第二十五話 手甲と木剣と黒い親鞘で、西洋剣なのに居合から鞘殴りまでできたんだけど
「……抜けない」
教会の裏庭で、うちは腰に下げた木剣を引っ張っていた。正確には、雄化した木剣と、そいつを絶対に離したくないらしい親鞘。十七話で子鞘を三つ産んでから、親鞘は木剣への執着が前よりひどくなっている。
「オホッ……!」
「お前じゃなくて。離せって」
「オホォォ……!」
「木剣も喜ぶな!」
ぐっと柄を引けば、親鞘が内部から吸いついて離さない。入れる時はぬるっと滑るくせに、完全に収めた途端にぎゅっと吸着する。木剣の方まで満足そうに鳴くから、どっちも抜ける気がない。
「鞘なのに剣を離さないって、致命的じゃない?」
「通常の鞘であればそうでしょうね」
マジメメガネが眼鏡を押し上げる。隣では童貞神父が、親鞘と木剣を見るべきなのか見ないべきなのか迷った顔をしていた。
「ただ、収めている間の固定性は極めて高いです。走っても抜け落ちないでしょう」
「抜きたい時にも抜けないんだけど」
「そこが問題ですね」
「だから言ってんじゃん」
とはいえ木剣を使わないわけにもいかない。こいつは西洋式の直剣を真似た普通の木剣だったはずなのに、雄化してからどんどん丈夫になり、今では刃のないはずの縁まで妙に鋭くなっている。本人ならぬ本剣も、使われるたびに成長しているらしい。
「何かないかな……あ」
荷物を漁って、手甲を取り出す。
「それは」
「隠し泉で豚に孕まされたやつ」
「毎回その説明をする必要がありますか?」
「分かりやすいじゃん」
腕へ装着すると、手甲がぴたりと吸いついた。革も金具も勝手に形を合わせ、指から手首までしっかり固定する。木剣の柄を握れば、今度は手甲と柄まで吸着した。
「オホッ……!」
「お前も元気ね」
振ってみる。滑らない。力を入れても手の中でずれない。
「これならいけるっしょ」
「待ってください。鞘側の保持力が強いところへ、手側まで固定した場合、一度抜け始めると急激に――」
「とりあえずやってみよ」
「人の話を聞いてください!」
腰を落とし、柄を握る。少し引く。
「オホッ……!」
抜けない。
もう少し。
「オホォォ……!」
まだ抜けない。
「硬っ。いい加減離せって!」
さらに力を入れる。親鞘が吸いつく。手甲は柄を離さない。足で地面を踏み、腰、背中、肩、腕まで一気に使って引いた。
「離せぇっ!」
ぷつん。
親鞘の吸着が限界を超えた。
「――え?」
そこから先は、逆に軽すぎた。
鞘の中にあるぬめりで木剣が一気に滑る。今まで溜め込んでいた力が全部乗り、手甲が柄を離さないまま身体ごと回った。
ヒュン。
三人とも止まる。
「……今、何か音しなかった?」
少し離れたところに立っていた訓練用の木柱が、遅れてずるりと斜めにずれ、そのまま上半分を落とした。
「……え」
「斬れましたね」
「木剣で?」
「木剣でございますね」
「うち、抜いただけなんだけど」
「抜いただけでございますね」
木剣を見る。木柱を見る。また木剣を見る。
「……これ、居合じゃん」
*
「イアイ、というのは何ですか?」
童貞神父へ、うちは適当に説明した。
「うちのいたところの剣術。こう、鞘からシュッて抜いて、そのまま斬るやつ」
「あなたは習っていたのですか?」
「全然」
「では、なぜ知っているのです?」
「映画とか漫画とかアニメ」
「……」
「その顔やめて」
マジメメガネが眼鏡を直す。
「つまり、正式な技術を知っているわけではなく、外見だけを知っている」
「だいたい」
「しかもその木剣は、あなたの故郷の刀ではありませんね」
「西洋の剣っぽいやつ」
「直剣ですね」
「でも鞘から抜いて斬った」
「それだけで居合と言い切るのはいかがなものでしょう」
「斬れたからよくない?」
「……斬れたこと自体は否定できません」
じゃあ、もう一度。
切断した木柱より細い練習棒を立てる。木剣を親鞘へ戻そうとすると、鞘口へ近づけただけで親鞘が反応した。
「オホッ!」
ずるっ、と木剣を引き込む。
「うわっ」
「オホォォ……!」
木剣も満足そうに収まった。
「納める方めっちゃ速いじゃん」
「鞘側が木剣を吸い込んでいますね」
「抜く時は離さないくせに」
「オホッ」
「褒めてないから」
もう一度、手甲を着けて柄を握る。今度はさっきの動きを覚えている。ダンスの振り付けみたいに、足、腰、肩、腕を順番に合わせる。
吸着で力を溜める。
限界。
解放。
ぬめりで滑る。
手甲が固定する。
ヒュン。
狙った位置から棒が落ちた。
「……できた」
「偶然ではなさそうですね」
「居合じゃん!」
「西洋式の木剣ですが」
「居合!」
「刀ではありません」
「うるさい!」
*
何回か繰り返しているうちに、もっと分かってきた。普通に木剣を振るより、親鞘から一気に抜いた方が明らかに速い。しかも納刀は親鞘が勝手に手伝ってくれる。
「オホッ!」
ヒュン。
「オホォッ!」
すぽっ。
「オホッ!」
ヒュン。
「オホォォッ!」
すぽっ。
「……掛け声みたいになってんじゃん」
「装備側が勝手に発声していますから」
「せっかくちょっとカッコいいのに!」
ただ、一回斬ったところで身体の回転を止めるのが勿体ない。
「ねえ」
「今度は何です?」
「このまま回ったらよくない?」
「何がです?」
「抜いた勢い」
右手に木剣。左手は親鞘。
「ダンスでも回る時って、途中で止めるよりそのまま回った方が楽じゃん」
「また剣術を踊りと同じように考えていますね」
「できれば同じでよくない?」
「まずできるか確認してください」
もう一度、木剣を収める。
「オホッ……!」
腰を落とす。吸着。蓄力。抜刀。
ヒュン。
木剣が藁束を斜めに走った。
でも止まらない。
「そのまま!」
右肩を前へ送り、腰の回転を続ける。身体が一回転し、左手に残った親鞘が大きな弧を描いた。
「オホッ!?」
「お前も行け!」
バゴン!
木剣で斬った直後の藁束を、親鞘が横からぶん殴った。切れかけていた上半分がそのまま吹っ飛んでいく。
「……」
「……」
「……できた」
童貞神父が目を丸くする。
「剣で斬った直後に、鞘で殴りましたよね?」
「左手空いてんじゃん」
「そういう理由なのですか」
「でも強くない?」
マジメメガネは吹き飛んだ藁束と親鞘を見比べた。
「合理性はあります。抜刀時の回転を停止せず、そのまま反対側の手へ運動を繋げています」
「ほら」
「ただし鞘は本来、人を殴る道具ではありません」
「こいつ普通の鞘じゃないじゃん」
「……それも否定できませんね」
もう一回。
「オホッ!」
抜刀。
ヒュン。
斬る。
そのまま回る。
「オホォッ!」
バゴン。
鞘で殴る。
「強いじゃん!」
「ただし今の鞘は、まだ打撃武器として十分な硬度があるとは――」
「あ」
うちは親鞘を見る。
「なら、こいつも強くすればよくない?」
マジメメガネの顔に、ものすごく嫌そうな色が浮かんだ。
*
「何をするつもりです?」
「親鞘って、豚の祝福しか入ってないじゃん」
「それだけでも十分異常です」
「うちのも入れたらもっと強くなるかも」
「どうしてそういう発想になるのですか」
「木剣も手甲も強くなったし」
親鞘を持ち上げる。
「実験」
「その言葉を便利に使わないでください」
うちは二人の正面へ立ったまま、親鞘を使って性神の祝福を発動することにした。
童貞神父が真っ赤になる。
「ここでですか!?」
「嫌なら向こう向けば?」
「……」
「向かないんじゃん」
「確認のためです!」
「マジメメガネも?」
「……観察の必要があります」
「言い方だけマジメ」
二人に見られている。
それを意識した途端、身体の奥が余計に熱くなった。
「オホッ……!」
親鞘が反応する。
「ほら。始まった」
表面の色が少しずつ変わる。
「オホッ……オホォッ……!」
「聖女、無理をする必要はありませんよ」
「してない。むしろ……二人ともちゃんと見てて」
「そういうことを言わないでください!」
「だって、見られてる方が……オホッ……来る……!」
童貞神父がますます赤くなる。マジメメガネも眼鏡を押し上げる回数が増えていた。
「見てる?」
「見ていますが!」
「マジメメガネ」
「……観察しています」
「ほんとマジメ」
親鞘がどくん、と脈打った。
茶色かった革が、濡れたような黒へ染まり始める。表面には血管みたいな黒い筋が浮き、脈動するたびにその筋がはっきりしていく。
「来る来る……!」
二人から目を逸らさない。
「このまま、見られたままイクから……!」
「実況しないでください!」
「無理……オホッ……! オホォッ……! オッホォォォォォッ……!」
身体が大きく震えたのと同時に、親鞘もどくん、どくん、と強く脈動した。
しばらくして、うちは息を整える。
「……何その顔」
「あなたが今それを言いますか!」
「聖女が神父二人の目の前で何をしているのです!」
「祝福の実験」
「その一言で済ませないでください!」
でも。
「成功っぽい」
三人で親鞘を見る。
完全に別物になっていた。
*
表面は黒。血管みたいな筋が浮き、ゆっくり脈打っている。前まで革らしい柔らかさがあった親鞘は、今では金属みたいに硬い。
「うわ。硬っ」
地面へ軽く叩きつける。
ゴン。
「鞘の音じゃなくない?」
「打撃武器としては明らかに強化されていますね」
しかも形まで少し変わっている。以前より反りがあり、ところどころ生き物みたいな曲線になった。
「……待って」
「何です?」
「木剣、直剣なんだけど」
三人で見る。
黒い親鞘。
真っ直ぐな木剣。
「普通、入らなくない?」
「外形を見る限りは」
「試すしかないっしょ」
「なぜ毎回すぐ試すのですか!」
木剣の先を鞘口へ合わせる。
「オホッ!」
親鞘。
「オホォォッ!」
木剣。
「はいはい、仲いいね」
そのまま押す。
するっ。
「……入った」
さらに押す。
するする。
最後まで。
「何で!?」
マジメメガネが黒い鞘へ触れる。
「内部だけが木剣の形へ合わせて変形しているようです」
「外は反ってるのに?」
「内部空間は直線を保っているのでしょう」
「性神、雑に便利すぎない?」
そして抜いてみる。
「じゃ、いくよ」
手甲を装着する。右手は木剣。左手は硬化した黒い親鞘。
柄を握る。
吸着。
「オホッ……!」
「前より強い」
力を溜める。
足。
腰。
肩。
腕。
一気。
ぷつん。
吸着が切れた、その瞬間。
親鞘そのものが、どくん、と収縮した。
「え?」
木剣が中から押された。
吸着解除。
内部のぬめり。
鞘そのものの収縮。
全部が重なる。
ヒュンッ!
「速っ!」
目の前の藁束が一瞬で切れる。
「まだ!」
その勢いのまま身体を一回転。
左手。
黒い親鞘。
「オホッ!」
「行け!」
バゴォン!
黒鞘が藁束へ叩き込まれ、今度は切れた上半分だけじゃなく、固定していた台までまとめて吹っ飛んだ。
「……」
「……」
「……強くなりすぎじゃない?」
童貞神父が黒鞘を見る。
「完全に鈍器ですね」
「しかも抜刀速度も上がっています」
マジメメガネが真顔で整理を始める。
「以前は、親鞘の吸着による蓄力、内部の潤滑、手甲による固定、木剣の強度という組み合わせでした。今はさらに鞘自体の収縮が加わっています」
「つまり?」
「親鞘が木剣を外へ射出するように補助しています」
「鞘が居合手伝ってんの?」
「そのようです」
「オホッ!」
「得意げに返事すんな」
*
完成した動きは、もうかなりおかしかった。
木剣を収める。
「オホッ!」
親鞘が吸い込む。
「オホォッ!」
手甲が柄へ吸着する。
腰を落とす。
抜刀。
ヒュン。
一閃。
そのまま一回転。
バゴン。
黒鞘で殴る。
木剣を鞘口へ戻す。
どくん。
すぽっ。
即納刀。
「もう一回!」
「オホッ!」
ヒュン。
「オホォッ!」
バゴン。
すぽっ。
「もう一回!」
「オホッ!」
「オホォォッ!」
ヒュン。
バゴン。
「……めっちゃ強い」
「声を除けば非常に実戦的ですね」
「そこ除けないから困ってんの!」
足の運びと腰の回転は、剣術として覚えるより振り付けだと思った方が早かった。右足を踏む。腰を落とす。引く。回る。鞘を振る。戻す。
「これ、ダンスみたいに覚えればいけるじゃん」
「剣術をそのように理解する方を初めて見ました」
「でもできてる」
「……できています」
「じゃよくない?」
マジメメガネは納得していない顔だったが、反論できないらしい。
*
最後に、廃棄予定の古い練習盾を立てた。
「それまで試すのですか?」
「木とか藁ばっかじゃ分かんないじゃん」
「壊す前提ですね」
「廃棄予定でしょ?」
黒鞘へ木剣を収める。
「オホッ……!」
柄。
「オホォ……!」
手甲。
「オホッ……!」
「お前ら全員準備いいね」
腰を落とす。
吸着。
蓄力。
まだ。
もう少し。
限界。
解放。
どくん。
木剣が飛び出す。
ヒュン。
そのまま回る。
黒鞘。
バゴォン!
木剣を戻す。
すぽっ。
「オホッ!」
「オホォォォッ!」
盾は一瞬、そのままだった。
「失敗?」
「待ってください」
マジメメガネが止める。
ずる。
盾の上半分が斜めに滑り落ちる。
続いて、鞘で殴った下半分の固定台がばきりと折れた。
「……」
「……」
「……ヤバ」
「ヤバ、ではありません」
「これ超強いじゃん!」
「だからこそ扱いには十分注意してください」
それは分かってる。別に人を斬りたいわけじゃない。でも魔物相手なら、普通に使える。というか、たぶんかなり強い。
「技名どうしよ」
「まず技として安全に完成させてください」
「異世界居合」
「正式な居合ではありません」
「居合からの鞘パン」
「もう少し考えてください」
「性神流」
「やめてください」
「オホ居合」
「絶対にやめてください!」
童貞神父まで即答した。
「何で二人ともそこだけ意見合うんだよ」
*
練習を終えて、うちは黒い親鞘へ木剣を収めた。
「オホッ……」
「オホォ……」
さっきまでより静かだ。
手甲も外す。
「オホッ……」
「お疲れ」
三つを改めて見る。
雄化した木剣。
豚に孕まされ、子鞘を産んだあと、今度はうちの祝福まで受けて真っ黒に硬化した親鞘。
豚に孕まされた手甲。
全部、元は普通の道具だった。
それが組み合わさった結果。
西洋式の直剣型木剣で、鞘の吸着とぬめりと収縮を利用した超高速抜刀。
抜刀の勢いを殺さず、そのまま身体ごと回転。
硬化した黒鞘で殴る。
即納刀。
もう一回。
「意味分かんない」
「私もそう思います」
マジメメガネが眼鏡を押し上げる。
「ただし、装備としての原理は説明できます」
「じゃ強いってことでいい?」
「強いです」
「じゃいいじゃん」
腰へ黒鞘を下げる。
「オホッ!」
中の木剣。
「オホォォッ!」
腕の手甲。
「オホッ!」
三つ。
見る。
「お前ら」
「オホッ!」
「オホォッ!」
「オホッ!」
「まだ何も言ってない!」
でも強い。
めちゃくちゃ変。
めちゃくちゃうるさい。
見た目も、黒い鞘に血管みたいな筋が脈打っていて完全に怪しい。
それでも実用品としては、今までで一番まともに強い。
「まあ、いいっしょ」
異世界なんだし。
西洋の木剣で居合して、そのまま回転して鞘でぶん殴るくらい。
あってもいい。
「オホォォォォッ!」
「お前が一番納得すんな!」




