第七十一話 乱痴気騒ぎの参加者で、政治とは別の謎の若手派閥ができました
朝。
公爵家の別荘。
昨夜まで婚約発表の宴が開かれていた大広間には、何とも言えない沈黙が満ちていた。
椅子へ座る者。床へ座る者。まだソファから起き上がれない者。
男。女。爵位も家もばらばら。
そして全員、昨夜のことを覚えている。
「……」
「……」
「……」
最初に口を開いたのはユキだった。
「とりあえず、昨日のこと、外に漏らすの禁止」
*
誰も反対しなかった。
「公爵家の婚約発表会が途中からああなりました、なんて外に出たら」
「終わりますね」
「いろんな意味で」
マコトが頭を抱える。
エリーはさらに厳しかった。
「御自分だけ助かろうとなさらないことです。ここにいる誰か一人について話せば、必ず別の誰かの話も出ます」
一人を売れば、全員が危ない。
「漏らした人間は、この場にいる全員を敵に回すと思って」
ユキが言うと、若い伯爵令息が苦笑した。
「親同士は敵対派閥なのですが」
「それはそれ」
「これはこれ?」
「そう」
別の令嬢も笑う。
「昨日あれだけのことをして、今日から政治的にも一枚岩という方が不自然ですわ」
「それな」
親の派閥。領地。家同士の利害。
それらは今まで通り。
だが、この一件についてだけは全員が仲間だった。
*
「あと」
ユキが少し真面目な顔になる。
「もし孕んだ人がいたら、先に私へ相談して」
大広間が静かになった。
「隠して一人で処理しない。逆に、いきなり相手の家へ押しかけるのもなし。まず私」
「公爵令嬢様が?」
「昨日の宴の責任者でもあるし」
マコトが小声で付け足す。
「原因の一部でもあるし」
「マコト」
「はい」
ユキは続けた。
「誰の子か分からないとか、家同士の問題になりそうとか、そういうのも全部含めて。昨日のことを政治の道具にする前に相談」
何人かが頷く。
エリーも補足する。
「秘密の維持と参加者同士の保護を優先します。昨夜のことを利用して婚姻や相続を強要することも禁止です」
「……何だか」
一人の子爵令嬢が言った。
「秘密結社の規約みたいですわね」
「言うな」
*
結果。
妙なものができた。
正式な名称なし。
会員名簿なし。
徽章なし。
政治的綱領なし。
ただし。
誰が仲間なのかは全員知っている。
*
後日。
ある夜会。
「公爵令嬢様」
「ごきげんよう」
以前なら形式的な挨拶をして終わる相手だった令嬢が、すれ違いざま、ほんの少しだけユキの腰へ身体を寄せた。
「……」
さらに、誰にも見えない位置で指先が軽く腰の下をなぞる。
「ちょっと」
令嬢は笑顔を崩さない。
「今夜、下着をつけておりませんの」
「何で報告するの」
「代わりに、あの夜を思い出す物を使っております」
耳元で囁かれる。
ユキが止まった。
「……お前」
「はい?」
「絶対わざとだろ」
「もちろん」
*
政治の話をしている最中にも、それは続いた。
「北方の街道についてですが」
「はい」
「伯爵家は現在――」
普通の会話。
なのに距離が近い。
耳元で。
「あとで少しだけ、お時間をいただけます?」
「何のために?」
令嬢はにっこり笑う。
「分かっていらっしゃるでしょう?」
「……」
ユキは我慢した。
しばらく。
かなり。
頑張った。
*
結局。
人目のない部屋を一つ借りた。
「短時間だからね」
「はい」
「本当に短時間」
「はい」
「次の挨拶あるから」
「承知しております」
扉が閉まる。
しばらくして。
ユキが戻る。
エリーが見る。
「公爵令嬢様」
「何」
「髪」
「直して」
「何をなさっていたのです?」
「聞く?」
「結構です」
*
マコトの方も似たようなことになっていた。
別の宴。
廊下を一人で歩いていると、突然、壁際へ追い込まれる。
「……え」
相手は、あの夜にもいた若い子息。
かなり大柄。
かなり筋肉質。
そして顔もいい。
「代官殿」
「近いですね」
「覚えているか?」
「何を?」
「あの夜」
「……」
「忘れられない」
マコト。
困る。
ものすごく困る。
なぜなら腐女子として、状況がかなり好みだった。
*
「壁際へ追い込まれて」
マコトが後でユキへ説明する。
「うん」
「筋肉質のイケメンに」
「うん」
「『あの夜を忘れられない』って」
「うん」
「言われた」
「で?」
「……」
「マコト?」
「我慢できませんでした」
「知ってた」
*
二人は人の来ない客室へ移った。
そこから先は、あの夜の続きを確かめるようなものだった。
マコトが寝台へ横になり、相手が主導する。
身体を重ね、何度も触れ合い、途中からはどちらが誘った側だったのかすら分からなくなる。
「代官殿」
「何です?」
「やはり、あなたはいい」
「そういうこと言われると」
「嫌か?」
「逆です」
口づけ。
しばらくして、また口づけ。
最後には、最初の壁際での迫力などどこへ行ったのか。
二人で寝台へ倒れたまま。
「……また、会えるか?」
「政治抜きなら」
「もちろん」
「なら」
マコトが少し笑う。
「また」
*
こういうことが、一度ではなく何度も起きた。
公爵令嬢が宴へ行く。
仲間がいる。
目が合う。
少し笑う。
表向き。
「先日の件ですが」
政治の話。
その直後。
「あとで?」
小声。
*
代官が集まりへ出る。
「代官殿」
「はい」
普通に挨拶。
その後。
「今夜は時間が?」
「……何の時間でしょう」
「分かっているでしょう」
「ドゥ……」
言いかけて、マコトが止まる。
「その笑い方は誰の癖です?」
「何でもありません」
*
エリーも、いつの間にか同じだった。
「メイド長殿」
「何でしょう」
「今夜、お暇?」
「ございません」
「明日は?」
「ございません」
「では次の宴で」
「……」
「嫌?」
「その時になってから考えます」
それが完全な拒絶ではないことを、相手ももう知っている。
*
しかも。
あの夜をきっかけに、本当に婚約まで進んだ者たちもいた。
「それは一応、めでたい話だよね」
ユキが言う。
「ええ。そこだけ聞けば」
エリーの返事には妙な含みがあった。
「……そこだけ?」
「公爵令嬢様。御本人たちが幸せであることは間違いございません」
「じゃあ何」
「幸せの形が、少々……」
*
例えば。
あの夜に妙に意気投合した二人の令息。
その後、それぞれ別の令嬢と婚約した。
普通ならそこで終わる。
ところが。
「あなたたち、今日も仲いいわね」
二人の婚約者たちは、男二人が妙に距離を詰めているのを楽しそうに眺めていた。
「もっと近くてもいいのよ?」
「お前の婚約者、何を言っているんだ」
「お前の婚約者も笑ってるぞ」
「だって、あの夜の二人を知ってるもの」
「私も」
女性二人。
完全に観客。
「旦那様同士が仲良くしているの、かなり好きなのよね」
「分かるわ」
「分かるな」
「何でそっちまで意気投合してるんだ……」
*
別の組では。
女一人。
男二人。
そして、その様子を少し離れた場所から楽しそうに眺めている別の女。
「……あなた、本当に見てるだけでいいの?」
「今はね」
「今は?」
「だって」
女は笑う。
「好きな人が、二人に可愛がられてるのを見るの、すごくいいじゃない」
「趣味が悪い」
「知ってる」
「怒らないの?」
「全然」
一拍。
「むしろ、もっと困った顔してほしい」
「酷い」
「でも嫌じゃないでしょう?」
「……まあ」
「ほら」
*
さらに。
夫婦なのに、妻の方が妙に主導権を握る組もいた。
「あなた」
「何だ」
「今日は逃げないでね」
「……その道具を持ちながら言うのをやめろ」
「嫌?」
「……嫌とは言っていない」
妻がにっこり笑う。
「じゃあ決まり」
「お前、あの夜から本当に遠慮がなくなったな」
「あなたが意外と喜ぶからでしょう?」
「言うな」
「可愛いわよ」
「言うな!」
そこへ別の夫妻が通りかかる。
「あら。また奥様に遊ばれてるの?」
「見るな!」
「楽しそうでいいじゃない」
「お前たちも何で普通に受け入れてるんだ!」
*
そんな話をエリーからまとめて聞いたユキは、しばらく黙った。
「……」
「公爵令嬢様?」
「思ってたより派生してない?」
「しております」
「婚約とか結婚とか、ちゃんと進んでるのに」
「はい」
「中身だけ、あの夜の続きなんだけど」
「はい」
マコトが横から少し嬉しそうに言う。
「でも、すごくいいですよね」
「何が?」
「旦那同士が仲良くして、それを妻たちが楽しそうに見ている夫婦」
「マコト」
「はい」
「顔」
「何です?」
「完全に腐女子」
「仕方ないでしょう!」
*
結局。
あの夜にできた繋がりは、単なる一度きりの秘密では終わらなかった。
婚約した者。
結婚した者。
普通に男女で暮らしながら、ときどき同性の相手とも遊ぶ者。
夫婦で互いの趣味を理解した者。
誰かが別の誰かと親しくするところを見る方が好きだと気づいた者。
主導権を握る方が好きだった者。
逆に、任せる方が好きだった者。
政治的には別の家。
別の派閥。
時には親同士が対立していることすらある。
なのに。
宴会や舞踏会で顔を合わせれば。
「久しぶり」
「今夜は?」
「あとで」
それだけで通じる。
*
そして妙なことに。
この関係は政治にも影響し始めた。
「父は反対しておりますけれど、私はその案そのものは悪くないと思います」
ある令嬢が言う。
別の子息も。
「うちの家は代官殿とは別派閥ですが、街道の件なら協力できます」
「よろしいのですか?」
「家同士で争うところと、協力できるところは別でしょう」
以前なら、親の派閥が違えば若い子女同士まで距離を取ることが多かった。
ところが。
あの夜を共有した者たちは妙に話が早い。
「昨日の晩餐で伯爵家が言っていた件」
「ああ。俺から父へ話してみる」
「助かる」
「その代わり」
「何?」
「今度そっちの騎士を紹介して」
「政治と趣味を混ぜるな」
*
男同士。
女同士。
男女。
家格。
派閥。
そんなものとは別に、横へ一本、妙な繋がりができてしまった。
「これ」
ユキが、ある日の離れで関係者から届いた手紙の束を見る。
「派閥じゃない?」
「派閥ですね」
エリーが答える。
「でも政治派閥じゃないよ?」
「政治へ影響しております」
「じゃあ何派?」
マコトが考える。
「乱痴気派?」
「やめて」
「乱交派」
「もっとやめて」
「婚約発表会派」
「外に名前出せないじゃん!」
*
もっとも。
本人たちには派閥を作ったつもりなどない。
ただ。
秘密を共有している。
互いの恥ずかしいところを、かなり知っている。
しかも政治的な損得抜きで、一度、徹底的に人間として付き合ってしまった。
その結果。
妙に仲がいい。
*
「で」
ユキが言う。
「私とマコトが」
「はい」
「派閥の長みたいになってる?」
「婚約発表会の主役でしたので」
「エリーは?」
「当然、中心人物です」
「何で私まで」
「一番取りまとめていたから」
「……」
エリーが頭を抱える。
*
さらに面倒なことに。
その若手たちは、少しずつ実際の権力まで持ち始めていた。
親世代では話が通らない案件が、子女同士の一言で先に根回しされる。
敵対する家同士でも。
「これは別件だから」
で、協力する。
情報も早い。
連絡も早い。
何より、互いに裏切りにくい。
全員。
あの夜という巨大すぎる秘密を共有しているから。
*
「なんかさ」
ユキが手紙の束を見ながら言う。
「私たち、婚約発表しただけだよね」
「その予定でした」
「なのに」
「はい」
「若手貴族の謎派閥のトップ?」
「現状を見る限り、はい」
マコトが少し考える。
「かなり強いですよね」
「何が?」
「親の政治派閥をまたいで繋がってますから」
「……」
三人。
沈黙。
*
ユキがぽつりと言う。
「単に」
「はい?」
「乱交パーティ仲間なのでは?」
「公爵令嬢様」
「だって事実じゃん」
「外で絶対に言わないでください」
「分かってる」
マコトが小さく笑う。
「でも」
「何?」
「それで権力が増えているの」
一拍。
「すごく性神っぽいですよね」
「やめろ」
三人の前には。
今日も。
若手貴族たちから届いた手紙が。
山のように積まれていた。
続く
後書き
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