第七十話 婚約発表の宴が、最終的に乱痴気騒ぎになりました
「とりあえず」
小部屋へ逃げ込んだ三人は、しばらく黙ったあと。
ユキが言った。
「全員、酔わせる?」
「駄目です」
エリーが即答した。
「すでに判断がおかしくなっているところへ、さらに強い酒を入れてどうするのです」
「だよね」
「公爵令女様」
「言ってみただけ」
マコトも頭を抱える。
「そもそも、原因が僕たちのフェロモンみたいなものなら、今の状態で誰かに何かさせるのはまずいですよね」
「その通りです」
三人は会場を見る。
距離感の壊れた貴族たち。
腰へ手を回す男女。
肩を抱き合う男同士。
頬を赤らめて手を握る令嬢同士。
「……一回、頭冷やしてもらおう」
*
別荘中の窓を開けた。
庭へ人を出した。
酒を止め、水と軽食を配った。
夜風に当て、座らせる。
そして何より、三人自身がしばらく会場の中心から離れた。
一時間ほどすると、甘い気配は明らかに薄くなっていた。
「……あ」
伯爵令息の一人が、自分が別の男の腰へ腕を回していることに気づく。
「すまない」
「いや」
「離れるか?」
「……君は?」
「私は、別に嫌ではない」
「私もだ」
結局。
離れなかった。
似たことが、あちこちで起きた。
「さっきまで私たち、おかしかったわよね」
「ええ」
「それでも、まだ私に触れたい?」
「……触れたいわ」
「私も」
もちろん、帰りたい者は帰した。休みたい者は客室へ。まだ頭がぼんやりしている者には何もさせない。
そこまでやった上で。
自分の意思で残った者だけを見る。
「……結構残ったね」
「残りましたね」
「何で?」
「元々、この方々にも相当に興味がおありだったのでしょう」
エリーが淡々と言った。
*
そして。
政治の話が。
本当に消えた。
「あなた、どこの派閥?」
ではなく。
「あなた、すごく肩が広いのね」
「え?」
「礼服の上からでも分かる。好き」
令息が目を丸くする。
「そんなことを言われたのは初めてだ」
「じゃあ私が最初ね」
そのすぐ隣では。
「あなたの腰、綺麗」
令嬢が別の令嬢の腰へ手を回していた。
「細いでしょう?」
「うん。なのにお尻はちゃんと丸い」
「あなたの胸も好きよ」
「本当?」
「近くで見たらもっと好きになった」
二人。
笑う。
そして。
そのまま距離がなくなった。
*
「オホッ……!」
どこかから。
声。
三人が。
同時にそちらを見る。
「……始まった?」
「始まりましたね」
「本人たち、正気だよね?」
「確認済みです」
さらに。
「オホォッ……!」
別方向。
そして。
「オッ……! オッ……!」
男の短い息。
「……」
「……」
「……婚約発表の宴ですよね」
「今さら?」
*
男性側でも。
もう。
家名も立場も関係なかった。
「お前、腕すごいな」
「鍛えているからな」
「触っていいか?」
「……いいぞ」
腕を掴む。
「硬い」
「お前は細いな」
「嫌か?」
「逆だ。腰が細いの、かなり好きだ」
「……男に言われるとは思わなかった」
「俺も言うとは思わなかった」
少し。
顔を見合わせる。
「顔も好きだ」
「お前、今それ言うのか」
「今だから言う」
そして。
近づく。
*
マコト。
見る。
「……」
完全に。
見る。
「旦那様」
「はい」
「顔」
「何です?」
「嬉しそうです」
「いや、だって」
向こうで。
長身の騎士が、細身の貴族子弟の顎へ手を添えている。
「お前、睫毛長いな」
「そんなところを見るのか?」
「近いからな」
「じゃあもっと近くで見る?」
「……いいのか?」
「いいから言ってる」
マコト。
息を呑む。
「最高」
「旦那様」
「実物ですよ」
「旦那様」
「しかも両想いっぽい」
「マコト」
「はい」
ユキが笑う。
「自分も行ってくれば?」
「……」
「その顔」
「……行ってきます」
「素直」
*
一方。
女性側も。
かなり率直になっていた。
「あなた、脚長いね」
「ドレスだと分からない?」
「分かってた。でも近くで見るともっと綺麗」
「あなたこそ、胸すごい」
「触って確かめる?」
「いいの?」
「今さら聞く?」
「オホッ……!」
ほどなく。
片方が声を上げる。
「そこ、好き?」
「好き……オホッ……!」
「可愛い」
「今それ言う……?」
「言いたいから」
その少し向こうでも。
「お尻、すごく好き」
「さっきからそこばっかり見てたでしょう」
「ばれてた?」
「ずっと」
「怒った?」
「逆」
一拍。
「嬉しかった」
*
そして。
ユキとエリーのところへ来る令嬢も。
政治的な計算など。
ほとんど消えていた。
「公爵令女様」
「はい?」
「もう一度お聞きします」
「うん」
「今夜、私と遊んでいただけませんか」
「家のため?」
「違います」
即答。
「あなたが綺麗だからです」
「……」
「胸も、腰も、顔も好きです。でも」
令嬢が少し恥ずかしそうに笑う。
「さっきから人の胸ばっかり見ている顔も、ちょっと好きです」
「見てたのばれてる!?」
*
エリーにも。
「メイド長殿」
「何でしょう」
「あなたの身体、すごく好きです」
「ずいぶん直接的ですね」
「胸も」
「はい」
「お尻も」
「はい」
「あと、怖そうな顔も」
「それは褒めておりますか?」
「すごく」
一歩。
近づく。
「近くで見ると、本当に綺麗」
「……」
エリー。
少しだけ。
言葉に詰まる。
「エリー照れてる」
「公爵令女様は黙ってください」
*
そして。
女性たちは。
ユキとエリーの身体に普通の女性にはない部分があると知っても。
最初こそ驚いた。
「……え?」
「驚いた?」
「はい」
「嫌ならやめるよ」
しばらく。
見る。
「……いいえ」
「本当に?」
「むしろ」
顔を赤くしたまま。
一歩。
近づく。
「もう、それより待てません」
ユキがエリーを見る。
「だって」
「聞こえております」
*
待っている女性たちも。
おとなしく待ってはいなかった。
「オホッ……!」
「あなた、声大きい……!」
「だって……!」
「もっと聞かせて」
「オホォォッ……!」
別のところでは。
「胸、ほんと綺麗」
「あなたも」
「どこが?」
「全部」
「ずるい答え」
「じゃあ、特にお尻」
「そこなの?」
二人で笑う。
そのまま。
また。
声が崩れる。
「オホッ……!」
*
男性側も。
「オッ……! オッ……!」
どこかで。
誰かが限界を迎えるたび。
別の男が。
「今の声、結構好きだ」
「言うな……」
「恥ずかしい?」
「当たり前だ」
「でも、また聞きたい」
「……お前もそのうち出すだろ」
「なら聞けよ」
少しして。
「オッ……! オッ……!」
「ほら」
「……笑うな」
「笑ってない。好きだって言ってる」
*
マコトに至っては。
もう。
かなりご満悦だった。
自分のところへ来る男もいる。
その向こうでは。
男同士が抱き合う。
さらに向こう。
別の男同士。
「……天国?」
「旦那様」
「いや、だって」
「旦那様」
「あの騎士、さっきから細身の方の腰しか見てないんですよ」
「旦那様」
「しかも本人に『腰が好き』って言った!」
「マコト」
「はい」
「婚約発表の日だからね?」
「分かってるけど」
もう一度。
見る。
「最高」
「駄目です、この人」
*
どこを見ても。
政治の話など。
完全に消えていた。
「あなたの髪、綺麗」
「触る?」
「うん」
「その胸板、好き」
「お前、そこばかりだな」
「好きだから仕方ない」
「首筋が綺麗」
「そんなところ褒められたことない」
「じゃあ覚えておいて。私は好き」
「尻、かなり好み」
「直接言うのね」
「今夜くらいいいでしょう?」
「……もっと言って」
そして。
「オホッ……!」
「オホォォッ……!」
「オッ……! オッ……!」
あちこちから。
声。
息。
笑い。
*
いつの間にか。
男側。
女側。
そんな区別すら。
なくなっていた。
別室から戻ってきた者。
庭から戻った者。
大広間に残っていた者。
互いに顔を合わせ。
さらに相手が増える。
「彼も入れていい?」
「いいよ」
「彼女も?」
「私は構わない」
「私も」
そこまで来ると。
三人にも。
止める気力がなくなった。
「これ」
マコトが。
大広間を見る。
「完全に」
「言わないで」
「乱痴気騒ぎ」
「言った」
*
深夜。
婚約発表の会場だった大広間は。
完全に。
別の場所になっていた。
椅子は倒れている。
テーブルは端へ寄せられている。
絨毯の上。
ソファ。
壁際。
庭へ続く扉の前。
あちこちに。
半裸。
あるいは全裸の貴族たち。
「……」
抱き合ったまま眠る男女。
男同士。
女同士。
誰かの胸を枕にしている者。
床へ転がっている者。
疲れ果てているのに。
「……オホッ」
まだ時々。
余韻だけで声を漏らす令嬢。
少し離れたところでは。
「……オッ……」
男が。
最後の息を吐くように声を漏らし。
「まだやるの?」
「無理だ……」
「じゃあ寝よ」
「お前の肩、借りる」
「どうぞ」
*
室内には。
酒。
香水。
汗。
それに。
一晩中、大勢の男女が騒いだあとの濃い匂いが。
完全に籠もっていた。
「……婚約発表だったよね」
ユキが言う。
「はい」
「私とマコトの」
「はい」
「公爵家の」
「はい」
「何で乱痴気騒ぎになってんの?」
マコトが。
小さく答える。
「性神?」
「それで全部済ませようとしないでください」
エリーが。
深いため息をついた。
*
ただ。
一時しのぎにはなった。
帰りたい者は帰した。
判断が戻っていない者は休ませた。
そして残った成人たちは、自分の意思で残った。
その結果が。
これ。
「少なくとも暴走そのものは収まりました」
エリーが言う。
「収まったって言うの、これ?」
「欲求不満で会場中が爆発するよりは」
「比較対象が酷い」
マコトが。
床に倒れている美青年二人をちらっと見る。
「……でも」
「旦那様」
「何も言ってません」
「顔に書いてあります」
「最高だったな、と」
「ユキまで!」
*
問題は。
明日だった。
「全員」
マコトが。
大広間を見回す。
「自分が何したか、覚えてますよね」
「全員正気に戻してからですから」
「つまり」
「覚えているでしょう」
「……」
三人。
沈黙。
「逃げる?」
「公爵家の別荘です」
「無理か」
「無理です」
エリーが。
近くのソファを見る。
「私は寝ます」
「エリー!?」
「メイド長にも限界はございます」
本当に。
倒れ込む。
残されたユキとマコトは。
もう一度。
大広間を見る。
「……マコト」
「何」
「明日の朝」
「うん」
「地獄だね」
「はい」
婚約発表の宴は。
とうとう終わった。
だが。
本当の地獄は。
全員が目を覚ましてからだった。
続く
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