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白銀の姫、灰の騎士  作者: 石神菜子
序章 灰の騎士と金の王子

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5/10

祭壇

 地上に近づくにつれ、アレクシスは、強烈な不快感を覚えた。首の後ろが粟立つ。強力な魔物を前にしたときでさえ、こんな、首元に刃物を押しつけられるような、ぞっとする心地を味わったことはなかった。

 階段を上がり、扉を開けると、すぐ近くに砦の正門が見えた。

 建物の脇には、王子を連れてきた馬車が停められていた。アレクシスは、怯えている馬を落ち着かせ、馬車との連結金具を外してやる。

「殿下」

「言いたいことはわかるが却下だ。俺も行く」

 王子は、逃げ出す気はまったくなさそうだった。

「私ひとりならどうとでもなります。危ないと思ったら逃げてください。いいですね?」

「……考えておく」

 教団員や傭兵相手であれば、アレクシスは後れをとる気はしなかった。だが、空気が明らかに異様だ。篝火は消されており、不気味なほど静まりかえっている。中庭の方にだけ、炎の色がちらついていた。砦にいた人間はすべて、中庭に集まっているようだ。

 アレクシスは、王子を先導しながら建物の陰を進んだ。

 中庭には祭壇が組まれ、中央に大きな水晶が祀られていた。祭壇の周りには、神代文字で魔法陣が描かれ、その上に何人か教団員の死体が転がっている。水晶の中には、視認できるほど濃い、どす黒いマナが渦巻いていた。

 黒いマナを見ているだけで、怖気が走るようだった。先ほどから感じていた不快感の原因は、あのマナだ。

 そして、跪く教団員の輪の中から一人が立ち上がり、祭壇に近づいていく。

「神よ! 大いなる天狼よ! 我が声に答えたまえ!」

 男は叫び、自らの喉をナイフで刺し貫いた。そのまま地面に倒れ、死体の仲間入りをする。

「神よ! 天狼よ!」

 教団員たちが一斉に唱和した。そして、新しい殉教者が進み出て、一人、また一人と地面に血だまりを作っていく。

 そのたび、黒いマナが脈を打つようにその色を濃くした。

 頭の中で警鐘が鳴っている。この儀式を止めなければ——何か、恐ろしいことが起きる。

「殿下。私があの祭壇を破壊します。ここで隠れていてください」

 アレクシスは声を潜めて言うと、王子は首を横に振った。

「だめだ。あれは——おそらく黒蝕病患者から取り出したマナだろう。絶対に触れてはならない。俺が、」

「私(・)で(・)あ(・)れ(・)ば(・)、問(・)題(・)あ(・)り(・)ま(・)せ(・)ん(・)。行きます」

 アレクシスは制止する声を振り切り、魔力を足に集中した。強化した脚力で地面を蹴り、一陣の風のように祭壇に突進する。狙うは、祭壇の水晶一点のみ。

 アレクシスは、目にも留まらぬ速さで、水晶を双剣で刺し貫いた。水晶が粉々に砕け散る。

 しかし——黒いマナは霧散するどころか、枷から解き放たれたように蠢き始めた。

「アレクシス!!」

 王子が焦ったように呼ぶ声が聞こえた。

 黒いマナが触手のようなものを伸ばしている。

「くッ……!!」

 双剣で防ぎ、後ろに跳び退る。黒いマナはなおも新たな触手をアレクシスに向けた。切り落とし、躱し、防ぐ。

(これは何だ? 魔物か?)

 触手は本体の黒いマナから切り離された瞬間に霧散するが、一向に新手を差し向ける勢いは衰えない。到底、尋常の生き物とは思えなかった。

 気付けば、王子からだいぶ距離が離れてしまっていた。

「……見ろ、鍵だ」

「鍵だぞ」

「鍵がある」

 いつの間にか教団員たちが、立ち上がって王子の方を向いている。

「殿下!」

「俺は大丈夫だ。集中しろ、アレクシス」

 王子は長剣を抜き放った。

「鍵よ! 我らとともに、その血を天狼に捧げようぞ!」

「神を顕現させる鍵よ!」

 教団員たちが一斉に王子に群がる。王子は冷静だった。走りながら、一人ずつ斬り捨てていく。

 黒いマナは、アレクシスだけでなく、無差別にその触手を伸ばしていた。

 目の前で、教団員が触手に捕らえられる。長衣の袖から覗く青白い腕に、みるみるうちに黒い痣が浮かび上がった。そして、触手は教団員の身体から蛭のように血を取り込んだ。王子が斬った教団員にも群がって血を啜り、徐々に肥大化していく。

「くそ、斬っても斬らなくても結果は同じだな」

 王子が悪態をつき、触手もろとも、教団員を斬って捨てる。その瞬間、王子の足に、まだ息があった教団員がまとわりついた。

「鍵……鍵はここだ! 天狼よ!」

 その声に答えるように、黒いマナは一斉に触手を伸ばした。王子は、即座に剣を振るうが、わずかに対応が遅れた。

「ぐっ……う……!」

 一本の触手が王子の左肩を貫き、壁に縫いつける。そして、その血を啜り上げた。黒いマナが、一瞬血のような赤みを帯びる。

「この——!!」

 アレクシスは限界まで身体能力を高めて疾駆し、伸びきった触手を切り落とす。王子が石畳にくずおれた。

「殿下!!」

 駆け寄って抱き起こすと、王子は苦笑した。

「久々にしくじったな。帰ったら説教されそうだ。黙っていてくれ」

「こんなときに、何を……!」

 アレクシスは王子の傷を確かめる。もし、触手に触れられたことで、あの黒い痣が浮き出ていたら。そう思うと、気が気でなかった。

 幸い——傷は深く穿たれていたが、そ(・)の(・)ま(・)わ(・)り(・)に(・)異(・)常(・)は(・)な(・)か(・)っ(・)た(・)。

「心配するな。すぐ戦える」

 王子は、右手を負傷した左肩に当て、治癒魔法を発動した。傷口に淡い光が広がり、徐々にふさがっていく。

 一方、黒いマナは、四方八方に伸ばしていた触手をすべて引っ込め、卵のような形に姿を変えていた。胎動のように、時折脈打っているように見える。

 気付けば、教団員はすべて骸となり、立っているのはアレクシスと王子だけだった。

「あれは……何でしょう」

「嫌な予感しかしないな。どうも本当に俺の血が欲しかったらしい。……来るぞ」

 卵に、ひびが入る。そこから現れたのは、一頭の巨大な獣だった。


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