第三十五話 性神の神託を受けた男爵と公爵令嬢が、貴族社会でどう生きればいいのか分からなくなりました
その日。
王都のまったく別々の場所で、二人の若い貴族が同じ神の声を聞いた。
一人は、成人済みの若い男爵。
もう一人は、公爵家の令嬢。
二人には面識こそあったが、親しいわけではない。夜会で顔を合わせれば挨拶を交わす程度で、互いの人生がその日を境にほとんど同時におかしくなるなど、知る由もなかった。
*
男爵が神託を受けたのは、自邸の礼拝室だった。
朝の祈りを終えようとした、その時。
『聞こえますか』
「……誰だ?」
女の声だった。
いや、女というより。
男爵がこれまで見てきたどんな美女よりも、妙に自分の好みに刺さる女の声。
振り返っても誰もいない。
『私は性神』
「……はい?」
『あなたへ祝福を授けます』
「待て」
『健康な身体。高い回復力。性的な行為による身体損傷への強い耐性。そして――』
「待てと言っている!」
しかし神は待たなかった。
『四十八時間以内に一度、後ろ側への刺激によって絶頂し、その際に射精してください』
「…………」
『四十八時間を越えれば、あなたの生命活動は急速に低下します』
「…………」
『以上です』
「以上です、ではない!」
男爵は礼拝室で立ち上がった。
「待て! 何だその条件は!」
『祝福です』
「呪いだろう!」
『祝福です』
「貴族だぞ私は!」
『存じています』
「男爵だぞ!」
『それも存じています』
「だから何故!」
返事はなかった。
「……性神?」
沈黙。
「おい!」
沈黙。
「帰るな!」
完全に消えた。
男爵は礼拝室の中央でしばらく立ち尽くした。
「……夢だ」
そう思いたかった。
だが、その瞬間。
頭の中へ、別の記憶が流れ込んできた。
*
「…………あ」
日本。
マンション。
スマートフォン。
薄い本。
イベント会場。
通販。
推していた男同士の組み合わせ。
「…………は?」
さらに記憶が戻る。
前世の自分。
女だった。
腐女子だった。
「待って」
今の自分は男。
しかも貴族。
若い男爵。
鏡を見れば、我ながら整った顔をしている。社交界でも女性人気は高いし、婚約話だって何件も来ている。
その男の前世が。
「……腐女子?」
頭を抱えた。
「いや、それはいい」
良くはないが、今すぐ命に関わる問題ではない。
もっと大きな問題がある。
「四十八時間」
男爵は指を折った。
「二日」
二日に一度。
絶対に。
後ろ側への刺激で絶頂して射精する必要がある。
「……どうするんだ?」
真顔になる。
「貴族社会で、どうするんだ?」
*
従者には言えない。
侍従にも言えない。
執事にも無理だ。
まして父母や親族へ、
『性神の祝福を受けまして、二日に一度、後ろで絶頂しないと死にます』
などと報告できるはずがない。
「死ぬ」
別の意味で死ぬ。
家名が。
社会的立場が。
何より自尊心が。
「いや待て、前世の私ならむしろ……」
そこで止まる。
「違う!」
前世の腐女子趣味と、今の自分が実際にそれをすることは別問題である。
「見る側だったんだ!」
誰もいない礼拝室で叫ぶ。
「やる側ではない!」
静寂。
「……何を言っているんだ私は」
男爵は顔を覆った。
*
一方、その頃。
公爵家でも同じような惨事が起きていた。
公爵令嬢は、自室で神託を受けていた。
『あなたへ祝福を授けます』
「……はい?」
『健康な身体、高い回復力、性的行為による損傷への強い耐性』
「何のお話でしょう」
『そして新たな身体機能』
「新たな?」
次の瞬間。
公爵令嬢は、自分の身体に明らかな変化が起きたことを悟った。
「…………」
『あなたは今後、男女双方の性的特徴を備えます』
「…………はい?」
『四十八時間以内に一度、人の体内へ射精してください』
「…………」
『四十八時間を越えれば、生命活動が急速に低下します』
「…………」
『以上です』
「お待ちください」
『はい』
「待ってくださるのですか」
『今回は』
「でしたら最初からもっと丁寧にご説明ください!」
公爵令嬢は思わず声を荒らげた。
「私は公爵令嬢です!」
『存じています』
「婚約候補もおります!」
『存じています』
「社交界にも出ます!」
『はい』
「それなのに!」
自分の身体を見る。
「何故こんな身体にしたのですか!」
『祝福です』
「祝福の意味を辞書で引いてくださいませ!」
*
さらに追い打ちが来た。
「……っ」
記憶。
日本。
パソコン。
ゲーム画面。
大量の成人向けゲーム。
攻略情報。
美少女。
特殊な設定。
そして。
「…………俺?」
令嬢が呟いた。
前世の自分は男だった。
しかも。
「エロゲオタク……?」
記憶が次々戻る。
学生時代。
社会人になってからも買い続けたゲーム。
予約特典。
限定版。
設定資料集。
そして、ふたなりというジャンルについても当然知識がある。
公爵令嬢は鏡の前で固まった。
「……知識として知っているのと」
自分を見る。
「自分がなるのは」
さらに見る。
「全然違うでしょうが!」
令嬢らしからぬ叫びが部屋に響いた。
*
幸い侍女はいなかった。
扉も閉まっている。
公爵令嬢はベッドへ腰を下ろし、両手で顔を覆った。
「落ち着こう」
前世の口調が出かかる。
「……落ち着きましょう」
今世の令嬢として言い直す。
「条件を整理します」
一。
身体は健康になる。
二。
回復力が上がる。
三。
性的な行為による身体的な問題から守られる。
そこまではいい。
問題はその後。
「四十八時間に一度」
人の体内へ射精。
「人の……体内」
そこが最悪だった。
物では駄目。
一人では達成できない。
必ず相手が必要になる。
「……どうすればよろしいの」
公爵令嬢は真顔になった。
「私、公爵令嬢なのですけれど」
*
結婚すればいい。
一瞬、そう思う。
だが。
「結婚相手に何と説明すれば?」
『実は性神から祝福を受けまして、二日に一度あなたか誰かの体内へ射精しないと死にます』
「無理ですわ」
婚約前ならさらに無理。
婚約後でも無理。
婚姻後に打ち明ければ詐欺同然。
それ以前に、自分の身体が変化したことを公爵家がどう扱うか分からない。
政治的価値。
継承。
婚姻。
血統。
醜聞。
宗教。
「……最悪の場合」
公爵令嬢は青ざめた。
「神殿に囲われる?」
珍しい祝福持ちとして研究対象になる可能性すらある。
「それは絶対に嫌」
前世がエロゲオタクだからこそ分かる。
特殊能力を持つ高位貴族の令嬢が宗教施設に保護される。
「絶対ろくな展開にならない!」
*
男爵も同じ頃、自室へ戻っていた。
机の前。
紙を置く。
羽根ペンを握る。
『問題点』
そう書いた。
一、四十八時間制限。
二、秘密保持。
三、方法。
四、結婚。
五、性神。
そこまで書いて止まる。
「性神が一番問題だろう」
そもそも、性神などという神格を公にしていいのか分からない。
中央神殿で一般的に祀られている神々とは明らかに毛色が違う。
「……聖神」
男爵は呟いた。
「聞かれたら、聖神とでも言うか」
字面だけなら似ている。
性神。
聖神。
「……詐称では?」
神相手に怒られそうだ。
「だが性神と言えるか!」
無理だった。
*
公爵令嬢も、ほぼ同じ結論へたどり着いていた。
「祝福を受けたこと自体は隠しきれないかもしれません」
健康状態が突然良くなったり、怪我の回復が異常に早くなれば、周囲はいずれ気づく。
「でも性神は無理ですわ」
公爵令嬢は机へ突っ伏した。
「聖神」
呟く。
「……聖なる神から、健康の祝福をいただいた」
それなら通せる。
多分。
「問題は」
顔を上げる。
「二日に一度の方ですわ」
*
男爵はさらに悩んでいた。
自分一人で条件を満たせるのなら、まだ何とかなる。
だが貴族の生活には常に人の目がある。
使用人。
侍従。
訪問客。
夜会。
領地視察。
泊まりがけの狩猟。
王都と領地の往復。
「二日ごとに絶対必要」
予定表を見る。
「社交界と相性が悪すぎる!」
夜会の最中に期限が来たらどうする。
領地へ向かう馬車の途中なら?
他家の屋敷へ泊まっている時は?
「病弱ということにする?」
定期的に一人になる時間を確保する。
「いや、健康の祝福と矛盾する」
頭を抱える。
「どうやって生きればいいんだ……」
*
公爵令嬢の問題はさらに深刻だった。
「相手が必要」
これに尽きる。
しかも四十八時間以内。
毎回。
絶対。
「恋人を作る?」
無理。
「結婚を急ぐ?」
もっと無理。
「使用人?」
「何を考えておりますの私は!」
自分で自分を叱る。
相手の立場が弱ければ、同意があったとしても権力関係が問題になる。
公爵令嬢という身分は、こういう時にはむしろ邪魔だった。
「対等な相手……」
貴族。
ある程度の身分。
秘密を守れる。
自分の事情を理解する。
継続的に会える。
そして何より。
「二日に一度ですわよ?」
そんな相手がどこにいる。
「……詰んでません?」
*
その夜。
男爵は一人、ベッドへ横になった。
「前世が腐女子」
天井を見る。
「今世が男爵」
ため息。
「性神の祝福」
さらにため息。
「四十八時間に一度、後ろで絶頂して射精」
毛布を頭まで被る。
「何だこの人生」
*
同じ夜。
公爵令嬢も天蓋付きのベッドで丸くなっていた。
「前世がエロゲオタクの男」
枕へ顔を埋める。
「今世が公爵令嬢」
身体が変化した。
しかも四十八時間に一度、人の体内へ射精しなければ死ぬ。
「……エロゲでももう少し導入を考えますわよ」
自分で言ってから止まる。
「何を基準に評価しているのです、私は」
枕へさらに顔を埋める。
*
二人はまだ知らない。
同じ日に。
同じ神から。
同じ四十八時間という期限を与えられ。
同じように貴族社会でどう生きればいいのかと悩んでいる人間が、王都の反対側にいることを。
男爵は考える。
「誰にも言えない」
公爵令嬢も考える。
「絶対に秘密にしなければ」
男爵は呟く。
「どうすればいいんだ」
公爵令嬢も呟く。
「どうすればよろしいの……」
そして。
二人の身体の中では。
最初の四十八時間が、すでに静かに減り始めていた。




