第三話 拾われたおじさん、ひび割れ木杯まで孕ませる
「今の女の声、大丈夫かー!?」
土の道から声が飛んできた。
おじさんは固まった。
眼鏡。
ネクタイ。
革靴。
それ以外は裸。
そしてすぐ隣には、さっきまで股間を隠すためのただの木筒だったのに、雌化し、オホ声を上げ、正式な種付けプレスまで受けた結果、今やすっかり孕んでしまった木筒が転がっている。
「ドゥ、ドゥフフ……いやぁ~……これは困りましたなぁ」
逃げるか。
いや、駄目だ。
裸の四十代後半のおじさんが、人の姿を見た瞬間に孕んだ木筒を置いて森へ逃げる。
どう考えても追われる側の行動だった。
「おーい! 聞こえてるか!」
「き、聞こえておりますぞぉ!」
「大丈夫なのか!?」
「おじさんは元気ですぞぉ!」
「女は!?」
「女?」
「さっきからすげえ声してただろ!」
「ああ~……」
おじさんは木筒を見る。
「オホォ……」
「今は黙っていただきたい!」
「いるじゃねえか!」
「いや、いないんですぞ!」
「今しゃべっただろ!」
「それが話すと長くなりましてなぁ!」
馬車から二人の男が降りてきた。
一人は三十代ほど。短い茶髪に革の胸当て、腰には剣。
もう一人は若い成人男性で、背中に弓を負っている。
二人とも慎重に近づいてきて――途中で止まった。
「……お前」
「はい?」
「なんで裸なんだ?」
「ドゥフフ……やはりそこからですかなぁ」
「そこからだろ」
ごもっともだった。
「いやぁ、実はおじさん、気がついたらこの草原におりましてなぁ。持ち物も服もほとんどなく、この眼鏡とネクタイと革靴だけが残されたという次第で」
「盗賊に襲われたのか?」
「おじさんが?」
「お前が襲ったんじゃなくて、襲われたのかって意味だ」
「ああ。ドゥフフ、失礼」
若い男はその横を見た。
「……なあ」
「はい?」
「あれ何だ?」
「木筒ですなぁ」
「それは見れば分かる」
「では問題ありませんなぁ」
「なんで膨らんでる?」
「……」
「今、声も出したよな?」
「……ドゥフフ」
「笑ってごまかすな」
おじさんは眼鏡を押し上げた。
「世の中には、不思議な木筒もあるものですなぁ」
「絶対お前が何かしただろ」
「鋭い!」
「認めんのかよ!」
しかし説明したところで、信じてもらえる自信はなかった。
異世界から召喚されました。
性神の祝福を受けました。
股間を隠そうと木筒を被せたら雌化しました。
オホ声を出しました。
おじさんが生きるために正式な種付けプレスをしたら孕みました。
かなり酷い自己紹介である。
茶髪の男は頭を抱えたあと、馬車へ戻った。
「とりあえず、これ着ろ」
古びた外套が飛んできた。
「おお!」
おじさんは両手で受け取る。
「ありがたい! いやぁ、人の情けが身に染みますなぁ!」
「その格好で町まで来られたら、門番も困るからな」
「ドゥフフ。その点については、おじさんも全面的に同意しますぞ」
外套を羽織る。
裸より百倍いい。
だが。
「……」
「……」
「なんだ?」
「いやぁ」
問題が一つあった。
おじさんは常時、妙に元気だった。
外套を巻いても、どうにも隠しづらい。
若い男が気づいた。
「お前、それ……」
「見ないでくださいな!」
「いや、見えるんだよ!」
「おじさんだって好きでこうなっているわけではありませんぞ!」
「ずっとなのか?」
「ずっとですなぁ」
「病気じゃないのか?」
「神様仕様ですぞ」
「は?」
「あ」
口が滑った。
茶髪の男が目を細めた。
「神様?」
「いやぁ~」
「お前、本当に何者だ?」
「ドゥフフ……それも話すと長くなりますなぁ」
若い男が馬車の荷台を漁った。
「これでも使うか?」
投げてきたのは、古い木杯だった。
取っ手は欠け、縁にはひびが入っている。
「それ、もう捨てるやつだけど」
「ほほう」
おじさんは木杯を見る。
中を見る。
自分を見る。
「……」
第一話の木筒を思い出した。
「いやいや」
「なんだ?」
「これをおじさんが使用すると、少々面倒なことになる可能性がありましてなぁ」
「ただ隠すだけだろ?」
「その『ただ隠すだけ』で先ほど酷いことになりまして」
「何言ってんだ?」
それでも、人前でそのままというわけにはいかない。
おじさんにも現代日本人としての常識はある。
「念のため確認しますぞ。この木杯、もう不要なんですな?」
「ああ。水漏れるから捨てるつもりだった」
「では所有権をおじさんへ譲っていただけますかな?」
「そんな大げさなもんじゃねえよ。やるよ」
「ありがとうございますぞ」
これで他人の物ではない。
おじさんは木杯を使って、とりあえず股間を隠そうとした。
三秒後。
「オッ……」
二人の男が止まった。
おじさんも止まった。
「……」
「……」
「オホッ……!」
若い男が木杯を指差した。
「今」
「言わないでくださいな」
「木杯が」
「言わないで!」
「オッホォォォォォォッ!」
「遅かった!」
草原に、艶っぽい成人女性の声が響いた。
木杯の表面が淡く光る。
ひびが塞がった。
木目が艶やかになる。
それどころか、新品だった頃より明らかに頑丈そうになっていく。
そして大量の透明な液体が溢れ始めた。
「オホッ! オホォォォッ!」
「またですなぁ!」
「何だこれ!?」
「だから面倒になると言いましたでしょう!」
「お前、木杯に何した!?」
「隠しただけですぞ!」
「隠しただけでこうなるわけあるか!」
「おじさんもそう思います!」
木杯は地面に落ちた。
ころん。
「オホォ……」
ぴくん。
ころころ。
なぜかおじさんの足元へ戻ってくる。
「……」
「……」
「……懐いてないか?」
「嫌な表現をしますなぁ」
さらに。
おじさんの身体の奥で、また例の衝動が強くなった。
「いやぁ……」
木杯を見る。
「オホッ」
「……」
茶髪の男を見る。
「見るなよ」
「まだ何も言っておりませんぞ」
「顔で分かる」
「いやしかし」
「何をする気だ」
「生存に必要な行為ですなぁ」
「木杯相手に!?」
「世の中、そういうこともありますぞ」
「ねえよ!」
おじさんは少し考えた。
生命維持の時計自体は、さっき木筒でリセットしたばかり。
今すぐ必要ではない。
だが性神の祝福は、四十八時間に一回だけ大人しくしてくれるような親切設計ではなかった。
もうやりたい。
かなり。
「……」
「やめろ。その顔やめろ」
「ですが、どうせこの先も一日に何度もこうなるんですぞ」
「知らねえよ!」
「それにこの木杯、もうおじさんの物ですからなぁ」
「そこだけ律儀なの腹立つな!」
*
二人は馬車の反対側へ避難した。
「絶対こっち見るなよ!」
「見ませんとも!」
「お前に言ってんじゃねえ!」
「ドゥフフ。それでは失礼して」
しばらくして。
ズンッ!
「オホォッ!」
「うわっ!」
ズンッ、ズンッ!
「オッホォォォォッ!」
「馬が怯えてるぞ!」
「申し訳ありませんなぁ!」
「謝るくらいならやめろ!」
「それは難しいですぞ!」
ズンッ!
「オホッ! オホォォォォォォッ!」
若い男が耳を塞いだ。
「木杯だよな!?」
「木杯ですなぁ!」
「なんで女みたいな声出すんだよ!」
「性神様の趣味ですかなぁ!」
「性神!?」
「あっ」
また口が滑った。
だがもう隠す意味がない気もしてきた。
ズンッ。
「オッホォォォォォォッ!」
「出ますぞ。濃いのが……オッ! オッ! オッ! オッ!」
「実況すんなあああ!」
そして、性神指定の一連の条件が成立した。
細部は省略する。
草原へ響いた音と声だけで十分だった。
「オホォォォォォォォッ!」
やがて静かになった。
「ドゥフフ……さて、抜かずの二回戦ですかなぁ」
「やめろおおおお!」
「オホッ!」
「木杯まで乗り気になるな!」
結局、その後もしばらく馬車は出発できなかった。
*
「……お前」
「はい?」
「本当に性神の祝福なのか?」
「そうですぞ」
外套を着直したおじさんは、馬車の荷台へ座っていた。
隣には。
ぷっくりと膨らんだ木杯。
「オホォ……」
「黙っていてくださいな」
木杯は孕んでいた。
しかも、さっきまで水漏れしていた廃品とは思えないほど丈夫になっている。
若い男が恐る恐る持ち上げ、水を注いだ。
「……漏れない」
「ほほう」
「というか、前よりずっといい木杯になってないか?」
「性能は最高、挙動は最低というやつですなぁ」
「誰がそんな言葉作ったんだよ」
「今のおじさんですぞ」
茶髪の男は深いため息をついた。
「最初の木筒も?」
「同じですなぁ」
「お前が?」
「そうですなぁ」
「孕ませた?」
「ドゥフフ」
「笑うな」
「いやぁ、生きるためにはしょうがありませんからなぁ」
それについてはもう結論が出ている。
これを避け続けて死ぬか。
変な雌化アイテムを増やしながら生きるか。
おじさんは生きる方を選んだ。
「危険な物だけは何とかしますぞ。ですが全部防ぐのは、たぶん無理ですなぁ」
「町でやるなよ」
「努力しますぞ」
「絶対やる奴の返事じゃねえ」
「ドゥフフ」
それでも二人は、おじさんを馬車へ乗せてくれた。
「名前は?」
「おじさんですぞ」
「いや、名前」
「……」
「名前だよ」
「いやぁ。こういう時、本名を言う流れですなぁ」
おじさんは名乗った。
二人も名乗った。
一度では覚えられなかった。
外国風の名前は苦手である。
「どこから来た?」
「かなり遠いところですなぁ」
「どの国だ?」
「国というか……」
世界が違う。
正直に言うべきか。
考えていると、若い男が孕んだ木杯を見た。
「もう今さら普通の奴だとは思ってねえぞ」
「それもそうですなぁ」
おじさんは諦めた。
「異世界ですぞ」
「……」
「……」
「別の世界から、性神様に召喚されましたなぁ」
「……本気で言ってる?」
「本気ですぞ」
「証拠は?」
三人の視線が木杯へ向いた。
「オホォ……」
「……証拠として強すぎるな」
「ドゥフフ」
「笑うな」
そこから事情を説明した。
全部ではない。
だが、召喚されたこと。
四十八時間以内に決められた生命維持行為が必要なこと。
人間以外を対象にすると雌化し、正式な種付けプレスまで成立すると孕むこと。
しかも四十八時間は最低限で、実際には何度も衝動が来ること。
話し終わる頃には、二人とも疲れた顔をしていた。
「……大変だな」
「いやぁ、理解していただけましたかな?」
「理解はした」
「信用は?」
「目の前に孕んだ木杯がある」
「説得力がありますなぁ」
「嫌な説得力だけどな」
馬車が走り出した。
草原が後ろへ流れていく。
「町までは?」
「このままなら夕方前には着く」
「ありがたいですなぁ」
「着いたらどうする?」
「まず服ですなぁ」
「絶対そうしろ」
「次に食事。寝床。そして仕事」
「できることは?」
「ドゥフフ……長年会社員をしておりましたぞ」
「カイシャイン?」
「ああ。こちらにはありませんなぁ」
パソコンなし。
電話なし。
表計算なし。
メールなし。
現代日本の会社員スキルがどこまで役に立つのか。
「人に頭を下げる」
「うん」
「愛想笑い」
「うん」
「怒られた時に反省しているように見せる」
「役に立たねえな」
「はっきり言いますなぁ!」
若い男が笑った。
「冒険者ギルドに行けば?」
「冒険者?」
「戦えなくても仕事はある。荷運び、採取、掃除、雑用」
「ほほう」
冒険者。
実に異世界らしい。
「魔物なんかも?」
「当然いる」
「ドゥフフフ」
「なんで嬉しそうなんだ」
「いやぁ、せっかく異世界へ来たのですからなぁ」
「今度は隠さねえんだな」
「もう木杯を見せた後ですからなぁ」
馬車が進む。
おじさんは額の汗をネクタイで拭った。
そのまま眼鏡を外し、同じ場所でレンズをゴシゴシ擦る。
若い男が嫌そうな顔をした。
「そのネクタイ、さっきから何でも拭いてないか?」
「便利ですぞ」
「汚えよ」
「異世界でも厳しいですなぁ」
しばらくして。
遠くに石造りの壁が見えた。
「おお……!」
「あれが町だ」
城壁。
門。
馬車。
人。
剣。
鎧。
本当に異世界だった。
「ドゥフフ……来ましたなぁ」
まず服。
飯。
寝床。
仕事。
そして、たぶん一日に何度もやってくる性神の衝動。
「いやぁ、人生二度目の就職活動ですなぁ」
「その笑い方、ギルドではやめた方がいいぞ」
「なぜです?」
「受付の女に嫌われる」
「それはいけませんなぁ!」
おじさんは真顔になった。
「そこだけ反応早いな」
若い男が笑った。
その横で。
「オホォ……」
孕んだ木杯が鳴いた。
「お前、それ町に持っていくのか?」
「おじさんの所有物ですからなぁ」
「捨てろよ」
「いやいや。水漏れしないどころか性能まで上がっておりますぞ。もったいない」
「孕んでるんだぞ?」
「明日何が生まれるかも気になりますからなぁ」
「持ってくのかよ……」
「ドゥフフ」
こうしておじさんは。
孕んだ木杯を抱えて。
異世界最初の町へ入ることになった。
なお。
草原に置いてきた最初の木筒が、その日の夕方。
何かを産み始めたことを。
この時のおじさんは、まだ知らなかった。




