骨折らず、草臥れず
覆面の男達を騎士団に引き渡し、ケアリーに感謝感激されたあと、とっくに買い出しの終わったニッカを追って、コクヨウは薬屋に戻ってきた。
深く思考を巡らせながらでも体を動かせるようにせねば、と近日中にナハトから教えを乞う約束を取り付け、コクヨウはニッカにエンヨウからの手紙を渡した。
「お父様ったら、コクヨウにわざわざ親展の手紙を書くなんて、いったいどんな内容を書いて寄越したのかしら……あら?」
「どうしたんだ?」
首を傾げるニッカに、帰ってきたコクヨウから手紙の取り違えの顛末を聞いて、腹を抱えながら笑いを押し殺すという器用な真似をしていたコハクが目尻の涙を拭いながら問いかけた。
首を傾げたままニッカはコハクに手紙を見せる。
「うん? ……カク文字で書かれているな……ああ、これはきっとコクヨウが読み易いようにしてくださったんだろう」
「私は逆に読みづら~い! コハク、ぱす!」
「はいはい」
こうして、結局、エンヨウからの手紙はコハクが代読したのだった。
なんだか、コクヨウはどっと疲れたような気がした。が、きっと気のせいだろう。そう思うことにした。
内容はコクヨウは元気か、こちらは元気だ、ニッカはちゃんとやっているか、先日妹と梅酒を漬けた、などの日常が平易な文章と手本のような読み易いカク文字で書かれていた。
読み終わった手紙は、のちに珍しく自分で買い求めた文箱へと、コクヨウは大事に収めた。
「ねえ、コクヨウ。この機会に読み書きを覚えてみたらどう? そうしたら親展の手紙もすぐ読めるし、私も少しなら教えられるし!」
後者が本音なのだろう。二人きりで勉強! 二人! きりで! と顔に書いてある。
いつもなら即断るだろうに、わずかに逡巡する様子のコクヨウの背を押すべく、コハクは言葉を紡ぐ。
長らく本人の意思を尊重して放任してきたが、やる気があるならいつからだって勉強していいのだ。
「そうだな、せっかくエンヨウ殿が送ってくれたことだし、返事を書くために学んだっていいだろう。教材はいくらでも用意するし」
「ね、コハクもこう言ってるし、一緒にやりましょ!」
微笑むコハクとやる気満々のニッカにコクヨウはおずおずと、けれどしっかりと肯いたのだった。
とはいえ、今まで一度も机に座って学習をしたことのないコクヨウだ。一度にたくさん詰め込みすぎれば嫌気が差すだろう、とニッカの提案で一日一行の書き取りから始まった。
一日一行が二行になり、三行になり……と丸々一ページを書けるようになった日にはコハクが祝いの特大ケーキを焼いたほどだった。
ニッカに言われるまま文字を書いていたコクヨウが初めてまともに書いた単語がヒノハナである、と知るのは自分の名前をコクヨウが書いてくれた! とニッカが店中に半紙を見せて自慢して回ってからだったし、ニッカに教わっていたのだがテッサリンドの公用語ではなく、ソケイで使われている文字だったと知るのは、ニッカが見せびらかして回った半紙をコハクが見てからだった。
「うん、ソケイのカク文字が上手く書けるようになって何よりだ。並行してテッサリンド語も書けるようになっていこうな」
「御意……」
「ニッカもコクヨウと一緒にテッサリンド語の書き取りを頑張ろうなー」
「えっ、な、なんで?」
「綴りが怪しいから」
赤インクで添削の入った必要書類を見せられたニッカは観念した。苦手な勉強を頑張っているコクヨウの手前、嫌だなんだとは言えず、しょぼくれながら返事をするのだった。
「うぅ、がんばります……」
その後、順調にテッサリンド語を覚えていき、ソケイのカク文字も三分の一を覚えたコクヨウは、周囲に分かりづらくうきうきとしていたので、コハクは言えなかった。
ソケイにはカク文字とひら文字に比べ、テッサリンドで使われている字数よりも圧倒的に数の多いソケイ文字があるんだぞ、と。
「いやあ、カク文字とひら文字は表音文字ですから、覚えてしまえば読み書きは意外と簡単にいきますよねー」
「さすが、独学でソケイ語を学んだ作家先生は言う事が違うな……」
今日はすっきりしゃっきり、隈のない目元を細めたホレスがここではないどこか、遠くを見つめた。
「でもソケイ文字はちょっと無理ですよ、あれ。種類多すぎ、一文字に読み方多すぎ、例外多すぎ、意味込めすぎ。
一個前のソケイ文字とは違う読み方を使ってくるのは卑怯ですよ、あれ」
「一月一日、元旦の本日は、見事な晴天、天晴な日当たりです、とかか」
「あははははははは! それです。おれはそこで切れました」
「まあなあ、気持ちは分かる。私も草書とか、複雑すぎる言い回しとかは辞書を片手に解読するしかない」
「え、辞書とかあるんですか?」
「私手作りだ」
「買えないやつ!」
複写させてもらおうかなあ、とホレスが熱いコーヒーを飲もうとして、やめた。念入りに息を吹きかけて冷ましていく。
「コクヨウさんはいつその壁にぶつかりますかねー」
「さてなあ」
その頃には椅子に座っての学習に慣れていればいいのだが。
そんなコハクの祈りは無事、天に届いたようで、カク文字をすべて覚えたコクヨウはひら文字とソケイ字の存在を知っても絶望することなく学習を続けた。
その甲斐あって、エンヨウと文通をするまでに至り、ニッカがまた悋気を起こすのだが、それはまだまだ先のことであった。
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