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「旦那様がお呼びです。すぐに支度を整えて本邸にお越しください」
「ちょっと待って。そんな急に言われても困ります、今日は知り合いと会う約束があるんです」
「はああ、仕方ありませんわね。じゃあ、約束とやらをキャンセルしてきてください。急いでくださいよ」
朝、珍しく部屋にやって来た不機嫌なメイドに叩き起こされたメイカは、結婚式の日から顔どころか連絡もとっていない夫に呼び出されたと聞いて驚いた。抗議するもメイドは小ばかにした顔で無視する。
悔しく思いながらも嫌な予感がしてカレン宛に「婚家に呼び出された」と手短に謝罪の手紙を送る。これならばこっそり働いているユウやエン社のことはわからないだろう。案の定、イライラと急かしてくるメイドが手紙を気にしていたので良かった。
ーーユウさん、皆、ごめんなさい。すぐに戻ります。
結婚してからじき1年になるしそろそろ離婚の話かもしれない。でも、それなら書面か使用人に伝えればいいのになぜ呼び出したのだろうか。こみ上げてくる不安を押し殺しながら、なるべく早く帰って仕事に行こうと考える。
伯爵家に着くと執務室らしき部屋に案内される。中に入ると旦那様(うろ覚え)がデスクに座って書類を片づけていた。メイカに気づくと早口で話しかけてくる。
「さっそくだが君に仕事を頼みたい。一月後にアイリーンが両親に会うことになった。私のアイリはどこに出しても恥ずかしくない立派な淑女だが、やはりいきなり生粋の貴族と会うとなると緊張すると不安がっていてね。そこで場に慣れるために君にアイリの話し相手を任せたい。やってくれるな」
「ちょっと待ってください。先代伯爵様方にお会いするならば、高位貴族と会ったことのないただの男爵令嬢の私と話すよりも、正式なマナー教師やアディンゼル伯爵と交流がある貴族の方と過ごした方がアイリーン様も安心するでしょう」
旦那様(仮)、いやヘンドリック(暴走中)は悩ましげに眉をひそめて、芝居がかった仕草で深いため息をつく。いや、ため息つきたいのはこっちだよ!
「それができないから困っているんだ。私のアイリーンは優しく心清らかで可憐なまさに天使のような女性だが、その純粋さを妬んだ者たちが陰湿な嫌がらせをしてくるんだ。でも、君ならば一応は信頼できるし、アイリが使っているこの教本の解説もできるだろう」
ヘンドリックが取り出したのはまさかの”一からわかる令嬢マナー”だった。くううっ、まさか自分の書いた本が自分の首を絞めるなんてっ。
焦りながらも何とか断ろうとすると、ヘンドリックは話は終わりとばかりに書類に視線を落とす。
「今日からアイリの勉強を手伝ってやってくれ。一応言っておくが、アイリを妬んで嫌がらせなどくだらないことを考えるなよ」
「大丈夫ですっ、神様に誓って120%絶対にありえませんわ!! そ・れ・と、肝心なことですが!! アイリーン様と先代伯爵様たちとの顔合わせが済んだら、私とは離婚するということでよろしいんですよねっ!?」
肝心なことを聞くと、ヘンドリックは驚いたように目をしばたたかせてうなずく。
「ああ、そうだな。それについての話し合いはまた……」
「わかりました。大変忙しい伯爵様の手をまたわずらわせるのも悪いので。今ここで『離婚する』と一筆書いていただけませんでしょうか」
前にカレンにもらった魔術誓約紙をとり出す。前に、カレンとナツメとルリと女子会を開いた時に「旦那様とやらに会ったら一筆書かせておいて。あとはこっちで処理するから」と言われたけれど、まさか本当に役立つ時が来ると思わなかった。
ヘンドリックはまだ疑っているのか渋い顔をしたが、メイカが「私と、離婚、しますよね? 愛する、妻の、ため、ですものね?」と一言一言重々しく告げるとサインをする。
「これでいいだろう。私は忙しい、出て行ってくれ」
「はい、わかりました」
どこまでも傲慢なヘンドリックの態度に愛想も尽きてさっさと部屋を後にする。とにかく離婚は決まった。あとは1ヶ月何とかしのいで、この紙を持ってエン社に帰るんだ。
――あ、そうか。私、エン社と皆がいるところに帰れるんだ。
1年前、ここに来た時には何にも持たず行く場所もなかった。でも、今は待ってくれている人たちも帰る場所もある。そう思うと不安が晴れていく。
「よしっ、がんばるぞっ」
魔術誓約紙を握りしめてメイカは気合を入れた。




