第二十四話 宿のベッドでマジメメガネが、女将の熟れた魅力を知ったんだけど
マジメメガネが宿屋を訪れたのは、昼食の客が引いた後だった。広間には誰もおらず、娘も買い出しへ出ているらしい。帳場にいた女将が顔を上げる。
「こんにちは。少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「何だい。教会の眼鏡じゃないか」
「その呼び方はいかがなものでしょう」
「じゃあ、マジメメガネ」
「悪化しています」
眼鏡を押し上げながら帳場へ進み、持ってきた紙を開く。
「本日は、こちらへ泊まっているオッサンについて、いくつか確認したいことがありまして」
「豚?」
「……その方です」
「最初からそう言えばいいのに」
「私は一言も豚とは言っていません」
「で、何を聞きたい?」
「最近の生活状況です。食事、睡眠、怪我、それから妙な行動をしていないか」
「妙な行動。あの豚に対して、それを聞く?」
「……確かに質問の設定に問題がありますね」
そこは否定できない。食事は取っている。風呂にも入っている。睡眠も問題なし。大きな怪我もない。危険な依頼へ出ようとしても、ギルドの受付嬢と女将の両方に止められているらしい。
「……かなり管理されていますね」
「お前が言う?」
「なぜ私が?」
「あっちの金髪を教会で見てるんだろ」
「聖女については、教会として生活上の相談や必要な確認へ対応しているだけです」
「聖女ねえ。あの金髪が?」
「本人の言動と教会側の呼称は別問題です」
「で、その聖女を見てるのがお前」
「見張ってはいません」
「豚の様子を私が見る。聖女の様子をお前が見る。大して変わらないじゃないか」
「……次へ行きます」
「逃げた」
「逃げていません」
そんな調子で聞き取りは続いた。オッサンが毎晩宿へ戻っているか、食事を抜いていないか、妙な道具を持ち込んでいないか、突然森へ消えていないか。女将は口では面倒そうにしながらも一つずつ答え、しばらくしてマジメメガネは紙を閉じた。
「……以上です。ありがとうございました」
「はいよ。じゃあ帰る?」
「はい」
「……」
「……」
「帰らないの?」
「帰ります」
「なら何で座ったままなんだい」
「……」
本当に用事は終わっている。それなのに立ち上がれなかった。女将を見る。目が合う。逸らす。また見る。
「眼鏡」
「何でしょう」
「私の顔に何かついてる?」
「いいえ」
「じゃあ、さっきから何見てる」
「会話をしている相手を見るのは普通でしょう」
「顔だけ?」
「……」
眼鏡を押し上げる。女将が笑った。
「分かりやすいねえ。女として見てるだろ」
「そのような質問を突然するのはいかがなものでしょう」
「答えになってないよ。マジメなんだろ?」
「……見ています」
「私を?」
「はい」
「女として?」
「……はい」
女将の眉が上がる。まさか本当に答えるとは思わなかったらしい。
「どんな風に?」
「そこまで聞きますか?」
「聞きたいね」
「……成熟した女性として、魅力的だと思っています」
「熟女?」
「言い換えないでください!」
女将が声を上げて笑う。それでもマジメメガネは、改めて女将を見た。若い女の華やかさや勢いとは違う。長く宿を切り盛りしてきた落ち着き、多少男が狼狽えても笑って待てる余裕、年齢を重ねた身体の柔らかさ。熟れた女、という表現が妙にしっくり来てしまう。
「……困りました」
「何が?」
「少し、分かってしまいました」
「何を?」
「年齢を重ねた女性の魅力です」
「やっぱり熟女に目覚めてるじゃないか」
「そういう意味ではありません!」
「じゃあ私には?」
「……魅力を感じています」
「熟女なのに?」
「女将さんだからです!」
言ってから自分で止まった。女将の顔から、からかう色が少しだけ消える。
「お前、そういうことを真面目な顔で言うんだね」
「事実ですから」
「ずるい男だねえ」
「なぜです?」
「分からないなら、そのままでいな」
女将が帳場から出てきた。一歩近い。さらに一歩。
「私も最近、妙に落ち着かないんだよ。あの豚のせいか、金髪のせいか、性神の祝福のせいか知らないけどね」
「教会外で聖女と呼ぶ必要はありません」
「そこを訂正するのかい。とにかく、身体が妙に男を意識する」
「……私も似たような状態です」
「それで目の前に、マジメそうな男が一人。しかも思ってたより悪くない」
「それは褒めていますか?」
「褒めてる。嫌なら離れるよ」
「……離れなくて結構です」
「これでも?」
「はい」
「顔、赤いよ」
「近いからです」
「嫌?」
「……嫌ではありません」
女将はそこで、にやりと笑った。
「どうせ、金髪で童貞捨てた口だろ」
「……っ! その言い方はやめてください!」
「図星じゃないか。若い女しか知らないんだね」
「経験を年齢で分類する必要がどこにあるのです」
「あるよ」
「なぜです?」
「女を教えてやる」
次の瞬間、マジメメガネはベッドへ押し倒されていた。
「女将さん!」
「嫌なら言いな。ここでやめる」
「……嫌ではありません」
「なら覚悟しな。若い金髪とは違う女ってのを教えてやるよ」
*
女将はまず自分のスカートを脱いだ。そのまま下着へ手をかける。
「……女将さん?」
「何だい」
「待ってください」
「嫌?」
「……いいえ」
「なら待たない」
女将は迷わず下着も外した。マジメメガネの顔が赤くなる。
「何だい。熟女が脱いだら予想外だった?」
「そういう問題ではありません!」
「じゃあ次はお前」
女将がベッドへ身を乗り出し、マジメメガネのズボンと下着へまとめて手をかける。
「嫌なら言いな」
「……止めなくて結構です」
「言ったね」
一気に下ろされ、マジメメガネが声を上げる。
「いきなりではありませんか!」
「こっちは辛抱してたんだよ」
「辛抱?」
「豚の面倒を見て、娘の面倒を見て、変な祝福に巻き込まれて、男を意識する身体のまま宿を回してた。もうね、辛抱できなくなってるんだよ」
そこから女将は本当に待たなかった。最初から全力。様子を見るような余裕も、徐々に慣らすような気遣いもない。ただし嫌なら止める。それだけは最初に確認したうえで、溜め込んでいたものをぶつけるように主導する。
「オホッ……! オホォッ……!」
「女将さん……!?」
「何だい……オホッ……! 熟女なら余裕たっぷりだと思ったかい……!」
「そのようなことは……オホッ……!」
「こっちだって我慢してたんだよ……オホォッ……!」
いつも宿を切り盛りし、娘を叱り、オッサンを豚と呼び、簡単には動じない女将が、最初から大きく声を崩している。マジメメガネには、その落差が妙に効いた。
「……邪魔だね」
「何がです?」
「これ」
女将は動きを止めないまま上着へ手をかけ、一枚脱いで放った。
「せめて一度止まってから……!」
「止まりたくないんだよ! オホォッ……!」
さらに一枚。残っていた服が外れた、その瞬間。
「……っ」
マジメメガネの呼吸が変わった。さっきまで布の内側に籠もっていた熱が、一気に解き放たれる。汗、体温、長く働いていた身体そのものの匂い。香水ではない。もっと生々しく、温かい、成熟した女の匂いだった。
「何だい」
「……匂いが」
「臭い?」
「違います!」
即答だった。
「では?」
「……困ります」
「またそれ?」
「本当に困っているのです。女将さんが、さっきよりずっと女に感じます」
「匂いだけで?」
「匂いだけではありません」
「でも効いてる?」
「……かなり」
女将がにやりとする。
「熟れた女の匂い」
「そのように言わないでください」
「服の中で温まってた女の匂い」
「女将さん」
「何だい」
「煽らないでください」
「何で?」
「……辛抱が利かなくなります」
「それはこっちの台詞だよ!」
女将は残っていた服を完全に脱ぎ捨てた。
「オホォォォッ……! ほら、これが辛抱できなくなった女だよ……!」
「オホッ……女将さん……!」
「若い女だけが女じゃない……! 匂いも、熱も、全部覚えな!」
「オホォッ……!」
マジメメガネはもう女将から目を逸らせなかった。むしろ自分から深く息を吸ってしまい、女将に気づかれる。
「お前、今わざと嗅いだね」
「……否定しません」
「好きなんじゃないか。熟れた女の匂い」
「……女将さんの匂いが嫌ではありません」
「嫌じゃない?」
「……かなり好きです」
「そういうこと真顔で言うな! 余計に我慢できなくなるだろ!」
*
女将の両手がマジメメガネの頬へ伸びた。左右から顔を包み、正面へ向ける。
「神父。こっち見な」
「……はい」
二人の目が合う。女将の熱も、荒くなった呼吸も、服の中から解き放たれた匂いも、全部が近い。
「嫌なら離れな」
「……離れません」
「本当に?」
「はい」
「なら」
一気に距離がなくなった。激しい口づけ。互いの息が混じるほど深く、女将から舌を絡め、マジメメガネも一瞬遅れて応える。
「んっ……んぅ……!」
「……んっ」
頬を包んだ両手は離れない。一度だけわずかに距離が空く。
「まだ目を逸らす?」
「……逸らしません」
「いい返事だ」
また口づけ。今度はさらに激しい。何度も離れては重なり、そのたびに女将の匂いと熱が濃くなる。
「……どうだい。若い金髪とは違うだろ」
「比較は……」
「嫌?」
「違います」
「なら?」
「……もう一度」
「ずいぶん素直になったねえ」
「女将さんのせいです」
「なら、もっと女を教えてやる」
「……お願いします」
*
それから女将は、本当に遠慮しなかった。
「オホッ……! オホォォッ……!」
「オホッ……女将さん……!」
「神父なのに……オホッ……! 熟女相手に夢中になってる!」
「オホォッ……その言い方は……!」
「違う?」
「……違いません!」
女将が笑う。
「やっと認めた」
「いちいち否定する方が疲れました!」
「熟女がいい?」
「女将さんがいいのです!」
一瞬、女将が止まった。
「お前、それ今言う?」
「聞いたのはあなたでしょう!」
「……本当にずるいねえ」
次は先ほど以上だった。
「オホォォォッ……!」
「オホッ……!」
マジメメガネが一度限界を迎えても、女将はすぐには終わろうとしなかった。
「……女将さん、一度……」
「分かってる」
「では」
「終わりだと思った?」
「……」
「言っただろ。こっちは辛抱できなくなってるんだ。一度で足りると思うな」
「私はもう……」
「嫌なら止める! どうする!」
マジメメガネは息を整え、女将を見る。
「……止めないでください」
「言ったね」
「はい」
「なら、まだ行くよ!」
「オホォォォッ……!」
「オホッ……!」
休んではまた向かい合い、何度も互いに限界を迎える。そのうちマジメメガネも、女将の余裕が崩れていくところを自分から見たくなっていた。
「……もう無理?」
「その質問ですが、女将さんはどうなのです」
「まだいけるよ」
「……なら、もう一度」
「お前から?」
「数えないでください」
「マジメな神父さんが熟女に夢中?」
「そこまで分類する必要がありますか!」
「でも違わない?」
「……」
女将がマジメメガネを見る。
「神父。私のこと、どう思ってる?」
「……女として、かなり魅力的だと思っています」
「それだけ?」
「……かなり好きです」
今度こそ女将が完全に止まった。
「何でしょう」
「そんな真っ直ぐ来るとは思わないだろ」
「嘘を言う方が失礼です」
「本当に、マジメな男ってずるいねえ」
「意味が分かりません」
「分からなくていいよ」
女将が抱きつく。
「オホッ……!」
「オホォッ……!」
*
結局、何度二人で限界を迎えたのか、途中から数えることをやめた。ようやく二人でベッドへ並び、荒い息を整える。
「聞き取り」
「はい?」
「今日の記録」
「何です?」
「女将、体調良好。神父、体調良好。熟女の匂いに刺激されて」
「絶対に書きません!」
女将が大笑いし、マジメメガネは顔を覆った。
「私は何をしているのでしょう」
「後悔?」
「していません」
「早いねえ」
「後悔していないことと、自分の行動に戸惑うことは両立します」
「じゃあ次はなし?」
「……」
今度だけは返事が止まる。女将は急かさなかった。
「嫌なら来なくていいよ。今日だけでも構わない」
「……聞き取りがなくても、この宿へ来てもよろしいでしょうか」
「私に会いに?」
「……はい」
「熟女に?」
「女将さんにです!」
「神父なのに?」
「……」
「マジメなのに?」
「……」
マジメメガネは、そこにない眼鏡を押し上げようとして手を空振りさせた。
「またやった」
「放っておいてください」
「次も来る?」
「……はい」
「自分から?」
「はい」
「聞き取りなしで?」
「……女将さんに会いに来ます」
女将の笑みが少しだけ柔らかくなる。
「なら次は、仕事の理由なんて持ってこなくていいよ」
「……はい」
今日、マジメメガネが宿へ来た理由は、本当にオッサンについての聞き取りだった。教会では金髪のギャルを聖女と呼び、自分は聖女の状況を確認する神父。女将はオッサンを管理する宿屋の女主人。本来なら、それだけの関係だった。
だが、次は違う。
次にこの宿を訪れる時、マジメメガネは教会の仕事を理由にしなくていい。落ち着いて見えて、辛抱できなくなれば最初から全力で、オホ声まで隠さず、それでも嫌なら止める女。その服の中へ籠もっていた熱も、匂いも、何度も崩れた声も。
女将という熟れた女の魅力を、マジメメガネはすっかり覚えてしまったのだから。




