第四十一話 前世の名前を教え合って、離れのベッドで腐女子代官がBLごっこを始めました
公爵家の離れ。
二人だけで使うことを許された寝室で、代官と公爵令嬢はしばらく向かい合って座っていた。
先ほどまで、明るい昼間に互いの身体を見ながら、前世と今世の感覚の違いについて延々と話していた。
男になった元女。
女として生まれた、元男。
しかも片方は性神のせいで、さらに男女双方の特徴を持つ身体へ変えられている。
考えれば考えるほど、頭の中の男女が混線する。
「そういえば」
公爵令嬢が言った。
「前世のお名前、まだ聞いておりませんでしたわ」
「……そうでしたね」
「今世の名前は当然知っていますけれど」
「前世は、もう誰にも呼ばれませんからね」
二人は少しだけ黙った。
前世の記憶。
日本。
家族。
友人。
趣味。
その人生は確かに自分のものなのに、今となっては誰とも共有できない過去になっていた。
だが。
目の前には一人だけいる。
同じように日本から転生し、同じ性神に人生をひっくり返された相手が。
「……ユキです」
代官が言った。
「前世の私は、ユキ」
「ユキ」
令嬢が確かめるように繰り返した。
「女性だった頃のお名前ですのね」
「はい」
「私は、マコトです」
「マコト」
「男だった頃の名前」
代官が少し笑った。
「不思議ですね」
「何がです?」
「今は男の私がユキで、今は女のあなたがマコト」
「しかも私は、今では普通の女性とも少し違いますわ」
「性神、絶対面白がってますよね」
「私もそう思います」
二人だけの秘密が、一つ増えた。
今世の身分でも。
公爵令嬢と代官でもない。
ユキとマコト。
前世を知る、二人だけの呼び名だった。
*
「それで、マコト」
「……いきなり前世名で呼ばれると、妙に恥ずかしいですわね」
「私もユキと呼ばれたら、多分同じです」
「では、ユキ」
「……本当に恥ずかしいですね」
「でしょう?」
二人で笑う。
それから代官――ユキが、少し真面目になった。
「一つ、話しておきたいことがあります」
「何でしょう」
「私たち、今のところ一つの組み合わせしか試していませんよね」
マコトも意味を理解した。
「……ええ」
「生命維持の条件を満たすには、今の形で問題ありません」
ユキはアナルへの刺激によって絶頂し、その際に射精する。
マコトは人の体内で射精する。
二人の条件は、それで同時に満たせる。
「でも」
ユキが続ける。
「これから先も一緒にいるなら、それだけに固定しなくてもいいと思うんです」
「つまり?」
「私があなたを求める側になることも試したい」
マコトは少しだけ目を大きくした。
「生命維持とは関係なく?」
「関係なく」
「興味で?」
「……それもあります」
「元腐女子として?」
「それだけではありません!」
「では今世の男として?」
「それもあります!」
言い切ってから、ユキは少し赤くなった。
「あなたも女性の身体を持っているでしょう」
「はい」
「今後、夫婦になる可能性まで話しているのに、一方向だけというのも妙な気がして」
「なるほど」
マコトは少し考えた。
「私は構いませんわ」
「即答ですね」
「私だって元エロゲオタクですもの」
「その理由は大丈夫ですか?」
「あなたにだけは言われたくありません」
もっとも。
今はまだ、生命維持条件の方が先だった。
「まずは」
「ええ」
「生きるための方から」
「四十八時間は大事ですものね」
*
寝台へ移る。
昨日とは違う。
追い詰められていない。
時間もある。
何より、互いのことを少し知った。
「止めたくなったら言ってください」
「ユキも」
「もちろん」
ユキがマコトを寝台へ押し倒した。
そのまま自分が上になる。
「……あれ」
「どうしましたの?」
ユキが止まった。
「これ」
「はい?」
「ものすごくBLっぽい」
「……」
「いや、待って」
目が輝き始めた。
「待ってください。ちょっと整理します」
「何をですの?」
ユキは自分とマコトを交互に見る。
自分。
若い男。
見た目はそれなりに整っている。
領地経営のできる、真面目な代官。
対してマコト。
公爵令嬢。
今世では明らかに女なのだが、前世は男。
そして性神によって、男性側の特徴も与えられている。
「これ、解釈によっては」
「嫌な予感がしますわ」
「強い男が、女の子みたいな可愛い男の子を押し倒している構図にできますね」
「私は女です!」
「分かっています!」
「なら何故!」
「BLフィルターです!」
ユキの中で、前世の腐女子が急速に目を覚ましていた。
「例えばですよ」
「聞きたくないような」
「マコトを、守られる系の子犬男子だと仮定する」
「公爵令嬢ですけれど」
「仮定です!」
「はい」
「普段は大人しくて可愛い。ちょっと強がる。でも本当は寂しがり屋」
「勝手に設定を盛らないでくださいませ」
「そこへ強い男が来る」
「ユキ?」
「そう!」
完全に乗ってきた。
「仕事もできる。体格もいい。普段は理性的。でも二人きりになると急に意地悪になる!」
「自分を盛っていません?」
「プレイなので!」
マコトが顔を覆う。
「前世の腐女子が完全復活していますわ……」
「だって、自分がBLの世界へ入るなんて思ってなかったんですよ!」
「私も、イケメンにBLの受け役扱いされる人生になるとは思っておりませんでした!」
「人生分かりませんね!」
「性神のせいです!」
「それは本当にそう!」
*
それでも。
冗談を言いながら身体を重ねていくうちに、二人の呼吸は少しずつ変わった。
「んっ……」
「はぁ……」
昨日と同じ。
触れ合うほど、性神の祝福が強く働く。
身体を守り。
疲労を抑え。
そして、互いの快感を増幅する。
「マコト」
「何ですの……」
ユキが声を低くした。
さっきまでとはまるで違う。
若い男の低い声。
「何度でもいいよ」
「……っ」
「気持ちいいんだろ?」
マコトの表情が固まった。
「ユキ」
「ん?」
「急に声を作るのは卑怯ですわ」
「効いた?」
「効いてません」
「顔が赤いけど」
「うるさいですわ……!」
ユキの中で。
腐女子と、今世の男が妙な形で手を組み始めた。
「マコト」
「……はい」
「可愛いな」
「っ……」
「強がってるけど、もう余裕ないだろ」
「誰が……!」
「俺に全部任せればいい」
「……ユキ」
「ん?」
「その言い方」
「嫌?」
「……もっと」
ユキが止まった。
「もっと?」
「言葉で責めてくださいませ」
「……マコト」
「何です?」
「元男ですよね?」
「元腐女子に言われたくありません!」
*
そこからは早かった。
「はぁっ……!」
「んっ……!」
マコトが息を乱す。
「ほら」
ユキが耳元で囁く。
「気持ちいいんだろ」
「そんなこと……!」
「じゃあ止める?」
「駄目です!」
「正直」
「……気持ちいいですわ!」
「いい子」
「っ……!」
その一言が妙に効いた。
「何ですの、それ……!」
「子犬系だから」
「まだその設定続いておりますの!?」
「当然」
「オタク!」
「お互い様!」
笑っているのに。
身体はもう、笑っていられるほど余裕がない。
「はぁっ……ユキ……!」
「マコト」
「んっ……!」
「もっと声出していいよ」
「そんな……!」
「聞かせて」
「オホッ……!」
二人が止まった。
「……出ましたね」
「言わないでくださいませ!」
しかし。
「オホッ……んっ……!」
「マコト」
「オホォッ……!」
「もう隠せてないけど」
「あなたもでしょう!」
直後。
「んっ……オホッ……!」
今度はユキ。
「ほら!」
「性神です!」
「またそれ!」
「性神のせい!」
「オホォッ……!」
「オホッ……!」
*
言葉遊びだったはずなのに。
いつの間にか、二人とも本気になっていた。
元腐女子のユキは、自分がBLの強い側になっているという倒錯した状況に妙な高揚を覚えている。
元エロゲオタクのマコトも。
前世では男だった自分が、同性だったはずのイケメンに低い声で責められているという状況に、思っていた以上に反応していた。
「マコト」
「オホッ……!」
「もっと欲しい?」
「……欲しいですわ!」
「何が?」
「言わせる気ですの!?」
「言って」
「ユキに……もっと責められたいですわ!」
「素直」
「オホォッ……!」
ユキも息を荒らす。
「マコト」
「はい……!」
「何度でもいいよ」
「……っ」
「全部受け止めるから」
マコトの表情が崩れた。
「オホッ……ユキ……!」
「気持ちいい?」
「気持ちいいですわ……!」
「じゃあ」
「オホッ……!」
「遠慮しなくていい」
「ユキ……!」
二人の条件が噛み合った状態で、互いの快感が一気に高まった。
「来ますわ……!」
「マコト」
「オホォォッ……!」
「いいよ」
「オホォォォッ……!」
マコトが限界を迎えた。
その瞬間。
「んおっ……!」
ユキの身体まで大きく震えた。
「……え?」
本人が一番驚いていた。
マコトが条件を満たした時の強い刺激と、性神の祝福によって高められた興奮が一気に重なったらしい。
「ユキ?」
「待って」
「今」
「待ってください」
「何もしておりませんわよ?」
「分かっています!」
それなのに。
ユキまで同時に限界を迎えていた。
寝台には、二人が激しく戯れた痕跡が残る。
「……」
「……」
しばらく。
二人とも動けなかった。
*
「ユキ」
「はい」
「前世でBLがお好きだったのですよね」
「はい」
「こういうものだと思っていました?」
「いいえ」
「でしょうね」
「読むのと、やるのは違います」
「昨日も同じようなことを言っていましたわね」
「本当に違うんですよ!」
ユキは寝台へ仰向けになる。
「でも」
「はい?」
「……ちょっと楽しかった」
「ちょっと?」
「かなり」
「正直ですわね」
「マコトは?」
公爵令嬢は黙った。
「どうでした?」
「……」
「子犬系」
「その呼び方やめてくださいませ!」
「嫌?」
「……プレイ中だけなら」
「気に入ってるじゃないですか」
「ユキ!」
枕が飛んできた。
ユキが笑いながら受け止める。
「では次」
「次?」
「約束しましたよね」
「……何を?」
「これからのために、逆も試す」
マコトが少しだけ緊張した顔になる。
「ユキが、私を?」
「はい」
「生命維持ではなく?」
「私たちが二人で楽しむために」
少しの沈黙。
やがてマコトが笑った。
「分かりましたわ」
「嫌なら」
「止めます」
「痛かったら」
「すぐ言います」
「それで」
マコトがユキを見る。
「次は、どんな設定にするつもりですの?」
「……考えていいんですか?」
「やはり聞かなかったことにします」
「待って! もう三つくらい浮かびました!」
「腐女子を目覚めさせるんじゃありませんでしたわ!」
「マコトが聞いたんでしょう!」
離れの寝室に、二人の笑い声が響く。
四十八時間を生き延びるだけだった関係は。
少しずつ。
生きるためだけではないものへ変わり始めていた。




