第十一話 宿のベッドを雌化して、女将に弁済種付けプレスですぞ
「オッホォォォォォッ!」
朝一番。
宿の二階に、艶のある女の声が響いた。
「いやぁ……思った以上に響きますなぁ」
「オッホォォォッ!」
もう一度。
壁まで微かに震えた。
声の主は女ではない。
昨日まで、おじさんが寝ていただけの安宿のベッドである。
古びた木枠は傷一つないほど滑らかになり、長年の使用でへたっていた敷物も、まるで上等な宿の寝具のように身体を支えてくれる。
雌化したのだ。
しかも性能まで上がった。
「寝具としては素晴らしいのですがなぁ」
「オッホォォォォォッ!」
「声だけ何とかなりません?」
ならない。
性神様の祝福を受けた物は、だいたいそうだ。
性能は最高。
挙動は最低。
*
目を覚ました時から、身体の調子は妙によかった。
ゴブリンに殴られた傷はもうない。
疲労もない。
昨日、ギャルのお嬢さんと初めて関係を持ち、その後はギルドの受付のお姉さんからも散々管理された。
普通なら一日寝込んでもおかしくない。
ところが性神様の加護は、そこだけは無駄に優秀だった。
「いやぁ、絶好調ですなぁ」
そして絶好調だからこそ、困る。
また衝動が来ていた。
四十八時間は死なないための期限にすぎない。
普段の欲求は、もっとずっと頻繁に湧く。
しかも昨日から、その頻度まで少し増している気がする。
鏡を見る。
脂っこい顔。
出た腹。
薄くなり始めた頭。
無駄に濃い体毛。
「強くなるなら、もう少しこう……格好よくなってもよさそうなものですがなぁ」
そうはならなかった。
ギャルのお嬢さんには昨日、
『オッサン度、上がってない?』
とまで言われた。
どうやら性神様は、おじさんを若返らせる気など一切ないらしい。
「さて」
衝動の方は待ってくれない。
部屋を見る。
机。
椅子。
水差し。
洗面桶。
そしてベッド。
「……」
大きい。
丈夫そう。
条件も満たせる。
しかし宿の備品である。
「いやいや」
他人の物を勝手に雌化させるのは、さすがにまずい。
おじさんにだって常識くらいある。
あるのだが。
やらなければ、いつか死ぬ。
しかも我慢したところで何の得にもならない。
「死ぬか、弁償するか」
少し考える。
「弁償ですなぁ」
即決だった。
*
「先に謝っておきますぞ」
ベッドに向かって頭を下げる。
「申し訳ありませんなぁ」
そして触れた。
直後。
「オッホォ……」
「来ましたなぁ」
寝台が小さく揺れる。
傷が消えた。
木枠が締まる。
寝具がふっくらと膨らむ。
試しに手で押すと、柔らかいのに沈み込みすぎない。
「これは」
少し横になる。
「おお」
腰。
背中。
首。
それぞれを絶妙に支えてくれる。
「高級宿のベッドより良いのでは?」
「オッホォッ」
「おじさんの言葉が分かるんですかな?」
「オッホォォォッ!」
「やはり性能は最高」
一拍。
「私生活は最悪」
仕方ない。
雌化だけでは正式な生命維持条件を満たさない。
「では」
おじさんは腹を括った。
*
どん。
「オッホォォォッ!」
どん。
「オッホォォォォォッ!」
想像以上に音が出た。
「いやぁ、宿中に聞こえてませんかなぁ」
「オッホォォォッ!」
もう遅い。
ここまで来て途中で止める方が面倒だ。
「出ますぞ」
「オッホォォォォォッ!」
「濃いのが」
「オッホォォォォッ!」
「オッ! オッ! オッ!」
身体の奥で、あの独特の感覚が走った。
正式判定。
生命維持条件が更新された。
「よし」
これで当面は死なない。
「オッホォ……」
ベッドも妙に満足そうである。
「では、女将さんに謝りに――」
ガチャ。
扉が開いた。
「……」
「……」
女将が立っていた。
四十前後。
この宿を一人で切り盛りしている、気の強そうな成人女性だ。
女将はおじさんを見た。
次にベッド。
またおじさん。
「何してる」
「おはようございますなぁ」
「何してる」
「生命維持ですぞ」
「うちのベッドで?」
「……はい」
「馬鹿か!」
「申し訳ありません!」
*
説明には少し時間がかかった。
「つまり」
「はい」
「あんたは定期的に種付けプレスしないと死ぬ」
「正確には四十八時間以内ですなぁ」
「そこはどうでもいい」
「はい」
「人じゃなくてもいい」
「はい」
「物なら雌になる」
「はい」
「で、最後までやると孕む」
「はい」
女将がゆっくりベッドを見る。
「うちのベッドを」
「はい」
「雌にして」
「はい」
「孕ませた」
「……はい」
「馬鹿か!」
「二回目ですぞ!」
「何回でも言うよ!」
「オッホォォォッ!」
「お前も鳴くな!」
女将がベッドを叩く。
ぽふん。
「……」
もう一度。
ぽふん。
「何だこれ」
「性能も向上しておりますぞ」
女将が腰掛ける。
続いて横になる。
「……」
寝返り。
反対側へ、もう一度。
「……」
「女将さん?」
「黙ってな」
「はい」
さらにしばらくしてから、女将が起きた。
「めちゃくちゃ寝心地いいじゃないか」
「でしょう?」
「何であんたが得意そうなんだ」
「作ったのはおじさんですからなぁ」
「孕ませただけだろ!」
「オッホォォォォッ!」
「だから鳴くな!」
女将は頭を抱えた。
「捨てるのも惜しい」
「ですなぁ」
「でも弁償はしてもらう」
「もちろんですぞ」
「金は?」
「……」
財布を見せる。
「これだけ?」
「駆け出しですので」
「宿代も前借り」
「はい」
「服も借金」
「はい」
「飯も節約」
「はい」
「本当に金ないな」
「ドゥフフ」
「笑うな」
「はい」
*
女将が、妙な目でおじさんを見た。
「……臭い」
「はい?」
「昨日より臭い」
「受付のお姉さんにも似たようなことを言われましたなぁ」
「褒めてない」
「はい」
「脂っこい」
「はい」
「腹出てる」
「はい」
「背も高くない」
「はい」
「頭も薄い」
「そこは何度も確認しなくてよいのでは?」
「事実だろ」
「事実ですなぁ」
そこまで罵ったくせに。
女将は離れない。
むしろ、じっとおじさんを見ていた。
「なのに」
「はい?」
「腹が立つね」
「何が?」
「こんな見た目なのに、妙に気になる」
「おや」
「喜ぶな」
「まだ何も言ってませんぞ」
「顔が喜んでる」
「顔は生まれつきですなぁ」
「それはただのブサイクだ」
「酷い!」
その時。
「オッホォォォ……」
雌化ベッドが鳴いた。
女将の目が、ベッドへ向く。
「……」
「女将さん?」
「何だ」
「ベッド殿が気になります?」
「うるさい」
「いやぁ」
少し。
意地悪してみたくなった。
「せっかくですから、もう一度ベッド殿に」
「は?」
どん。
「オッホォォォッ!」
女将が固まった。
「おい」
「何ですかな?」
「何でもう一回やってんだ」
「元気そうでしたので」
「オッホォォォォォッ!」
女将の眉がぴくりと動く。
どん。
「オッホォォォッ!」
「……」
「出ますぞ」
「オッホォォォォッ!」
「濃いのが」
「オッホォォォォォッ!」
「オッ! オッ! オッ!」
終わる。
おじさんが身体を起こした。
「さて」
「……」
「女将さん?」
女将は。
おじさんから目を逸らさなかった。
「……無駄だね」
「何がです?」
「こんな腹して」
「はい」
「こんな顔して」
「はい」
「臭くて」
「はい」
「頭も薄くて」
「はい」
「なのに身体だけ無駄に元気で」
「そこまで言います?」
「腹立つんだよ」
「はい」
「……ベッドなんかに使いやがって」
「おや」
「その顔やめろ」
「ドゥフ」
「笑うな!」
女将がベッドへ上がった。
「私にしろ、豚」
「女将さん?」
「何だ」
「それは弁済です?」
「弁済だ」
「本当に?」
「黙れ」
「はい」
「早くしろ」
*
「オホッ……!」
女将の声が、部屋に響いた。
「おや」
「見るな!」
「はい」
「止めるな!」
「どちらですかなぁ」
「オッホォォォォッ!」
さっきのベッドより大きかった。
「女将さん」
「しゃべるな、豚!」
「はい!」
「オッホォッ……!」
息を整える暇もなく。
「まだだ」
「はい?」
「オホッ……もっと!」
「まだいきます?」
「誰が終われと言った!」
「承知しましたぞ」
「オッホォォォォォッ!」
行為が始まると、女将の普段の罵倒は短くなった。
「オホッ!」
「デブ!」
「オッホォォォッ!」
「臭い!」
「オッホォォォォォッ!」
「豚!」
「オホッ、オホッ……!」
ほとんどがオホ声。
その合間に、短い罵倒と要求だけが飛んでくる。
「もっと!」
「はい」
「止めるな!」
「はい」
「オッホォォォォォッ!」
一区切りついても。
女将は離れなかった。
「まだ」
「女将さん?」
「オホッ……もう一回」
「ベッド代、高くありません?」
「黙れ、クズ!」
「はい!」
「オッホォォォォッ!」
*
二度。
三度。
回数を重ねるほど。
女将の声は大きくなった。
「オッホォォォォォッ!」
「いやぁ、宿中に」
「黙れ!」
「はい!」
「オホッ! オホッ!」
「まだだ!」
「はい!」
「オッホォォォォォッ!」
そのうち。
隣のベッドまで反応する。
「オッホォォォッ!」
「……」
女将の目が据わった。
「うるさい」
「ベッド殿ですなぁ」
「私の方を見ろ」
「はい?」
「オホッ……私にしろ、豚!」
「完全に張り合っております?」
「黙れぇ!」
「はい!」
「オッホォォォォォッ!」
女将。
「オッホォォォォッ!」
ベッド。
女将。
ベッド。
部屋の中でオホ声が交互に響く。
「いやぁ、賑やかですなぁ」
「お前のせいだ!」
*
ようやく静かになった頃。
女将はしばらく動かなかった。
「女将さん?」
「……しゃべるな」
「はい」
「笑うな」
「はい」
「こっち見るな」
「はい」
少し間が空く。
「……いや」
「はい?」
「そこにいろ」
「おや」
「何だ」
「何でもありませんぞ」
「ドゥフ」
「笑うな!」
「はい!」
女将が起き上がる。
「それと」
「はい」
「二度と勝手に宿の物を雌にするな」
「努力しますぞ」
「努力じゃない」
「衝動がありますので」
「だったら」
女将は、少しだけ言葉を止めた。
「先に私に言え」
「おや」
「笑うな!」
「はい!」
*
「風呂」
「はい?」
「入れ」
「今ですかな?」
「今だ」
「さっきかなり汗を」
「だからだよ。臭い」
「はい」
浴室へ向かおうとすると。
女将までついてきた。
「女将さん?」
「何だ」
「なぜ一緒に?」
「一人にできると思うか?」
「おじさん、もう条件は満たしましたぞ」
「そういう問題じゃない」
女将が浴室を指す。
「風呂桶」
「はい」
「湯桶」
「はい」
「腰掛け」
「はい」
「壁」
「はい」
「今度はどれを雌にする気だ」
「いやぁ」
全部を見る。
「候補は多いですなぁ」
「言うと思ったよ!」
女将が後頭部を叩いた。
「痛いですぞ!」
「だから私も入る」
「管理です?」
「監視だ」
「受付のお姉さんと似てきましたなぁ」
「誰だい、その女」
「いやぁ」
「後で聞く」
「怖い!」
*
湯気の立つ浴室。
女将は、おじさんの背中を容赦なく擦った。
「痛いですぞ!」
「垢だ」
「もう少し優しく」
「臭い」
「はい」
「脂っこい」
「はい」
「何で洗ってもすぐオッサン臭くなるんだ」
「性神様の進化では?」
「最低の進化だね」
「おじさんもそう思いますなぁ」
背中。
首。
耳の後ろ。
髪。
爪。
全部確認される。
「女将さん」
「何だ」
「完全に世話を焼いておりますなぁ」
「宿が臭くなるからだ」
「なるほど」
「それ以外に理由なんかない」
「はいはい」
「その返事やめろ」
*
身体を洗い終え。
湯船へ入ろうとした。
「待て」
「はい?」
「桶に余計なことするな」
「しませんぞ」
「信用できない」
「酷い!」
「朝、ベッドを孕ませた男が何言ってる」
「返す言葉もありませんなぁ」
女将が、おじさんをじっと見る。
「……」
「女将さん?」
「何だ」
「また何か?」
「臭い」
「今洗いましたぞ!」
「オッサンそのものが臭い」
「理不尽!」
「ブサイク」
「風呂では治りませんなぁ」
「デブ」
「はい」
「ハゲ」
「はい」
女将が近づく。
「なのに」
「はい?」
「また腹立ってきた」
「おや」
「笑うな」
「はい」
*
風呂では種付けプレスはしなかった。
もう生命維持条件はベッドで満たしている。
だから最初は、立ったまま後ろから抱き合う形だった。
「オホッ!」
すぐに。
女将の声が浴室へ響いた。
「オッホォォォッ!」
「女将さん」
「しゃべるな!」
「はい!」
「オホッ……!」
「もっと!」
「はい!」
「オッホォォォォォッ!」
水音。
湯気。
女将のオホ声。
行為中は、そればかりになった。
「オホッ!」
「豚!」
「オッホォォォッ!」
「臭い!」
「オホッ、オホッ……!」
「もっと!」
おじさんが少し離れようとすると。
「止めるな!」
「休憩かと」
「いらない!」
「元気ですなぁ」
「オッホォォォォッ!」
*
しばらくして。
「こっち向け」
「はい?」
「顔」
「ブサイクと言ったばかりですが」
「うるさい」
今度は向き合う。
立ったまま。
女将が、おじさんの首へ腕を回した。
顔が近い。
「……本当にブサイクだね」
「改めて言います?」
「臭い」
「洗いましたぞ」
「腹も邪魔」
「はい」
「頭も薄い」
「はい」
そして。
女将の方から口づけた。
「……」
「女将さん?」
「しゃべるな」
もう一度。
今度は長い。
激しく。
息が乱れるほどに。
離れたかと思えば。
「臭い」
また口づける。
「ブサイク」
もう一度。
「デブ」
さらに。
「ハゲ」
「キスの合間に全部言いますなぁ!」
「うるさい!」
また唇を重ねる。
女将は激しく舌を絡ませながら。
それでも。
「オホッ……!」
漏れる声だけは。
やはりオホ声だった。
「オッホォォォォッ!」
向き合ったまま。
女将はおじさんへしがみつく。
「オホッ……もっと!」
「はい」
「止めるな!」
「はい!」
「オッホォォォォォッ!」
罵倒。
口づけ。
オホ声。
また罵倒。
また口づけ。
「臭い豚……!」
「はい」
「オホッ……!」
「はい」
「ブサイク……!」
「はい」
「オッホォォォォッ!」
女将自身。
何をしているのか。
途中から考えるのをやめたらしい。
*
風呂から出る頃には。
浴室そのものは無事だった。
「いやぁ」
「何だ」
「風呂場を一つも雌化させずに済みましたなぁ」
「私が見張ってたからだ」
「そうですなぁ」
「次からも一人で入るな」
「おや」
「風呂桶を孕ませられたら困るからだ!」
「もちろん、それだけ?」
「……」
「女将さん?」
「飯抜くよ」
「すみません!」
*
朝飯まで食べさせられた。
「ちゃんと食え」
「はい」
「残すな」
「はい」
「危ない依頼は受けるな」
「はい」
「昨日みたいに怪我するな」
「もう治りましたぞ」
「関係ない」
「女将さん」
「何だ」
「おじさんを大事に」
「宿で死なれたら迷惑なんだよ!」
「はい!」
女将は最後まで。
おじさんを。
臭い。
デブ。
ハゲ。
ブサイク。
豚。
と呼んだ。
そのくせ。
飯を食わせ。
風呂へ連れて行き。
危険な仕事を止めようとする。
「いやぁ」
やはり。
女性というものは。
おじさんにはよく分からなかった。
*
冒険者ギルドへ着く。
「おはようございます」
受付のお姉さんは。
今日も完璧だった。
冷静。
知的。
制服も髪も乱れていない。
「おはようございますぞ」
「昨日のゴブリンについて、巡回班から報告が届いています」
「おお」
「群れの痕跡と大型個体の遺体を確認しました」
「お嬢さんが倒したものですなぁ」
「おそらく」
「討伐報酬は?」
「証明部位を持ち帰っていないため出ません」
「世知辛いですなぁ」
「規則です」
普通。
どこから見ても。
仕事のできる受付嬢。
昨日のお姉さんとは。
とても同一人物には見えない。
「……」
「何です?」
「いやぁ」
「何でしょう」
「普通ですなぁ」
「何がですか?」
「何でもありませんぞ」
受付嬢が書類を差し出す。
おじさんも受け取ろうと手を伸ばした。
その時。
彼女が。
ほんの少しだけ。
顔を近づけた。
笑顔のまま。
声だけ。
おじさんの耳にしか届かないほど小さい。
「……クソ豚」
「はい?」
「どこかで盛った臭いがするな」
「ドゥフ」
「笑うな」
「はい」
「風呂には入ったようだが、誤魔化せると思うなよ」
「女将さんに洗われましたぞ」
「……女将?」
「はい」
「女か」
「はい」
受付嬢の笑顔は。
変わらない。
「種付けしか能のない、豚以下のゴミが」
「朝から強烈ですなぁ」
「後で全部聞く」
「全部ですかな?」
「全部だ」
さらに。
耳元へ。
「後で管理してやる」
「管理?」
「二度と勝手にどこかで盛ろうと思えないくらい、きっちりな」
「怖いですぞ」
受付嬢は。
すっと顔を離した。
「では、本日の依頼についてですが」
「切り替えが怖いですなぁ!」




