第三十六話 仮面舞踏会で同類を見つけたので、四十八時間を二人で何とかすることにしました
翌日の夜。
王都の大邸宅では、仮面舞踏会が開かれていた。
顔の上半分を隠す仮面。燭台の明かり。弦楽器の音。酒杯を片手に談笑する貴族たち。華やかな夜だったが、若い男爵にはそのすべてが今日は鬱陶しかった。
「……あと一日ほどか」
誰にも聞こえない声で呟く。
性神から神託を受けて、すでに一日以上。
四十八時間以内に一度、アナルへの刺激によって絶頂し、その際に射精すること。
できなければ死ぬ。
昨日までは、この手の舞踏会では女性との距離にも慎重だった。年若い男爵という立場上、少し親しげに話しただけでも婚姻の噂にされかねない。遊びで女性へ手を出す趣味もなく、身持ちは固い方だった。
少なくとも、昨日までは。
「今はそんなことを言っている場合ではないな……」
しかも性神の神託と同時に、前世の記憶まで戻ってきた。
前世の自分は日本人女性。
そして腐女子。
男同士の恋愛物を愛好していた。
「だからといって、自分のアナルで絶頂しなければ死ぬ人生を望んだ覚えはないぞ……」
小声で性神を呪った、その時だった。
広間の反対側で、一人の令嬢と目が合った。
「……」
仮面で顔の半分は見えない。
話したこともほとんどない。
それなのに。
(こいつ)
男爵は、なぜか確信した。
(同類だ)
*
公爵令嬢もまた、舞踏会どころではなかった。
昨日までなら完璧に振る舞えた。
微笑む。
挨拶する。
誘われれば適度に踊る。
不用意に男へ近づかず、婚約候補でもない相手とは必要以上に親しくしない。
彼女もまた、身持ちは固い方だった。
だが今では。
「……残り一日程度ですのね」
ドレスの下に生じた、新たな身体の特徴をどうしても意識してしまう。
性神によって男女双方の特徴を持つ身体へ変えられた。
さらに四十八時間以内に一度、人の体内で射精しなければならない。
できなければ死ぬ。
そして前世は日本人男性。
エロゲオタク。
「知識として特殊な設定を知っていることと、自分がその設定になるのとは全然違いますわ……」
人の体内。
どうすればいい。
誰に頼む。
公爵令嬢という立場で、この秘密をどう守ればいい。
考えながら顔を上げる。
そこで。
仮面をつけた男爵と目が合った。
「……」
理由はなかった。
なのに分かる。
(この方……)
公爵令嬢も確信した。
(同類ですわ)
向こうも、まったく同じものを見つけたような顔をしていた。
*
男爵が先に近づいてきた。
「一曲、よろしいでしょうか」
「ええ」
表向きはごく普通の誘いだった。
二人で踊る。
周囲に不審がられないよう、貴族らしい距離を保つ。
数歩進んだところで、男爵が声を落とした。
「大変失礼なことを伺っても?」
「内容によりますわ」
「昨日」
公爵令嬢の足が一瞬だけ乱れた。
「神託を受けませんでしたか」
「……」
男爵が自然に支える。
「失礼」
「いいえ」
「やはり?」
公爵令嬢が逆に尋ねた。
「あなたも?」
「はい」
「……何の神ですの?」
「性神」
「……」
公爵令嬢の目が大きくなった。
「あなたも」
「その言い方ですと、やはり」
「ええ」
「四十八時間?」
「……同じですわ」
優雅な音楽に合わせ、二人はそのまま踊り続ける。
会話の内容だけが、まったく優雅ではない。
「二人だけで情報交換できますか」
男爵が尋ねた。
「場所はこちらで用意いたします」
「信用していただけるので?」
「信用したのではありません」
「では?」
「この話をできる相手が、今のところあなたしかおりませんの」
「……私も同じです」
*
公爵令嬢は休憩を理由に舞踏会場を離れた。
男爵は少し時間を空けて後を追う。
使われていない小さな客間へ入り、扉を閉めた。
二人とも仮面を外す。
「……あなたでしたの」
「公爵令嬢だったのですか」
「夜会で何度かお会いしておりますわね」
「挨拶程度ですが」
「ええ」
一瞬の沈黙。
公爵令嬢が先に切り出した。
「では、本題へ入りましょう。あなたの条件は?」
男爵は顔をしかめた。
昨日なら死んでも口にしたくなかった内容だ。
だが、本当に死ぬ可能性がある以上、見栄を張っている場合ではない。
「四十八時間以内に一度、アナルへの刺激によって絶頂し、その際に射精すること」
「……」
「どうぞ笑ってください」
「笑えませんわ」
「何故」
「私も、人を笑える条件ではございませんもの」
今度は公爵令嬢が、自分の祝福について説明する。
健康な身体。
高い回復力。
性行為による傷害への強い保護。
そして、男女双方の性的特徴を持つ身体への変化。
「私の場合、四十八時間以内に一度、人の体内で射精しなければなりません」
「……人の体内」
「ええ」
男爵が考える。
公爵令嬢も考える。
数秒後。
「……あ」
「……まさか」
二人の視線が合った。
男爵はアナルへの刺激で絶頂して射精する必要がある。
公爵令嬢は人の体内で射精する必要がある。
二人の条件を組み合わせれば。
一度の行為で。
二人とも最初の四十八時間を乗り越えられる可能性がある。
「……成立しますわね」
「成立しますね」
「……」
「……」
また沈黙した。
今度は長かった。
*
「嫌ですか」
男爵が先に尋ねた。
公爵令嬢は即答しなかった。
「あなたは?」
「正直に言えば、怖いです」
「私もですわ」
「ですが」
「死にたくはない」
「はい」
昨日までなら考えもしなかった。
男爵は女性との関係に慎重だった。
公爵令嬢も同じ。
まして出会って間もない相手と、こんな相談をするなどあり得なかった。
だが、四十八時間後には命に関わる。
「昨日までの私なら、女性と二人きりの部屋にいるだけでもかなり気を遣っていました」
「奇遇ですわね。私も男性とは距離を取っておりました」
「身持ちは固い方で」
「私もですわ」
「それが今では」
二人で顔を見合わせる。
「出会って十分ほどで、アナルを使って互いの生命維持条件を満たせるか相談している」
「性神を一発殴りたいですわ」
「私もです」
*
さらに話すうち、もう一つ妙な共通点が判明した。
「前世の記憶も戻りまして」
男爵が言う。
公爵令嬢が身を乗り出した。
「あなたも?」
「はい」
「どのような前世でしたの?」
「……日本人女性」
「まあ」
「それで、その……男性同士の恋愛物をかなり好んでいました」
公爵令嬢が固まる。
「腐女子?」
「何故その単語を知っているのです!」
「私の前世、日本人男性でしたもの」
「……」
「エロゲオタクでした」
「……」
二人は見つめ合った。
「転生者」
「ですわね」
「二人とも性神」
「最悪の共通点ですわ」
「否定できません」
公爵令嬢が椅子へ腰を落とした。
「でも少しだけ助かりましたわ」
「何がです?」
「私の身体について、言葉の意味から説明しなくても済みますもの」
「ふたなり」
「ええ」
「知っています」
「私も前世では知識として知っておりました」
「私もです」
公爵令嬢が額を押さえる。
「まさか前世の趣味に関する知識が、生命維持の相談で役に立つとは思いませんでしたわ」
「私も、腐女子だった経験がこんな形で戻ってくるとは思いませんでした」
「でも」
「はい?」
「見るのと、自分でやるのは別ですわよね」
「まったく別です!」
男爵は力いっぱい同意した。
*
それでも、結論は変わらなかった。
何もしなければ期限が迫る。
焦って、もっと危険な相手へ事情を打ち明けることになるかもしれない。
今なら二人とも冷静だ。
互いの秘密も共有した。
何より、条件が噛み合っている。
「確認しましょう」
男爵が真面目な顔になる。
「私のアナルを使うことで、私の条件を満たす」
「ええ」
「同時に、あなたは私の体内で条件を満たす」
「そのつもりですわ」
「途中で嫌になれば?」
「止めます」
「命がかかっていても?」
「別の方法を探します。嫌がる相手へ無理強いするくらいなら、まだ時間はありますもの」
「私も同じです」
「痛ければ?」
「即座に言います」
「私もですわ」
二人とも黙る。
公爵令嬢が大きく息を吐いた。
「……腹を括りましょう」
「はい」
「今から?」
「今からです」
「本当に?」
「あなたこそ」
「私は……」
男爵も一度深呼吸した。
「やります」
「では私も」
公爵令嬢が立ち上がった。
「二人とも、生き残るためですもの」
*
最初は、ひどくぎこちなかった。
二人とも経験がほとんどない。
昨日までなら、自分がこんな状況になるとは夢にも思っていなかった。
「……緊張しますわ」
「私もです」
「少し待ってくださいませ」
「もちろん」
急がない。
何度も確認する。
性神の加護があるからといって、気持ちまで自動的に追いつくわけではない。
公爵令嬢が男爵のアナルを使う形で、二人は慎重に身体を重ねた。
「……っ」
「大丈夫ですか」
「はい……」
「私も、かなり緊張しておりますわ……」
「無理なら止めます」
「まだ大丈夫です」
男爵が息を吐く。
「はぁ……っ」
公爵令嬢も。
「んっ……はぁ……」
最初は、ただ戸惑っていた。
それが。
ほんの少し時間が経っただけで。
「……あれ」
「どうしましたの?」
「急に……何か……」
「私もですわ……」
感覚が変わる。
性神の祝福が働いている。
身体を守るだけではない。
互いが同意して触れ合うほど、快感まで強くなっていく。
「はぁっ……あっ……!」
「んっ……!」
「これ……思ったより……!」
「ええ……!」
男爵の息が一気に崩れた。
「オホッ……!」
「……」
「……」
二人が同時に止まる。
「今」
「聞かないでください!」
「オホ声が」
「聞かないでください!」
ところが、その直後。
「んっ……オホッ……!」
今度は公爵令嬢だった。
「……」
「……」
「あなたも」
「言わないでくださいませ!」
「性神!」
「絶対に性神のせいですわ!」
顔を真っ赤にしたまま、二人で叫ぶ。
それでも離れようとはしなかった。
*
「……続けます?」
男爵が尋ねた。
公爵令嬢は荒くなった呼吸を整える。
「当然ですわ」
「本当に?」
「ここまで来て止めたら、何のために腹を括ったのか分かりませんもの」
「では」
「ええ」
また身体を重ねる。
「はぁっ……!」
「んっ……!」
すぐに声が変わった。
「オホッ……!」
「オホォッ……!」
「また!」
「あなたもでしょう!」
「オホッ……!」
「オホォォッ……!」
最初のぎこちなさが、少しずつ消えていく。
「大丈夫ですか」
「大丈夫ですわ……あなたは?」
「私も……!」
「もう少し?」
「はい……!」
「オホッ……!」
「オホォッ……!」
互いに痛くないか確認する。
嫌ではないか聞く。
問題がないと分かるたび、少しずつ緊張が解ける。
「これ、本当に……」
「はい?」
「気持ち……いい……!」
「私もですわ……!」
「言いましたね!」
「あなたも同じ顔をしておりますわ!」
「オホッ……!」
「オホォォォッ……!」
いつの間にか二人とも笑っていた。
昨日までならあり得なかった。
男爵として。
公爵令嬢として。
前世の女として。
前世の男として。
貴族として身につけた常識も、前世で持っていた常識も、全部が「何をしているんだ」と叫んでいる。
それでも身体は素直だった。
「オホッ……! 公爵令嬢……!」
「肩書きで呼ばないでくださいませ……オホォッ……!」
「では何と呼べば!」
「今は何でも構いませんわ!」
「適当ですね!」
「あなたに余裕がおありで!?」
「ありません!」
「オホッ……!」
「オホォォォッ……!」
*
しばらくして、二人とも同時に分かった。
祝福が強く反応している。
「……待って」
「どうしましたの?」
「多分、もうすぐ……条件が……!」
「私もですわ……!」
「これでいいんですよね!」
「性神に聞きたいところですけれど……!」
「今はいません!」
「肝心な時だけ!」
「来る……!」
「私も……!」
二人の声が重なる。
「オホッ……! オホォォォッ……!」
「オホッ……! オホォォォォッ……!」
二人とも限界を迎えた。
しばらく。
客間には荒い呼吸だけが残った。
「はぁ……はぁ……」
「はぁっ……」
男爵が天井を見る。
「……生きてる」
「私もですわ」
「条件は?」
「何となく分かります」
「私も」
身体の中で。
四十八時間の期限が、最初から数え直された。
そんな確信があった。
「成功」
「成功ですわ」
男爵が笑う。
公爵令嬢も笑った。
「よかった……」
「本当に」
二人とも心の底から安堵していた。
*
その安堵は、数秒しか続かなかった。
「……次」
男爵が呟く。
「ええ」
「四十八時間後」
「……必要ですわね」
「そうですね」
二人とも黙る。
男爵は顔を覆った。
「一回やれば解決する話ではなかった」
「最初から分かっていたでしょう」
「分かっていましたが、改めて考えると!」
公爵令嬢も額を押さえる。
「貴族社会で」
「二日に一度」
「秘密裏に」
「アナルを使って」
「互いの条件を」
「……」
「……」
また顔を見合わせる。
「どうします?」
「どうしましょう」
「また会いますか」
「死ぬよりは」
「ですよね」
「それに」
公爵令嬢が言いかけて、視線を逸らした。
「何ですか?」
「……思っていたより」
「はい」
「嫌ではありませんでした」
今度は男爵が黙る。
「私もです」
「むしろ」
「そこから先は、言わない方がいい気がします」
「そうですわね」
二人の頬が赤くなる。
「次は四十八時間ぎりぎりまで待たない方がいいでしょう」
「賛成です」
「安全のために」
「もちろん安全のためですわ」
「快楽のためではなく」
「当然です」
「……」
「……」
さっきまで響いていた二人分のオホ声を思い出す。
「説得力がありませんね」
「あなたもでしょう!」
公爵令嬢が男爵の肩を叩いた。
「痛い!」
「性神の加護がありますでしょう!」
「そういう問題では!」
二人で笑った。
昨日まで。
二人とも一人だった。
どうすれば生きていけるのか。
貴族社会でどう秘密を守るのか。
誰へ相談すればいいのか。
まだ何一つ解決していない。
それでも今夜。
二人は、自分と同じ神に人生をひっくり返された相手を見つけた。
そして互いの条件を組み合わせることで、最初の四十八時間を乗り越えた。
次の期限まで。
あと四十八時間。
男爵は小さく息を吐く。
「……またアナルですか」
「そこを今さら恥ずかしがりますの?」
「昨日まで身持ちの固い男爵だったんですよ!」
「私だって昨日まで身持ちの固い公爵令嬢でしたわ!」
「それが一晩で」
「性神のせいです!」
「そこだけは完全に同意します!」
こうして。
王都の貴族社会の片隅で。
誰にも知られてはいけない、二人だけの四十八時間が始まった。




