陶工の窯元
ガシャン。
「あっ……」
コハクの兄の使っていた茶器が割れたのは王城の一角、執務室でのことだった。
その日のコハクは、王妹のエレクトラとして王城にいた。ためにためた公務を片付けるためだ。
王妹という身分故の義務であるからして仕方がない、と昼寝を我慢してせっせと書類内容を吟味、のちに署名を繰り返していた。
正直なところ、期限ギリギリまでサボリたかったが、王陛下も同じ部屋にて仕事中であらせられるので、自分だけのんべんだらりとするのは憚られた。
兄妹は互いに互いを怠けていないか、逃げないか、楽させてなるものか、と監視しているのだ。
利害が一致した時などは、兄妹仲良く共謀してサボるための策をアレコレと巡らせるのだが、今日はそうもいかない。
なぜなら、コハクにとってはかわいい甥、王陛下にとっては愛息子のトリアフォスが同じ部屋にいるからだ。
渋々と執務室に入った今日のコハクを迎えてくれたのだ。
「母上に言われて、父上達のお仕事を見学しに来ました!」
と。
とても良い笑顔だった。
さすが狸な兄と長年夫婦をやっているだけのことはあるな、義姉上……! と感心して、コハクは大人しく席に着くしかなかった。
「父上、エレクトラ叔母様、休憩にしましょう」
「ああ、そうしよう」
「ありがとう、トリアフォス」
若者の眼差しが眩しい。
さすがのコハクも自分にまじりっけなしに尊敬の念を込めて見つめてくる子どもの前でぐうたらできるほどの図太い神経は持ち合わせていない。
とりあえずは本性が知れて、がっかりされるまではがんばる所存である。
少しばかり危なっかしい手付きでトリアフォスが淹れてくれた茶は疲れた体と精神に染み入る美味しさだった。
甥印の美味しいお茶もいただいて、さあもうひとふんばり、とコハクが気合を入れ直したところで、冒頭に戻る。
「ケガはないか、トリアフォス」
「あ、え、は、はい」
空になった茶器を片付けていたトリアフォスが、無事に茶を淹れ終えた安堵で気が抜けたのか、手から茶器が滑らせた。
幸い、敷かれていた分厚い絨毯のおかげで粉々に割れることはなく、カップとソーサーの縁が少し欠けた程度だった。
しかし、王族の使うものだ。当然、欠けた茶器を使い続けるわけにはいかない。
名工の作であったカップとソーサーはあっさりと廃棄が決定し、使用人が粛々と片付けていった。
仕方のないことだが、もったいない、と思ってしまうのはコハクが庶民の生活に漬かっているからだろう。
「あの、父上、すみません、割ってしまって……」
「気にするな、トリアフォス。形あるものは壊れるのが必定だからな。あのカップはそれが今日だったのだろう」
「ですが、気に入られていましたよね……。最近はずっと使われていましたし……」
「うん? そうだったか? まあ、カップは他にもたくさんあるのだから、そんなに気を落とすことはないぞ。カップを割ることくらい誰にでもあるのだから」
「はい……」
生まれたときから兄の妹をやっているコハクには分かった。
兄はトリアフォスに気を使ったわけではなく、本当に割れたカップが気に入って使い続けていたわけではない、と。たまたま同じカップを使っていただけだ、と。
茶の銘柄にも特にこだわりのない兄だ、いつものを頼む、とかそういう頼み方をしていたのだろう。水分補給になるならなんでもいいと思っているのだ。
しかし、兄と違って繊細なところのあるトリアフォスは見るからにしょんぼりとしおれて、執務室から出て行ってしまった。
「あー……兄上」
「なんだ? そんな眼で見ても書類は減らさんぞ?」
「うーん、なんて残念な……」
「期限内に処理しようと思えばできるくせ、わざわざ期限を目一杯引っ張るお前に言われたくはないわい」
「はやばやと片付けると追加で書類を詰んでくる誰かさんのおかげで変な癖がついたんだがー?」
「あー、あー、聞こえん聞こえん」
王としてはこれ以上ないくらい有能なのに、父としてはいまいち足りない、なんて残念な兄なのだろう、とコハクは書類の処理に戻った。
***
――なんてことがあったので、コハクは兄の誕生日も近いことだし、と新しい茶器一式を送ることにした。
腕の良い職人へ頼みに行こう、と算段をつけ薬屋の営業を縮小、ニッカに任せて、いつものようにコクヨウを共に陶工が窯を構える山に向かったまではよかった。
誤算はトリアフォスにその計画が露見したことだろう。
否、茶器を割って以来消沈しているトリアフォスを少しくらい元気付けたくて、ついうっかり口を滑らせ、露見したまでは、まだいい。
陶芸職人の元へ赴くコハクについて来たのは完全に予想外だった。
「なあ、帰らないか、トリアフォス」
「いいえ。返りません」
職人が居を構える窯元は王都から徒歩でなければたどり着けぬ辺鄙な山の中にあるので、コハクは自力での踏破を早々に諦めて、コクヨウの背負う背負子の上だが、トリアフォスは頑張って自分の足で歩いていた。
「コハク叔母様のお眼鏡にかなう職人の作ならば、父上もきっと喜んでくれます!」
カップを割った件を未だ気にしているらしいトリアフォスに、コハクは眉根を下げっぱなしなのだが、意気揚々と歩いているトリアフォスは気付かない。
「兄上のカップは私がちゃんと頼んでおくから、トリアフォスは帰って――」
「父上のカップを割ったのは僕なのですから、僕が直接頼みたいのです!」
頑ななトリアフォスにコハクはさっそく説得を諦めた。
子どもの足で山道を何時間もあるけば、途中で諦めて帰る気にもなるだろう、と。
「兄上にはバレないようにな(無断外出を)」
「はい! 父上に気付かれないようにします!(カップを贈るのを)」
微妙な齟齬に気付かないまま、トリアフォスとコハクは山中を進むのだった。
そんなコハクの希望的観測はトリアフォスの根性によって見事裏切られた。
「つ、ついたぁ……!」
肩で息をしながら、途中で拾ったなんだかすごく良い感じの枝を支えにしたトリアフォスは職人の窯まで辿り着いた。
膝はこれ以上ないほど大笑いしているが。
「うーむ。あの山道を踏破するとは。トリアフォスは本当に兄上のことが大好きなんだなあ……」
「そんなことありませんけど?!」
耳まで真っ赤にして叫ばれても、思春期なんだなあ、と生温い微笑しか出てこないコハクであった。
***
「売らん。帰れ」
けんもほろろであった。
人気のない山奥に窯を構えた陶芸職人のニューリッキ・マデトヤは、腕はすこぶる良いが、頑固一徹で、せっかく焼き上げた作品も気に入らなければ叩き割ってしまうという話で、筋金入りの職人気質である、と聞いてはいたが、まさかこうもきっぱりと断られるとは思っていなかったコハクは閉口した。
「そう言わずに、お話だけでも聞いていただけませんか」
「聞かん。帰れ。わしは忙しいんだ」
トリアフォスの言葉を背中で跳ね除け、マデトヤは黙々と土を練っている。取り付く島もないとはこのことだ。
こんなにかわいい甥の言葉に耳を貸さないとはなかなかの難敵だな、とコハクは無駄とは知りつつ中身の詰まった財布を取り出した。
「もちろん、あんたの言い値で買わせてもらう。茶器を売ってくれないか?」
「売らん。帰れ」
「そこをなんとか」
「帰れ」
こちらを一瞥もしないマデトヤにコハクは仕方なしに財布を懐にしまう。
どうしたものか、と交渉材料を探すコハクの横でトリアフォスが食い下がった。
「お願いします! あなたの作品がどうしても欲しいんです!
お忙しいのならお手伝いさせていただきますし、作ってくださると言質をいただくまで返りませんから!」
そう言って上がり框に座り込むトリアフォスにコハクは気付かれないよう小さく笑った。
作ってもらうまでは帰らない、というか、山を登るのに精根を使い果たしてしまって帰れないだけだ。まだ大爆笑している膝では今すぐに山を下りるのはとうてい無理だろう。
その辺りに気付いているのかいないのか、マデトヤはようやく手を止めて帰らない、と宣言したマデトヤを見た。
「……なんでも手伝うって?」
「はい!」
「……そこまでわしの作品が欲しいのか?」
「はい!」
力強いトリアフォスの返事にマデトヤは顰め面をさらしながらも顎をくい、とやって庭の井戸を指し示した。
「まずは水汲みからだ」
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