廃砦
轍の跡は、途中で街道を外れ、旧街道に続いていた。その先、ミルザム伯爵領と隣領との境の丘陵には、40年前の内乱で使われた廃砦があるはずだ。今日の昼間、街で仕事をしていたときに、廃砦に怪しい連中が出入りしていると耳にしたばかりだった。
アレクシスは岩場の陰に馬をつなぎ、砦の正面を避けて外壁に回り込んだ。ところどころ崩れかけており、足場にするには好都合だった。音もなく外壁を上がると、砦の中に篝火の明かりが見えた。アレクシスは塔の陰に身を隠す。
(これは、当たりを引いたな)
そこにいたのは、異様な雰囲気の集団だった。四、五十人はいるだろうか。一様に深くフードをかぶり、年齢も性別も定かではない。
わずかな明かりの下では黒衣に見えるが、濃い緑の長衣に、血のように赤黒い腰帯を巻いていることを、アレクシスは知っていた。
——天狼教団。
彼らこそ、アレクシスの本命だった。
天幕から杖をついた人物が姿を現すと、信者たちが一斉に跪いた。
「して、鍵はどこに?」
その声は老人のように聞こえた。
「は。地下牢でお休みいただいております」
「ああ、ああ! なんと喜ばしい!」
(鍵……殿下のことか?)
妙な呼び方をするものだ。そのまま会話を聞いていたかったが、優先順位というものがある。
アレクシスは外壁の上を移動して、地下牢に続く建物を探した。
砦の正門近くに、見張りが三人配置されている建物があった。警備がやけに厳重で、建物にも手がかけられている。——砦の構造を考えても、ここで間違いない。
暗がりを選んで、外壁を降りる。
見張りを制圧してもよかったが、幸いすぐ侵入口が見つかった。これだけ荒れた砦だ。アレクシスの体格であれば、いくらでも抜け道はある。
アレクシスは、地下へ続く換気口に身を滑り込ませた。
地下に降り立った瞬間、鉄錆のような血の臭いが鼻についた。
片手剣を持った男が、すぐそばに倒れていた。喉が掻き切られている。
「……!」
殺気を感じ、アレクシスは即座に剣を抜いた。振り向きざまに迫る白刃を受け止める。
「————ッ!」
重い。剣を握る腕が痺れる。松明の明かりに照らされた真紅の瞳と仮面越しに目が合った。薄い唇が弧を描く。
「お前は、骨がありそうだ」
アレクシスはなんとか衝撃をいなして、間合いを取った。
金髪に臙脂の夜会服。古びた片手剣を手に不敵な笑みを浮かべているのは、捕らえられているはずの王子その人だった。夜会での穏やかな様子は、完全になりを潜めており、どこか酷薄さすら感じる。
やはり、あのとき感じた感覚は間違いではなかった。
「それはこちらの台詞です」
アレクシスは、久々に感じる手応えに、わき上がる高揚感を抑えきれず、思わず言葉を返していた。
王子が間合いを詰め、打ち込んでくるのを受け流すこと数手。
確かに重い。まともに受けると、腕が持っていかれそうだ。だが、力の入れ方に無駄がある。
(惜しいな)
アレクシスは再び王子から距離をとり、剣を鞘に収めた。代わりに、足下に転がっている死体から片手剣を拝借する。
「何のつもりだ?」
王子の問いにアレクシスは答えず、間合いに飛び込んだ。連撃をたたき込み、片手剣の利点である手数の多さを見せつける。
地下道の静寂に、金属がぶつかり合う音が響く。
王子は、アレクシスの動きに食らいついてくる。気付けば、アレクシスは笑みを浮かべていた。
楽しい。
敵地においてそんな感情を抱いた自分に、アレクシスははっと我に返る。少し、遊びすぎた。
剣を交わす最中に、わざと隙を作って、攻撃を誘い込む。そのまま、剣筋を見切って懐に飛び込み、王子の喉元に刃をつきつけた。
王子は眉一つ動かさない。本当に肝が据わっている。
「勿体ないですね。本当に得意な得物は、大型の両手剣ですか」
「……何故そう思う?」
「片手剣を扱うには重心が低すぎます。それに、完全に力を持て余している」
「なるほど、参考にしよう。お前、連中の仲間ではないな。何者だ?」
アレクシスは王子から刃を引き、片手剣を投げ捨てた。仮面を外して素顔をあらわにする。
王子は目を瞠った。これまで終始冷静だった王子の驚くさまを引き出せたことに、少し痛快な気分になる。
「お前、アルディバインの……」
「覚えていていただき、光栄です。こちらを」
左手の小指からシグネットリングを引き抜いて、王子に手渡す。
表はアルディバイン家の印章、その周りには幾何学模様のような神代文字が彫られていた。
王子の指が文字をなぞると、王族の魔力に反応したように、特徴的な剣と盾の紋章が印章の裏に浮かび上がった。
「近衛騎士団の影か……!」
アレクシスは、恭しく王子の前に跪いた。
「改めまして、近衛騎士団特務騎士、アレクシス・ルイ・アルディバイン、王太子殿下に拝謁いたします。先ほどのご無礼、お許しください」
「いや、いい。立ってくれ。先に斬りかかったのは俺の方だ」
王子に促され、アレクシスは立ち上がった。シグネットリングを受け取り、指を通す。
「……それにしても、学院で、と言ったが、まさか早々に手合わせすることになるとは思わなかった。同年代に負けたのは久しぶりだ。お前には勝てる気がしない」
「お褒めいただき、ありがとうございます。もし殿下が大剣をお使いになっていたら、私も初撃を防ぎきれなかったと思います。……ところで、殿下はここで何を?」
「ああ。見てのとおり、牢に入れられる前に、俺を連れてきた連中を始末したところだ」
死体の数は三。ちょうど王子を拐った人数と合致する。
死体がある時点でそんな気はしていたが、一国の王太子の行動とはとても思えない。
「あなたは……なぜわざと捕まったんです? 殿下の腕であれば、馬車に乗せられる前にどうとでもなったでしょう」
「いや。視察続きで、少し外の空気を吸いたくなってな」
アレクシスは絶句した。
「……ご冗談でしょう?」
「まあ、護衛たちには悪いと思っている。それに、後で調べさせるより、直接乗り込んで調べる方が面倒がないだろう?」
(……非常識すぎる)
王家に仕える身としては、頭が痛くなる台詞だ。護衛たちに心底同情する。だが、特務である前に近衛騎士として——アレクシスもまた、この王子を無事に逃がさなくてはならない。
「さて、アレクシス。お前の目的は奴らだな」
王子が何を切り出そうとしているのかを薄々察しながら、アレクシスはにべもなく答えた。
「いいえ。今優先すべきはあなたの身の安全です」
「だったら、なおさらだ。王家に弓引く者は、俺が排除する」
この方はいったい何を言っているのか。アレクシスは頭を抱えたくなった。
「……。私の話を聞いていますか?」
「ここを調べるぞ」
「ですから、私の話を……」
王子は、少年のような笑みを浮かべた。
「お前と肩を並べて戦うのは面白そうだ」




