因果の糸
宇宙には膨大な因果の糸が張り巡らせれ、その結果として、星や物や生命体が生まれる。
宇宙原理の根本として、この因果を結ぶ糸ことも重要なもののひとつなのだ。
循環と継続、決して途切れない永遠を結ぶもの。それを因果という。
夏が近づくころに生まれし虫は、秋が深まれば死んでいく。
草原を埋め尽くす緑も、冬になれば枯草と化す。
地上の生命は生まれては死んでいく定めであり、それを避けることはできない。
しかし、個体の命が尽きるとも、その種が絶えるわけではない。
因果は次元を超えて、無限につながっていく。
もし、何もない世界に生命が誕生したとしても、その情報を次の世代に伝えることができなければ、その生命体が継続することはない。
海の中にある有機物が、たまたまうまく結合して、原子的な生命が生まれたとしても、その種を継続させるシステムがなければ、泡と消えてしまう。
単に生命が生まれるだけでは、地球のように生命が溢れる世界になることはない。
そうなるためには、もっとハードルの高い条件が幾つもあるのだ。
そのひとつが、次世代に情報を伝える機能である。
だから、DNAという情報を伝達できる遺伝子の存在こそ、生命体の核心と言っても過言ではない。これがなければ、種は継続できないのだ。
そして、もうひとつ、大きな障壁がある。
環境への適応性である。
あたりまえのように感じるかもしれないが、これもなかなかハードルが高いものと思われる。
地球の環境は循環というメカニズムにより、長期間安定が保てるようにできている。単純に言えば、自然というものは循環できないものを排除し、循環できるものを生かすという機能があるのだ。
地球には地球独自の循環システムがあり、それがバランスする点へと地球環境は収束していく。そこには、もちろん意思などないわけで、生命が存在しやすいようには作ってはくれない。だから、地球のような炭素系生物が存在できるような環境ができる可能性は極めて少ないはずである。
その地球であっても、生命体にとって、それほど生息しやすい場所でもない。例をあげると、栄養を摂ろうとすれば、有害な物質も含まれているのがあたりまえだ。だから、生命体側で排除するシステムがなければならない。更には、酸素によりエネルギーを生成しようとすれば、酸素による酸化対策も備わっていなければ成り立たない。
人間の体には、DNAがあり、子孫に伝達できるシステムも備わっており、食物の毒も肝臓などの臓器で分解する能力もある。それが当たり前と思うかもしれないが、そう簡単に構築できるものではないだろう。
これらのハードルを、全部クリアしないと生命体は繁栄できない。
たまたま生まれたとしても、すぐに消えるか、ある期間で立ちいかなくなってしまう。
このようなものが、自然の中から発生する確率はどのくらいあるのだろう?
理論的に生成が不可能なものではないが、容易くできるようなものでもない。
いつしか、これをシミュレーションできるだけの演算装置ができたなら、是非、確率計算してみたいものである。
要するに、普通にあり得ることなのか、それとも、かなりレアな偶然、はたまた、超奇跡的な出来事なのか、知りたいわけである。
生命が誕生したのは、約35億年前とされている。
その頃の地球には、まともに酸素もなく、有毒ガスでいっぱいだったようだ。今の人間が、その環境を見たなら、とても生物が住めるような環境ではないと、即座に判断するに違いない。
そのような劣悪な環境下で生まれた生命なるものが、遺伝子というタスキを35億年つなぎ続けてきたわけである。
その間、大災害などというレベルではない超大災害が何度も生じており、環境も激変している。その度に、大量の種が絶滅しながらのリレーである。
よく途切れなかったと感心するばかりである。
そこに、何かを感じる方もいれば、それがどうしたと無関心を装う方もいるとは思う。別に、どちらでも構いやしない。
それは駅伝のタスキと同じようなもので、何としてでもタスキをつなごうとすれば、そこにドラマが生まれるだけである。
意味がないとするならば、何の感動も生じないだけのことである。
ものごとの意味や価値など、確定しているものではない。
人間にとって、非常に価値が高いとされている黄金であっても、虎やライオンにとっては価値などない。そんなものより、美味しいお肉の方がいいに決まっている。
ものごとに、価値を与えることができるのが、生命体というものであり、価値観は一定ではない。観測者によって、その価値は変わるものだ。
宇宙は多様性に向かって進化していく。
その最たるものが生命体である。
そんな生命が宿る地球。
こんな星が、宇宙にはどのくらいあるのだろう?
巻き散らされた塵のような水素から、この世界が構築されたのであれば、そのメカニズムは非常に洗練された法則の集合体と言えよう。
ただ只管に、延々と営みを繰り返すことにより、1億分の1の確率をも実現するのが自然というものである。物理法則というのは、そのために適合した、優れた法則なのだ。
しかし、生命体は、自然の流れだけではできないものを作り上げることができる。
意思を持つことにより、新しいものの生成確率を大幅に上昇させることが可能となり、著しく速く発展を遂げてきた。
更には、自然の力だけではできないことを実現させる可能性を秘めている。
多様性なるものの頂点が生命体であるとするならば、生命体の進化こそが宇宙のあり様をより高次元へと導く鍵にもなり得る。
その鍵で、新しい扉を開くことができるかどうかは、人類次第ということだ。
ぼくらは、そんな過程の中の一瞬を生きているのである。
おそらく、この宇宙の中には、ぼくらよりもずっと進化した生命体が存在するであろう。その生命体であれば、ぼくらの知らないことも熟知し、ぼくらが成しえないことも実現できるはずだ。
しかし、それでも、宇宙にとって人類の存在は必要なものなのである。それは、どんなに高度な生命体を持ってしても実現できなかったことを、人類が実現させてしまう可能性がゼロではないからである。
広大な宇宙であれば、どんなに確率が薄くても、いつか、どこかで実現される。
何万回どころではなく、何億回でも、何兆回でも、宇宙はやり直せるのだ。
奇跡的なことでも確実に実現され、それは奇跡ではなくなる。
因果は多様性を求めて宇宙を駆け巡り、ぼくらは、その結果として存在する。
この糸が永遠に切れないものであるなら、宇宙はどこまでも進化していく。
その究極の世界とはいかなるものであろう?
そこで生まれし、究極の生命体とはいかなる存在であろうか?
夢遥か。




