第32話 保健室
静さんとの組手が終わって、僕は保健室に来ていた。
重力による加速を受けながらも今日一日で染み付いた受け身を取ったのだが、まだまだ甘かったらしい。
足を捻挫してしまった。これまでも捻挫をしたことはあったけれど、あんな体験は初めてだ。
赤く腫れ染まった自分の足首を見て適当に切った包帯を巻いていく。
軽い応急処置ではあるが、数日もすれば治るだろう。
外から入る用の扉を開けっ放しにして、入ってくる風はもうすぐ来るであろう春の温もりをまとっていた。
窓から外を見ると、ちょうど白抜井さんが静さんに投げ飛ばされ背中から地面へとダイブしていた。
意味もなく外の光景を見ていると、壁からぬっとマラが出てきた。
できればちゃんと扉の位置から入ってきてもらいたいものだ。ぬっと。
「どうだ、少しは痛みは収まったか?」
「そうですね。固定されたので変に悪化することもないでしょうし」
「なら、捻挫したところを突いてもいいか」
「悪化した時の責任を取れるなら」
そう言ってマラは捻挫をした場所をまじまじと見てくる。
自分は人であって見世物ではない、見物料を払ってくれるのならいいけれど。
「ならお前の財布から見物料を出そう」
「横暴な迦微は嫌われますよ」
「迦微には横暴ぐらいが丁度いいんだ。じゃなかったら欠点が無くなるからな」
そう言った目の前にいる迦微には欠点と面倒臭さしかないのだが、そのところはどう思っているのだろうか。
そんな事を考えていると、ふと扉が開いた。
「おお、君が第一被験者か」
「学校関係者ですか?ここに来るということは大体予想はつきますけど」
キッチリと整えられた髪に高い身長、そして肩には小人が乗っている。
そして何より目を引くのは顔半分が焼けただれているところだ。
まぁ、だからといって、どうということはないが。所詮、覚えやす顔をしているぐらいじゃないだろうか。
この状況、何も聞かされていないので明らかに不審者としてしか映らないが、今日は丸一日体育だと言っていたのだから大方、医療担当でも呼んでおいていたのだろう。
「なんだか満を思い出させるようなやつだな」
「いやぁ、満の小僧はもっとフランクさがあったと思うぞ」
「そうか?卑屈で日和見主義的だとは思うが」
突如保健室に入ってきた二人によって目の前で披露されている会話に入る余地はない。現にマラも反応に困って、どうやら困らずに保健室の棚の中を見物をしているようだ。
満さんがフランク?というところに疑問を抱くけれど、あの人は尊敬に値すると認めた相手に対してはフランクなんじゃないだろうか。静さんとの関係しか知らないからほぼ何も知らないと同じではあるけれど。
「そうですよ。僕が第一被験者です」
延々と二人の世界で話し合う目の前の人物たちにそう告げる。
こうしなかったら何処までも話を発展させていきそうだ。
「そうか。で、何処を見ればいい」
「左足首です」
「どれどれ」
「捻挫です」
机に置いてあったメガネを無造作に付けて負傷箇所を見られる。
そうすると棚の見学をしていたマラを押しのけて何かを探し始めた。
マラがこいつマジカみたいな顔で見ているが、自分の普段の行動を思い返してほしいと思う。
そんな事を思っているといつもの如く思考を読みいとったのか勢いよく飛び蹴りをしてきた。
僕が病人だということを忘れているじゃないだろうか。これで死んだらマラへの信仰も失われると思うのだが。
ただ、マラのことを信仰したことがあるかと言われれば無いと答える。何も知らない迦微を信仰したところで何が起きるかわからない。触らぬ神に祟りなしだ。
たまに忘れるけれど、マラが記憶を取り戻そうとしているところを余り見たことはない。本当に記憶を取り戻す気はあるんだろうか。
そんな事を考えていると、赤い色をした液体と緑色の粉が入っている試験官を持ってきた。
「その包帯、取れるか?」
付けたばかりの包帯を解いて、赤く腫れ染まっている...確かに染まっていたはずだった。
「ム、冷やかしだったのかい」
「いえ、違います。正直、自分でもびっくりしてます」
捻挫をしていた筈の部分は色が引いて、本来の状態ではない凹凸もなくなっていた。
マラがなにかしたのかと思い見てみるが、彼女は素知らぬ顔で棚の詮索を続けてる。この場合はマラがなにかしたということはなさそうだ。
マラだったら絶対に恩着せがましく、自身の承認を満たせるように自分がやったと聞いてもないのに報告をしてくるはずだ。
ならば何故ひとりでに捻挫が治ったのか。説明をすることは出来なそうだが、心当たりがないわけでもない。
「たっく、被験者をいじくれると聞いたから休日出勤したっていうのに」
「収穫なしのようじゃのう」
病人のことを、...すでに病人という肩書はなくしてしまったけれど、被験者として扱うのはいささか不思議である。
この人と迦微?妖怪は一般常識というものがないのだろうか?もしかしたら自分もないのかもしれないが。これ以上は堂々巡りの無駄話になりそうだから終わりにする。
「初対面の人に対してそんな言葉遣いでは怖がられるのでは?」
「その時はその時だ。第一にそう言う奴の許容範囲が狭いだけだ」
「迦微は色々な奴らがいるからのう。これぐらいなら誰も驚かんて」
入学式を得て他の人々と関わりがあったのならそうなのかもしれないが、残念ながら今は3月の下旬。知り合いと呼べる人達は6人ほどしかいない。
しかも知り合いになったのは半強制的だ。本当の知り合いと呼べる人は少なくとも
まだいない。
マラが怪訝なオーラを出してくるが、こればかりは譲れない。
あと、さっさとその顔を覆っている紙を取ってほしいのだが、どうもの御本人はいやなようだ。
表情、目線があれば考えが読みやすくなるのだが、どうやらガードがお硬いらしい。これはある意味での信頼のなさなのか、単純に恥ずかしいだけなのかどちらなのだろう。
結局、どんな理由であれそれほど顔に興味はないのだが。
「自己紹介が遅れました。この高校の1年、紙雅千秋です」
「あたしは森高劾尾、一応ではあるが養護教諭をやっている。で、」
「わしは少名彦と呼ばれている。こんな見た目だが一応は迦微じゃ」
あまりこの人とは関わりが深くはなりたくない。
論理的な理由付けは出来ない。あまり使いたくない言葉ではあるが、直感、第六感みたいなものだろう。
価値観が根本的に違うと体が言っている。
馬が合わない。今までの名も覚えていないクラスメイトや教師とも違う。
人が第一人称で初対面の人を判断するというがその拡大版とでもいいえばいいのだろうか。
「どうした。こちらを見て。まだ何処か痛むのか?それとも...このあたしに惚れでもしたのか」
「あ、女性の方だったんですね」
「あたしが女性に見えないってのか!何だこの表情筋で動く面相が悪いのか?」
「まぁまぁ、お主が男性に思われるのは珍しくないではないか」
「それ、慰めになていないぞ」
半泣きのような状態になってしまった森高さんを少名彦さんがフォローをするのかと思ったらそのまま刺しに行ってしまった。
探検が終わって、戻ってきたマラがツッコミを入れると森高さんは備え付けのテイッシュで鼻をかんだ。
「今の御時世だと色々あるので、見た目だけの判断は避けたほうがいいと思ったんです」
「え、...あたしが女性に見えたのか!?」
「ほぉ~、これは珍しいのぉ」
このお二方は何をそんなに驚いているのだろうか。
マラでも森高さんが女性だと気づいていたと思うのだが。
思考を盗聴されていることを仮定して考えていると隣に来たマラが欠伸、なのかわからないが、ほわぁという音を立てて同意した。
「女性だということはわかっていたぞ。俗に言う男装麗人だろ」
「何処でそんな言葉覚えたんですか」
「雲珠未のところにあった漫画に書いてあったぞ」
「...ノーコメントで」
マラには人のプライバシーというのをそろそろ学んでほしものだ。
迦微だからという言い訳は聞き飽きたので、そろそろ人のプライバシーを無視して得た知識での他の言い訳が欲しい。
それにしてもこんな反応をするなんて、よほど周囲の人達との運がなかったのだろう。
「森高さんが女性でも男性でも仕事は変わらないですし、性別なんてどうでもいいと思いますけど」
「はは、流石あの女の教え子だな」
「僕、殆ど静さんからは教わってませんよ」
「...天然物とは珍しい」
「そうですか?」
「ああ、あいつの授業を受けた被検体は少なからず一人はそうなるからな」
「満さんもですか?」
「そう言えば、あいつも天然物だったな」
どうやら先人も自分と同じだったらしい。
今はもう大人になって丸くなっているとは思うが、若い頃は皆同じなようだ。
自分はそんなふうに変わりたくはないが。変わってしまったら変わってしまったで、その時はその自分を受け入れる他はない。
マラはダラダラと液が垂れたような髪を弄りながら少名彦さんを観察している様な気がする。なにせ紙で目元が見えないので森高さんを見ているのか肩にいる少名彦さんを見ているのか、判断が難しい。
そんなこんなをしているとコンコンと窓を叩く音がなった。首だけを音のした方へと向けるとそこには伸びた白抜井さんと天納さんを抱えた静さんがいた。
口を開いて何かを言っているが窓ガラスが分厚いからかよく聞こえない。
多分ではあるがここを開けろと言っているんじゃないんだろうか。
取り敢えず言われた通りにそこへ近づいて窓を開ける、なんてことはせずに鍵を締めた。
「鍵、閉めたのか」
「はい。別に開けるのも閉めるのも行動的にやることは一緒かなと思いまして」
「人がお願いをしているというのに、...あくまでも静の野郎はお前の担任だぞ」
「ええ、そうですね」
窓を閉めた代わりに扉の方へと行って扉を開ける。
そうして担がれている白抜井さんの方を受け取った。静さんの後ろには雲珠未さんと村雨さんがいて、こちらを覗き込んでいて目が合った。
覗いているときは誰かに覗かれている、お互い様だ。
「窓を閉めなくたって良かっただろうが。あそこから渡せば」
「僕が彼らを受け取りにくかったので」
「森高がいるだろ」
「担いできた二人を寝かす場所が必要だったので。僕はベッドがあるのかもわかりませんし」
きっと保健室の教員ならこういう場合の対処になれている。そう仮定して僕はこちらへ進んだ。
これまで、というか本来なら歩めていたはずの奇道。自分が普通というものについて定義することは不可能だ。普通の人生なんてものは大多数の人々が描く空虚な幻影じゃないだろうか。それを僕という一個人が使う事は出来ない。
そして、同じくそれを逸脱してしまっている現状になれているのは、年の功を考えたらあちらの人と迦微だ。
「静、随分と面倒くさいやつの教育係になったな」
「森高、お前に譲ろうか?」
「喜んで、と言いたいところだが、あいつにもう目を付けられてるんだろう」
「残念ながら」
「たっく、あの概念は良い研究材料に手を出しやがって」
「本当だな」
当たり前のように僕のことを知識を持った物体として扱っているみたいだが、生憎、自分は人にどうこう言われて素直に従うなんてことはしない。
忠犬が欲しいのであれば他をあたってほしいのだが。忠犬で珍しい研究材料なら白抜井さん方が向いていると主観的には思う。
ただ彼も概念の干渉を受けているから無理なのだけれど。
ベッドの準備がようやく終わったので担いでいる白抜井を寝かせて、俯瞰してみると彼の至る所には痣と切れた血管から溢れ出た液体があった。
「フム、これぐらいの傷であればチドメグサの粉末でいいだろう」
「もっと派手にやっても良かったんだがな」
「初日なんだろう。これぐらいにしとけ。そうすれば私の仕事が減る」
「給料泥棒として報告しとくぞ」
「辞めてくれ」
手をパタパタとしながらそんな事を言い合う静さん森高さんはとても仲が良さそうだ。飲み会なんかも一緒に行ってるんだろうか?
どちらにしろ自分の傷、捻挫が治ったのでもうここにいる理由はない。
ウトウトしているマラに声を掛けて礼を言って保健室から出ようとすると、何故か後ろ襟を掴まれた。
無視をして進もうとするけれどびくともしない。
「紙雅、お前は外周だ」
「うわぁ」
そんな今日一で一番のため息と嫌悪を表して、静さんにグラウンドへと連行された。




