エピローグ 白銀の姫とデビュタント
息をのむほど、美しい少女だった。
艶やかな銀糸の髪を結い上げ、露わになったうなじが抜けるように白い。すらりとした肢体に纏うのはデビュタント用の白いドレス。上質だが飾り気のないドレスは、かえって彼女自身を際立たせるようだった。
薄くほほえむ桃色の唇、長い白銀の睫毛、美の女神ウェーナもかくやというほど完璧に整った容貌の中で、何よりも印象的なのは、その瞳——深紅と緑青のヘテロクロミアだ。
少女をエスコートするのは、近衛騎士団長のアルクトゥルス公爵——少女と同じ銀髪に深紅の瞳の、端正な容貌の男だ。今日は近衛騎士団の礼装ではなく、珍しく正装しており、公爵として列席しているということが窺える。
——つまり、彼女が、公爵の掌中の珠と噂される亡き公爵夫人の忘れ形見か。
人々のざわめきを意にも介さず、絵画のような父と娘は大広間の奥へと進んでいった。
「陛下。今宵はお招きいただきありがとうございます。一人娘のサーシャが18になりましたので、ご挨拶に連れて参りました」
父に促されて、サーシャは国王の御前に進み出た。アステリア王国国王アルマース・バージル・セイリオス・アステリアは、金髪に真紅の瞳の、精悍な面立ちの男だった。歳は父よりふたつ下だと聞いている。
サーシャはドレスの裾を持ち上げ、優雅に膝を曲げた。
「お初にお目にかかります、国王陛下。サーシャ・リア・アルクトゥルスと申します。不束者ではございますが、父に習い、王国のため、王家のために尽くして参ります」
「今日はよく来てくれた、サーシャ嬢。……グラナート、さては出し惜しみしたな」
アルマースが父を名前で呼んで軽く睨む。サーシャの父——グラナート・リアム・アルクトゥルス公爵は、にべもなく答えた。
「いえ、そのようなことは。デビュタントボールの日は職務がございましたので」
社交シーズンの始め——先月、18歳を迎えた貴族の子女が王族に謁見し、社交界入りするデビュタントボールが開催された。本来はサーシャも社交界入りするはずであったが、エスコート役の父は、近衛騎士団長である。人の出入りが多いデビュタントボールでの王族の身辺警護のため、サーシャの社交界入りの方を延期せざるを得なかったということらしい。
今宵の舞踏会は王家が主催するものではあるが、そこまで規模は大きくない。公爵家の娘がいつまでも社交界入りしないというわけにはいかないし、近衛騎士団長自ら警護する必要はないという判断だった。
「いや、むしろ他のご令嬢たちからすると幸いだったというべきかな……。サーシャ嬢、公爵には本当に苦労をかけているのだ。おかげで久しぶりに舞踏会に引っ張り出すことができた。感謝する。……娘御の晴れ舞台だ。今日は職務のために飲まぬと言う言い訳は許さぬぞ」
アルマースが茶化すように言うと、グラナートはお手柔らかに、と眉を下げた。
「今日は所用で王妃が欠席しておるのだが、サーシャ嬢に会いたそうにしていた。今度お茶会を催すそうだから、ぜひ出席してやってくれ。——さて、若者は若者同士で交流する方がよかろう。私も息子たちを紹介しよう。ルベール、サフィール、こちらへ来なさい」
少し離れたところにいた二人の王子に、アルマースが声をかける。柔和な笑みを浮かべた真紅の瞳のルベール王子と、感情を窺わせない蒼い瞳のサフィール王子。瞳の色以外は瓜二つだが、纏う雰囲気は対照的だ。
サーシャとして、王子たちと相対するのは初めてだった。——わかるはずがない。そう思いつつも、少しだけ鼓動が早くなる。
ルベール王子が、では私から、と口火を切った。
「ルベール・クラウス・セイリオス・アステリアだ。サーシャ嬢は本当に美しいな。皆があなたに釘付けだ。今宵が社交界入りということは、あなたも王立学院に通われるのかな?」
貴族の子女、それも公爵家の娘ともなれば、王立学院に通うのは当然だった。だが、主として王立学院に通うのは、サーシャではない。こういうときのために、ちゃんと言い訳は用意してあった。
「実は、毎日通うのは難しいものですから……月に何度か、特別講義を受けさせていただくことになっておりますの」
「ご事情があるのだね。けれど、講義以外に学院では行事もある。あなたが姿を見せれば皆も喜ぶだろう」
「ええ、ぜひ。わたくし、お友だちをつくりたいと思っておりましたの」
「その折は私から皆に紹介しても良い。あなたと友人になりたくない者などいないだろう。——ああ、私ばかり話していては、弟に叱られてしまうね」
サフィール、とルベールが双子の弟に声をかける。
サフィール王子は社交に関心がなく、冷淡なことで有名だ。他の令嬢たちに対するのと同じように、サフィールはきっと自分にも冷たい態度をとるのだろうな、とサーシャは心に小さな穴があいたような心地になった。
サフィールは双子の兄に促されて、サーシャと向かい合った。その蒼い瞳が、やけに熱を帯びているような気がした。
「私はサフィール・レイ・セイリオス・アステリア。もう一度あなたの唇から、名を聞かせてはくれないだろうか」
完全に虚を突かれた。あの日、廃砦で何度も聞いた、真紅の瞳の王子と同じ声、だが、硬質だった声の響きが驚くほど柔らかい。
アルマースもルベールも唖然とした様子でサフィールを見ている。一方のサーシャは、なんとか動揺を抑え込んだ。
いくら王子といえど、さすがに二大公爵家の令嬢相手にそっけない態度はとれないということか。
「第二王子殿下。サーシャ・リア・アルクトゥルスと申します」
「……サーシャ嬢」
サフィールは、サーシャにすっと右手を差し出した。
「私と、踊っていただけないだろうか」
王子たちと公爵令嬢の様子を窺っていた人々から、驚きの声が漏れた。
あの第二王子が、誰かをダンスに誘うなんて。しかも相手は、デビュタントを果たしたばかりの、公爵家の令嬢だ。
サーシャとしても、まさか王子にダンスを申し込まれれば断るわけにはいかなかった。
「はい。わたくしでよろしければ」
内心動揺しきりだが、淑女教育の賜物か、すらすらと言葉だけは出てくる。サーシャは、差し出された手に右手を預けた。
「光栄です、レディ」
サフィールが手の甲に唇を落とす。さしものサーシャも、これには狼狽を隠せなかった。かあっと頬が赤くなるのが自分でもわかる。
「アルクトゥルス公爵、ご令嬢をお預かりする。……さあ、行こうか」
父が何ともいえない顔をしているのを視界の端に捉えながら、サーシャはサフィールに誘われて広間の中央へと向かった。
サーシャは身体を動かすことが得意だ。だから、淑女教育の中でもダンスのレッスンは苦ではなかった。特に意識しなくても、音楽に合わせて身体が勝手に動いてくれる。
だが、なまじ余裕があるせいで、サフィールの視線を意識してしまい、居たたまれない気分になる。
「……第二王子殿下」
「サフィール、と。名を呼んでくれないだろうか」
この方は一体どうしてしまったのだろう。サーシャはとにかく混乱していた。
このまったくわけのわからない状況に、本当は思考を放棄してステップのことだけ考えていたい。わたくし、ダンスは初めてでしたから、ステップのことで頭がいっぱいで、気がついたらダンスが終わっていましたの、と言うのだ。だが、どんなときも情報収集と思考を怠るなという父の教えがそれを許さなかった。
「では……サフィール殿下」
「殿下はいらない」
「そういうわけにはまいりませんわ……サフィールさま」
これが精一杯です、と抗議の目を向けると、サフィールのいたずら気な蒼い瞳と視線が絡まり、思わずサーシャは目を伏せた。
「すまない。困らせた。それで、何か私に聞きたいことが?」
何故自分をダンスに誘ったのか聞こうとして、サーシャは思いとどまった。さすがにそれは単刀直入すぎるのではないか。
とりあえず、無難そうな世間話を振ってみる。
「サフィールさまはダンスがお上手ですのね」
「そうだろうか。あなたこそとても上手だ」
「たくさん練習しましたもの」
「私もだ。だが、あなたに褒められるのは嬉しいな。何せ私も今日が初披露だ」
意外な答えに、サーシャは思わず聞き返した。
「いままで舞踏会で踊られたことがないのですか?」
サフィールは、ルベールと共に先月のデビュタントボールの日に社交界入りしているはずのだ。それなのに、誰とも踊ったことがないなんて。
「ああ。踊りたいと思える相手がいなかったからな」
その割にはリードが手慣れている気がする。そこでサーシャは思い至った。ルベール王子と入れ替わっているときは踊らざるを得ないだろうから、そのときに慣れたに違いない。
(初披露だなんて、殿下の嘘つき)
たくさん女の子と踊っているくせに。しかしそれは、サフィールがいかに普段から影を演じているのかという証左でもあった。
でも——だったらなおさら、なぜサフィールは、サーシャをダンスに誘ったのだろう。
サフィールは、熱っぽくサーシャを見つめ、とろけるような甘い声で囁いた。
「——だが、今日はきみを見つけた」




