第七十二話 謎の若手派閥について父に聞かれましたが、その長が自分たちだとは言えませんでした
数日後。
ユキとマコトは、公爵と夕食を共にしていた。
場所は公爵邸の小食堂。公式の晩餐ではなく、家族やごく近しい者だけが使う部屋である。
「まずは」
公爵が杯を置く。
「婚約発表の宴が無事に終わって良かった」
「……はい」
「はい」
ユキとマコトは揃って答えた。
無事。
その言葉に。
二人とも微妙な顔になる。
「何かあったか?」
「いいえ」
「何も」
即答。
*
「代官殿も、もう遠慮する必要はない」
公爵がマコトを見る。
「正式な婚姻はまだ先だが、すでに家族の一員だと思っている」
「ありがとうございます」
「領地のことも聞いている。特別代官という立場になってからも、よく務めてくれているそうだな」
「周囲に助けられてばかりですが」
「それでよい。人を使える者が上に立つべきだ」
普通の話。
非常に。
まともな話。
だからこそ。
二人は油断していた。
*
「ところで」
公爵が肉料理を切りながら言った。
「最近、妙な話を聞く」
「……妙な?」
ユキの手が止まる。
「若い貴族たちの間で、一部、家の派閥を越えた協力関係ができているらしい」
「……」
マコトも止まった。
「知っているか?」
「知らない」
ユキ。
早い。
「私も存じません」
マコト。
こちらも早い。
公爵が二人を見る。
「そうか」
「うん」
「はい」
*
「妙なのだ」
公爵は気づいた様子もなく続ける。
「親同士が対立している家の子女まで、妙に仲がいい」
「へえ」
「そうなのですか」
「街道整備ではこちらに協力し、商取引では別の家へ話を通し、他方では自分の親の政策に反対することさえある」
「若い世代だからじゃない?」
「それだけならよいのだがな」
公爵が首を傾げる。
「どうも横の連絡が異様に早い」
ユキ。
水を飲む。
マコト。
黙ってパンを食べる。
「誰か中心人物がいるのではないかと調べている者もいるが」
「へえ」
「まだ分からない?」
「分からん」
公爵は少し面白そうに笑う。
「組織の名前すら分からん。そもそも本当に組織なのかも怪しい。代表者も、派閥の長も見えてこない」
「不思議だね」
「不思議ですね」
二人とも。
知っている。
長らしいもの。
自分たちである。
*
「ただ」
公爵が続ける。
「今のところ悪い動きではない」
「そうなの?」
「ああ。若い者同士で話を通し、親世代の対立を避けて実務協力する。結果だけ見れば有益だ」
ユキとマコト。
目を合わせる。
「なら、放っておけば?」
「私もそう思っている」
「うん」
「ただし」
「何?」
「妙に仲が良すぎる」
「……」
「宴席などでもな」
「……」
「何か共通の秘密でもあるのかもしれん」
「さあ」
ユキが。
ものすごく自然な顔で肉を食べた。
*
話題が変わったところで。
ユキは以前から考えていたことを切り出した。
「お父様」
「何だ」
「婚約発表に使った別荘」
「ああ」
「あれ、私がもらっていい?」
「構わんぞ」
「早っ」
ユキの方が驚いた。
「いくつもある別荘の一つだ。最近はほとんど使っていなかった。管理費もこちらで持っていたから、お前が使うならその方がよい」
「本当に?」
「ああ。婚姻後の私的な滞在先にでもすればいい」
「ありがとう」
マコト。
横で。
嫌な予感。
あの別荘。
すでに。
普通の私的滞在先ではない。
*
「それと」
ユキがもう一つ。
「エリーのこと」
「メイド長か」
「うん」
マコトも姿勢を正す。
「以前話した通り、将来的には側室として正式に迎えたい」
公爵はしばらく考えた。
「身分の問題か」
「そう」
「平民のまま側室とすることもできなくはないが、公爵家との関係を考えれば面倒が多いな」
「だから、どこかの貴族家の養子にできないかなって」
「分かった」
「できる?」
「候補を探しておこう」
また。
あっさり。
「そんな簡単?」
「名だけ必要なら、方法はいくらでもある。家格については調整が必要だがな」
公爵がマコトを見る。
「代官殿も異存は?」
「ありません」
「なら進めよう」
ユキ。
少し笑う。
「エリー、驚くだろうな」
「先に本人へ話しておけよ」
「はい」
*
その日の夜。
離れへ戻る。
エリーへ報告。
「……私を?」
「うん」
「貴族家の養子に?」
「お父様が候補探すって」
「その後、側室として?」
「そう」
エリー。
しばらく。
黙る。
「嫌?」
「いいえ」
「じゃあ」
「ただ」
一拍。
「公爵令嬢様が、そこまで本気で考えていらしたことに少々驚いております」
「前にも言ったじゃん」
「言っておりましたが」
エリーがマコトを見る。
「旦那様も?」
「もちろん」
「……そうですか」
ほんの少し。
笑った。
*
そして。
もう一つ。
三人で決めた。
「手紙」
ユキが机を見る。
すでに。
かなりの束。
「こっちに集めよう」
「別荘へ?」
「うん」
「理由は?」
「この離れに置いておくと、お父様の使用人とかに見られる可能性あるし」
マコトも頷く。
「別荘なら、あの夜の参加者も場所を知っていますし」
「管理人も限定できる」
エリーが考える。
「では、三人宛ての私的な手紙のうち、あちら側の関係者から届いたものは別荘へ集約しましょう」
「決まり」
*
数日後。
三人。
改めて。
別荘へ来た。
婚約発表の宴以来。
あの大広間を見ると。
どうしても。
三人とも。
少し黙る。
「……」
「……」
「……」
「掃除、大変だったんだろうな」
「公爵令嬢様」
「ごめん」
*
使っていなかった書斎を。
三人専用の手紙置き場にした。
政治。
領地。
商取引。
若手貴族同士の連絡。
そういう手紙が。
当然。
集まる。
はずだった。
「……」
ユキ。
一通目。
読む。
「何と?」
エリーが聞く。
「『先日はありがとうございました。婚約者と話し合った結果、今後は月に一度、互いの趣味を自由に試す日を設けることになりました』」
「……」
次。
「『夫が友人の旦那様と非常に仲良くしております。二人を眺めながらお茶を飲むのが最近の楽しみです』」
マコト。
「その続きは?」
「食いつくな」
*
エリー。
別の手紙。
「こちらは」
「何?」
「『以前教えていただいた遊びを夫婦で試しました。夫が思った以上に素直で可愛らしく、今後も続ける予定です』」
ユキ。
「詳細は?」
「読みません」
「気になる」
「読みません」
マコト。
また別の封筒を開く。
「これは……」
「政治?」
「『次回は男性だけで集まる予定ですが、代官殿もぜひ』」
「政治じゃない」
「参加したい」
「即答するな」
*
さらに。
「『今度、以前の女性陣だけで集まりませんか』」
「行く」
「公爵令嬢様」
「だって誘われてるし」
「こちらは」
エリー。
「『前回より広い屋敷を用意できます。男女とも参加可能。宿泊設備あり』」
三人。
沈黙。
「……これ」
「はい」
「完全に次の乱交パーティの誘いでは?」
「そのようですね」
「政治的な手紙は?」
「こちらです」
マコトが。
一枚。
持ち上げる。
「『西街道修繕について伯爵家との調整が完了しました。詳細は別紙。ところで次回の集まりですが――』」
「後半!」
*
開けても。
開けても。
似たようなものだった。
前半。
政治。
後半。
性癖。
あるいは。
前半。
昨夜の感想。
後半。
政治。
酷いものになると。
最初から最後まで。
何の政治もない。
「『あの夜に知り合った騎士と正式に交際を始めました』」
「おお」
「『婚約者も了承済みです』」
「おお?」
「『むしろ婚約者から、今度三人で遊びたいと言われています』」
「……」
ユキ。
手紙を置く。
「自由だなあ」
*
マコト。
別の一通。
「『先日、妻が私を――』」
読む。
止まる。
「何?」
「……楽しそうですね」
「何が書いてあるの」
「個人的な報告です」
「さっきまで読み上げてたじゃん」
「これは僕だけで」
「マコト」
「はい」
ユキが奪う。
読む。
「……ああ」
「何です?」
エリー。
受け取る。
「……」
返す。
「御夫婦が幸せなら何よりです」
「感想それだけ?」
*
結局。
三人への手紙は。
日に日に増えた。
政治的な相談。
三割。
派閥を越えた調整。
二割。
変わった遊びを試した報告。
二割。
誰と誰が最近仲良くなったという報告。
一割。
次の集まりへの誘い。
二割。
「百パーセント超えてない?」
「複数項目を一通に書いてくる人がいるから」
「なるほど」
*
ユキが。
手紙の山を見る。
「お父様」
「はい」
「謎の若手派閥に中心人物がいるか分からないって言ってた」
「そうでしたね」
「これ見たら泣くかな」
マコトが。
一番上の封筒を見る。
表には。
非常に立派な貴族の筆跡。
中身。
『次回の乱痴気会について』
「……」
「……」
「……」
エリーが。
無言で。
封筒を裏返した。
「見なかったことにしましょう」
「いや、管理しないと」
「そうでした」
*
こうして。
公爵令嬢所有となった別荘は。
表向き。
婚約した二人の私的な滞在先。
そして。
若手貴族たちが派閥を越えて連絡を取る。
謎の拠点。
さらに。
三人へ届く。
変態的な近況報告。
相談。
次の乱痴気騒ぎへの招待状。
それらをまとめて保管する。
もっと謎の場所になった。
「政治拠点としては」
マコトが言う。
「かなり優秀ですよね」
「政治の手紙より変態報告の方が多いけどね」
「公爵令嬢様」
「事実じゃん」
エリーが。
机の上へ届いたばかりの新しい封筒を見る。
「また来ました」
「政治?」
「表に『至急』と」
「大事なやつじゃん。開けて」
エリー。
開く。
読む。
黙る。
「何?」
「……」
「エリー?」
「『今夜、急遽集まれる者だけで遊びませんか』」
「至急の使い方!」
別荘の書斎には。
今日も。
新しい手紙が。
積み上がっていった。
後書き
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