第35話 狼煙
あれから、残してきた人達が来るまで雨粒の数を数えていると、ちょうど500を超えたところで合流した。あくまで目算なので500というのは間違っているかもしれないが。
犬のように体を震わせて水を飛ばす。それほど服に染みた雨粒は飛ばなかった。
「やっと全員揃いました」
「お前が先に行こうとしなければ待つこともなかったと思うぞ」
「マラに言われる筋合いは......今回だけは正論ですね」
「今回とはなんだ。私はいつも正しいだろう。なんてったって迦微だぞ」
「迦微は間違いを起こさないと?」
「そうだ」
なるほど。だとしたら味噌汁の茶碗にご飯をよそっていたのは何だったのだろう。
あれが間違いじゃないのだとしたら、確かに僕の理解が及ばない次元にいるらしい。
マラのことを抜けているのが通常運転だとすれば疑問は生まれない。が、やはりただの間違いだと思うのだが。
収まるどころか段々と強くなっていく雨。このまま強くなれば滝のようになるんじゃないだろうか。
そうなれば川も溢れて浸水被害...早くしてくれないだろうか。
「皆さん、何してるんですか?早く行きましょう」
これから戦いだと言うのに何故か士気が低い。
こんな体たらくではもし負けたとしても言い訳は出来なさそうだ。
「少し待ってくれないか。着いたばかりで、ちょっと休憩をしたい」
「訂正する箇所があります。着いたばかり、ではなく追いついたばかりでは?」
「揚げ足取り、好きだね」
「好きというよりかは日本語は難しいので」
突き刺さるような目線を複数向けられながらも場に合わない笑顔を浮かべる。
すると何故か急に突き刺さるような目線は消えてしまった。その代わりに訝しむ目線となって。
「...はぁ。お前は鵼みたいなやつだな」
「静さん、自分の価値観で測れないからって生徒を妖怪扱いするのはどうかと思います」
「ほらよく言うだろう。鵼的人物みたいだ、とか」
生まれてこの方聞いたことのない言葉を言われても反応に困るのだが。
そう思いながら他の方々を見るとみな首をかしげている。他の人達もこの表現は聞いたことがないらしい。唯一頷いているのは森高さん、年の差ということだろうか。
そんな事を思っていると不意に森高さんから何か液体の入った試験官が投げられた。
割れると悪のでキャッチをすると何故かチッと舌打ちをしたような音が聞こえてきた。
「何ですかこれ?」
「希硝酸だ」
「はぁ、何故僕に?」
「希硝酸は有毒ガスや火傷にさせることが出来るからな」
「質問の解答になっていませんけど」
「......」
無言になったかと思うと今度は小石を投げてきた。狙いは...どうやら試験官らしい。割れたら自分の手が火傷してしまうのですかさず小石をもう片方の手で受け止めるとまたしても舌打ちが聞こえた。個数は二個。
「なにするんですか。割れますよ」
「勘がお前があたしと静を年増扱いしたと告げたんだが」
「勘だけに頼って行動をするのはいささか早計だと僕は思いますけどね。仮にも教員でしょう」
「で、実際は?」
「そんな事をした覚えはないです」
「ほんとか?」
「本当ですよ」
こういう会話の時には一切入ってこないマラと他の四人の判断は大いに正しいと思う。ただ、この会話をするのが僕ではなく僕以外の人物ならいいのだが、残念ながらそうはならないらしい。
そもそも口に出していないのに気づくこの二人が可笑しいだけな気もするが。
これから生徒の初妖怪退治だと言うのに、こんな勤務態度では死人がでるんじゃないのだろうか。
そんなこんなをしていると、言葉は悪くなってしまい申し訳ないが、泥で汚れて、ところどほつれている布を着飾った浮浪者がやってきた。
顔はやつれているがそれでも普通の人から見れば美人と分類出来るくらいには容姿は整っているんじゃないだろうか。藍色の長い髪の毛は雨にぐっしょりと濡れて使い古された雑巾のようになっている。ただ、頭はあまり洗っていないのかフケが出ていた。
「静」
「ああ、今回の標的だな」
先程までふざけていた大人二人が急に真面目になったことで他の3人にも緊張が伝播したようだ。顔つきが腑抜けたものから僕へと向けていた冷徹な目線へと変わっている。
ただ一人、白抜井さんを除いて、...いや、自分も含めると2人か。
自分のことはさて置いて、白抜井さんは鈍感の部類なのだろうか?
前から来る浮浪者に対して慈悲の眼差しを向けているように感じ取れるのだ。仮にもこれから戦う相手に対して慈悲をかけるのは、よほどのお人好しか、ただの脳無しか、それともその両方か。
どちらにせよ、僕に被害が来なければそれでいい。と、思うのは少し独善的だろうか。
「少しは警戒してはどうです?」
「そう言う君こそ警戒をしていないように見えるけど」
「最低限はしていますよ。白抜井さんは、それすらもしていないでしょう」
「何で、そう思うんだい」
「見られていないと思っていても、人は案外他人に見られているものですよ。ただ殆どの人は興味が無いので忘れるだけで」
二人同時に、一歩また一歩と近づいてくる貧乏神という名の浮浪者の方へと顔を向け、射抜く。
相手はどうもまだこちらに気づいていなさそうだ。
そんな事を考えていると、気づけば彼は一番先頭に躍り出ていた。
「大丈夫ですか?足下がおぼいついているようですけど」
「...大丈夫です。多分」
白抜井さんの問いかけにそう返した浮浪者は一度止めた足を再び動かし始める。
会話を拒絶した、と捉えるのが妥当だろうか。
「おい、何をやっている白抜井。今すぐに離れろ」
「すみません。でも、会話で解決できるのならその方がいいじゃないですか」
なるほど、彼にはあの事が伝えられていないからこそあんな行動を取ることが出来たのか。素直に感心するが、感心をするだけだ。
そう言われた白抜井さんがこちらに戻ってくると、先程までいた場所の真下から水が吹き出した。
「流石、貧乏神と言ったところか」
「森高さん、貧乏神は普通あんな感じなですか?」
「ん、あたし自身が対処したことはあまりないが、そうだな。大体あんな感じだ」
「そうですか」
水が吹き出したところをよく注視すると、黒いものが反っている。恐らく、水道管が破裂でもしたのだろう。
舞い上がった水が降ってくるが、如何せん雨が降っているのであまり気にならない。
着々とこちらに近づいてくる貧乏神には敵意の意思が見受けられない。それに対してこちらは自分を含め2人以外は皆敵意、警戒をしている。
面白いものが見れた。今日はこれだけでも面倒だと思いながらバックレなかった自分を褒めることが出来そうだ。
さて、まずはこちらがどう出るのか見ものだ。白抜井さんは性格的に前線を貼って攻撃することはないだろうし。まぁ、身の危険があればためらいなくやりそうではあるが、それは人である限り全員に共通することだ。
なんてふらふらと思考をしていると、静さんが貧乏神へと近づいて行き、そのまま拳で腹を穿った。
さすが暴力教師、ためらいがない。
戦闘をするのに限ってはきっぱりと割り切るのが大事らしい。後悔や懺悔なんてものは二の次三の次、慈悲をかけることはいつだって出来る。
「先生ってあんな感じでやるのね。躊躇がない」
「私たちを先導してくれるはずの大人がビクビクしていたら困るでしょう」
「そうかしら?結果が同じならどれも一緒じゃない。今の社会では」
「二次被害のことも考えたらどうですか。ご自身の」
また村雨さんと天納さんが言い合っているが、それほど二人には余裕があるのだろう。実感が足りていないのか相手を舐めているからもしれないが。
緊張して固まってしまうよりはよほどいいだろう。
対称的に、雲珠未さんはガッチガチに固まってしまっているが。リラックスさせるのは...きっと気の優しい人がやってくれるだろう。
つまりは問答無用の静さんはやらない、というか出来なさそうなことだ。
恐らく森高さんあたりも無理そうだ。
そんな事を考えていると若々しくない殺気が二つほど飛んできた。
...女の勘というのは恐ろしい。
殺気を冗談半分に楽しみながら貧乏神の方を見ると、不意にされたことで対処出来なかったのか、両手で腹部を抑えて地面にうずくまっている。
声を上げないのは上げるほどの気力もないからか、それともそれほど効いていないのか、どちらなのだろう。
そうしていると、よろよろ貧乏神は立ち上がり、ブツブツと何を言っているのか聞き取れないほどの声で口元を動かし始めた。
先程までは地面に向けられていた目線はこちらを捉えて、まるで仇でもでも見ているようだ。
「...かり、...何でまた私ばっかり...」
薄っすらと声が聞こえてくるが、これはどうもとても面倒なタイプだ。声だけでわかったきにはならないが、十中八九そうだろう。
ネガティブな思考はどんなことでも否定的に捉えてしまう。そうして、引き寄せの法則か何かでどんどん絶望の淵へと落ちていくのだろう自縄自縛、端的にあらわすならこんな言葉だろうか。
なんて、ありふれている観察対象だろう。
貧乏神だからとまだ未知の思考者に会えると期待したが、どうやら迦微も思考パターンは人と変わらないらしい。
「静さん、やるなら一撃でやってください。怒らせちゃったじゃないですか」
「今日はお前たちの授業だろう。一撃で倒してしまった意味がない」
「ちなみに、貧乏神は初心者向けな相手なんですか」
「...いや全く。むしろどんなやつも嫌がる最悪の相手だな」
「なら、一撃で仕留めくださいよ」
そう言うと静さんは笑顔で親指を立て。
「幸運を祈る」
...この人、破局のことを忘れているんじゃないだろうか。
確かに、実際何が起こるのかはまだわからないが、だからこそ危険なものは排除するべきだ。
そう口に出そうした瞬間、目の前、確かに浮浪者がいる場所へと落雷が落ちた。




