第九十四話 変わった貴族から大口寄進が届いて、うちらの妊婦保護魔法が貴族社会にまで広がり始めました
朝から神殿が妙に騒がしかった。御神像の前に参拝客が並ぶのはいつものことだが、今日は神官たちまで帳簿と書類を囲み、何度も数字を確認している。
「何これ。またお守り売れた?」
「違います」
「御神像?」
「違います」
「虎と女戦士の宿からの取り分?」
「それでもありません。寄進です」
神官が一枚の書類を持ち上げる。
「へえ。いくら?」
「……かなりです」
「どんくらい?」
「神殿の妊婦支援事業を、しばらく拡張できる程度には」
「マジ?」
寄進元は遠方の有力貴族だった。それを聞いて、うちはすぐに思い当たる。
「もしかして、マジメメガネが前から何回か呼ばれてる、あの変な貴族たち?」
「変な、と言わないでください」
ちょうど奥から出てきた本人が訂正した。
「でも変なんでしょ?」
「質問内容が少々独特なだけです」
「最初の講義で、男側の身体を増やせないかとか、胸を大きくできないかとか聞かれたんでしょ?」
「過去の講義内容を神殿内で大声で復唱しないでください」
マジメメガネは眼鏡を外し、ゆっくり拭いてから掛け直した。
「やっぱ疲れてんじゃん」
「今回は比較的まともな案件です」
*
その遠方の貴族たちから、マジメメガネは以前から何度か正式に招聘されていた。最初は性神信仰そのものについて。その後は祝福、身体に関する魔術、妊娠や出産、夫婦関係、性にまつわる健康管理など、少しずつ内容も広がっているらしい。
「で、今回は何?」
「妊娠と出産です」
「めっちゃまともじゃん」
「最初からその辺りも性神の本分です」
なんでも、向こうの貴族の中に妊娠した者がいるという。
「誰?」
「言いません」
「どこの家?」
「言いません」
「男の子? 女の子?」
「まだ分かっていない可能性もありますし、知っていても言いません」
「ガード固っ」
「個人情報です」
そこは徹底していた。
ただ、その妊婦本人と周囲の家族が、最近この神殿で開発された術式に強い関心を持っていることだけは教えてくれた。
妊娠初期の母体を安定させる術式。出産時の負担を軽減する術。出血や衰弱への備え。産後回復。授乳補助。さらに、診療所で使える医療用魔道具。
「……全部、うちが『性神ならそのくらい作れ』って言ったやつじゃん」
「発案はそうです」
「ほら」
「その後、神官、治療師、産婆、薬師、魔道具職人が大量に働いた結果ですが」
「分かってるって!」
神官は少しだけ笑った。
「発案者としての功績まで否定しているわけではありません」
「よし」
*
しかも今回の寄進は、貴族本人たちが術式を使うためだけの金ではなかった。
「向こうでも、領内の診療所へ導入できないか検討されています」
「貴族だけじゃなく?」
「はい。技術提供、術式教育、医療用魔道具の製作、そのために必要な費用も含めて寄進されています」
「……めっちゃまともな貴族じゃん」
「ですから、変な質問をするという一点だけで判断しないでください」
元童貞神父も横で資料を覗き込む。
「この規模の支援が続けば、産婆や治療師向けの講習回数も増やせますね」
「童貞神父もそっち担当するの?」
「まず、もう童貞ではありません!」
「そこ今日は聞いてない」
「そして私は最初から神官です!」
いつもの訂正が入ったところで、話はまた真面目な方向へ戻った。
これまで妊婦保護や安産、産後回復の術式は、この街と近隣の診療所で少しずつ実績を積んできた。それでも新しい魔法である以上、知らない人は多い。性神の神殿へ妊娠や出産の相談に行く、という発想そのものがない土地も珍しくない。
「性神って聞いたら、普通まずエロの神って思うし」
「あなたが言うと妙な説得力がありますね」
「だって実際そういう面もあるじゃん」
「あります。しかし、それだけではないということです」
有力貴族が実際に使い、安全性を評価し、領内へ導入する。そうなれば社会的な信用は一気に増す。
「新しい医療魔術は、効くかどうかだけでなく、本当に安全なのかという不安があります。有力家が医師や魔術師を使って検証し、導入実績が積み上がれば、一般の診療所も採用しやすくなるでしょう」
「なるほど。貴族が使ってるなら大丈夫そう、ってなるのか」
「単純化すれば、そういう面もあります」
「上流階級で認知されれば、地方領主や城から予算が出る可能性もあります」
元童貞神父の説明に、うちは頷いた。
「金?」
「予算です」
「同じじゃん」
「言い方です!」
*
考えてみれば、最初はかなり軽い思いつきだった。
排卵を助ける魔法があってもいい。妊娠したくないなら避妊できた方がいい。子供が欲しい人には受胎を助けて、妊娠したら母体を守る。性神なんだからそのくらいやれ。
そのついでに、お守りへ機能を付けて高めに売ればいい、とも言った。
それが今では、顔も名前も知らない遠い土地の妊婦が使おうとしている。それだけではなく、その貴族から出た金で、向こうの領民や、この街の貧しい妊婦まで助かるかもしれない。
「……すごくない?」
「何がです?」
「うちの適当な思いつき」
「適当だったのですか?」
「半分くらい」
「今初めて聞きました」
マジメメガネが深いため息をつく。
「ですが、きっかけが何であれ、今では正式な医療技術として整備され始めています。それで救われる人が増えるのなら、良いことです」
「……うん。そうだね」
*
寄進金の使い道もすぐに決まった。
妊産婦向けの無料相談日を増やす。金のない妊婦には、母体保護の術を安価、場合によっては無料で提供する。近隣の診療所へ貸し出す医療用魔道具を増やす。産婆と治療師向けの講習を増やし、遠方へ技術を伝えられる専門神官も育てる。そして、安産や産後回復の術式について長期的な記録を取り続ける。
「全部真面目」
「医療ですから」
「最後に御神像グッズ増産とかない?」
「ありません」
うちは少し残念そうな顔をしたあと、ふと思いつく。
「でも、貴族が使う時はちゃんと高く取るんでしょ?」
「相応の費用は負担していただきます」
「よし」
「その顔は何です?」
「金ある人からちゃんともらって、その金で金ない人を助ける。その方がいっぱい救えるじゃん」
「その点については同意します」
「ならいいじゃん」
*
数日後、さらに向こうから追加の手紙が届いた。
まずは妊婦本人に、母体保護、安産、産後回復の術式を導入する。それが有用と確認できれば、複数の領地にある診療所へ段階的に広げたい、という内容だった。
「複数?」
「はい」
「そんなに広がるの?」
「向こうの貴族たちは、有力家同士の繋がりがあるようです」
うちはマジメメガネを見る。
「やっぱあの変な貴族集団、何者なの?」
「私も詳しくは知りません」
「何回も行ってんのに?」
「知る必要がないからです」
正式に呼ばれたら行く。講義する。神学や医療の質問に答える。それ以上の私生活や人間関係には踏み込まない。
「妊婦が誰かも?」
「知る必要がありません。現地で治療を担当する医師や神官が把握していれば十分です。私は技術移転のために呼ばれているだけです」
「マジメすぎる」
「それは悪いことですか?」
「今回は超助かってる」
*
「でも、これで向こうでも性神の知名度上がりそうだね」
うちが言うと、マジメメガネも頷いた。
「そうでしょうね」
「最初は変態の神だと思われて」
「言い方」
「でも妊婦助けて、出産助けて、産後も助けて、避妊もして、子供欲しい人も助ける」
「はい」
「それなら普通に必要な神じゃん」
マジメメガネが少し笑う。
「元から必要な神です」
「最近やっと分かってきた」
元童貞神父も真面目な声で続けた。
「性は、子供を作るためだけにあるものではありません。しかし同時に、生殖、妊娠、出産、家庭と深く関わるものでもあります。欲望を否定しないことと、妊婦や子供を守ることは矛盾しません」
「それ、次の講義で言えば?」
「使わせていただきます」
「講師料」
「取りません!」
*
寄進のおかげで、神殿はまた少しだけ大きくなることになった。
診療室を一つ増やし、医療用魔道具の保管庫も拡張する。治療師を新しく雇い、産婆が常駐する日も増やす。
「人、足りないね」
「足りません」
「うち働く?」
「何ができます?」
「呼び込み」
「医療機関で客引きをしないでください」
けれど、神殿の前を見れば、以前とは明らかに来る人の種類が変わっている。
「妊婦の相談はこっちだって」
「安産の術があるらしい」
「産後に身体が戻らない時も相談できるって聞いた」
「別の町の診療所にも広がるらしいぞ」
最初は御神像が面白いから、という理由だけで来た人も多かった。今はそこへ、妊婦、夫婦、子供を望む者、出産を終えた女性まで加わっている。
「……」
「ギャルさん、嬉しそうですなぁ」
いつの間にか隣へ来ていたオッサンが木杯を持って立っていた。
「どこ行ってたの?」
「朝市ですぞ」
「知らん間に横来んな」
オッサンは神殿を見上げる。
「しかし、大きな話になりましたなぁ」
「ね」
「ギャルさんの一言から」
「実際作ったのはみんなだけどね」
「それでも、誰かが言い出さねば始まりませんぞ」
「……ちょっといいこと言うじゃん」
「ドゥフフ」
「最後で台無し」
*
その時、神殿の奥からいつもの声が響いた。
「オホォォォォォッ……!」
「オホォォォォッ……!」
馬と牛の御神像。
参拝客たちは驚きもせず、むしろありがたそうに手を合わせる。
「今日も御神威が強い」
「ありがたい御声だ」
「せっかくまともな話してたのに!」
オッサンが肩を揺らす。
「性能は最高」
「私生活は最低!」
「いつものですなぁ」
*
それでも、遠い貴族から届いた寄進で新しい医療用魔道具が作られる。その魔道具が診療所へ届く。貴族社会で妊婦保護魔法の名前が知られ、それを見た別の領主も導入を考える。神殿は神殿で、金のない人にも使えるよう民間向けの普及を進める。
一人。また一人。
少しずつ、助かる人が増えていく。
「ねえ、マジメメガネ」
「何でしょう」
「今度向こう行ったらさ」
「はい」
「妊娠した人に、元気な子産んでねって言っといて」
「……」
マジメメガネは少し考えて、それから笑った。
「個人を特定せず、先方全体への祝福としてお伝えします」
「それでいい」
「珍しく伝言までまともですね」
「珍しく言うな!」
*
遠く離れた、一度も会ったことのない誰かの腹で、今も子供が育っている。
その人が性神の魔法を使い、無事に産む。
それを見た別の誰かが、自分も使いたいと思う。
それで、また一人助かる。
うちは神殿を見上げた。
「性神」
「何です?」
「こういうのは、もっと頑張れ」
「神へずいぶん偉そうですね」
「だって、なんぼの性神だと思う?」
「その台詞、また使うのですか」
「使う」
最初は変な奇跡ばかり増えていた性神の街。
けれど、その奇跡から生まれた技術の一つが。
今は少しずつ。
遠く離れた誰かの命まで守り始めていた。
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