07話 心動
「じゃあ早速やってみな」
ここに来てからしばらく経ち太陽もすっかり顔を隠してしまった。腹ごしらえも終わりようやく落ち着いたという頃だ。
ルナールから紙が手渡された。御札のような、小さな紙だ。よく見ると何やら幾何学的な模様がある。
「うん、やってみるよ」
教えられたとおりに呪文を唱える。暗記するのにはかなり時間がかかった。
ふわぁ、と紙が橙色に光る。
「ほぉ、なかなかやるじゃない」
「これが...魔法?」
こくりと頷く。光法、リマイアと呼ばれており、ロウソクやランプが無いときに役に立つそうだ。
俺でも出来るのか、もっと数年に及ぶ苦行のようなものを成し遂げないと出来ないものだと思っていた。
「入門おめでとう、って所ね」
ハルはほっと息をつく。
「あ...」
その明かりは風船が萎むように消えていった。
「練習すれば長い間消えないようになるわよ」
「なかなか難しいね」
「でしょうね、私も出来るようになるまで手こずったもの」
そう言いルナールは何か思い出すように天井から釣り下がったランプを見つめている。
「さっきの火が出るのはどの位で覚えたの?」
話しかけられ視線がハルに戻る。アランの顔に一直線に飛んでいったやつだ。
「そうね、2、3ヶ月はかかったわね」
そんなにか。やはり一筋縄ではいかないようだ。ルナールはふと、こんな事を尋ねた。
「そういえば、魔物の事は聞いてるの?」
「うん、軽くだけどね」
人の敵だ、そいつに命が奪われる事も少なくはないのだ、そうアランからは聞いていた。
「そう、それを倒すために私だとか国やらギルドやらは戦ってるんだけどさ、5年前だったかな、ある魔物が現れたんだ」
歯を噛み締めながら感情を胸の底に沈めて説明を続ける。
「そいつは凶暴で沢山の命を奪ったんだ。後にそいつはネメシスって呼ばれるんだけど調べてみたら昔から稀に現れていたみたいでね、出現するたび数多くの犠牲を払って討伐していたみたい」
憎しみのこもった瞳で自分の足元を見ている。
「私の弟も5年前、そいつに挑んでいった。そして呆気なく死んだんだ」
ルナールは手の甲で涙を拭う。ハルにはどうする事もできなかった。
「ハルはね、その弟にどこかしら似てるんだ。凄く懐かしい思いにしてくれた」
涙を落としながらも笑っていた。
「う、うん、そりゃどうも」
どうすればいいんだ。自分でもあたふたしているのはよく分かった。
「はは、なによそれ」
「そ、そうだ、」
ん?とルナールは疑問符を浮かべる。
「ルナさんって何歳なの?」
数秒の沈黙。そしてそれを破ったのは溜息だった。
「23歳よ」
低い乾いた声で返ってきた。ただ話を変えたかった、それだけなのだが。ぱっと考えついた質問とはいえ内容を間違えたのは自分でもはっきりと分かった。その答えにもいまいちリアクションが取りづらい。
「な、なによ」
「いや、べ、別になんでもありません」
変な視線が飛んでくる。そんな目でこっちを見ないでおくれ。
「なに、ひょっとして私を狙ってるの?」
この人ホントに意地悪だな。
「でも残念、私には婚約者がいるからね」
じゃあ聞くんじゃないよ。
「ああ、そうなの」
「本当にいい人なのよ?それでカッコいいし、優しいし、もう理想的よ!」
バンバンと背中を叩いてくる。何なんだこの人は。
「て事で残念だけどごめんね」
ウインクが飛んでくる。どういうことだ。
「そ、そうなんだ、ははは」
もう頭が回らない、笑い過ごすしかない。見た目はちょっと怖いけどいい人なんだということは分かった。
「さて、もう寝ましょうか。2階にベットがあるからハルはそこで寝なさいよ」
「ルナさんはどうするの?」
私はここ、と言いソファーを指差す。
「でも、悪いよ」
「若いんだから遠慮しないの、はい寝た寝た」
手をひらひらとしている。悪い気がしたがここは甘えておこうと思った。
「ありがと、じゃあ、おやすみ」
「うん、おやすみ」
短い階段を上がる。2階はキッチン、テーブルやイスが並んでいる。その奥にある扉を開ける。1つのベッドと鏡がある。あの人結構お洒落なのかな。
そう思いながらベッドに潜り込んだ。あ、いい香りがする。
目を閉じながら考えていた。
この世界、ザルトに来た時は絶望すら覚えた。
今まで自分が生きてきた時間を否定されたような気がして。
これほどまで孤独、という言葉を噛み締めたことは無かっただろう。
しかし、2日が経っただけでその気持ちは薄れていった。見た事も、聞いた事もない知識。ただ優しくしてくれる人が少しいるだけで気持ちが楽になった。
今は助けてもらっている。だが今後なにかあれば恩返ししよう。
さあ、寝ようか。
じゅう――
いい匂いがする。
目が開く。真っ白の天井。ふかふかのベッド。
あれ、ここどこ...
そうだ、ルナさんの家に泊まってるんだったっけ。
上体をモゾモゾと動かす。そして溜息をハァ、とひとつ。
よし、起きよう。体を起こす。そしてベッドから降りて小さな寝室のドアを開く。
匂いの正体はキッチンにいた。
「あら、おはよう」
「ルナさん、おはよう」
彼女は朝ご飯を作っていた。もうできているようで、トースト、目玉焼きが美味しそうにテーブルの上の皿に座っている。
「よく眠れた?」
「うん、ぐっすり眠れた」
なら良かった、と嬉しそうに呟く。
「ほら、席について」
白いローブ姿のルナールはミルクの入ったカップを2つ持ってくる。それをテーブルにコトン、と置くと自分も席についた。
「じゃあいただきます」
「いただきます」
目玉焼きをトーストに乗せ、塩コショウを振り口に運ぶ。
「美味い、ルナさんは料理も上手だね」
「良いお嫁さんになるわよ、私」
ルナールもまんざらでもないようだ。冗談を挟みながら答えた。
「そういえば、前から思ったんだけど」
美味しそうに朝食を食べながらどうしたの?と聞く。
「俺の前の世界、その、アルトとザルトってなんだか、凄く似てるところがあるんだよ」
そうだ、今まで付き纏っていた違和感に気付いた。上手く言えないが塩コショウだって、トーストだって全く違う世界なのに、全く同じ。至る所に共通点が散りばめられているのだ。
「ふうん、不思議なものねぇ」
まあ、覚える事が少なくなった、と考える事にしよう。そのくらいポジティブじゃないとやっていけない。
「うん、美味い」
「そう?」
懐かしさ、そんなものをこの朝食から感じた。少し涙腺が緩まる。
「これからも家族みたいに思ってくれていいから、何かあったら助けるわ」
本当に、優しい。それが胸に空いていた空間を満たしてくれている。
「ありがとう」
「ほれ、早く食べないと冷めるぞ?」
そうだね。そう笑いハルは朝食を綺麗に食べた。




