夜明け
「……ミルザム伯爵邸に戻りましょう。この現場は近衛騎士団が預かります」
「ああ。……大騒ぎになっているだろうな」
面倒そうに王子がぼやく。
アレクシスと王子が正門に向けて歩き出そうとしたときだった。
凶々しい気配が、一気に膨れ上がった。両断された肉塊の切断面から瘴気が溢れ出している。
アレクシスと王子は、再び剣を構えた。
「くそっ、あそこまでやって、まだ次があるだと?」
「本当に。どうしたら終わるのか、教えていただきたいものです」
二つの肉塊の切断面を縫うように、瘴気の触手がつないだ。獣だったものが、地面を這うようにして突っ込んでくる。王子は突進を躱し、その脳天に大剣を突き刺した。
途端、耳をつんざくような金切り声を上げて、肉塊はめちゃくちゃに暴れ始めた。王子は大剣を放棄し、離脱する。
肉塊は、建物をなぎ倒し、触手を鞭のように振るった。地響きとともに、砦壁が崩落し始める。
「退くぞ! 正門へ走れ!!」
アレクシスと王子は来た道を駆け戻る。王子が先行し、アレクシスは後方で、背後から追いすがる触手を迎撃した。
角を曲がったところで、馬が暴れているのが目に入る。中庭へ向かう直前につないでおいた馬だった。
触手の数が一気に増える。アレクシスは一旦足を止めて触手を斬り払った。
そのときだった。轟音とともに、横から、肉塊が建物をなぎ倒しながら突進してきた。アレクシスは咄嗟に後ろに向かって跳んだ。
正門へ向かう通路に、肉塊が立ちふさがる。
王子の方に行かれてはまずい。
アレクシスは、長剣を手に、肉塊に斬りかかって注意を引いた。
「アレクシス!!」
肉塊の向こうから、王子が自分を呼ぶ声が聞こえる。
「殿下、馬を! そのまま行ってください!」
そう叫び返し、アレクシスは襲い来る触手を斬り払った。
——まずは王子が離脱するだけの時間を稼ぐ。
アレクシスは、本体に突貫し、肉塊に斬撃を加えた。肉塊に攻撃を加えるたび、傷口から瘴気が吹きだし、切断面を縫いつけるようにふさがっていく。
触手を迎撃し、突進を躱し、本体に攻撃を加える。何度繰り返しただろうか。アレクシスは間合いを取って息を整えた。
王子は無事離脱しただろうか。このままだと、アレクシスも砦の崩落に巻き込まれる。脱出方法を思案しようとしたとき——遠くから蹄の音が聞こえた。
(本当に、人の話を聞かないな)
困った王子さまだ。アレクシスは、進路を確保するため片端から触手を切り落とした。
「——アレクシス! 来い!」
差し出された手を掴む。王子は、片腕の力だけで、アレクシスを馬の上に引き上げた。肉塊の脇をすり抜け、正門へ一直線に駆ける。正門をくぐり抜けた次の瞬間、廃砦は崩れ落ちた。
東から、朝日が昇ってくる。崩れた砦の外に這い出そうとしていた瘴気と肉塊は、陽の光に触れた瞬間、塵と化し、虚空に消えた。
「……今度こそ終わったか。間一髪だったな」
耳元で王子の声が聞こえる。背中に密着する体温に、何故だか無性に居心地の悪い気分になった。二人乗りしているからには当然だが、後ろから抱き込まれるような体勢だ。
「お前、少し細すぎないか」
「……。降ります。手を離してください」
「何故だ? 馬で戻った方が早いだろう」
「私はここに残って、引き続きこの件を調査します。……それに、この体勢を誰かに見られるのは、騎士の沽券に関わりますので」
「そういうものか」
王子は素直に、アレクシスの腰に回した左腕をほどいた。アレクシスは、馬から下り、王子を見上げた。朝日の下で、金色の髪がきらきらと反射した。
「殿下。今回はご助力いただき、ありがとうございました。……ですが、もう少しご自身の立場を自覚してください。王子が近衛を助けに戻るなど、もってのほかです」
アレクシスが苦言を呈すと、王子は真紅の瞳にからかうような色を浮かべた。
「では、近衛が王子を一人で行かせるのはいいのか?」
アレクシスは呆れた。単独で敵地に乗り込む王子の発言とは思えない。
「あなたが護衛と合流するまでは近くにいます。早く戻って護衛に叱られてください」
遠くから、複数の蹄の音が近づいてくる。大方、王子を捜しに来た護衛たちだろう。
「……それでは」
そう言い置いて、アレクシスは林の中に身を隠す。
そして、王子が無事護衛たちと合流するのを確認して、そっとその場を離れた。
「——以上です。詳細は報告書をご覧ください」
王城の近衛騎士団長の執務室からつながる隠し部屋で、アレクシスは、執務卓の前に立ち、手短に報告をすませた。
特務騎士は、任務の性質上、特務騎士であることを知られてはならない。ここは、特務騎士の存在を秘匿するために設けられた部屋のひとつだった。部屋の存在を知るのは、ごく限られた者だけだ。近衛騎士団長の執務室だけでなく、王都の地下水道につながっており、アレクシスは専らその経路を使用していた。
「ご苦労だった」
近衛騎士団長が報告書をめくる。
王子誘拐事件は、表向きは廃砦を根城にしていた賊の手によるものということになっていた。老朽化した廃砦がたまたま崩落し、その機に乗じて王子が単身脱出したという筋書きだ。
「誘拐そのものを隠蔽するには、目撃者が多すぎたな。生存者は、地下に取り残されていたイアペトラの傭兵一人。地下室を捜査できたのは幸いだった」
「はい」
砦の地下は崩壊を免れた。あの夜、地下室に置き去りにした傭兵は、騎士団によって発見され、早々に近衛騎士団に引き渡された。あの男がこれ以上有益な情報をもたらすとは思えないが、今回の事件は、騎士団の手には余る。
「天狼教団。今回はずいぶん派手に動いたものだ」
近衛騎士団長は、表情に憂いをにじませた。
「引き続き、調査を続けます」
「……いや。今日呼び出した本題だが、お前には、内偵から離れ、別の任務についてもらうことになった」
「……はい」
(やはり、今回のことは失態だった)
任務を外されるのも致し方ない。アレクシスはわずかに目を伏せる。すると、近衛騎士団長は慌てた様子で椅子から立ち上がった。
「待ちなさい。そうではなく——これは、お前にしかできない任務なのだ」
「私にしかできない任務、ですか」
「そうだ。ついてきなさい」
近衛騎士団長は、部屋の奥の扉に向かった。そこには、ほとんど使われていない応接がある。
近衛騎士団長はノックをし、扉を開ける。
「失礼いたします」
アレクシスは違和感を覚えた。公爵位を持つ近衛騎士団長が、ここまで畏まった態度をとる相手は限られている。
近衛騎士団長のあとに続いて、中に入る。
そこにいたのは——金髪の青年が、ふたり。
「わが国の王子殿下が双子なのは知っているな? ——殿下方、ご紹介いたします。甥のアレクシスでございます」
真紅の瞳の青年が、ソファから立ち上がった。
「はじめまして。私はルベール・クラウス・セイリオス・アステリア。弟が世話になったね」
ルベール王子。ミルザム伯爵の夜会で挨拶したはずの、アステリア王国の王太子は、あの夜と寸分違わぬ穏やかな笑みを浮かべた。
「——驚いたか? そんな顔もできるんだな」
聞き覚えのある口調だった。ルベール王子の隣に座る、蒼い瞳の青年。彼らは、瞳の色以外、鏡に映ったように瓜二つだった。
「俺は、サフィール。サフィール・レイ・セイリオス・アステリアだ。だましていて、悪かった」
絶句するアレクシスに、蒼い瞳の青年——第二王子サフィールは、悪びれる様子もなく言った。
「さて、アレクシス。お前には、学院で、殿下たちの護衛任務についてもらう。——表向きは、学友として」
その夜、アルクトゥルス公爵邸。
アレクシスは闇に紛れ、屋敷のバルコニーから、部屋の中に入った。
部屋の中には、侍女が一人待っていた。
「そろそろお戻りになる頃だと思っていました」
「ああ。ただいま、トリフェ」
仮面を外し、漆黒のマントを脱いで侍女トリフェに渡す。
アレクシスは、息を吐きながら詰め襟の襟元をゆるめ、大きな姿見の前に立った。
——アレクシスの時間はお終いだ。
髪と右目にかけていた魔法を解く。灰色の髪が白銀に、緑青の瞳が深紅へと色を変えた。姿勢、表情、立ち居振る舞いの何もかもが切り替わる。
姿見に映るのはもはや灰色の髪の青年ではなく——白銀の髪の少女だった。
「おかえりなさいませ、サーシャお嬢さま。明後日の舞踏会に間に合わないのではと気を揉んでおりました」




