アルディバイン家
サーシャが6歳のとき亡くなった母は、アルディバイン辺境伯の妹だった。
そのころ、父グラナートは、近衛騎士団の仕事で忙しく、屋敷に帰れない日が続いていた。幼いサーシャは、父も母もいない屋敷で気丈に振る舞っていたが、徐々に食が細くなり、ある日高熱を出して倒れた。
「サーシャ、すまない……。父さまは、心の底から、サーシャのことを愛している。だが、それでも——ずっと傍にいてやることはできないんだ」
グラナートは、サーシャの枕元で泣いていた。
——とうさま、泣かないで。わたしは大丈夫。いい子で待っていられるから。
父にそう伝えたかったが、うまく声が出なかった。腕を持ち上げようとしたが、身体に力が入らない。
グラナートは、愛おしむように、サーシャの頬をなでた。
「だから、母さまの生まれたところに行こう。お前の従兄たちもいるから賑やかだし、きっと寂しくない。また元気に笑うところを見せてくれ、サーシャ」
父が一緒に来られないということは、サーシャにもわかっていた。そして、父がサーシャを想ってくれているということも。
「必ず会いに行く。待っていてくれるか?」
ただ、父に笑ってほしくて——サーシャは、微かに頷いた。
「アウィンにいさまっ」
元気いっぱいに駆け寄ってくる幼い従妹を、アウィンはその勢いのまま抱き上げて、両手を伸ばし、高く持ち上げる。サーシャは嬉しそうに声を上げて笑った。
「どうした、サーシャ?」
「あのね、お庭のりんごが赤くなってきたから、わたし、木に登りたい!」
「だったら、従兄さまたちが登ってとってやろう。俺たちの大事なお姫さまがケガをしたら大変だ」
アウィンの腕に抱かれたサーシャは、ふくれっ面になった。
「わたし、ケガなんかしないもの! でもね、スカートだと、すそが枝にひっかかっちゃって……」
「もしかして、もう登ろうとしたのか? サーシャは悪い子だな」
長兄のカルスが、サーシャの顔をのぞき込む。
「カルスにいさま! わたし、悪い子じゃないわ。りんごをとって、厨房に届けるんだから!」
「おやおや。りんごを届けて、姫さまは厨房で何をおねだりする気だ?」
「おねだりじゃないわ! ええと……ロウドウのタイカ、なの!」
「サーシャは難しい言葉を知っているね。労働の対価に何をご所望か、僕にこっそり教えてくれる? 教えてくれたら、サーシャが木に登る手伝いをしてあげる」
にっこり笑ってサーシャに耳を近づけるのは、三兄弟の一番下、サルドだ。サーシャは口元に手を当てて、小さな声でサルドに教えた。
「……りんごのクランブルケーキ」
「今日のティータイムにぴったりだね。それじゃあ、サーシャ。僕の昔の服を着てみるかい?」
息子たちと姪の微笑ましいやりとりに、アルディバイン辺境伯夫妻は顔を見合わせた。
「母親に似て、とんだおてんば娘だ」
「本当に。見違えるくらい元気になってよかったわ」
「グラナートに知らせたら、少しは安心するだろう」
「ええ。あの子に会いたくて、飛んでくるかもしれないわね」
優しい伯父伯母と、三人の従兄たち。そして、三ヶ月に一度、必ず会いに来てくれる父——そうして、サーシャは、幼少期の大半をアルディバイン辺境伯家で過ごしたのだった。




