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「そんなっ、アイリっ。なぜこんなことをしたんだっ」
頭をのけぞらせて高笑いするアイリーンにヘンドリックが悲痛な声を上げる。アイリーンはヘンドリックに一瞬悲しげな目をしたが、怒りと憎しみをこめてなぜかメイカをにらみつける。いや、何で私!?
「たかが良い家に生まれただけでいばりくさっているだけの貴族が憎いからよっ!! 令嬢教育の教師も話し相手の令嬢も何の苦労もしないで守られてぬくぬく生きている普通の女のくせにっ。私のことを『卑しい平民に教えることなんてない』ってバカにして、ヘンリーには会うたびにベタベタ胸を押しつけて気持ち悪いっ!! 確かに私は平民として街で生きてきたけれど、人前であんなみっともない真似なんてとても恥ずかしくてできないわよ!!」
「うっわ、最低」
「それは伯爵がそういう女性を好ん……むぐっ」
「しーっ、黙って聞く!」
メイカがドン引きすると女性たちがヘンドリックを白い目で見る。
ユウもぼそりとつっこみかけてカレンに口をふさがれる。アイリーンも聞こえたのか顔をひきつらせたが、すぐに涙を浮かべて続ける。
「それにヘンリーの両親は私のことを平民だからといつまでも見下して、ヘンリーの妻になるためにどんなに努力しても何一つ認めようとしない!! しかも、私と結婚させたくないからって実家がド貧乏な男爵令嬢をお金で買ってきて妻にするなんて!! どれだけ私をバカにしているのよ!!」
先代伯爵夫妻には婚約した時に会ったぐらいだけれど、確かに高慢ちきで嫌な感じだった。彼らにとって一応はぎりぎり人間のメイカがそうなのだから、ヘンドリックのために努力しているアイリーンはもっとひどい目にあったんだろうな……。
アイリーンの怒りの叫びに対立していたユウたちも神妙な顔をし、使用人たちは「アイリ様、おいたわしい」と同情の涙を流し、さすがのヘンドリック(むっつりすけべ)も気まずい顔をする。
皆がしんみりと見守る中、アイリーンは溜めこんだものを吐き出すように続ける。
「それでも、この1年間必死にがんばったおかげでまともな貴族たちには少しずつ認められるようになったわっ!! ”一からわかる令嬢マナー”を見つけてからは皆と一緒に勉強もできて、楽しかったし」
本の名前を出した時にアイリーンは一瞬だけ顔をほころばせたが、すぐにまた怒りの形相になる。
「でも、あのプライドの高いヘンリーの両親は、ここで毎日のほほんと遊んでいるそこの人しか妻として認めないって頑なに言い張っているのよっ!
だから、あの2人が来るって聞いた時に、自分たちが選んだ人物が何よりも大事にしている家宝を盗んで逃げる悪女だったんだって見せつけて、大恥をかかせてやることにしたのよ!!
ふんっ、失敗はしたけれど盗まれたことがプライドの高いあの人たちにとって赤っ恥になるならまあいいわっ。ざまあみろ!」
アイリーンはすがすがしい笑顔を浮かべて吐き捨てると、ユウをにらみつけた。
「さあ、これで全部罪を認めたわよ、さらわれたお姫様を助けに来た王子様。あとは罪人として捕まえるなり、大事な奥様の復讐をするなり好きにしてちょうだい。
ああ、そうだ。言っておくけれどそこの彼らは私が脅して手伝わせただけだから。罰を与えるのは私1人にしてちょうだい」
アイリーンの潔い宣言に使用人たちが悲鳴を上げて「奥様、私たちも同罪です!!」とすがりつく。ユウはちょっと困ったように小首を傾げた。
「そうですか。メイカさんの味方としてあなたを追いつめた僕が言うのも何ですが。
今回の件は、一年かかっても愛する女性との結婚を両親に認めさせられないボンクラ伯爵に悩み、追いつめられて焦った末の犯行。いえ、そこの夢見るだけの無能伯爵と結婚するためにあなたにできる精いっぱいの動きだったのですね。
こうして聞くとあなたのやったことは傲慢な貴族の鼻っ柱を的確に叩き折る実に見事な計画でした。メイカさんを巻きこまなければ僕も手を貸したいぐらいに。
あなたの頭の冴えと度胸、そして一から人々の信頼を集めて”アディンゼル伯爵家の奥方”になった、その素晴らしい努力に敬意を」
ユウが目上の淑女にするように深々と礼をするとアイリーンは「何よっ、あなたなんかに褒められたってうれしくないわよっ」と言いつつも目に涙を浮かべる。何となくしみじみした雰囲気になるとそれをぶち壊すようにヘンドリックがわめく。
「おいっ、貴様っ! 先ほどから黙って聞いていれば我が家のことを好きに言っているがっ。私にも忍耐の限度というものがあるぞっ」
「いえ、アディンゼル伯爵家ではなくあなた自身について思うことを言っているだけですが?」
そうだよ、アイリーンさんが暴走したのってあんたのせいじゃん。しかも、アイリーンさんが虐められたのも私が誘拐されたのも伯爵の親子ゲンカのとばっちりだよね。あと、ユウさん意外と毒舌なのね。
他の皆もそう思ったのか、不思議そうなユウとうつむくアイリーン以外の皆がヘンドリックに凍てつきそうな視線を向ける。ユウの鋭い一撃と皆の冷たい視線にさすがの図太いヘンドリックもぐっと言葉に詰まるが、ユウは気にせずに続ける。
「ところでアディンゼル伯爵。ここまでいろんなことがありましたが『紋章指輪さえ返ってくればすべてを不問にする』という許しの言葉は有効ですね?」
「……ああ。それでいい」
天然で殺傷能力の高いユウには敵わないと思ったのか、ヘンドリックはぐったりと疲れた顔でうなずく。ユウはふむふむとうなずくとなぜかメイカに目を向ける。
「それは良かったです。では、メイカさん。あなたはアディンゼル伯爵家のくだらないプライドをかけた親子ゲンカに巻き込まれた気の毒な被害者ですが。何か伯爵に求めることはありますか」
「はい、今すぐ離婚してください」
正直、恩も仇もあるヘンドリックにはいろいろと思うところがあるがどうしようか。
考えながら視線をさまよわせると唇を引き結んで立ち尽くすアイリーンがいた。目が合うと彼女はこちらを力強く見つめ返してきた。それではたと気づく。
――そうか。アイリーンさんはこれまでの私と似ているんだ。
アイリーンの立ち居振る舞いは貴族夫人らしいきれいなものだ。きっと一生懸命がんばって、うまくいかなくて悩んで落ち込んで、でも支えてくれる人たちに励まされてまたがんばろうと立ち上がったのだろう。
夢を叶えるためにがんばった彼女を尊敬する。それに何よりアイリーンはメイカが書いた”一からわかる令嬢マナー”の読者だ。あんなに素敵な笑顔で「勉強できる」と喜んでくれた人にはどうか夢を叶えて幸せになってほしい。嫌がられるかもしれないけれどそう思った。
「あと、その。アイリーンさんさえ良ければ、ユウさんやカレンさんが知っている令嬢教育の教師の方を紹介してもらえないでしょうか」
アイリーンとユウを交互に見ながらおそるおそる頼むと、アイリーンは面食らった顔をし、ユウはにっこりと笑う。
「ええ、もちろんですよ。母に頼めば身分を問わず学ぶ気のある女性を育てるのが好きなまっとうな教師がいくらでも見つかります。その方々にアイリーンさんは立派な淑女だとお墨付きをもらえば。頭の固い先代アディンゼル伯爵夫妻も納得するでしょう」
「な、何よっ。私に恩を着せようってわけ?」
「そんなことないです。ただ、その、さっき言っていた本が好きな仲間として応援したくなっただけです。それに、アイリーンさんは姿勢も声もきれいだしすごく堂々としていてカッコいいですから、伯爵夫人として社交界に君臨する姿を見てみたいなって。そう思っただけです」
美人で努力家で、ユウに鋭く責められても堂々としているアイリーンが着飾って社交界に出たらさぞ絵になるだろう。せっかく伯爵夫人になるのならその晴れ姿を見てみたい。
そう思って言っただけなのだがなぜかアイリーンは顔を真っ赤にしてぷるぷる震える。あ、まずい。怒らせた?
焦るとカレンが笑いを含んだ声で「ふふふ、怒ってないから大丈夫よ。メイさんのそういうとこいいわ~」とひそひそ耳打ちしてくる。微笑みを浮かべたユウたちはもちろん、さっきまでは敵意をむき出しにしていたヘンドリックや使用人たちも感激したようにメイカを見つめてくるけど本当に何なの?
「わかりました。メイカさんの望みは僕が家名にかけて叶えると誓いましょう」
「え、家名? やっぱりユウさんは貴族の方なんですか?」
「ええ。メディア公爵家三男、ユウトです。まあ、しばらく前からそこのカレンディアと一緒に家を出て好きにしているので、名ばかりの貴族ですが。ちなみにナツメとマツバは僕たちの幼なじみです」
「正確には奥様に頼まれたお目付け役ね~」
「えっ、ええええええええっ!? メディア公爵家っ!? あの王都新聞のっ、陛下の相談役と呼ばれている!?」
挨拶をするようにするっと正式名を名乗るユウ、もといユウトにメイカは思わず絶叫した。つられるようにあちこちから悲鳴が上がる。
メディア公爵家は国内外のニュースをいち早く集めて記事にする”王都新聞”を発刊する大貴族だ。その情報網と影響力と資産はすさまじく、切れ者と評判の現メディア公爵は国王陛下から最も頼りにされていると噂されている。ちなみに、三男と次女は確か身体が弱くて社交に出ないと聞いた気がするがまさか市井でバリバリ活躍しているなんて!
かしこまるとユウトは寂しげにメイカを見る。
「ええ、そうです。でも、僕は家を出ていますので。僕のことはただのユウとして接してください」
「そう言いながらも兄さんって何かあると遠慮なく家を頼るのよね。まあ、いいわ。メイさんのお願いだもの。私もアイリーンさんを助けるようにお母様たちにお願いしておくね」
カレンもうなずくとなぜかヘンドリックは感極まった声を上げた。
「なんとっ、メディア公爵家の方々が私たちの婚約を祝福してくれるとはっ! ありがとうございますっ、このご恩は忘れません!! アイリっ、君の気持ちは良く分かった! 今まで辛い思いをしているのに気づいてやれなくてすまなかったっ、これからは2人でがんばろう!!」
「いや、そこまで言っていな……むぐっ」
「兄さん、空気読んで」
余計なことを言いかけたユウの口をカレンがぎゅむっと塞ぐ。幸い、ヘンドリックはアイリーンの手を握って夢中で話し込んでいて聞こえていないようだ。まあ、ヘンドリックの変わり身の早さには呆れるけれど、2人が幸せそうなら良いか。
「じゃあ、これで一件落着ね。メイさんも朝から疲れたでしょう。さっさと離婚して家に帰りましょう。ねこのてのごちそうが私たちを待っているわ!」
カレンの言葉に反応するようにお腹がぐ~っと鳴る。そういえば朝からろくなものを食べていないんだった。メイカはカレンに促されて彼女が準備してくれていた正式な離婚の書類にヘンドリックからサインをもらった。これでただのメイカとして自由になった。
「伯爵様、アイリーン様、一年間実家ともどもお世話になり本当にありがとうございました。もう会うことはないでしょうが、遠くから幸せを願っています」
「ああ、君も元気でな」
「……その、いろいろと迷惑かけてごめんなさい。そして、ありがとう。がんばるわ」
ヘンドリックはそっけないが、まだ顔が赤いアイリーンはメイカの目を見てふんわりと笑った。その素敵な笑顔にふわりと笑みがこぼれる。
「ええ、アイリーンさんの活躍、楽しみにしていますね!」




