2-14 悪意
自分をライアンだと肯定したソイツは、俺に興味を無くしたかのように再びクロへと向き直る。そのゆっくりとした動作からは、威厳というか風情というのか、どこか見入ってしまうような動きだった。
ライアンはクロへと何か小声で話しかけると、静かにうなずく。そしてその手に持つ【魔剣:感染する悪意】を大きく振りかぶる。その黒光りした切っ先は吸い込まれるようにクロの首へとその刃を滑り込ませた。おそらく頸動脈を切ったのだろうと、予想できる量の血が吹き出ている。ライアンはその返り血をかわすこともなく、血の雨に体を委ねていた。
「クロ!」
俺は反射的にその名を叫んでいたが返事はなく、その黒く大きな体からは力が抜け落ちて地へと沈みこんでいた。
隣のハクは自らの兄の最後を悲しむように静かに喉を鳴らしているのが聞こえる。だが、俺はハクの心配を余所に考えをまとめなくてはいけなかった。
クロは先ほどまで、瀕死の状態だった。いやむしろ、あと数分で息を引き取るといったような場面だったはずだ。
そんなクロになぜライアンはとどめを刺したのか?
苦しむ姿をこれ以上見たくなかったからなのか?
長年連れ添った友人の、自分の墓を800年以上も守り続けた忠犬を、苦しみから救い出してやりたかったのか?
そうじゃないだろう。
そもそもなぜライアンは生きているのか?
いや、生きているとは言えないほどの姿だ。その姿はここ数日で何体も見てきた吸血鬼や、そのなり損ないの姿に近いものを感じる。
そう。おそらくこのライアンは不死者だ。
その彼が持っている魔剣の効果の意味するところは……。
俺の思考がいくつかの推測を立てるのに要したその数秒で、状況に一つの変化が生じた。
目の前の黒く美しかった体毛は、数か所を白髪が混じったような灰色へと変化した。金色の輝いていた瞳は、錆びた金属のようにその輝きを失っていた。
ただゆっくりとその体を立ち上がらせると、主へと忠誠を誓うように頭を下げてその隣へと伏せった。
俺はその時になって、やっと行動を開始した。決して拘束されていたり、それに準ずる魔法を使われたわけではない。ただ見入ってしまったのだ。
俺はハクをかばうように移動して、ライアンを睨む。
「ライアン、あんたは何をしたいんだ? なぜクロを不死者にした?」
「……」
彼は俺の質問には答えずに再び俺を見つめてくる。
「おい、答えろよ。ゾンビ野郎!」
俺は返事が無いことに苛立って、語気を強めて言った。
「…ん? お前は日本人か??」
俺の容姿から気付いたのか? それともゾンビ野郎発言か?
「ああ、元だがな。あんたがこの世界で生きていた時代よりも800年後に転生した者だ」
「そうか、ではコーメーも居るのか?」
「あいつはここには居ない。別の用事があってな」
「そうか、久しぶりに会いたいな。呼んでもらえないかい??」
正確にはコーメーはこの森の近くにいる。ヴィンターとミミの護衛をお願いしているので、少し離れた場所にいる。ちなみに、コーメーと契約している俺は離れた場所にいてもコーメーを呼び出すことができる。これはコーメーが空間の精霊であることとは関係なく、行うことができる契約者の能力だ。
だが俺はここにコーメーを呼ぶつもりはない。こんな状況では俺の相棒は混乱することだろう。精霊のくせにどこか人間臭いあいつは、ライアンのことをひどく気にしていた。過去に何人もいた契約者の中でもライアンには特別なものを抱いているような印象がある。そんな相棒をこんなところに呼ぶのは、いささか躊躇われる。
「駄目なのかい?」
俺は無言でいると、お願いを拒否されたと感じたのか。少しだけその無表情の目元を下げているように見える。
「大事な用事だからな。ここには呼べないのさ。それよりも俺の質問に答えろよ。なんでクロを不死者にした?」
「……ん? そのことか」
コーメーのことには食い下がらずに、今度は俺の質問に答えるようだ。たんたんと言葉を続ける。
「久しぶりにクロに会ったからさ。また一緒に付いてくるかい? って聞いたら付いていくって言ってくれたからさ。……でも死にそうだったからさ。このままじゃ一緒にいられないと思ったから不死者にしたんだよ」
分かるでしょ? と、さぞ当たり前のように自らの思惑を伝えてくる。
「…それにしても800年もたっているのか。それじゃあ兄さんも死んでしまっているよね。それにそれだけ時間がたっているなら、バスタリアも滅んじゃっているんだろうか。……う~ん。困ってしまうな~~」
本当に困っているのかと、思ってしまうほどに無表情で淡々と語る。口調もそうだが、その雰囲気に見た目とのギャップがあり、違和感がぬぐえない。俺の勘がどこか違うと主張している。
「困るって何がだ?」
「ん? いやなに復讐する相手がいないと困るだろう? 兄さんが居ないならその子孫や国を滅ぼしてしまおうと思ったんだけど、相手がいないんじゃねぇ…」
俺の中での違和感はさらに膨らんできた。生前のライアンのことは知らない。当然のことだが800年以上も前の人間だ。でもコーメーから聞かされていたライアンの人物像と目の前にいるこいつの言動は一致しない。少なくとも、復讐するという言葉を何の躊躇いもなく言える人物ではないと思う。なぜならライアンとは、それをギリギリのところで、踏みとどまったからこそ自ら死を選んだ男のはずだったから。こいつはライアンじゃないはずだ。
「…お前はライアンじゃないだろ?」
俺は絞り出すようにして、自分の考えを言った。
自分をライアンだと認めていた男は、俺の言葉に一瞬だけ目を丸くすると無表情のまま問い返してきた。
「いやいや、君が自分で僕のことをライアンだと言ったんじゃないか。君は変なことを言うね。何を言っているんだい?」
「状況的にライアンだと思っただけさ。でもどうにも聞いていたライアンとアンタは違うような気がしてさ―――」
俺は一度言葉を切ると、低く意思を込めた声を発する。
「―――それで、あんたは誰だ?」
静寂がこの場を支配する。
俺は何が起きても対応できるように身構える。
「……くっ。くくくくっ」
くぐもった抑え笑いが聞こえてくる。
「くくくっ。はははははは! ひー、っつはははははは!! ひゃひゃひゃひゃ」
さっきまでの能面のような顔が歪に歪んでいく。皺の寄った目元は垂れ下がり、小さく閉ざされていた唇は大きく三日月を表したかと思うと大きく開かれた。そこから子供のように高い声で笑いが響いてくる。痩せこけていた頬はプルプルと震えながら、皺を深く刻んでいく。棒のような腕を上げると薄っぺらの腹をおさえる。枯れ木のような全身をくの字に折り曲げて、その男は笑いを続ける。
俺は不快感を覚えずにはいられなかった。その表情が、所作が、笑い声が、それら一つ一つが俺の神経を逆撫でていく。
「ひゃー、はっははは、ははは、は。はぁー…。ふーっ」
ひとしきり笑い終わると、何が面白いのか表情は笑みを崩さずに保ち、俺へと笑いかけてくる。
「いやー、ごめんごめん。驚かせちゃったかな? 君って勘がいいのかな? まさかいきなり言い当てられるとは思わなかったよ」
ははは、と笑いを途中で挿みながら応えてくる。俺は不快感を隠そうとせずにそんな男を睨む。
「だったらお前は何なんだ?」
「何、かぁー。その聞き方だとうすうす気づいているんじゃない?」
「いいから答えろよ」
「くくくっ…。うん。分かった、教えるよ。僕はこれさ!」
そう言って男は右手を掲げる。その手には一本の剣がある。黒光りした切れ味の鋭そうな一振り、【感染する悪意】がそこにあった。
「僕はねー、この剣だよ」
「……剣が意思を持つのか?」
俺は単純な疑問を口にする。意思を持つ剣などフィクションの…。いやこの世界はフィクションみたいな存在ばかりだ。意思を持つ剣があってもおかしくはないのかもしれない。
「ふふふっ。この剣はねぇ。ある故人の悪意が込められているのさ。平たく言えば製作者の怨念みたいなものかな?」
「じゃあお前はその剣を作った人間なのか?」
「うーん。ちょっと違うんだよね~。どちらかというと製作者の怨念をもとに出来上がった悪意そのものさ。確かに生みの親の記憶はあるけども本人じゃない」
男はしゃべりながらだんだんと笑みを消していく。
「僕は悪意を振りまく魔剣であるとともに、悪意を取り込む魔剣でもあるのさ。所有者の持つ悪意を食って、僕なりにアレンジしたものを新たに植え付ける。そうやって悪意溢れる不死者を大量生産していく存在なのさ」
「迷惑極まりない存在だな。作ったやつをしばき倒したいよ」
「いやいや、あまり彼を責めないであげてよ。彼はただ自らに降りかかる理不尽なものを憎み、払いのけるために僕を作っただけさ。たまたまそれが怨念のこもった魔剣となってしまっただけさ」
男は魔剣の腹を愛おしそうに撫でながら語る言葉を止めない。
「君に僕の存在を理解してもらおうとは思っていないさ。ただ僕は悪意の元に行動する。所持者の悪意を吸って、膨らませて、拡散させているだけさ。単純で純粋なものだろう?」
「純粋かどうかは別として俺には迷惑そのものだね」
「でもライアンは喜んでいたよ。溜まりに溜まった敵と祖国への恨みを晴らす機会をあげたんだからね。なんか途中からビビって嫌がっていたけどさ。僕を封印してくれちゃってさ。それでもライアンの復讐を最後まで完遂してあげようとする僕を褒めてもらいたいね」
おどけるように肩をすくめる仕草に怒りを覚えるが、聞き捨てならないことを言いやがった。
「…待て。お前のせいでライアンは復讐を決意したのか?」
「僕はただ彼の燻っていた復讐という悪意を増やしただけさ。それを決意して実行したのは彼自身さ」
「それでも、お前を手にしなければライアンはそんなことをしなかったんじゃ無いのか?」
「そうかも知れないけど、でも過去の事だよ。いいじゃないそんなことは」
確かに済んだことではある。でも、釈然としないものがあるのは確かだ。きっとライアンはその魔剣を手にしなけれは、きっと違う人生を送ることが出来たはずなんだ。
「それよりもさぁ……」
ソイツは再び深い笑みを作ると、優しげに俺へと語りかけてきた。
「せっかく新しい時代になったんならさ、君の悪意をくれないかな? この時代に振りまく悪意としてはライアンのものは古いからさ。きっと現代を生きる君ならいいものがあると思うんだ」
そいつは魔剣を俺へと構え直すと、楽しげな口調で語りかけてくる。
「ライアンには最後まで抵抗されて、多くの悪意を振りまくことが出来なかったからさ〜。君ならその様子を見る限り、感情が激しそうだからさ立派な僕の苗床になってくれると思うんだ。だからさぁ……」
笑みをさらに深く、暗くして、俺へと微笑みかけてくる。ソイツは魔剣を持ち、身体ごと俺へと動き出す。
「僕の新しい所持者になってよ」




