第八十九話 医学魔術とライブペインティングが社交界で絶賛されてるけど、その研究の出発点を知ってる私たちは反応に困ります
淫紋魔術師が、表の世界でも成果を発表した。
もちろん発表されたのは「女性にも男性器状の器官を形成できます」でも、「男女を問わず乳汁分泌を誘発できます」でも、「興奮に連動して胸部を発達させられます」でもない。城仕えの魔術紋研究家として彼女が提出したのは、もっと真っ当で、そして実際に極めて有用な研究だった。
『欠損部位周辺の生体組織を魔術紋によって一時的に再構成し、失われた部位の機能を疑似的に補う』
発表された説明を読んだユキは、しばらく紙を眺めた。
「……ものすごく真面目」
「表の研究ですからね」
エリーは平然としている。
「でもこれ」
「はい」
「あの技術よね」
「基礎は同じでしょう」
「女の身体にないものを生やした研究を、欠損再建に持っていったのよね?」
「言い方を変えてください」
「でもそうじゃない」
「そうですが、言い方を変えてください」
*
医学的な価値は高かった。
戦場で指の一部を失った兵士。事故で耳や鼻を大きく損なった職人。傷が塞がっても関節周辺の肉が引きつれ、うまく動かせなくなった者。
失われた組織を完全に元通りにする魔法ではない。周囲に残った皮膚、筋肉、血管などを利用し、魔術紋がそれらを必要な形へ誘導する。だから元の部位そのものではなく、あくまで疑似的な再建だった。それでも「傷を塞いで終わり」だった従来の治癒術から見れば、大きな進歩だった。
特に評価されたのは、魔術師が付きっきりで術を維持しなくてもよいことだった。患者ごとに設計した魔術紋を施せば、一定期間、その紋自体が組織の状態を監視して再構成を補助する。
城の医療官。
軍の治療術師。
魔術研究部門。
すべてから高い評価が出た。
「天才だそうですわよ」
爆乳令嬢が別荘で新聞を広げる。
「知ってる」
「人体魔術紋研究の新時代ですって」
「知ってる」
「若くして城仕えを認められただけのことはある、と」
「だから知ってるって」
「でもユキ」
「何よ」
「この研究の原点」
「言わないで」
「あなたも見たでしょう?」
「言わないで!」
爆乳令嬢が楽しそうに笑った。
「世の中、何が医学の進歩につながるか分かりませんわね」
「本当にね……」
*
淫紋魔術師本人は、表では完全に研究貴族の顔をしていた。
城の研究発表会では上品なドレスをまとい、専門用語を使いながら淡々と説明する。
「本術式は完全再生を目的とするものではありません。既存組織を用いて必要機能の代替構造を形成し、生活能力を回復させることを主眼としております」
質問にも冷静。
「組織の過剰増殖については?」
「停止紋を三重化しております。一定の血流異常、魔力消費、組織圧を検出した時点で再構成を停止します」
「男性と女性で術式差は?」
「基礎構造には差がありますが、性別そのものより対象部位と残存組織量の方が重要です」
「長期的には?」
「まだ経過観察が必要です。現段階では恒久利用ではなく、生活機能を回復させるための補助術として扱うべきと考えております」
完璧だった。
後ろで見学していたユキは、小声でエリーへ言った。
「同一人物と思えない」
「失礼ですよ」
「だって、この前まで自分の身体で人体実験してた人よ?」
「今もしています」
「もっと駄目じゃない」
*
そして同じ頃。
別方向から、もう一つ妙な流行が起き始めていた。
「ライブペインティング?」
マコトが聞き返した。
「はい。絵を完成させてから公開するのではなく、描く過程そのものを観客へ見せるそうです」
報告を持ってきた文官が説明する。
始めたのは若い貴族の画家だった。
男と女。
どちらも爵位は低い。家格だけを見れば、大きな夜会で注目されるような身分ではない。それなのに最近では、公爵派、対立派閥、中立派まで、それぞれの催しから声がかかっている。
理由は単純。
面白い。
大きな布や板を会場へ立て、その場で絵を描く。最初から構図をすべて決める場合もあれば、音楽、踊り、その場の観客の反応を取り込みながら変えていくこともある。
完成品だけではない。
白い画面が変化していく時間そのものを、一つの作品として見せる。
「なるほど」
マコトは真面目な顔で報告を読む。
「絵画は完成してから鑑賞するもの、という前提を崩したわけですね」
「はい。特に若い貴族の間で評判がよく」
「……そうでしょうね」
声だけなら完全に代官だった。
内心。
マコト。
知っている。
元は。
秘密の別荘。
裸体。
身体。
絵具。
人間をキャンバスにする遊び。
そこから始まった。
「代官様?」
「何でもありません。続けてください」
*
若い画家二人は、その危ない出発点を表へ持ち出す時に、きちんと一般化していた。
裸体を描く必要はない。
身体そのものを使う必要もない。
複数人を一つの作品へ組み込む発想や、完成する過程を見せる面白さだけを抜き出した。
舞踏会では、踊る男女の動きを見ながら線を加える。
音楽会では、曲調に合わせて色面を広げる。
庭園では、日没までの光の変化をその場で描き続ける。
そして最後に完成した作品だけでなく、「あの夜、皆で完成を見届けた」という経験まで価値になる。
派閥を越えて評判になるのも当然だった。
「新しい芸術様式になるかもしれませんな」
ある老伯爵が褒める。
「身分は低くとも、才能は面白い」
別派閥の侯爵まで声をかける。
二人の画家は、気づけば複数の大貴族から依頼を受けるようになっていた。
ユキがその話を聞いた時の感想は。
「……表へ出すの上手すぎない?」
だった。
*
そしてある晩。
公爵家での食事。
公爵。
ユキ。
マコト。
三人。
話題は当然、最近評判の二つの新技術へ向かった。
「最近の若者は面白いな」
公爵が肉を切りながら言う。
「人体魔術紋の研究もそうだ。欠損を周囲の肉から補うなど、少し前なら机上の空論だった」
「そうですね」
ユキ。
笑顔。
「優秀な方ですから」
「知り合いなのか?」
「社交の場で、多少」
「ほう」
ユキ。
肉。
切る。
目。
逸らす。
多少。
どころではない。
スカートをめくって研究成果を見せられた。
だが。
言えない。
*
「代官はどう見る?」
今度はマコト。
「非常に有用な技術かと。特に戦傷者の社会復帰に利用できるのであれば、軍事だけでなく領政上の価値も高いでしょう」
「私もそう思う。片腕を失った兵をただ故郷へ返すより、少しでも生活能力を取り戻せる方がいい」
「はい」
マコト。
真面目。
完璧。
ただし頭の片隅。
『その技術、最初は別の物を生やしてました』
消えない。
「どうした?」
「いえ。研究者というものは、意外なところから有用な成果へ辿り着くのだなと」
「まったくだ」
ユキ。
飲み物。
危うく。
むせる。
*
「それと、絵描きの若い二人」
公爵が続けた。
今度は。
二人とも。
嫌な予感。
「ライブペインティングと言ったか」
「……はい」
「面白い発想だ。絵というのは完成品を見るものだと思っていたが、描くところから客へ見せるとはな」
「新しい試みですね」
マコト。
顔。
平静。
「私も一度見てみたい」
公爵。
「……」
ユキ。
「お父様が?」
「何だ、似合わんか?」
「いや、そういう意味じゃなくて」
「次の宴で呼んでもいいかもしれん。庭を使わせ、客の前で一枚仕上げさせるのも面白そうだ」
「それは」
ユキ。
一瞬。
別荘での。
最初の。
ライブペインティング。
思い出す。
「……健全な形式なら」
「健全?」
「いえ!」
マコト。
横。
必死。
無表情。
*
公爵。
気づかない。
「しかし、この二人も面白い。大した家格ではないのだろう?」
「はい。若い小貴族の家です」
「それでも公爵派だけでなく、あちらの派閥からも招かれている」
「芸術ですからね」
「そういうものが一つくらいあってもいい。政治で対立していようが、同じ絵を面白いと思うことまで禁止する必要はない」
公爵。
普通に。
良いことを言う。
ユキ。
マコト。
反応。
困る。
実際。
その二人。
派閥を越えた人間関係。
作る。
きっかけ。
秘密結社。
その中で。
裸体をキャンバスにして遊んでいたら。
芸術。
生まれた。
「……若者の交流というのは、思いもよらんものを生むな」
「そうですね」
ユキ。
「本当に」
マコト。
妙に。
重い。
*
「お前たち、さっきから妙ではないか?」
公爵。
「え?」
「何がでしょう」
二人。
同時。
「いや」
公爵。
見る。
「人体魔術紋の話でも、絵描きの話でも、妙に間がある」
「気のせいよ」
「気のせいです」
また。
同時。
「……」
「……」
公爵。
眉。
上げる。
「何か知っているのか?」
「知らない」
「存じません」
「返事が早すぎるな」
*
ユキ。
笑顔。
「単に、どちらも若い人が評価されてるのが嬉しいだけ」
「そうか?」
「はい。私も、若い才能が家格だけで潰されないことは良いことだと思います」
マコト。
援護。
「特に研究や芸術は、派閥より実績で見た方が国益になります」
「ふむ」
公爵。
納得。
「それはそうだな」
危機。
回避。
*
食事後。
廊下。
ユキ。
マコト。
二人。
歩く。
「危なかった」
「危なかったですね」
「お父様の前で『その医学研究、元は淫紋で変な身体機能作ってた研究よ』なんて言える?」
「絶対に言えません」
「ライブペインティングも」
「絶対に言えません」
「でも評価されてる」
「高く」
「医学」
「高評価」
「芸術」
「各派閥から高評価」
「……」
二人。
止まる。
*
「私たちの会」
ユキ。
「もしかして、変な遊びから社会に役立つもの生みすぎじゃない?」
マコト。
考える。
「淫紋魔術から医療技術」
「うん」
「身体をキャンバスにする遊びから新しい芸術様式」
「うん」
「……」
「……」
「まだ公には二件です」
「『まだ』って言った!」
*
その頃。
城。
淫紋魔術師。
真面目な顔。
次の臨床試験計画。
作成。
同じ机の。
鍵付き引き出し。
秘密結社向け。
別資料。
『疑似男性器形成術式・第二改良型』
保管。
*
別の屋敷。
若い画家二人。
次の公的依頼。
『公爵家庭園における夕刻ライブペインティング』
相談。
その横。
別紙。
『次回別荘用・複数人体連結キャンバス案』
置いてある。
*
表。
医学の進歩。
芸術の革新。
裏。
だいたい。
秘密結社。
ユキは後日、その二つの記事が並んだ新聞を見て。
「……」
静かに。
折り畳んだ。
エリーが聞く。
「どうされました?」
「世の中って」
「はい」
「知らない方が幸せな背景、多いのかしら」
「公爵様には今後も、成果だけをご覧いただきましょう」
「それがいいわね」
少なくとも。
父親へ。
全部説明する予定だけは。
なかった。




