒板の方へ視線を滑らせる。


「彼女の行動は一貫して“リスク回避”。事故の隠蔽。そのための仮交際」


 指先で、机を一度だけ叩く。


「――目的は、もう達成されている」


 視線を戻す。


「なら、それ以上関係を維持する理由がない」


-----------------------------------


 一ヶ月後。

 水瀬タクヤの足から、ギプスは外れていた。


 それでも二人は並んでいた。

 距離は、前より近い。


 篠原ミズキの横顔に、わずかな緩みがある。


 教室の窓際からそれを見て、カナデは視線を動かさなかった。


(……条件は満たしている)


 事故要因は消失。

 継続理由は消えるはずだった。


 だが、関係は維持されている。


 カナデは一度だけ瞬きをした。


(欠落がある)


 式に、入っていない項がある。


 思考をなぞる。

 初期条件、接触要因、継続コスト、対外効果。


 どれも矛盾しない。


 それでも、説明がつかない。


 視線の先で、ミズキが何かを言う。

 タクヤが笑う。間が短い。


(……再現できない)


 カナデはそこで思考を切った。


「――外してんじゃん」

 背後から、声。


 カナデは振り向かない。

 足音だけで分かる。カズマだ。


「一ヶ月で終わるって言ってたろ」

「……予測よ」

 間を置かずに返す。


「外れたけどな」

 カズマはそれ以上踏み込まない。


 窓の外を一瞥して、肩をすくめる。

「ま、ああいうのは計算通りにいかねえだろ」


 それだけ言って、去っていく。

 足音が遠ざかる。

 カナデは、まだ動かない。


(……計算通りにいかない、要因)


 その言葉だけが、思考の中に残った。

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