夜会
屋敷の屋根の上で、アレクシスはつまらなそうに溜息をついた。
屋根の上で伸びているのが二人、庭園に落ちたのが三人。全員が黒衣で覆面を着けている。お手本のような不審者だ。——怪しさであれば、仮面を着けているアレクシスも似たようなものではあるが。
(この屋敷、警備がザル過ぎないか?)
庭の連中も生け垣に落としたから、生きてはいるだろう。五人もいたから少しくらい楽しめるかと思ったが、準備運動にもならなかった。
アレクシスは軽い身のこなしでバルコニー伝いに庭園に降り、木の陰で仮面を外した。近くの噴水を姿見代わりに、軽く身だしなみを整える。灰色の髪に、緑青の瞳——何の問題もない。
庭園を散策していたふうを装って、最寄りの警備兵に不審な音がしたと告げてから、夜会の会場に戻る。連中が捕まれば、多少警備を強化するだろう。
大広間では、華やかな祝宴が催されていた。今日はこの屋敷の主——ミルザム伯爵の娘のお披露目らしい。この国では、社交界入りは18歳。王家主催のデビュタントボールがちょうど1ヶ月前にあったばかりだ。領地でお披露目をしてから本番に臨む子女が多い中で、このタイミングはなかなか珍しい。
一仕事終え、今のところは特にやることもないので、給仕から果実水をもらい、少しだけ料理を腹に入れる。
「あの方、なんて素敵なの」
「どちらのご令息かしら」
熱い視線に、にっこり笑顔を返してやると、令嬢たちは顔を真っ赤に染めた。少し流行りから外れたドレス、浮き足だったふるまい——社交界入りしたばかりの地方貴族の令嬢といったところだろう。
そこで、会場がざわめき始める。ようやく、もう一人の主役が到着したらしい。
アレクシスは、人々が注目する方へ目を向けた。ミルザム伯爵が、金髪の青年に礼をとっている。
ルベール・クラウス・セイリオス・アステリア。この国——アステリア王国の王太子だ。
一見すると強い印象を与える真紅の瞳は存外優しげで、口元には穏やかな笑みを浮かべている。整った顔立ちと、すらりとした長身に臙脂の夜会服を纏うさまは華があり、女性たちが色めき立っていた。
年はアレクシスと同じ18で、双子の弟である第二王子とともに先月社交界入りしたばかりだ。地方視察の途中、宿泊するために立ち寄ったミルザム伯爵領で夜会に招かれたらしい。
(まあ……挨拶はしておいたほうがいいな)
王子と交流したい者は多く、みるみるうちに人垣ができる。アレクシスはさも自分もその一人ですという顔をしてそこに混ざり、機を見計らって王子の前に進み出た。
「お初にお目にかかります、ルベール王太子殿下。私はアルディバイン辺境伯が四男、アレクシスと申します」
「北のアルディバイン家か。わが国の盾と言っても過言ではないと思っているよ。確か、第四騎士団の副団長もアルディバイン家の出身だったかな」
「ええ。二番目の兄です」
「そうすると、君も武術を?」
「兄たちほどではありませんが、多少心得がございます。私も王立学院に通う予定ですので、僭越ながらお手合わせの機会もあるかと存じます」
「それは楽しみだな」
真紅の瞳の奥に、一瞬剣呑な光がちらついたのをアレクシスは見逃さなかった。
先ほど片づけた連中など比べようもない、肌がひりつくような感覚。——なるほど、この王子は、実力を隠している。
アレクシスは、王子としばらく他愛のない会話を続けた後、何食わぬ顔でさっと礼をとった。
「殿下。お話できて光栄でした。では、私はこれで失礼いたします」
(……まったく。とんだ王子様だな)
真紅の瞳の視線を感じながら、アレクシスは人垣に紛れた。
それから、王子はミルザム伯爵の娘を始め、有力貴族の令嬢たちのダンスの相手をつとめた。終始穏やかで女性のあしらい方も堂に入っており、隙のない王太子っぷりだ。
アレクシスは気取られない程度に王子の様子をうかがいながら、淡々と仕事をこなした。ドレスや夜会服を見れば羽振りの良さがわかるし、誰が誰と親しげに話しているかを頭の片隅に書き込んでいく。
時折菓子をつまんで脳に糖分を流し込みながら、めぼしい令嬢にダンスを申し込む。領地の様子などを聞き出していると、ミルザム伯爵令嬢が中庭へ出て行くのが見えた。手に、便箋のような白い紙を持っている。
——嫌な予感がする。
次の瞬間、絹を裂くような悲鳴が聞こえた。
「全員、動くな」
中庭に続く扉から、ミルザム伯爵令嬢を連れ、黒衣の男が三人入ってきた。令嬢は喉元にナイフを突きつけられ、蒼白になって震えていた。
「お父様、助けて!」
「ビビアン!」
「動くな、と言ったはずだ」
ミルザム伯爵が娘の名を呼び、駆け寄りそうになるのを制し、男は令嬢の首に突きつけたナイフをわずかに滑らせた。白い首筋に浅く傷が付き、赤い血がにじむ。
「い、嫌……」
「大事なご令嬢だろう?」
「おのれ! 何が目的だ!」
男は、いきり立つミルザム伯爵を尻目に、護衛に囲まれている王子に視線を向けた。
「王太子殿下。一緒に来ていただきましょうか」
「なるほどな。目的は私か」
王子は、感心したように呟いた。
「武器を置いてこちらに。言うとおりにしていただければ、このご令嬢は解放しましょう」
「わかった」
「殿下、なりません!」
慌てる護衛たちに、王子は淡々と護身用の剣を外し、床に置いた。
「いい。お前たちは動くな。……これでいいか?」
「ゆっくりとこちらに来てください。もし妙な動きをすれば、わかりますね?」
王子は落ち着いた様子で男の元へ向かう。
一方、アレクシスは、その一部始終を静観していた。
動くには人目がありすぎるし、正直なところ、あの王子がどう対処するのか興味があった。
男たちは手慣れた様子ではあるが、先ほど王子から感じた感覚が正しければ、おそらく、相手にもならない。
男たちは王子を後ろ手に拘束し、正面玄関への道を開けさせた。
「もういいだろう。そろそろ、彼女を解放してもらえないかな」
「わかりました。……いけ」
男が令嬢を解放する。令嬢は、ふらふらと転びそうになりながら、なんとか父親のもとにたどり着いた。
——自分なら、このタイミングで仕掛ける。
しかし、予想に反して王子は動かなかった。
そのまま抵抗もせず、あっさりと男たちとともに大広間を出ていく。
扉が閉まった瞬間、アレクシスは心の中で悪態をつきながら中庭に駆け出した。壁の装飾を足がかりにし、屋根の上に急ぐ。
闇の中、王子を乗せたであろう馬車が南東へ走っていくのが見えた。
「こんなことなら、今日はネズミ狩りに専念しておくべきだったな」
自嘲気味に呟いて、隠しておいた黒いマントを羽織り、仮面を着ける。アレクシスは夜の闇に姿を消した。




