一通の手紙
それは一通の手紙から始まった。
薬屋カラリは大国テッサリンドの首都はオル・ピスマにある、こぢんまりとした店だ。
中央街の隅の隅、路地の奥まった場所にある割に店内の日当たりは良く、だからか、時折店主のコハクが日向ぼっこをしながら昼寝をしている姿が見られる。
薬屋の看板を掲げてはいるが、店に足繁く通う常連の目当ては薬ではなく、もっぱらコハクが趣味で作ったはいいが自分一人では持て余す量の菓子のお裾分けだ。
自他ともに認める立派なぐうたらであるコハクだが、食に関しては腰が軽くなるようで、ほとんど毎日菓子を作っては配るのだ。
好奇心が旺盛で、市場などで珍しい食材を見ればついつい買い求めて創作料理も作っては店にいる客に振る舞うこともしばしばある。
そのどれもが美味しいものだから、客のほうもついつい健康体で薬などいらないのに通ってしまうのも仕方のないことだろう。
「薬屋は金持ち相手の商売をしているから、貧乏人なんかにゃ要は無ェって態度の奴も多いのに、この店は金を持ってない奴にも良くしてくれる!」
と常連の一人である近所のオヤジが笑って出された茶を一気飲みするのが日常であった。
その度に「一気飲みはやめろ」とコハクが咎めるのもまた日常であった。
そんなカラリの従業員であるコクヨウはその日もいつも通り郵便受けに手紙を入ったのを察して、郵便物を取り出すべく外に出た。
丁度良い気温、湿度に保たれている店内とは違って、すでに陽の高く昇った外気温は汗ばむほどに高くなっている。
さんさんと王都を照らし尽くさんばかりに輝く太陽は、少し前にしばらく薬屋に逗留していた人物を思い起こさせた。
海の向こう、ソケイ国からやってきたその御仁の娘と日々を過ごしているせいかもしれない、とコクヨウは店内に戻り、調合台に懐いているコハクに取ってきた郵便物を渡した。
「悪いな、どれどれ……。請求書に広告に……ん?
これはおまえ宛だぞ、コクヨウ。エンヨウ殿からだ」
コクヨウはつい先程思い浮かべていた人からの手紙を受け取り、しばし眺めた。
テッサリンドでよく使われている封筒の様式とはわずかに違い、細長い。裏面を見れば頭がなぜか横にあって、狭い。これでは中身が取り出しにくそうだな、とコクヨウが眺めていると、コハクの笑った声が届いた。
「長い方が天地で、短い方がは幅だぞ」
「……御意」
どうやら向きを間違えて持っていたらしい、とコクヨウは言われた通り横長に持っていた封筒を縦長になるよう持ち直す。開けようとして、コハクの言葉に動作を止めた。
「その封筒は親展で――」
親展。
親展とは封書に置いて宛名となるなっている本人が自分で封を切って呼んでほしい、という意味だ。
しかし、コクヨウは字の読み書きができない。今まで習ってこなかった。
だから、手紙を読める訳もない。できるのは封を開けることくらいのものだ。機会がなかったからエンヨウには伝えていないことをコクヨウは思い至る。
開けてコハクに呼んでもらえばいいのでは、と思うもそれでは親展ではなくなってしまう、どうすべきか一瞬迷いかけて、急の報せかもしれぬ、とコクヨウは代読してもらおうとコハクを見た。この間〇.五秒である。
しかし、そこへちょうどホレスがドアベルを元気よく鳴らして薬屋へやってきた。
「こんにちはコハクさんちょっとばかりお知恵を拝借したいです」
「わかったわかった、分かったから落ち着け、まずは茶でも飲め」
「わかりましたありがとうございます!
……フーーーーっ、ちょっと落ち着いてきました。……コハクさん、おれのこと鬱陶しいと思ってるでしょう」
「まあ多少は」
「そこは嘘でも『そんなことない』って言ってほしかったなあ!」
「ははは、私とおまえの仲じゃないか」
「すごい! 今聞いてもずぇんずぇん嬉しくない!」
締め切りに追われているのか、ホレスの目の下には隈がはっきりと見てとれた。
ニッカが見れば「書くより寝なさい!」とみぞおちに一発入れられるのは間違いない。
幸か不幸か、今は買い出しに行っているため、ホレスの腹の安全は守られた。
「推理ものを書こうと思ったのはいいんですけど、殺害方法で躓いちゃって! 凶器が刃物や鈍器じゃちょっとありきたりすぎるかなあって! やっぱり毒のほうが捻りがきいてるじゃないですか?! 目に視えないから警戒もされにくいし! しかも毒によっては解毒方法がないし、検出されない毒もあるとか! 遅効性の毒とか最高ですよね! ひとつひとつはなんの問題もないのに合わせると体に悪いとか! 可食野菜そっくりの毒植物とか! 殺そうと思えば選り取り見取りじゃないですか?! おれがちょっと調べただけでこれだけ出てくるんです、毒のプロフェッショナルのコハクさんならもっと多種多様な殺し方を知ってるんじゃないかと思って!」
「言いたいことは分かるが、人聞きが悪すぎるから音量を落として落ち着いてくれ、頼むから」
徹夜すると大抵の人間は情緒がおかしくなるものである。例に漏れず、ホレスも情緒がおかしくなっているようだ。
情緒の不安定な人間の相手はひどく面倒である、ここは茶に睡眠導入剤を盛って一眠りさせるべきか――一眠りしてから話を聞こう、と決めて、お茶係のコクヨウへ目配せをしようとしたコハクだっったが。
「もうすぐ淹れ終わりますよ」
「……ナハト?」
いつもなら先んじて客のお茶を淹れているはずのコクヨウはいつの間にやら姿を消しており、そのかわりに交代要員のナハトが茶を淹れていた。
「コクヨウは用事ができたので留守を任されたました。ニッカさんの買い出しを手伝いに行くそうで。珍しいですよね」
「んー、珍しいというか……」
口元に手をやって考え込むコハクの向こう側、カウンター席では安眠効果のある茶を一気飲みしたホレスがこっくりこっくり船を漕ぎ始めていた。
***
薬屋を後にし、街中へ出てきたコクヨウは時折鼻を引くつかせながらニッカを探していた。
今日の買い出しの内容は日用品と食料品なので、今は生鮮食品を多く扱う市場にいると考えたコクヨウはそちらへ歩みを進める。
しかしその歩みは決して速いとは言えなかった。
コハクが忙しいならばニッカに代読を頼めばいい、と軽率に出てきてしまった自分の浅慮を今更ながらに自覚してしまったためだ。
親展と書かれているのにもかかわらず、自分以外が読むのはエンヨウに対して失礼に当たるのではないだろうか、しかし字の読めない自分ではどうしようもない、エンヨウも身内のニッカになら読まれても構わないのではないか。
手の中の手紙を見ながらなれない思考をぐるぐると回すコクヨウの脳は普段以上に過負荷がかかっていた。
だから、曲がり角から出てきた男への対処が一拍遅れてしまったのだ。
コクヨウの胸板に粗末な旅装の男が肩をぶつけ、尻もちをついた。その拍子に男の懐から手紙が地面に落ちる。
「申し訳、ありません」
「いや、こちらこそ!」
コクヨウは男を立たせてから男の手紙を拾おうとしたのだが、何を勘違いしたのか、男はコクヨウが持っていたエンヨウからの手紙を引ったくって足早に雑踏へと消えていく。
コクヨウは男の背中をしばし呆然と眺めて、己の失態に消沈した。
もう少し強く握っていれば、しかしあまり強く引っ張り返しても手紙を破損させる可能性が、考え込んでいたとはいえ手紙に迫る手を避けられないとは、不覚、そも懐にきちんとしまっておけば。
堂々巡りをする思考を振り払い、コクヨウは男を追って駆け出した。
親展の手紙を読めずとも、せめて自分で封を開けねば、と。
***
コクヨウにぶつかり、己の懐から手紙を落としたことにも、手紙を取り違えたことにも未だ気付いていない男は路地裏で上がった息を整えていた。
忙しく周囲の様子を伺い、追手のないことを確認する。誰もいないことに安堵して、男は壁に背を預けた。
男の名前はケアリー。つい先日までリタニカ領の領主、リナ・オールディントンが住む屋敷で下働きをしていた。
ケアリーの父もその父も、そのまた父も……と代々オールディントン家に仕えてきたケアリーはもちろん、オールディントン家を敬愛していた。オールディントン家には大恩があるし、長く付き合ってきた分の親しみも感じていた。
リナが体調を崩したと聞いて、屋敷で働く者はみな一様に心配をしていたのだ。
執務を充分にこなせないから、とリナの弟が屋敷に入って、これで領主様の負担も減るだろう、と安心していたのだ。
だというのに、その頃から屋敷はだんだんとおかしくなっていった。
昔から仕えていた騎士たちや従者たちが次々に辞めていき、代わりに頭も素行も悪い者達が出入りし始め、幅をきかせるようになった。
病床のリナには手厚い看護が必要であるのに、なぜか離れへ移され、ケアリーを含めた下働き数人で面倒を見るよう言われた。
お医者様を呼んでくれと訴えても、
「薬をくれてやっているのだから必要ない!」
ととりつく島もない。
あんな弟が下げ渡してきやがった、こんな薬で良くなるものか! とケアリーは渡された薬を怒りに任せて捨てた。
その後も届けられる薬を飲んでいますと嘘をついて捨て続けた。
ほんの少しばかり薬草の知識がある妻を呼び寄せ、同僚たちとつきっきりで看病をした。
幼い頃からリナを見てきたケアリーにはリナが病にかかって伏せるなど信じられなかったのだ。
幼い頃から風邪を引いてもベッドに収まらなかったリナが、落馬して骨を折った翌日でさえ馬に乗ろうとした脳筋……元気大爆発坊主が、病だからといって薬を飲んで元気になるはずがない! と信じ込んでいたのだ。普通なら悪手であるはずが、この時はケアリーのこの考えがリナを、引いてはリタニカ領を救うことになる。
病気には肉だ! リナには肉を食べさておけば元気になる! という今は亡き父の教えに従って、ケアリーはせっせと鳥やら、兎やら、鹿やら、猪やら、熊やら、魔獣やらを獲ってきては鍋にして寝たきりのリナに与えた。
野菜もちゃんと摂らなきゃダメよ! という妻の助言にもきちんと従い、肉肉肉野菜たっぷり鍋を毎日用意した。
始めは一口食べるのもやっとだったリナが二口、三口、と食べる量が増えていき、ベッドから起き上がり自分で一杯をぺろりと食べきり、おかわりを要求した日には、ほらみろ、リナの病は肉で治すんだ! とケアリーは妻と同僚たちと一緒に嬉し泣きをした。
さっそくリナが元気になったとことを屋敷で我が物顔で采配を振るうリナの弟に報せようとしたケアリーを止めたのは、他ならぬリナ本人であった。
「いいか、ケアリー。私はこのまま病のふりをし続ける。おまえは出稼ぎに行くと装って、王都にいる我が子に手紙を届けて欲しい」
なんと、ケアリーの予想だにしなかったことがリタニカ領では起こっていた。
リタニカ領を乗っ取らんとする弟にリナは、間者を通じて毒を飲まされ。病に冒されたと見せかけられていたのだ。薬と称した毒薬をあのまま飲み続けていれば今頃死んでいたかもしれないのだ。
なんと恐ろしいことを考える奴なのだろう。
「リナ様の弟だからリナ様と同じように真摯に仕えてきたわしらになんたる仕打ちか。許せぬ」
「ええ、許せないわね! 馬糞の山に頭からぶち込みましょう!」
「そうだそうだ!」
「わっはっはっ、そいつは軽快だがみな、落ち着きなさい。それは私の仕事だから」
「はい……」
「は~い……」
そんな訳で、ケアリーは言われた通り出稼ぎと周囲に偽って一路王都を目指した。
リナの計画は手紙を王都で学んでいる子のアラベラに渡し、現状を知ってもらい、リタニカ領に戻りがてら今までクビにされた騎士たちや従者たちを集め、屋敷にいる弟の注意が外に向いているうちに、元気になったリナが屋敷の内側から制圧するというものである。
うまくいけば死人を出さずに済む、と言い切ったリナの言葉を信じてやってきたケアリーだったが、王都の賑やかさに目を回す寸前だった。
いやいや、こんなところでモタモタしているわけにはいかんぞ、アラベラ様のいるお屋敷に行かねば、アラベラ様に手紙を渡さねば、と自分を奮い立たせ、ケアリーは足を踏み出した。
その時である。
顔を覆った、いかにも怪しい風体の者達に囲まれたのは。
「な、なんだあ?! だ、誰だあんたたち?!」
「貴様はケアリー・ウォルターだな」
疑問形ではあったが、断定の響きであった。人違いだと言っても通らないだろう。
リナが危険の渦中におまえを巻き込むのは心苦しいが、と言うわけだ、とケアリーは唇を舐めた。喉は緊張でからからに乾いて干上がっていたが、内心を悟られぬよう強気な声を出す。
「だったらなんだってんだ? 言っとくが、金ならねえぞ。オレぁ、出稼ぎにはるばる王都まで来たんだからな」
覆面達はわずかにせせら笑ったようだった。
「金などいらんさ。代わりに手紙を寄越しな。持ってるんだろう?」
思わず懐に手をやったケアリーは己の迂闊さに舌打ちをした。覆面達の視線がいっせいにケアリーの懐へと集中する。
「おとなしくそれを渡せばよし、そうでなければ……」
殺されるのだろうな、とケアリーは少しでも力を抜けば笑いだそうとする膝を叱咤しながら、頭の隅で冷ややかに考えた。
一、二、三、相手は六人。どうにかして逃げ切れないだろうか。
よしんば命を落としたとしても、人通りの場所まで行ければ、この手紙を託せれば。
覚悟を決めたケアリーの脳裏には故郷での日々や、家族の笑顔、それから最後に生気を取り戻したリナの顔が浮かんでは消えていった。
最後に見たリナの顔が病にやつれた顔でなくて良かった、とケアリーは腰をためた。
「渡す気は無い様だな。――殺るぞ」
その声を皮切りに、ケアリーは走り出した。
なんとしてでも手紙を守り通すために。せめて誰かに託すために。
背後に迫る殺気から逃れようと、遮二無二体を動かして、前へ前へと進む。震える手足を叱り飛ばして、ひたすらに前へ。
「がふっ?!」
「ぎゃあ!?」
「ぐあぇ?!」
「げえっ!?」
「ごふっ?!」
「なにもぼ!?」
脈絡なく背後から聞こえてきた蛙の潰れたような悲鳴にケアリーは振り返った。
六人の覆面達はなぜだかひとり残らず地面に倒れていて、代わりに見たことのない男が立っている。
男は中肉中背で、黒髪に褐色の肌、着ている服も黒、となんだか影のような印象の男だった。しかし、ケアリーに向けられた眼は満月のような黄金色で、どことなく眠たげに感じる。
まさか一瞬で六人の覆面達をこの男が倒したのかしらん、とケアリーがと考えている間に、男は手慣れた様子で覆面達を縛り上げて地面に転がしたかと思えば、ピィッ、と短く指笛を吹いた。
いったい何がおこっているのやら、ケアリーにはまったくわけが分からなかったが、きっとこの男に窮地を救ってもらったのだろう。礼のひとつも言わねば、とケアリーは頭を深々と下げた。
「どこのどなたかは存じませぬが、危ないところを助けていただき、ありがとうございます」
「いえ」
「では、先を急ぎますのでこれで……」
そそくさとその場を離れようとしたケアリーの腕を男が掴む。
すわ追手か?! と身を固くしたケアリーだったが、わずかに眉尻を下げた男の、
「もうすぐ騎士団が、来ますので……」
という言葉に己の額を思い切り叩いた。
「騎士団! その手があったか!!」
なんとしてでも自分で届けねばと気負うあまり、王都の騎士団のことをころりと忘れていた。
男前で凄腕が勢揃い、と噂を聞いた妻がいつか本物を見たいわあ! ときゃあきゃあ黄色い声を上げたものだから、無意識に脳内から消去していたのかもしれない。
そういえば、リナから王都に着いたらすぐに騎士団に手紙を渡すように言われていたような……?
「過ぎたことは仕方ねえ、今すぐにでも騎士団にこの手紙を――」
走り出そうとするケアリーの腕を掴んでいた男の手が止める。
男が懐から取り出した手紙にケアリーは顎が外れんばかりに驚いた。
「……あなたの手紙はここ、に。己の手紙がそこ、に」
男が指さした己の懐か取り出した手紙は、まるで読めない字で書かれ、おまけに封筒の仕様までもが違う、一目で自分の運んできたものではないと分かる手紙だった。
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