第四十九話 公爵家の舞踏会で互いに目移りして喧嘩したら、口の堅い臣下を仲間にする話になりました
公爵家に吸収されてから、マコトが初めて公爵家側の人間として出席する大きな舞踏会だった。
旧男爵家はなくなった。領地そのものは公爵領へ組み込まれ、屋敷も役人も使用人もほとんどそのまま。元男爵であるマコトも、公爵家の特別な代官という立場で、以前とほぼ同じ土地を治め続けている。
実務だけを見れば、看板が変わった程度である。
だが、社交界での認識は違った。
「旧男爵家の方でしょう?」
「公爵閣下へ泣きつかれたとか」
「領地ごと引き取っていただいたそうですわ」
「それでも代官として残していただけたのですから、随分と温情をかけられたものです」
聞こえている。
ものすごく聞こえている。
少し離れたところでそれを耳にしたマコトは、笑顔を保ったまま杯を口へ運んだ。
「……どうやら私は、領地経営に失敗して公爵家へ泣きついたことになっているようですね」
隣にいた公爵令女が、同じく社交用の微笑を浮かべたまま答える。
「その方が皆様には分かりやすいのでしょう。実際には、私がお父様へ無茶を言った結果なのですけれど」
「絶対に言わないでくださいよ」
「分かっておりますわ」
公爵令女が、男爵家を吸収しなければ家を出ると言った。
その結果、公爵がマコトを呼びつけ、話し合いの末に今の形へ落ち着いた。
そんな事情が広まれば、今度はマコトが公爵令女をたらし込んで家を救ったことにされかねない。
しかも、二人の婚約についてはまだ公表されていなかった。
今夜のマコトは、あくまで公爵家に吸収された旧男爵領を任されている代官。公爵令女との関係も、公爵家が新しく抱えた土地の管理状況を見るため、彼女がお目付け役のように近くへ置かれているとでも思われている。
「お目付け役付きの元男爵、くらいの認識でしょうね」
「誰がお目付け役ですの」
「公爵令女」
「私?」
「世間から見れば」
「……否定しにくいですわね」
二人だけになれば、互いに前世の名前で呼び合い、性神の祝福について相談し、離れで好き放題している。
それを知っている者は、今のところ二人だけだった。
*
「これはこれは、代官殿」
声をかけてきた若い伯爵子息は、以前ならマコトを男爵閣下と呼んでいた男だった。
「以前とはお呼びする立場も変わりましたな。今は代官殿でよろしいので?」
「ええ。それで結構ですよ」
「いやあ、しかし思い切られた。先祖代々の家を公爵家へ差し出されるとは」
「領地と領民を安定させるには、それが最善でしたので」
「なるほど。公爵家ほどの後ろ盾ができれば、領地経営も随分と楽になったことでしょう」
口元は笑っている。
だが、明らかに馬鹿にしている。
自力では家を支えきれなかった男。
大貴族へ頭を下げ、生き残らせてもらった男。
そういう扱いだった。
「いえ。仕事は増えました」
「……増えた?」
「公爵家へ提出する書類が増えましたので」
「それは……」
「領地自体は以前から黒字ですし、役人も使用人も残っています。今のところ一番大きな変化は、報告先が増えたことですね」
「……そうでしたか」
「ええ」
相手の笑みがわずかに引きつった。
マコトは別に言い返したつもりはない。事実を答えただけだった。
伯爵子息が去ると、公爵令女が近づいてくる。
「随分と馬鹿にされておりましたわね」
「されてましたね」
「腹が立ちませんの?」
「多少は。ただ、私が笑われるだけで領地も部下もそのまま残せたなら安いものです」
「……そういうところでしょうね」
「何がです?」
「お父様が、あなたをそのまま代官へ置いた理由ですわ」
「公爵閣下に評価されるの、いまだに怖いんですけど」
*
マコトが探りを入れられている間、公爵令女も当然ながら暇ではなかった。
「公爵令女、お久しぶりですわ」
「先日の茶会以来ですわね」
「今夜のドレス、とてもお似合いです」
「ありがとうございます。そちらも素敵ですわ」
令女たちが次々と集まってくる。
王都で流行している衣装。
近く予定されている茶会。
誰の家と誰の家が最近近い。
どの子息が、どの令女へ頻繁に声をかけている。
表面上は世間話。
実際には、貴族社会の情報交換だった。
公爵令女も自然に話へ加わる。
その中に。
かなり胸の大きな令女がいた。
「公爵令女、今度ぜひ我が家のお茶会にも」
「ええ。日程が合えば――」
返事をしながら。
視線が。
少し下へ。
「……」
戻る。
また話す。
そして。
もう一度。
ほんの少しだけ下へ。
(大きいですわね)
前世は男。
しかもエロゲオタク。
今世では公爵令女として十八年生きてきたとはいえ、前世の記憶が戻ってしまえば、昔の好みまで一緒に掘り起こされる。
(あれは……かなり)
口元が僅かに緩んだ。
本人は上手く隠したつもりだった。
しかし。
少し離れた場所からマコトが見ていた。
胸の大きな令女。
公爵令女。
令女の胸。
また公爵令女。
「……」
マコトの目が細くなった。
*
一方。
公爵令女も。
後ほど、まったく同じようなものを見ることになった。
舞踏会場の外周には、警備の騎士や各家の従者が控えている。
その中に。
顔立ちの整った若い騎士がいた。
背が高い。
肩幅もある。
髪を短く整え、立っているだけなのに妙に絵になる。
マコトの視線が止まった。
「……」
前世。
女。
腐女子。
その記憶が戻った。
(顔がいい)
まず思った。
(しかも、あっちの細身の子息と並ぶと……)
隣には、こちらも整った顔立ちだが、やや線の細い若い貴族子息がいる。
二人が少し話す。
騎士が身を屈める。
子息が何か言う。
「……」
マコトの頭の中で。
勝手に何かが始まりかけた。
(これは……どっちが)
口元が。
ほんの少し。
にやりとする。
その瞬間。
公爵令女と目が合った。
「……」
「……」
公爵令女が。
騎士を見る。
細身の子息を見る。
マコトを見る。
もう一度。
騎士を見る。
「……なるほど」
今度は。
公爵令女の目が細くなった。
*
その後も。
公爵令女には踊りの誘いが来た。
「公爵令女、一曲お願いしても?」
「喜んで」
婚約はまだ公表されていない。
公爵令女が社交の場で子息からの誘いを不自然に断り続ければ、それだけで妙な噂になる。
一人。
次にもう一人。
マコトは遠くから見ながら、理性では理解していた。
普通の社交。
公爵令女として必要なこと。
それでも。
「……近くない?」
舞踏会なのだから普通だった。
「腰に手……」
踊るのだから当然だった。
だが。
面白くない。
ものすごく面白くない。
しかも。
踊っている子息が顔のいい男だと。
「……」
一瞬。
嫉妬とは別の理由で見てしまう。
そしてそれを。
また公爵令女に見つけられる。
「……」
「……」
今夜は駄目だった。
*
しばらくして。
二人は休憩を理由に舞踏会場を離れた。
小さな休憩室。
扉を閉める。
公爵令女が椅子へ座り、マコトは向かいの壁へ寄りかかった。
まず互いに水を飲む。
何も言わない。
「……」
「……」
先に口を開いたのは、公爵令女だった。
「楽しそうでしたわね」
「公爵令女こそ」
「何のことです?」
「胸の大きな令女」
「……」
「見てましたよね」
「見ておりません」
「見てた」
「見ておりませんわ」
「二回」
「数えていたのですか!?」
「数えました」
「マコトこそ!」
二人きりになった瞬間。
前世の名前で呼ばれる。
「何です?」
「あの騎士」
「……」
「それと、隣にいた細身の子息」
「何のことでしょう」
「二人を交互に見ながらニヤニヤしておりましたわよね」
「してません」
「しておりました」
「ちょっと絵になるなとは思いましたけど」
「認めましたわね!」
「ユキだって巨乳見てたでしょう!」
「前世が男なのですから仕方ないでしょう!」
「開き直った!」
「マコトだって前世が腐女子でしょう!」
「だから仕方ない!」
「そちらも開き直っておりますわ!」
*
「そもそも!」
ユキが立ち上がる。
「私が胸の大きな令女を見るのと、マコトがイケメンを見ているのは同じでしょう!」
「同じじゃない!」
「何が違うんですの!」
「私はBLとして見てるだけ!」
「余計に駄目ですわ!」
「何で!?」
「恋人が他の男を見てニヤニヤしていたら、普通は腹が立つでしょう!」
「ユキだって他の女の胸見て鼻の下伸ばしてた!」
「伸ばしておりません!」
「伸びてました!」
「前世男だから少しくらい!」
「少しくらいって認めた!」
「ではマコトは?」
「私は……」
「何です?」
「……あの騎士と子息がちょっと良い組み合わせだと思いました」
「最低ですわ!」
「何で!?」
「私がいるでしょう!」
「ユキがいるのとBLを見るのは別でしょう!」
「私だって、マコトがいるのと巨乳を見るのは別ですわ!」
「……」
「……」
二人とも止まった。
数秒。
「それは」
「はい」
「確かに」
「でしょう?」
理屈としては。
お互いまったく同じだった。
それでも。
「でも腹は立つ」
「私もですわ」
「ユキが他の女の胸見てると面白くない」
「マコトが他の男を見てニヤニヤしているのも面白くありません」
「……ヤキモチですね」
「ヤキモチですわね」
二人で顔を見合わせる。
「……」
「……」
「ちょっと嬉しい」
「私もです」
「でも腹立つ」
「それも同じですわ」
*
二人とも座った。
さっきまで言い争っていたのに。
今度は少し笑えてくる。
「二、三日前まで」
マコトが言う。
「四十八時間以内にどう生き延びるか、って話をしてたんですよね」
「ええ」
「今は他の男を見たとか」
「他の女の胸を見たとか」
「そこだけ聞くと普通の恋人ですね」
「身体はまったく普通ではありませんけれど」
「それは言わない」
「性神のせいですわ」
「恋愛まで?」
「そこは……私たちのせいかもしれませんわね」
*
しばらくすると。
話は別の方向へ転がり始めた。
「でも」
マコトが腕を組む。
「このままずっと、秘密を二人だけで抱えているのって大変ですよね」
「それは私も思っておりました」
性神の祝福。
四十八時間という期限。
互いに起きた身体の変化。
前世の記憶。
それに伴う、離れでの秘密。
今は何とか二人で予定を合わせている。
だが、マコトは代官として領地へ戻ることもあるし、ユキには公爵令女として茶会や夜会、舞踏会がある。
「離れを使う時も、毎回不自然にならないよう人払いしておりますし」
「予定を合わせるのも、そのうち苦しくなる」
「長く留守にする時も困りますわね」
「一人か二人」
マコトが言った。
「事情を知っている人がいた方がいいと思うんです」
「口が堅くて」
「信用できて」
「私たち個人に近い人間」
「……」
「……」
そして。
オタク二人の発想は。
そこから良くない方向へ進むのが早かった。
「臣下で」
ユキが言う。
「絶対に口の堅い者を」
「仲間にしちゃう?」
二人の目が合った。
*
「そういえば」
ユキが先に思い出した。
「マコトの屋敷」
「はい?」
「メイド長がいましたわよね」
「いますね」
「叩き上げの」
「ええ」
「あなたが子供の頃からいる」
「います」
旧男爵家のメイド長。
身分で地位を得たわけではない。
完全な叩き上げ。
若い使用人をまとめ、厨房にも顔を出し、帳簿に妙な数字があれば事務方へ乗り込み、商人が値を吹っかければ自分で交渉する。
そして。
マコトが無茶な仕事をすると。
『倒れて仕事を増やすくらいなら寝てください』
と普通に叱る女だった。
「口は堅いです」
「忠誠心は?」
「旧男爵家というより、領地と私に対してですね。公爵家へ吸収されても残ってくれました」
「それなら」
ユキが頷く。
「候補としてはかなり」
そこで。
一度止まる。
「……確か」
「何です?」
「胸、大きかったですわよね」
「……」
「かなり」
「何でそこを覚えてるんです?」
「前世男なので」
「便利ですね、その言い訳!」
「それで?」
「何が?」
「大きい?」
「……大きいです」
ユキの顔が。
少しだけ。
嬉しそうになる。
「ほう」
「ユキ」
「何です?」
「今、完全に興味持ったでしょう」
「秘密を共有できそうな忠臣としてですわ」
「顔が違う!」
*
「なら」
マコトも反撃する。
「ユキのところにもいますよね」
「誰が?」
「騎士」
「公爵家には何人も」
「公爵家じゃなくて」
「……」
「ユキ個人に忠誠心が強い騎士」
「ああ」
いた。
幼い頃から何度もユキの護衛についた騎士。
公爵家の命令へ従うのは当然だが、それとは別に、公爵令女本人の安全を何より優先する男。
「口は?」
「非常に堅いです」
「忠誠心」
「私個人にもかなり」
「顔」
「……」
「どうです?」
「何故そこを聞きますの?」
「重要です」
「先ほど私に言ったことを忘れました?」
「それで、顔は?」
ユキが少し考える。
「……整っております」
「年齢は?」
「まだ若いですわ」
「背は?」
「高い方です」
「身体は?」
「騎士ですから当然鍛えて――」
マコトの顔が。
明らかに。
輝いた。
「ほう」
「マコト!」
「何?」
「今、完全に腐女子の顔になりましたわ!」
「秘密を共有できそうな忠臣として聞いてるだけです!」
「嘘ですわ!」
*
そこまで来て。
二人とも。
同じことを考えた。
マコト側。
口が堅い。
叩き上げ。
忠誠心が高い。
巨乳のメイド長。
ユキ側。
口が堅い。
ユキ個人への忠誠心が強い。
若く。
鍛えられたイケメン騎士。
「……」
「……」
「ありじゃない?」
ユキが言った。
「あり……ですね」
マコトも答えた。
直後。
二人とも。
相手を見る。
「待ってください」
「何ですの?」
「ユキ、どの意味でありって言いました?」
「秘密を共有する仲間としてですわ」
「本当に?」
「マコトこそ」
「私はもちろん」
「イケメン騎士と聞いた瞬間、目が輝いておりました」
「ユキも巨乳って聞いた瞬間!」
「それは!」
「何です!」
「前世男の性ですわ!」
「こっちも前世腐女子の性です!」
*
また言い争いかけて。
二人とも止まった。
「……まず」
マコトが真面目な顔へ戻る。
「臣下ですからね」
「ええ」
「私たちに命令されたら、断りにくい立場です」
「そこは絶対に利用してはいけませんわ」
「秘密を共有するだけでも慎重にする」
「前世や性神まで、最初から全部話す必要はありません」
「まして、それ以上まで巻き込むなら」
「本人の自由意思が絶対条件」
「断っても仕事や待遇は一切変わらない」
「一度受けても、途中で嫌になればやめられる」
「そこは必須ですね」
性神の祝福でさえ。
相手の意思を奪うものではない。
ならば。
主従関係を使って、拒否できない状況を作るなど論外だった。
「最初は」
ユキが指を一本立てる。
「本当に秘密を共有する必要があるのかを考える」
「次に二人の人柄をもう一度確認」
「どこまで話すか決める」
「それから本人たちの意思」
「ですね」
*
そこまで確認して。
一度は話がまとまった。
はずだった。
「……マコト」
「何?」
「メイド長」
「はい」
「そんなに大きいんですの?」
「またそこ!?」
「参考までに」
「何の参考ですか!」
「仲間としてですわ」
「胸の大きさは仲間に関係ない!」
「でも気になります」
「正直!」
マコトが額を押さえる。
そして。
「ユキ」
「はい?」
「騎士」
「何です?」
「本当にイケメン?」
「まだ聞きますの!?」
「参考までに」
「何の参考です!」
「仲間として」
「顔は関係ありませんわ!」
「でも気になる」
「正直!」
「……」
「……」
また。
二人で睨み合った。
「ユキ」
「何です?」
「巨乳メイド長に興味あるでしょう」
「あります」
「即答!」
「マコトはイケメン騎士」
「あります」
「即答ですわね!」
「前世腐女子なので」
「私は前世男なので」
「……」
「……」
しばらくして。
二人とも吹き出した。
*
会場へ戻る前。
ユキが扉へ手をかける。
「では、今日は何も決めない」
「賛成」
「メイド長と騎士は、あくまで秘密を共有できる候補として考える」
「本人たちへ勝手に期待しない」
「当然ですわ」
「もし話すとしても慎重に」
「そして、本人たちが嫌ならそこで終わり」
「はい」
それでいい。
本来は。
それだけの話だった。
ところが。
扉を開ける直前。
ユキが振り返る。
「でも」
「何?」
「もしですよ?」
「はい」
「二人とも、自分からもっと深く関わりたいと言ってきたら?」
「……」
マコトが黙る。
巨乳メイド長。
イケメン騎士。
前世男のエロゲオタク公爵令女。
前世女の腐女子代官。
そして。
ここ数日で急激に広がり続けている、互いの性癖。
「……ありじゃない?」
ユキの口元が緩んだ。
「ありですわよね?」
「……ありですね」
「ふふ」
「何?」
「悪い顔」
「ユキも」
二人とも。
完全に。
オタクが新しいシチュエーションを思いついた時の顔をしていた。
*
舞踏会場へ戻る。
さっきまでより。
二人とも少し機嫌は良くなっていた。
ただし。
ユキの近くを胸の大きな令女が通る。
「……」
マコトが見る。
ユキは即座に前を向く。
少し後。
顔立ちのいい騎士が別の若い子息と話している。
「……」
今度はユキが見る。
マコトは即座に視線を逸らす。
やがて。
二人の目が合った。
「……」
「……」
秘密を共有する仲間を増やす案は出た。
候補まで出た。
将来的には。
もしかすると。
かなり面白いことになるかもしれない。
だが。
互いが他の女や男へ目を向けると腹が立つ。
そこだけは。
何一つ解決していなかった。




